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津軽湯の沢駅:旅情駅探訪記
2001年1月(ぶらり乗り鉄一人旅)
青森・秋田県境の矢立峠は、古くから秋田杉の天然林で知られ、その地名の由来となった「矢立杉」の末裔が、今も、峠に根を下ろしている。弘前藩時代の1586年に、羽州街道の峠として開削されたこの峠は、羽州街道有数の難所だったと言う。
街道に沿って峠を越える奥羽本線も、1970年11月5日に現在の新線に付け替えられるまでは、25‰の急勾配やトンネル、急カーブが連続する難所であった。
この峠について触れた文献は多いが、「鉄道廃線跡を歩くⅣ(宮脇俊三・JTBキャンブックス)」の詳細なレポートによれば、旧線は、現在の国道に沿って、239.8mの矢立峠頂上付近まで登り、第4矢立トンネル702mで難所を越えていた。新線は、矢立峠の下を3180mの矢立トンネルで越えており、勾配も10‰にまで緩和している。
この矢立峠を青森県側に下った山懐に、忘れられたような無人駅がある。
津軽湯の沢駅である。
2001年1月、雪深いこの駅に初めて降り立ち、駅前野宿の一夜を過ごした。
雪に包まれた無人のホームに佇めば、付近を流れる沢の音しか聞こえない寂寞境であった。
駅の開業は、1949年6月1日。当時は、廃止された旧線に沿って駅が設けられていたが、新線の開通に伴い、現在の位置に移設された。1971年10月1日には、早くも無人化されている。
駅名は、温泉の湧き出る沢に由来している。
駅にせせらぎの音を響かせる沢がそれなのか、と思うと、実は違っており、この沢は、平川の支流の1つ折橋沢である。国土地理院の地形図を調べると、折橋沢の少し上流で湯ノ沢が分かれており、その沢沿いには、かつて、湯ノ沢温泉が営業していた。これが、駅名の由来となったのである。
目の前の沢とは異なる沢に駅名が由来するのはおかしなことであるが、移設前の津軽湯の沢駅は、湯ノ沢の下流に沿っており、ごく、自然な命名であった。
湯ノ沢温泉には、3軒の温泉宿が営業していた。「角川地名大辞典2 青森県」の記述によれば、「藩政期には近くにある湯ノ沢鉱山の人夫の憩いの場となっていたが、維新後は長い間荒廃のままで、大正10年に再興され今日に至る」のだという。
しかし、2012年9月に、最後まで残っていた秋元温泉が閉館し、その歴史に幕をおろした。
駅前野宿のこの夜、湯ノ沢温泉は、まだ、廃業していなかった。私は、湯ノ沢温泉に行こうとして、駅前の車道を沢沿いに登ってみたが、温泉があるような気配もなく、途中で引き返した。それもそのはず、そもそも、沢筋が全く異なったのである。駅前を流れる折橋沢の上流には、1軒の民家があるくらいで、上流は無人の山林に林道が伸びているに過ぎない。
温泉に入りそびれて、悄然として駅に戻れば、雪に覆われた真冬の津軽湯の沢駅が、静かに迎えてくれた。
明かりの灯る駅の姿は、孤独な一夜を慰めてくれる。
駅のホームは築堤上にあり、地平の駅舎からは、地下道のような通路と階段を通ってアクセスする。
2018年以降は、12月1日から3月31日までの冬季間、全ての列車が通過するダイヤとなり、駅としての使命は、風前の灯になってしまったが、初訪問の当時は、通年、普通列車が停車しており、夜更けの津軽湯の沢駅にも、秋田、大館方面への上り普通列車が停車していた。もちろん、乗降客の姿は見られなかった。
夜遅くには、青森への特急が光陰となって駆け抜けていく。
束の間の喧騒。
しかし、それが過ぎ去ると、駅のホームには、沢のせせらぎの音しか聞こえてこない。
客車時代を忍ばせる長いホームの末端は除雪されておらず、雪が1m近く積もっていた。
底冷えのする山峡の旅情駅で、一人、静かな眠りについた。
翌朝は、下りの始発列車で駅を後にする。
薄曇りの中で明けた一夜、駅前には、折橋沢のせせらぎの音だけが、変わらず聞こえていた。
下り線のホームに立って駅を眺めていると、上りの特急「白鳥」が通過していった。青森を出発して大阪まで走り通す、長旅の途に出たばかり。矢立峠を越えて、秋田県に向かう姿を見送った。
この旅では、東北入りをするのに、下りの特急「白鳥」に、大阪から青森まで乗り通した。まだ、旅情を感じさせる列車がたくさん運転されていた時代だった。
やがて、矢立トンネルを越えた普通列車のヘッドライトが見えてきた。始発列車を待つのは、自分一人。
客車鈍行の時代は遠ざかり、この付近を走行する普通列車は、ロングシートの味気ないものになってしまったが、雪深い旅情駅・津軽湯の沢の雰囲気は変わらぬこと願いつつ、駅を後にした。
2017年4月(ちゃり鉄11号)
2017年4月、「ちゃり鉄11号」で北東北の鉄道沿線を旅する道中で、16年ぶりに、津軽湯の沢駅を訪れ、駅前野宿の一夜を過ごした。
この時は、小坂製錬小坂線の沿線を旅した後、坂梨峠を越えて青森県入りし、秘湯・古遠部温泉で一風呂浴びた後、暮れなずむ、この旅情駅に辿り着いたのである。4月末というのに、駅前には、残雪が残っていた。
ホームに上ってみると、さすがに、前回の訪問時のように、雪に埋もれる…ということはなかったが、暮色に包まれたホームに明かりが灯り、折橋沢のせせらぎの音だけが無人の山峡に響く雰囲気は、以前と変わらぬままであった。
緩やかにカーブした長大なホームは、客車列車全盛期の面影を今に伝える。上り線の方向を眺めれば、遠く、矢立峠の稜線と矢立トンネルの坑口が見え、下り線の方向を眺めれば、お椀を伏せたような山容の高森が視界に飛び込んでくる。
上り線と下り線のホームの間は、築堤下の通路を通らなければならないため、駅の端から端まで移動していると意外と時間がかかり、みるみる内に、空の色が紺色に染まってゆく。
明るい時間の駅の顔もいいが、日没から夜明けまでの、明かりの灯る時間帯の駅の顔もいい。訪れる者も居ないこの時間帯の駅は、旅情駅らしい静けさで旅人を包み込んでくれる。
津軽湯の沢駅の界隈には温泉が点在しており、矢立峠周辺には、青森県側に相乗温泉、秋田県側に矢立温泉、日景温泉がある。ただし、駅名の由来ともなった湯ノ沢温泉は廃業してしまったのが残念だ。
この日越えてきた坂梨峠の山懐にある古遠部温泉は、成分が赤褐色に結晶した浴槽から溢れ出た温泉が、浴場の床一面を覆い尽くしている。温泉のWebサイトによれば、津軽湯の沢駅から送迎車で5分とあるが、鉄道利用の客は居らず、マイカーで混雑していた。
また、駅の少し下流から東に分かれる津刈川沿いにも、津刈温泉や久吉たけのこ温泉といった温泉施設がある。
このように、温泉資源には恵まれているにも関わらず、津軽湯の沢駅を利用する旅客はほとんど居ない。
国道7号が並行しており、弘南バスが運行されていることもあるし、自家用車の保有率が高い北国のこと、閑散ダイヤの鉄道を利用する需要は殆どないことであろう。駅から温泉まで、徒歩で行くには少し遠いのもネックだ。
しかし、「ちゃり鉄」で訪問したこの日は、古遠部温泉の秘湯を味わい、まだ、体が冷めきらない内に、津軽湯の沢駅に到着したので、絶妙のロケーションであった。
津刈川沿いの温泉であれば、距離も近いので、駅からもう一風呂浴びに行っても良かったかもしれない。
ところで、「角川地名大辞典2 青森県」の記載によれば、「津軽」の地名は、「『つがろ』ともいい、津刈・都加留・津賀路・東日流とも書いた」とある。同書によると、「日本書紀」斉明天皇元年7月11日条に、「津刈蝦夷」という言葉が登場すると言い、これが、津刈が古代史上に登場する最も古い記述のようだ。
日本書紀の言う「津刈」が、現在の津刈川流域を指すという確証はないが、古代史の記憶を今に伝える地名でもあろう。
そんな古代史を思いながら、旅情駅のホームでボケっとしていると、青森に向かう通過列車が、光陰となって駆け抜けていった。その束の間の喧騒が過ぎ去ると、とっぷりと暮れた津軽湯の沢駅には、夜の帳だけが訪れる。
すっかり日が暮れてからは、秋田行き、大館行きの普通列車が駅に停車した。
2両編成の普通列車には、そこそこ乗客が居たものの、この駅で乗車する客は勿論のこと、下車する客も居なかった。
大館行きの最終列車を見送れば、駅は、眠りにつく。
かつて、この駅を通過していた寝台特急の姿は既になく、この後、旅客列車が駅を通過することはない。
一人残された旅情駅は、物寂しくもあるが、どこか温かみのある、ホッとする情景であった。
翌朝は、4時過ぎから行動を開始した。
日の長いこの時期とは言え、山峡の4時過ぎの旅情駅は、まだ、黎明の青い大気の底で、眠りの中。明かりの灯るホームで一人佇んでいると、大気は、凛と張りつめたままで、時が止まったかのように感じる。
しかし、ふと気がつけば、空に赤みがさし、夜は確実に明けていく。
しばらくすると、朝霧の向こうに隠れていた矢立トンネルが見えてきた。
駅前に出て、辺りを散策してみると、矢立峠に挑んでいた旧線跡が、目に飛び込んでくる。草むした築堤は、人知れず、朝もやの中に横たわっていた。
今日は、この後、平川沿いに大鰐温泉まで下り、弘南鉄道沿線を旅した後、川部から五能線に入り、林崎駅で駅前野宿の予定である。
出発準備を整えた後、明るくなった駅のホームに立って、名残を惜しむ。
次に、この地を訪れるのは、何年後になるのだろうか。
出来ることなら、奥羽本線を旅するちゃり鉄号の道中で、矢立峠越えとともに再訪したいと思うが、もしかしたら、これが最後の訪問になってしまうのかもしれない。
そんな事を思いながら、残雪の残る山峡の旅情駅・津軽湯の沢を後にした。
津軽湯の沢駅:旅情駅ギャラリー
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津軽湯の沢駅:コメント・評価投票
失礼します。先日角館から弘前まで自転車で走った際、白沢、陣場、碇ヶ関に立ち寄ったのですが、津軽湯の沢駅に立ち寄る事を忘れて、帰宅後このサイトを拝見させて頂きました。
とても参考になりました。次回立ち寄ってみたいです。
ありがとうございます。
ちゃり鉄.JP
コメントありがとうございます。
自転車で矢立峠を走られたのですね。確かに、津軽湯ノ沢駅は峠越えの道から脇道にそれますし、峠を下った先になりますので、自転車で軽快に走っていると見過ごしそうな場所ですね。
私はまだ、奥羽本線を「ちゃり鉄」で走ったことはないのですが、津軽湯ノ沢駅が存続している間に矢立峠の調査も含めて再訪し、記事を更新していきたいと思います。
今後とも、よろしくお願いします。