知和駅:旅情駅探訪記
2015年9月(ぶらり乗り鉄一人旅)
JR因美線は、岡山県の東津山と鳥取県の鳥取との間を結ぶ、中国地方の陰陽連絡線である。
営業キロは70.8km。岡山県・鳥取県境の物見峠が陰陽分水界だ。
その建設史を紐解けば、物見峠の前後区間で、大正から昭和初期にかけて、別個の路線として建設・営業が開始され、因美北線・因美南線と呼ばれた時代もあった。そして、1932年7月1日、智頭~美作河井間(16.6km)の開通によって、全線が開通、因美線と称するようになった。
かつては、陰陽連絡の使命を果たすべく、「みささ」、「砂丘」という急行列車が運行されていた。
宮脇俊三の「最長片道切符の旅」には、姫新線経由の急行「みささ3号」で津山に到着した後、27分停車して岡山から津山線経由で到着した「砂丘4号」を併結し、鳥取に向けて出発するまでの間、運転士たちがガラ空きの客席で、「だいたい因美線に10両編成なんて長すぎますわな」と雑談している様子が描かれている。
氏が、この旅を実施したのが、昭和53年のことであるから、既に、40年余り前の話になるが、その頃にして、既に、このような状況だったようだ。
ところで、同氏の「終着駅は始発駅」に収録されている「山陰ストリップ特急」の中に、因美線の話題がちらりと登場する。
鳥取の温泉街でストリップ劇場に入った氏が、たった一人の客として、40歳くらいのおばさんのストリップを眺めながら、「閉じ込められたような拷問に近い時間」を過ごし、「彼女の古びた山陰本線を眺めながら私は、はやくあしたの朝になればいいなと思った。あすは因美線に乗る予定であった。」と書いている。
この描写の妙は、宮脇俊三ならではだが、それはともかく、因美線とは、かような路線である。
私自身は、1996年12月の旅の中で、岡山駅を通りかかった際に、出発待ちの急行「砂丘」の写真を撮影したことがあるが、乗車する機会はなかった。
陰陽連絡の使命は、1994年12月に開業した智頭急行線に移り、急行「砂丘」は1997年11月に廃止された。
現在、岡山と鳥取を結ぶ優等列車としては、智頭急行線経由の「スーパーいなば」が運行されており、因美線内に、津山~鳥取を直通する列車は運行されていない。
初めて因美線に乗車したのは2000年8月で、この時は、物見峠の鳥取県側にある、那岐駅で駅前野宿をした。
次に因美線に乗車したのは2015年9月で、この時、駅前野宿を行ったのが、この知和駅である。
津山からの智頭行き普通列車で到着した知和駅は、既に、暮色蒼然。青い大気の底で、訪れる者もなく、静かに佇んでいた。
駅前野宿の準備を終え、辺りを散策している内に、すっかり暗くなった。
とっぷり暮れた山間の旅情駅で一人佇む。
それは、何にも代えがたい至福の時間である。
駅の開業は1931年。因美南線の開通と同時に開業しており、因美線の全通よりも古い。
駅名は、周辺の字に由来するようで、近くには、千磐(ちいわ)神社もある。
開業当初からの木造駅舎は、古びてはいるが、小綺麗に手入れされており、地元の方の愛着を感じる。駅務室のあった空間も、閉鎖されることはなく、ガラス窓越しに中を見ることができる状態であった。
無人化された後、駅務室が塞がれたり、駅舎そのものが取り壊されたりしてしまう例も多い中、知和駅の駅務室は塞がれることもなく、かと言って、荒らされることもなく、心地よい空間となっていた。
最終のテールライトを見送ると、駅を訪れるのは、夜の帳ばかり。虫の音を聞きながら、駅前野宿の眠りについた。
目が覚めると、知和駅は、夜明け前の真っ青な大気に包まれていた。
雨に打たれて煙る駅の東方には、矢筈山の姿が霧の合間に見え隠れしている。
矢筈山は標高756.3m。三角点も据えられた姿のよい山であるが、岡山県内最大級の中世山城の城跡でもあり、知和駅や鳥取方隣接駅の美作河井駅からの登山道もあるようだ。
無人のホームを散策しながら、駅の写真を撮影していると、山峡に列車の走行音が響いてきた。
時刻は5時半過ぎ。
「こんな時間に、始発列車なんてあったっけ?」と思っているうちに、津山方から気動車のヘッドライトが現れ、減速することなく通過していった。
どうやら、津山への通勤客を乗せる朝の始発列車が、回送されていったようだ。
この列車が折り返してきて、津山への朝の始発列車となる。
程なくして、夜が明けた。
旅をするには生憎の雨だが、霧に霞む山並みを背景に、しっとりと佇む木造駅舎の情景もまた、好ましい。
駅前から延びる一本道を進むと、県道に突き当たるが、その先には、大きな工場が建っている。周辺は、水田や畑になっており、民家も点在するが、その数は少ない。
時折、雨脚が強まることがあり、駅舎周辺でのんびり過ごす。
改めて、駅舎内を眺めると、郷愁に満ちた懐かしい心地に包まれる。
木製の改札ラッチや出札口、荷物受など表面は、ツルツルに磨かれていた。この駅を舞台にした幾多の人間ドラマに思いを馳せる。
この駅の味わい深さは、作り物では決して醸し出すことが出来ないだろう。
7時前になると、女子高生が一人、やってきた。津山の高校に通うのであろう。
やがて、先程回送されていった列車が、朝の始発として折り返してきた。
鳥取方への始発列車は、この駅を通過するため、一旦、津山行きの始発列車に乗って、隣の美作加茂駅まで戻り、そこで、鳥取方への普通列車に乗り換えて、物見峠を越え、鳥取まで乗り通す予定である。
次に訪れる時も、この、旅情ある木造駅舎が残されていることを願いつつ、雨の知和駅を後にした。