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布原駅:JR伯備線|旅情駅探訪記

JR伯備線・布原駅(岡山県:2022年3月)
旅情駅探訪記
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布原駅:更新記録

公開・更新日 公開・更新内容
2023年6月18日 コンテンツ公開

布原駅:旅情駅探訪記

2000年8月(ぶらり乗り鉄一人旅)

全国に存在する駅の中には、元々、旅客駅ではなく信号場として開業した駅が幾つかある。

運転上の必要性から行き違い設備が設置されるものの、需要が無いか僅少であるため旅客扱いは行わないというのが信号場の性質であった。とは言え、国鉄時代には信号場勤務の職員の家族や周辺住民の生活の便宜を図る目的で、信号場であるにもかかわらず旅客扱いをしていたところもあり、国鉄の分割民営化でJRが発足した際には、旅客駅に昇格したところも少なくない。

JR伯備線の布原駅もそうした信号場起源の旅客駅の一つである。

2000年8月。中国地方のJR路線を全て周る旅の道中でこの駅に立ち寄り、駅前野宿の一夜を過ごすことが出来た。これが伯備線の初乗車でもあり、勿論、布原駅の初訪問でもあった。

日没後に到着した布原駅は既にとっぷりと暮れており、西川のせせらぎの音が山峡に響くだけの寂寞境。

当時は今ほどインターネットやSNSが普及しておらず、旅の計画立案は専ら時刻表と市販の地図を頼りにしていた。目的の駅に駅舎や待合室があるのかどうか、周辺に雨風をしのげる東屋などが存在するかどうか、といった情報を事前に得ることは難しく、実際に現地に行ってみたところ、野宿するには不適切な立地だったために予定を変更して別の駅や場所まで移動するということも少なからずあったし、野宿候補駅を幾つか通り過ぎながら車窓で吟味し、決めた駅に折り返してきて下車するということもよくやった。

この布原駅にしても、当時既に駅舎や待合室は存在せず、一夜を過ごそうとすればテントを張っての駅前野宿が必須となる状況だったのだが、それに気が付いたのは下車してからだった。暮れた後の到着だったこともあり、到着間際の車中から駅周辺の様子を窺うことは出来なかった。

幸い、この日は天候も良く雨風の心配は無かったし、駅の周辺にはテントを張るくらいの空きスペースはいくらでもあったので、手早く野宿の準備を済ませて落ち着くことが出来た。テントを持たず駅寝で周ろうとするならば、雨風を避けられる場所がないこの駅は、候補にならないかもしれない。

野宿準備が終われば宿が決まったも同然。心置きなく駅前野宿の一夜を堪能できる。

辺りは既に真っ暗だったので、ヘッドライトとカメラを抱えて、対岸の中腹を登っていく道路まで足を延ばしてみた。高い位置から布原駅を見下ろすことが出来るだろうと予測したのだが、その通り、西川を挟んだ対岸の山麓に、照明に照らされてぽつねんと佇む布原駅の印象的な姿を捉えることが出来た。

川の流れの音だけが聞こえる峡谷にどこからともなく列車の走行音が響き始める。時刻表によると、間もなく岡山に向かう特急「やくも」が通過していくはずだ。

三脚に据えたカメラにレリーズをセットし長時間露光の設定をして待ち構えていると、眼下の線路を進む特急のヘッドライトが見え始める。

その通過の軌跡を捉えて駅まで戻ることにした。

フィルムで撮影していた当時、撮影直後に出来上がりを確認することは出来ず、後日、現像してみれば失敗作に終わることも多かったが、幸い、この時の作品は鑑賞できるくらいには仕上がった。

JR伯備線・布原駅(岡山県:2000年8月)
訪れる者も居ない山峡を軌跡となって特急が駆け抜けていく

駅に戻った後は手早く夕食を済ませ、眠りにつくまでのひと時を利用して、夜更けの駅の写真を撮影することにした。フィルム撮影だったこともあり多くの写真は残していないが、明かりが灯る布原駅の孤影は一人旅の情景にマッチしていた。

幾つかの通過列車を軌跡として捉えた後、川のせせらぎの音を聞きながら、駅前野宿の眠りに就いた。

JR伯備線・布原駅(岡山県:2000年8月)
夜更けの布原駅のホームに一人佇む
JR伯備線・布原駅(岡山県:2000年8月)
岡山に向かう特急が無人境を通過していった

駅に関する詳細は調査記録でまとめることにするが、ここで概略について触れておこう。

「停車場変遷大事典(石野哲・JTB・1998年)」によると布原信号場としての開業は1936(昭和11)年10月10日のことであった。布原信号場を含む国鉄伯備線新見~備中神代間の開業は1928(昭和3)年10月25日のことであるから、布原信号場は路線開業から8年後に新設された信号場だったということになるが、1936年10月10日は旧三神線の小奴可~備後落合間が開通し、現在のJR芸備線の路線網が全通した日でもある。布原信号場の開業は伯備線と芸備線の両方の列車が往来することによる輸送量増加に対応したものであったと推測されるが、それを裏付ける公式資料は見つかっていない。

その後、1953(昭和28)年頃から旅客扱いが開始されたようだが正式な日付は不詳。

信号場から駅に昇格したのは1987(昭和62)年4月1日で、既に述べた通り、国鉄が分割民営化されJR西日本が発足したことに伴うものであった。

「JR・第三セクター全駅名ルーツ事典(村石利夫・東京堂出版・2004年)」によると、駅名の由来について「新見市字西方。高梁川の支流の西川の水を使って綿布を生産する野原があったか」と記載されている。

Wikipediaによると現在の所在地名は岡山県新見市西方字野々原となっているが「布原」という名称が現れていない。しかし、以下に示すように、国土地理院の地形図や1932年要部修正測図の旧版地形図では「布原」という地名が表記されている。

地形図:布原駅付近(2023年3月) 旧版地形図:布原駅付近(1932年要部修正測図)
地形図:布原駅付近(2023年3月)
旧版地形図:布原駅付近(1932年要部修正測図)

「角川日本地名大辞典 33 岡山県(角川書店・1989年)」を見ると「布原」の地名についての解説があるが、これは鏡野町に存在する地名で新見市のそれとは一致しない。更に同書の「小字一覧」で新見市字西方の小字を調べてみたのだが、「布原」の記載は無く「野々原」のみが記載されている。上記の地形図に現れている上金子、下金子、辻田、久原、川面峠の各地名については小字一覧に記載があるものの、「布原」は記載がないのである。

「ぬのはら」と「ののはら」は発声すると聞き分けにくい音であるから、それを漢字表記にする時に「布原」、「野々原」という表記が慣用的に併用され、駅名や地形図には「布原」が、行政上の字名としては「野々原」が採用されたように感じられるものの推測の域を出ない。

この件について新見市に問い合わせたところ、新見市でも理由は分からないとのことだったが、私が上で引用した旧版地形図の元となった明治34年6月30日発行の「五万分一地形圖高梁十一號」では「布野原」の表記になっているとのことで、その図面の画像も送付いただいた。そうなると、地形図は「布野原」から「布原」に表記が修正された訳で、その理由を探ることが重要だ。

これはなかなか、興味深い事実ではあるが、ここで深入りするのは避けて、今後の調査課題としたい。

旅の朝に戻ろう。

夜が明けた布原駅では早朝から列車の往来があるが、私が乗車する芸備線の普通列車となると、これは閑散ダイヤで到着までに少しの間がある。その間に撮影に勤しむことにした。

やがて備中神代方から国鉄色をまとった伯備線の普通列車がやってきた。時刻表を眺めるとこの列車は布原駅には停車しない。否、この列車に限らず、布原駅は伯備線の駅でありながら、伯備線の列車は全てがこの駅を通過し、客扱いをするのは芸備線の普通列車のみなのである。

にもかかわらず、やってきた伯備線の普通列車はみるみるうちに減速し、上りホームの位置で停車した。

よく知られているようにこれは運転停車である。

前後を単線に挟まれた布原駅では、列車行き違いのための運転停車が頻繁に行われており、駅に昇格したと言っても信号場としての機能の方が強いのである。

暫くすると新見方から橋梁を渡る列車の轟音が響いてくる。

待ち焦がれたその列車は新鋭の寝台特急「サンライズ出雲」だった。

2000年当時はまだ全国各地にブルートレインが走っていたが、航空機や夜行バスの台頭でその凋落は留まるところを知らず、廃止が勢いを増している時代だった。そんな中で新造車両を投入して走り始めた「サンライズ出雲・瀬戸」は、寝台特急の新時代到来を期待させるものだった。

学生時代には高価な寝台特急で旅する機会は殆どなく、この「サンライズ出雲」も、初めて乗車したのは2016年になってから。しかも、大阪~東京間の区間乗車であったのだが、この布原駅の朝は、そんな「サンライズ出雲」を始めて目にした瞬間でもあった。

そんな行き違いのドラマはあっという間。

「サンライズ出雲」が山の向こうに消えて程なく、上りの伯備線普通列車も出発し、布原駅には静けさが戻ってきた。

この伯備線の上り普通列車と下り「サンライズ出雲」の行き違いは現在も続いており、朝の布原駅の名シーンとなっている。

一夜明けた早朝の布原駅で寝台特急と普通列車が行違う
一夜明けた早朝の布原駅で寝台特急と普通列車が行違う

日没後に到着し朝の始発列車で旅立つ旅程は気忙しくもあり、布原駅の周辺を探索する時間は無かったが、周りを山に囲まれた谷間にひっそりと隠れるように佇む布原駅の姿は、旅情を掻き立ててやまない。

やがて、備中神代方から単行の気動車がやってきた。

三重連の蒸気機関車が長大な貨物を牽引して駆け抜けた時代は既に半世紀以上も昔のこととなり、今や単行の気動車ですらガラガラの有様ではあるが、古い写真を見る限り駅を含めた周辺集落の様子は大きくは変わっていない。

再訪がいつのこととなるか分からないが、その時もまた駅前野宿で訪れて、今度は、周辺の探索も行いたい。

そんなことを考えながら、布原駅を後にした。

乗車する芸備線の普通列車がやってきた
乗車する芸備線の普通列車がやってきた

2022年3月~4月(ちゃり鉄16号)

布原駅の再訪問は2022年3月~4月にかけて。中国地方東部の鉄道路線を巡ったちゃり鉄16号の旅の中でのことだった。

布原駅自体は2015年から2016年にかけて乗り鉄の旅で何度か通っているのだが、旅程の関係で、駅前野宿はもとより途中下車や写真撮影も出来なかった。そのため、この旅情駅探訪記の中では、再訪問を2022年のちゃり鉄16号とした。

この旅では、布原駅をそれぞれ逆方向から2度、通っている。そのため、正確には再訪問、第三訪ということになろうが、同じちゃり鉄16号の中での訪問なので、この2度の訪問をまとめて扱うことにする。

その内の1回目の訪問は3月下旬。JR姫新線・林野駅からほど近い湯郷温泉をスタートし、新見駅経由で布原駅までを走り通した。ここで駅前野宿を行い、翌日はJR芸備線に入って内名駅まで進む。この旅では芸備線を走り通すことはせず、備後落合駅から木次線に入る行程にしていたのだが、備中神代駅から備後落合駅までは芸備線に沿う形で進むので、この区間の各駅も訪れる変則的なちゃり鉄となった。新見駅に発着する芸備線列車の運行形態に合わせる形とも言えよう。

2回目の訪問は4月上旬。JR木次線を走り通した後、島根半島の大社線跡や一畑電車・JR境線の旅を終え、JR伯備線に入った中でこの駅に停車した。ちゃり鉄の趣旨からいえば、伯備線の駅である布原駅の正式なちゃり鉄訪問はこの2回目と言えなくもない。

この日は、新郷駅での駅前野宿明けから、布原駅を経由して方谷駅まで。スタートとゴールの間の直線距離は短いが、方谷駅から一旦備中高梁駅まで走り通し、そこから西進して吹屋集落を訪れた後、周回コースを取って方谷駅に戻り駅前野宿とする行程としたので、走行距離は100㎞を超えている。

再訪1回目の道中は、朝方に勝間田駅を出たあたりから雨が降り始め、布原駅に到着するまで降り続けた。この雨天は旅の出発前から週間天気予報で発表されていたもので、よりによって布原駅で駅前野宿をするその日に、降水確率100%という最低なものだった。

途中、雨で制動が鈍くなった状態で交差点に突き出した用水路のフェンスを避けきれずに激突。右側のブレーキレバーとそこから伸びるブレーキケーブルを損傷してしまった。一瞬で伸びきったブレーキケーブルはもはやケーブルの用をなさず、右側のブレーキは全く効かなくなったため、このままでは旅を続行することは出来ないが、かといって雨ざらしのその場で修理をすることは出来ない。

結局最寄り駅まで後輪制動だけで慎重に走った後、駅の軒下でケーブルを張り直すという技術を要する修理を行った。

旅程3日目にして中止の危機に見舞われながらも、幸いブレーキケーブルの張り直しだけで済み、怪我もしなかったので旅を続行することが出来たのだが、修理のために小一時間のロスを生じ、雨ということもあって行程には大きな遅れが生じた。そのため、中国勝山駅からちゃり鉄を「途中下車」して立ち寄る予定だった神庭の滝は割愛し、沿線に目ぼしい入浴施設もなかったため、ひたすら雨の中を走り続けることになった。

止む見込みのない冷雨の中だと、中途半端に雨宿りをする事で逆に体を冷やしてしまい体力を消耗することになるし、乾いた衣服に着替えたところで走り始めの体力の消耗は激しく、直ぐに下着まで濡れてしまう。それなら、一定の体温を保つために走り続けた方がマシなのだが、これはマシというだけの話で、決して楽なわけではない。むしろ、体が冷えるから休めないという感覚に近い。ウェアリングの工夫で改善できる余地はあるが、一桁代の気温の雨天の中、アップダウンの激しい100㎞クラスの行程を10時間程度走り続けて、雨濡れも汗濡れもしない魔法のウェアは存在しない。

本来は、こういう天候の時は停滞するか行程を短縮するのが理想なのだが、会社勤めの悲哀で連休の終りは決まっているため、登山などを含む行程でなければ雨天中止は避けたい気持ちが働き、終日の雨でも走り続けることが多い。

さて布原駅に到着する頃には雨が上がっていることを期待したものの、回復は遅れてあいにくの雨。

この駅の周辺には雨を避けられる場所がないだけに、一日中雨に降られた後、入浴も出来ず、雨中テント泊という気が滅入る再訪となった。

雨に打たれながら薄暗くなりかけた駅周辺で濡れていない場所を探し回ると、地区集会所の建物の入り口付近の軒下が辛うじて雨濡れを免れていた。テント一張でギリギリのスペースではあったが、テントが収まればそれで問題はないので、その場所で野宿をする事にして手早くテントを張り、終日の雨中ライドで濡れた衣類や靴下を着替えやっと人心地ついた。

時刻は18時を回る頃。

早春3月の悪天候の夕方に山峡の布原駅とあって、既に辺りは夜の帳に覆われ始めていた。

終日の雨天ライドで身体的な疲労感は強いものの、「宿」が決まった安堵感もあるし、残照の時間は直ぐに終わってしまうこともあり、休憩もほどほどに駅の撮影を行うことにした。まだ小雨が降り続いてはいたが、雨雲レーダーで見る限り間もなく上がり、明日以降の天気は回復するようだった。

布原駅は千鳥型相対式2面2線の構造で上下ホームの間に構内通路がある。

写真撮影を始めると直ぐに構内踏切の警報機が鳴りだしたので、下り線側の狭いホームの中でギリギリまで退避し通過列車を待つ。

しばらくすると、新見方の山峡から橋梁を渡る列車の轟音が響き始めたのだが、低速で長く続くその轟音から貨物列車の接近が察知される。伯備線は今でも貨物列車の往来が頻繁でファンの撮影スポットにもなっている。

ほどなく、貨物列車がやってきた。撮影写真のタイムスタンプは18時23分であった。

制動をかけた気配もあったので、このまま構内踏切を塞いで行き違い待ちかと焦ったが、減速しただけで走り抜けていった。

以前、函館本線・姫川駅の下り線で同じように貨物列車の通過待ちをした時、通過すると思っていた貨物列車が運転停車をしたため構内踏切を渡ることが出来なくなり、上り列車と行違うまでの20分余りを、ずっと下り線ホーム上で待たされたことがあった。

その時も、駅構内で制動がかかったので、同じことが起ったかと焦ったのである。

山峡の無人駅に轟音を轟かせて貨物列車が通過していく
山峡の無人駅に轟音を轟かせて貨物列車が通過していく
列車が走り去れば清流の水音だけが山峡に響いていた
列車が走り去れば清流の水音だけが山峡に響いていた

貨物列車が米子方の山峡に消えたのを見送って、改めて布原駅と対峙する。

20年ぶりだと思うと感慨深いものがある。

この20年の間に魅力ある多くの路線や駅が廃止となっていった。この布原駅とて駅として安泰なわけではないが、兎にも角にも、こうして駅として維持されていることを私自身は素直に喜びたい。

青い大気の底で数基の照明に照らし出されて静かに佇む布原駅の孤影は、そんな歳月を内に秘めたまま、物言わず静かに旅人を迎えてくれた。

既に述べたように、布原駅での旅客列車の停車は芸備線の普通列車に限られる。

この探訪記を執筆している2023年6月現在では一日5.5往復。

上りは、5時58分、8時2分、9時24分、15時56分、17時39分、21時31分で、全列車が新見行。

下りは、7時12分、13時7分、16時21分、18時33分、21時51分で、13時7分と18時33分が備後落合行き、それ以外が東城行である。

いずれも日中に6時間前後の停車空白時間帯があり、旅客需要が殆どないことが窺える。

とは言え伯備線そのものには普通列車や特急列車が頻繁に走っているし、時折、貨物列車も通るので、駅を通過する列車は少なくはない。

上下線ホームを行き来しているうちに、再び構内踏切が作動し始めた。数少ない芸備線の下り普通列車、備後落合行が到着するのである。

列車が到着するとは言え駅に乗客が現れることはない。迎えの車が来ないところを見ると、到着した列車から降りてくる人も居ないだろう。

JR伯備線・布原駅(岡山県:2022年3月)
終日、冷雨に見舞われた辛い行程の後に辿り着いた20年来の布原駅
構内踏切の警報機が作動し始めて列車の接近を知らせる
構内踏切の警報機が作動し始めて列車の接近を知らせる
JR伯備線・布原駅(岡山県:2022年3月)
暮れゆく布原駅をヘッドライトで照らしながら芸備線の普通列車がやってきた

ほどなく到着した一両編成の下り普通列車は停車と同時に消灯した。ここで上り列車と行違うらしい。

布原駅は曲線部分に設けられていて前後の見通しが悪いため、駅の構内に中継信号機がある。

上り線のホームに立って新見方を眺めると、ホームの少し先に中継信号機が立っていて、下り線に列車が停車すると同時に、横一列の停止中継から右斜上の制限中継へと表示が切り替わった。

そして、米子方の峡谷に轟音を響かせて特急「やくも」がやってくる頃には、縦一列の進行中継の表示となった。

こうした信号表示の制御は、今日では遠隔集中制御がなされているが、少し時代を遡れば手作業だった。そのため、信号場にも多くの職員が勤務し国鉄時代には官舎があった場所も多い。

信号場時代の布原駅もその例に漏れないが、今では、僅かに残る建物の痕跡や駅周辺の空き地に往時の面影を偲ぶばかりだ。

普通列車と特急「やくも」との行き違いはほんの数分のドラマ。

特急通過の余韻が峡谷に響き渡るうちに普通列車のヘッドライトが点灯し、備後落合までの長い旅に出発していった。車内に乗客の姿は無かった。

普通列車は消灯し、ここで上り列車と行違うようだ
普通列車は消灯し、ここで上り列車と行違うようだ
岡山に向かう上り特急「やくも」が通過していく
岡山に向かう上り特急「やくも」が通過していく
そぼ降る雨の中、芸備線の普通列車が出発していく
そぼ降る雨の中、芸備線の普通列車が出発していく

一旦テントに戻り荷物の整理や夕食の支度をしているうちに、辺りはすっかり暗くなった。

西川が刻んだ谷底に位置する布原の集落は四方を山に囲まれているので、空の高いところを除いて夜の帳に覆いつくされている。

この時刻になっても霧雨が続いてはいたが、雨音が聞こえるような強い降り方は収まっていたので、傘とヘッドライトを携えて駅や周辺の撮影と探索に出掛けることにした。

時刻は19時間際だが、既に深夜のような様相の駅を訪れる者は居ないし、集落そのものも人の出入りは無く静まり返っている。

点在する民家の窓から漏れてくる暖かそうな明り。

夕餉のひと時か、その後の団欒のひと時か。

侘しい一人旅の夜だが、孤独な旅情駅と対峙するそんなひと時が好きで、駅前野宿の旅を続けている。

暫し、駅に佇んで写真を撮影した後、西川に架かる沈下橋の上に行ってみた。雨水が流れ込んだ西川の川面からは薄っすらと川霧が立ち昇っている。それが駅の照明で煌めく水面の上を漂っており幻想的な雰囲気だ。

雨水が流れ込んで冷たくなった河川の上を暖かく湿った空気が流れると、水面に接触する下層の空気が冷やされて水蒸気が凝結し川霧となるのである。真冬には空気と水の温度関係が逆転したタイプの川霧が発生することがあるが、いずれにせよ、幻想的な光景となることが多い。

流れる空気中の細かな水滴が直ぐにカメラ本体やレンズに結露してしまうので、手早く何枚か撮影した後はカメラを仕舞い、暫くこの風景に見惚れた。

訪れる者も居ない布原駅と一人、対峙する
訪れる者も居ない布原駅と一人、対峙する
JR伯備線・布原駅(岡山県:2022年3月)
幻想的な川霧が漂う谷間に布原駅が浮かび上がる

対岸に渡って山腹まで登ると眼下に布原駅を見下ろすようになる。前回、駅を通過する特急の軌跡を撮影した地点まで写真の記憶を頼りに辿り着いてみると、樹木に遮られて思い描いた構図では撮影をすることが出来ない。場所が違うかと更に登ってみても駅が見えなくなるだけで、登り過ぎていることは明らかだ。

結局、俯瞰地点からの撮影は諦めて戻ることにしたのだが、この20年の間に視界を遮るほどに樹木が成長したのだろう。

思った地点での撮影は出来なかったが、その前後で何枚かの写真を撮影して、一旦駅に戻り夕食を取ることにした。

一時間ほどで夕食と片づけを終えると20時20分になろうかという頃合い。

もう一度カメラを携えて繰り出してみると、先ほどまでは空に残っていた残照もすっかり消えていた。峡谷に漂う川霧も濃くなったようだ。

私は夜の旅情駅の通過列車を光の軌跡として捉える写真が好きで、この時も三脚にカメラを据えレリーズを使った撮影を行ったのだが、この手の写真に関しては、車両の形が全く分からない失敗作という評価をする人も居て面白い。

再び訪れた沈下橋では、下り、上りの順番で特急「やくも」を撮影した。今や陰陽連絡の使命を一手に引き受ける伯備線だけあって特急列車の通過は頻繁だ。

駅周辺の雰囲気とは裏腹に、特急列車の通過は頻繁だ
駅周辺の雰囲気とは裏腹に、特急列車の通過は頻繁だ
ヘッドライトの明かりも誇らしげに岡山に向かう特急が通過
ヘッドライトの明かりも誇らしげに岡山に向かう特急が通過

布原駅の東方、新見方には第23西川橋梁がありその先はトンネルの坑口に直結している。このトンネルは苦ヶ坂隧道。名は体を表す、という通りの隧道名で、蒸気機関車時代には、布原信号場を出た重連蒸気機関車が猛煙を吐きながら隧道までの急勾配を登ってくる撮影名所だったという。新見からのアプローチにしても急勾配であることには変わりなく、我がちゃり鉄16号も川面峠の難所を越える行程だった。

この隧道を出て布原駅に向かっていく列車の軌跡を捉えようと、真っ暗な道をヘッドライトで照らしつつ橋梁の下まで移動し、やってきた貨物列車を撮影したのだが、周りが暗すぎて橋梁部分が黒く潰れた写真となってしまい、これは失敗作であった。

駅の方に戻り、沈下橋を渡ってもう一度対岸中腹まで移動する。時刻は21時を過ぎた頃合いで就寝時間でもあるが、そろそろ上りの寝台特急「サンライズ出雲」が駅を通過していくはずなのだ。その撮影をしたかった。

対岸の低い位置から眺めた布原駅は、さながらジオラマのような雰囲気。3基の照明を受けて駅の施設が浮かび上がっている。

カメラをセットして待ち構えていると、待ちかねた「サンライズ出雲」がやってきた。程よい位置に進んできたのを見計らってレリーズを押して長時間露光で撮影を始めたのだが、何と「サンライズ出雲」は布原駅で運転停車してしまった。下りの特急「やくも」と交換するようだ。

失敗作を確認した後で、「サンライズ出雲」の停車位置とカメラの設定を確認しているうちに、今度は「やくも」が近づいてくる。慌ててセットし直して辛うじて撮影できたが、長時間露光でシャッターが開きっぱなしなので、次の撮影には移れない。

そうこうしているうちに「サンライズ出雲」が動き出す。

慌ててシャッターを押す。

特急同士の行き違いだけあって、ロスタイムは調整されているのか、普通列車のような長時間停車はしなかった。

辛うじて撮影は出来たが「サンライズ出雲」の軌跡が尻切れになってしまった。

それでも、普通列車や特急列車と異なる暖色系の印象的な軌跡を捉えることが出来たので、これはこれで良しとしておこう。

対岸から眺めた夜の布原駅はジオラマのよう
対岸から眺めた夜の布原駅はジオラマのよう
21時を過ぎても出雲に向かう特急が通過していく
21時を過ぎても出雲に向かう特急が通過していく
オレンジ色が際立つサンライズ出雲の軌跡
オレンジ色が際立つサンライズ出雲の軌跡

駅に戻ると21時半になろうとしていた。

この日は肉体的に疲れたこともあって、もうそろそろ眠りたい時刻ではあったが、新見に向かう芸備線の普通列車が間もなくやって来る。それは撮影したかった。

この頃には霧雨も止み、ホームの上の水溜りも消え始めていた。

早春だったこともあり虫の音も聞こえず、ただ西川のせせらぎの音が暗闇の中から響くだけの静かなひと時が流れている。

程なく、米子方の第22西川橋梁を渡る単行列車の走行音が聞こえてくる。

この新見行の普通列車は、布原駅到着直後にやってきた備後落合行が折り返してきたものだ。

かつては備後落合駅でも夜間滞泊が行なわれていた時代があったが、既にそうした運用もなくなっており、芸備線の普通列車も20時前に備後落合に到着した後、直ぐに新見行となって折り返す運用となっている。このちゃり鉄16号の旅では、備後落合駅でも駅前野宿の一夜を過ごしたのだが、それは別の機会に探訪記にまとめたい。

18時台の備後落合行は新見からの帰宅需要での利用者が想定されるものの、この日は乗客の姿が無かった。備後落合からの折り返し列車に旅客需要は見込めず、予想通り乗客の姿は無かった。

もしかしたら、この列車は新見を出て新見に戻るまで、一人の乗降もなかったのではないだろうか。

そんな行路を一人で辿る運転士はどんな心境なのだろう。

残り一駅。

新見に向かって出発していく普通列車を見送り、上り線側から駅構内の写真を撮影する。この後も23時台まで伯備線列車の通過があるが、ちゃり鉄の朝は早い。

これでこの日の撮影を終了し、眠りに就くことにした。

JR伯備線・布原駅(岡山県:2022年3月)
21時半頃になって布原駅に戻ってきた
JR伯備線・布原駅(岡山県:2022年3月)
雨も上がった布原駅でこの日の最終列車を待つ
JR芸備線・布原駅(岡山県:2022年3月)
やってきた芸備線の最終列車に乗客の姿は無かった
21時半過ぎの布原駅を撮影して眠りに就くことにした
21時半過ぎの布原駅を撮影して眠りに就くことにした

翌朝は4時半頃には起き出す。

旅情駅で駅前野宿を行う際には、始発列車が到着する1時間くらい前には後片付けを済ませておくのが私なりのルールである。

この日の始発列車は5時58分。

5時には綺麗に片づけを済ませておきたいので、4時半だと遅いくらいだった。

手早く朝食を済ませテントも片付ける。そして諸々の荷物を自転車にパッキングし、出発準備を済ませた後で、朝の撮影に入ったのは5時半頃だった。

まだ辺りは薄暗く、昨日、駅に到着した直後のように青い大気に包まれているが、東の空は少しずつ明るくなっていくとともに、紺色から群青へ、群青から青紫へと色彩が変化していく。凛とした空気の中で明けていくこのひと時は静謐と呼ぶにふさわしい。

天気予報では本日は晴れ。

終日の雨で苦しかった昨日とは異なり、芸備線沿線の長閑な里山風景の中を気持ちよく走れそうだ。

早朝の布原駅はまだ眠りの中。明かりに照らされた駅の施設は静まり返っていた。

待合室や駅舎の無い布原駅はホームとその間を結ぶ構内踏切が駅の全てといっても良いくらいで、駅の入り口はホームの入り口でもある。車道から路盤への短いスロープを上がった先に、時刻表と運賃が掲示されておりここが駅だということが分かるのだが、途中不自然な段差で延長された跡のある千鳥配置の相対式2面ホームは、信号場時代の面影を感じさせる。ここで職員がタブレット交換の業務を行ったのであろう。

訪れる者も居ない駅の施設を孤独な明かりが照らし続ける
早朝の布原駅はまだ眠りの中に居た
通路のみの布原駅の正面口
通路のみの布原駅の正面口
時刻表や運賃表が表示された駅入り口
時刻表や運賃表が表示された駅入り口
布原駅の周辺には数軒の民家が点在している
布原駅の周辺には数軒の民家が点在している

5時45分過ぎ。頃合いを見計らって上り線ホームに上がる。

間もなく新見から米子に向かう伯備線の始発列車が通過していくはずなのだ。

安全な位置でカメラの動作確認を済ませると、第23西川橋梁を渡る列車の走行音が聞こえてくる。2両編成と分かる走行音は、目的の普通列車が定刻通りにやってきたことを告げていた。

5時50分。

構内踏切が作動する中、米子行の普通列車が通過していく。車内には数名の乗客の姿があった。

JR伯備線・布原駅(岡山県:2022年3月)
夜明けの布原駅を伯備線の始発列車が通過していく

5時58分には芸備線からの始発列車が布原駅にやってくる。これが布原駅に発着する始発列車でもある。

時間は僅かしかないが、この列車の発着を対岸から撮影するために対岸の中腹まで登った。昨日、木立に遮られて思うようなアングルで撮影できなかった地点だ。明るい時刻に確かめてみると、やはり樹木が成長して第23西川橋梁側が見えなくなっていた。

米子行の伯備線下り普通列車が5時50分に布原駅を通過し、新見行の芸備線上り普通列車が5時58分に布原駅を出発する。この間、僅か8分であるので、両者が米子方隣接駅である備中神代駅で行違うことは容易に想像がつくが、それを時刻表で確かめて遊ぶのも楽しい。

待つほどもなく、5時57分頃には芸備線の普通列車がやってきた。望遠レンズで覗いてみたが布原駅での乗降は無い。稀に、始発列車で旅情駅にやって来る鉄道ファンがいるのだが、この日はそんなことはなかった。

対岸の中腹まで上がって布原駅を見下ろした
対岸の中腹まで上がって布原駅を見下ろした
JR伯備線・布原駅(岡山県:2022年3月)
5時58分発の芸備線普通列車・新見行を撮影する
停車した普通列車に乗降客の姿は無かった
停車した普通列車に乗降客の姿は無かった

駅に戻る道すがら周辺の集落の様子を眺めてみる。

近隣住民は信号場時代からこの地に住まい、地区や駅の変遷を見守り続けてこられたことだろう。

鉄道ファンが大挙して押し寄せて混乱を生じたことも少なくはないようだが、地区の人々にとって、伯備線や布原駅はどういう意義を持った存在なのだろう。

対岸の同じ高さの位置まで下がってくると、駅を真正面に眺める形となる。

信号場時代の古い写真を見ると駅の周辺には多数の建物が存在していたようだが、今は駅に付随する建物は機械室しかない。少し離れたところに建つ小さな集会所だけが、この駅に人が集った日々の面影を微かに伝えている。

信号場時代の布原駅の方が遥かに駅らしく、駅となった布原駅の方が遥かに信号場らしい気がしたが、それは、停車場に職員が配置されていた時代を知らぬ世代の思い込みかも知れない。

車1台分の幅しかない「駅前通り」を歩いて布原駅に戻ったのは6時5分頃だった。すっかり明るくなったものの、谷間の布原駅にはまだ明かりが灯っており、夜の名残の青い空気が辺りに漂っていた。

布原駅の周辺はまだ眠りの中にあった
布原駅の周辺はまだ眠りの中にあった
ホームと機械室のみで待合所は設けられていない布原駅
ホームと機械室のみで待合所は設けられていない布原駅
JR伯備線・布原駅(岡山県:2022年3月)
布原駅は現在の姿の方がむしろ信号場というに相応しいかもしれない
駅に隣接して見える建物は地区の集会所だった
駅に隣接して見える建物は地区の集会所だった
この狭い舗装路が駅前通り
この狭い舗装路が駅前通り

6時半頃になると東の空が赤みを帯びるとともに照度を増し、夜の名残の空気も一掃される。

6時35分には特急「やくも」の始発列車がやってくる。この列車の始発は出雲市で、出発時刻は4時台だ。岡山到着は7時40分過ぎ。岡山へのビジネス利用としては少し早すぎる。そこから先、新幹線に乗り継ぐビジネスマンの利用が主体なのかもしれない。

高速バスや航空機に押されて需要が縮小している鉄道特急ではあるが、出雲地方と関西や中京、関東を結ぶ旅客需要では比較的地位を保っており、それが寝台特急「サンライズ出雲」の存続理由にもなっている。

しかし、やってきたのは4両編成の「やくも」。流石に、この時刻だとそれくらいの編成でも捌ききれる程度の需要なのだろう。

JR伯備線・布原駅(岡山県:2022年3月)
日ノ出の気配と共に消灯し朝の表情となった布原駅
この時刻の特急やくもは、短い4両編成だった
この時刻の特急やくもは、短い4両編成だった

「やくも」の通過を見送った後、苔生したホームが物語る布原駅の日常を感じながら、構内や駅名標の撮影を行った。

計画ではこれで出発する予定だったのだが、今日は芸備線・内名駅までの行程で、途中、鯉ヶ窪湿原や帝釈峡に寄り道をしても、内名駅への到着時刻に余裕がある。

時刻表から推察するに7時40分過ぎには下り「サンライズ出雲」が布原駅を通過していくはずなので、出発の予定を繰り下げて「サンライズ出雲」の通過を見送るとともに、それまでの時間を利用して、昨日損傷したブレーキ系統の調整を行うことにした。

既に日の出は過ぎているので、米子方に聳える山並みには陽が差しているものの、谷間にある布原駅まで陽光は届いていない。早春の山峡は肌寒く、陽の光が待ち遠しくなる時間帯だ。

苔生したホームがこの駅の日常を静かに物語る
苔生したホームがこの駅の日常を静かに物語る
緩やかなカーブに位置する布原駅
緩やかなカーブに位置する布原駅
貨物列車も行き交う布原駅の構内はかなり広い
貨物列車も行き交う布原駅の構内はかなり広い
布原駅の駅名標
布原駅の駅名標
谷間に日が差し込むのが待ち遠しくなる
谷間に日が差し込むのが待ち遠しくなる

数本の列車の往来を見送りながら整備を終えたのが7時20分頃だった。

7時24分には、再び、岡山行の特急「やくも」が通過していく。対する出雲市行の「やくも」は8時過ぎに通過していく列車が最初だ。

再び、カメラを用意して、違う場所から上り「やくも」の通過を撮影した。

その後、7時46分頃になって、伯備線の上り普通列車がやってきたのだが、この列車は布原駅に停車した。伯備線の列車であるから布原駅で客扱いはしないので、これは行き違いのための運転停車である。

程なく、第23西川橋梁側から列車が橋梁を渡る音が聞こえてくる。長編成のそれは特急の接近を告げているのだが、もちろん、寝台特急「サンライズ出雲」だと分かっている。東京から夜通し走ってきた列車が寸分違わず布原駅で対抗列車とすれ違うのだから、よく考えてみれば凄いことだ。

7時48分。

「サンライズ出雲」はやや減速しながら布原駅に進入し駆け抜けていった。

それはあっという間の出来事ではあるが、20年前の夏も、同じように伯備線の普通列車と行違っていたことを思い出す。周囲の風景も変わらず、「サンライズ出雲」の車体や塗装も変わらず、変わったのは、伯備線の普通列車の塗装だけだ。

「サンライズ出雲」の走行音が米子方の山峡に消える頃、伯備線の普通列車も布原駅を出発していった。

早朝から岡山に向かう特急が足繁く通過していく
早朝から岡山に向かう特急が足繁く通過していく
伯備線の普通列車が運転停車
伯備線の普通列車が運転停車
JR伯備線・布原駅(岡山県:2022年3月)
東京からやってきた「サンライズ出雲」が寸分の遅れもなく通過していく
2000年当時から変わらぬサンライズ出雲との交換風景
2000年当時から変わらぬサンライズ出雲との交換風景

目的の列車を撮影したのでいよいよちゃり鉄16号も出発と思ったのだが、あと10分程で芸備線の上り普通列車がやって来る。どんどん出発時刻が遅くなっていくが、それを吸収できるくらいの余裕をもってこの日の走行計画を立てていたこともあって、芸備線の普通列車の発着も待つことにした。

果たして8時1分には、目的の普通列車が布原駅にやってきた。

既に述べたように、布原駅に停車する上り普通列車の朝の時刻表は、5時58分、8時2分、9時24分となっている。その次となると15時56分。この内、9時24分は土日運休する。

布原駅に停車する普通列車は、芸備線内から新見に向かう普通列車でもあるが、この時刻表を見る限り、大半の沿線住民にとって新見への通勤通学に使える列車は8時2分布原駅発の普通列車一択となるように思う。

それであれば、そこそこの乗車率も想定されるが、この日は休日だったこともあり、車内には殆ど乗客の姿は無かった。

JR伯備線・布原駅(岡山県:2022年3月)
朝の通勤通学需要を担う芸備線の上り普通列車がやってきた
新見に向かう乗客を乗せて普通列車が出発していく
新見に向かう乗客を乗せて普通列車が出発していく

普通列車の出発を見送っていよいよ出発、と思いきや、間もなく、下り始発の「やくも」がやって来る。キリが無いが、それだけ列車の往来があるということは、路線需要があるということでもあり、鉄道経営にとっては喜ばしいことだ。

最後に駅のホームに上がって下り特急「やくも」の通過を見送った後、今度こそ、出発の時刻となった。

布原駅発、8時18分。

JR伯備線・布原駅(岡山県:2022年3月)
出発前にもう一度ホームに上がる
JR伯備線・布原駅(岡山県:2022年3月)
駅に日が差し込むのもあと少し
今度は出雲市に向かう下りの特急やくもが通過していく
今度は出雲市に向かう下りの特急やくもが通過していく
最後に駅の構内を見渡して出発することにした
最後に駅の構内を見渡して出発することにした

布原駅からは、到着時にあまり観察できなかった沈下橋や取付道路の様子を撮影しながら進むことにする。沈下橋付近は既に朝日の中にあった。辛い行程だった昨日とは異なり、今日一日、清々しい晴天に恵まれそうだ。

市道に出るまでがかなりの急勾配なのでゆっくりと登っていくが、中腹に至るまでの間に、あっという間に汗まみれになる。

坂を上がったところで合流する道路は元々は岡山県道8号線新見日南線であったが、2010年10月1日に岡山県告示第804号によって県道の経由地が変更され、新見市郊外から布原駅付近を通って神代に抜ける区間は市道に変更された。

この市道を備中神代駅に向かって進んでいくと、やがて、素掘りの壁面にモルタルを吹き付けた、印象的なトンネルが現れた。苦ヶ坂隧道である。

はてどこかで聞いた名前だと思った読者の方も居られるかもしれないが、その通り、布原駅の新見方にある第23西川橋梁を渡った所にあるのが、伯備線の苦ヶ坂隧道であった。

車道と鉄道でルートや位置は違うものの、隧道名は共通なのであった。

そしてまた、この素掘りのトンネルや周辺の道路の雰囲気は、ここが「苦ヶ坂」と呼ばれるに相応しいものである。

もっとも、狭いながらも舗装された車道は、通行に大きな支障があるわけではなく、眼下に流れる阿哲峡の渓谷も美しい。

隧道を穿った人々の苦労を偲びつつ、下りに転じた山道を軽快に走り下り、備中神代駅に向かったのだった。

西川を渡る車道橋は欄干のない沈下橋構造
西川を渡る車道橋は欄干のない沈下橋構造
集落への取り付き道路を登っていく
集落への取り付き道路を登っていく
県道の素掘りトンネルを越えて備中神代駅に向かう
印象深い素掘りの苦ヶ坂隧道を振り返った後、備中神代駅に向かう

それから6日後。

私は備中神代駅から布原駅に向かって、苦ヶ坂隧道を走り抜けていた。

忘れ物をしてわざわざ引き返してきたのかと思いきや、そうではなく、最初に述べたように、これがちゃり鉄16号の計画通りの行程であった。

6日前に布原駅を出発した私は、その後、芸備線の内名駅、備後落合駅、木次線の出雲坂根駅、島根半島の日御碕、島根半島の美保関、伯備線の新郷駅と野宿を重ね、6日後になって、新郷駅を出発して再び布原駅を目指していたのだった。

前日から走り始めた伯備線は、新郷駅と方谷駅で駅前野宿を予定した2泊3日。

この日は伯備線2日目で、早朝に新郷駅を出発し、苦ヶ坂隧道には7時19分に到着した。

布原駅には8時前に到着し寝台特急「サンライズ出雲」を撮影する目的で、当初からの時刻表通りに走ってきたのだが、初回の布原駅で出発時刻をずらしたので、布原駅での「サンライズ出雲」の撮影はこれが2回目になる。

そのまま布原駅までは下り基調で進み、駅に直行せずに集落の東端にある集落付近に寄り道をする。ここから西川に沿って下流の河本ダムまで地図上では左岸に道路があるように描かれているが、集落の外れで西川を渡った先からは通行止めの表示。道自体が通じているのかどうかも分からないが、衛星画像を見る限りは、ダムの近くに崩壊地があり、それに飲み込まれて居そうだ。

様子を確認して折返し、今度は、布原駅を素通りして集落の西端付近にある第22西川橋梁付近に移動したが、こちらは鉄道ファンが既に車で乗り付けて道路を塞いでおり、その向こうに三脚を構えて居た。

何となく拒絶感があり、その様子を確認して引き返し、ようやく布原駅に到着した。

7時42分着。

3月27日以来5日ぶりに素掘りトンネルを越えて布原駅に向かう
5日ぶりに苦ヶ坂隧道を越えて布原駅に向かう
布原地区の東端には数軒の民家が存在する
布原地区の東端には数軒の民家が存在する
西川を渡って河本ダムに向かう道路際から周辺の民家を眺める
西川を渡って河本ダムに向かう道路際から周辺の民家を眺める
布原地区の西端付近は伯備線の橋梁で行き止まり。鉄道ファンが写真撮影をしていた
布原地区の西端付近は伯備線の橋梁で行き止まり。鉄道ファンが写真撮影をしていた

既に日は高く昇っており、辺りは陽光を受けて暖かだが、山の北側山麓に位置する布原駅の周辺には、日中も日が差し込まないようだった。

ちゃり鉄16号での初回の到着時は、終日の雨天の中で侘しい布原駅だったが、こうして晴天の中で布原駅と対峙すると、また違った表情に感じられる。

季節、時刻、天候が違えば、それぞれに駅の表情は変わる。だから、何度でも訪れたくなるのが旅情駅だ。

やがて、7時44分に伯備線の普通列車がやってきて運転停車する。この日も定時運行は守られているようだ。

程なくして第23西川橋梁を渡る寝台特急「サンライズ出雲」の轟音が響き渡り、それが少し静かになったのも束の間、7時48分に「サンライズ出雲」は布原駅を通過していった。

駅は山の北側に位置し、日中もホームに日が当たらないようだ
駅は山の北側に位置し、日中もホームに日が当たらないようだ
伯備線の普通列車の到着を待つ
伯備線の普通列車の到着を待つ
JR伯備線・布原駅(岡山県:2022年4月)
定刻に伯備線の普通列車がやってきて運転停車
印象的な車体を傾けてサンライズ出雲がゆっくりと通過していく
印象的な車体を傾けてサンライズ出雲がゆっくりと通過していく
5日前と同じ交換風景を今度はホームから眺めることが出来た
6日前と同じ交換風景を今度はホームから眺めることが出来た

「サンライズ出雲」が通過すると、直ぐに伯備線の普通列車も出発していく。

前が113系、後ろが115系改造車で、何となくアンバランス感もあるが、国鉄型車両が現役で活躍する場面も希少にはなってきた。

その後ろ姿を撮影していると背後から一際高い轟音が響き渡る。

どうやら「サンライズ出雲」が第22西川橋梁を渡っているらしい。

望遠レンズを構えて撮影を試みると、辛うじて後端車両を捉えることが出来た。

この日の目的地は方谷駅なので、このままのんびりできそうな感じだったが、実際は、備中高梁駅まで進んだ上で、吉備高原に入り吹屋集落などを訪れるため、この後の行程はかなり長い。

初回の訪問時のように出発時刻を遅らせる余裕もないので、予定通りに撮影を終えて、布原駅を出発することにした。

来た時は雨の日暮れ時でうら寂しい山道だったが、この日は気持ちの良い朝の峠道。

川面峠の急勾配を下り、方谷駅に向かって旅は続くのだった。

行き違いを待って出発していく新見行の普通列車
行き違いを待って出発していく新見行の普通列車
振り返れば、遠くの橋梁を通過していくサンライズ出雲の姿があった
振り返れば、遠くの橋梁を通過していくサンライズ出雲の姿があった
布原地区と新見市街地を隔てる峠を越えて伯備線の旅を続ける
布原地区と新見市街地を隔てる川面峠を越えて伯備線の旅を続ける
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