小幌駅:旅情駅探訪記
2001年6月(ぶらり乗り鉄一人旅)

長万部から室蘭本線の列車に乗って旅をすると、静狩駅を出た後、トンネルと断崖の連続する礼文華峠の険路を行く。
かつては、「猿留山道」、「雷電山道」と並び、蝦夷地の3大難所の1つに数えられたこの地にあって、鉄道の建設もまた、難工事を強いられることになり、関東大震災や第一次世界大戦といった社会情勢もあって、度々、工事が延期されたという。
この区間を含む静狩駅~伊達紋別駅間の開通は、1928年9月10日。長万部と輪西とを結ぶ長輪線としての開通であった。
小幌駅は、この険路に掘削された「礼文華山トンネル」と「新辺加牛トンネル」を始めとするトンネル群の間に、沢沿いの僅かな空間を利用して設けられた無人駅である。

駅の歴史は、信号場として開設された1943年9月25日に遡る。開設当時から、旅客も扱っていたようだが、1967年9月29日に複線化によって信号場としての役目を終え、仮乗降場となったのは、その2日後の10月1日のことである。
信号場として開設されたという来歴が物語るように、この周辺は、当初から険しい海岸沿いの山中にあり、人の乗降を目的としたものではなく、列車の行き違いを目的としたものであった。
開通当時の長輪線は単線であり、トンネルが連続するこの区間で、地形的に、唯一、列車の交換が可能な場所だった。国土地理院の地形図を見ても、静狩駅から礼文駅に至る海岸沿いの斜面で、多少なりとも平坦地が確保できるのは、この場所以外にはない。
ただし、この付近が、全く人が立ち入らない人跡未踏の地なのかと言えば、そういうわけではなく、古くはアイヌの時代から、船を用いた往来はあり、開業当時には、海岸沿いに民家や海水浴場などもあったという。「全北海道キャンプ場ガイド’91」には、小幌海岸キャンプ場まで掲載されているらしい。
小幌の駅名は付近の地名に由来しているが、その地名の由来は、「オ・ポロ・ペツ(川の口の大きい川)を音訳したもの(JR・第三セクター全駅名ルーツ事典(村石利夫・東京堂出版)」と言う説や、「永田方正の北海道蝦夷語地名解にある「ケウ・ポール(屍洞)」がケポロイに訛り、コボロ(小幌)になって洞窟付近一帯の地名になった(豊浦町史)」と言った説がある。
私自身は、1997年の7月~8月に、この付近を初めて通過したが、当時は、小幌駅の存在も知らず、写真も撮っていなかった。
初めてこの駅を意識して通り過ぎたのは、2001年6月のことだ。
宗谷本線や石北本線で廃止される予定の駅を巡った旅の最終日に、停車中の普通列車の車内から観察しただけだったが、トンネルとトンネルの間に挟まれ、辺りには民家の気配もないこの駅に魅了され、再訪を決意することとなった。

2001年8月(ぶらり乗り鉄一人旅)
初訪問から2ヶ月。再び、小幌駅を訪問した。この時は、駅前野宿である。
行程上の都合で、日没後の到着となり、日の長い夏にも関わらず、駅前は、既にとっぷりと暮れていた。
駅構内は、両側をトンネルに挟まれており、トンネル内に列車が進入すると、轟音とともに、押し出された空気が強風となって吹き出してくる。そして、構内踏切の警報が鳴り響く中、特急や貨物列車が光陰となって駆け抜けていく。
その束の間、駅は喧騒に包まれるが、それが過ぎれば、無人境に訪れるのは、夜の帳だけである。
この夜は、駅前野宿。
駅周辺以外は暗闇に包まれているので、散歩するというわけにもいかず、保線詰所の裏にテントを張り、眠りにつくことにした。


一夜明けた小幌駅は、雲が多いが夏晴れの様子。
雨宿りをする場所が無いこの駅で雨に降られれば、駅前野宿も侘しいものとなるだけに、晴れていてよかった。
駅を出発するまでの間を利用して、駅前の沢を下った所にある文太郎浜を往復してみる。
浜には、石垣もあり、何となく、人の気配が残っていたが、民家の痕跡は見つけることが出来なかった。小石で覆われ周りを岩壁に囲まれた静かな浜に、しばし一人佇む。
かつては、ここにも民家があり、海水浴場まで開設されていたのかと、在りし日を偲ぶ。
途中で分岐する山道を東に進めば、岩屋観音に辿り着くことも出来るのだが、この時は、時間の関係もあり、訪問はしなかった。また、駅前から西に続く雑踏を辿れば、美利加浜に出られるが、ここも、途中まで散策する程度で、写真も撮影しなかった。
当時は、小幌仙人などと呼ばれた男性が駅周辺に住んでいたはずで、その住居もあったが、男性の姿は見えなかった。
駅に戻り、明るくなった駅構内を散策する。
駅の礼文駅側には、3本のトンネルが口を開けており、一番山側に礼文華山トンネル、一番海側に新礼文華山トンネルがある。真ん中は、単線信号場時代に使われていたトンネルで、今も線路が敷かれていいるものの使われてはいない。
静狩駅側には、2本のトンネルが口を開けており、山側が新辺加牛トンネル、海側が幌内トンネルである。



小幌信号場の開設当時、この付近も単線で、幌内トンネルと礼文華山トンネルの間の明かり区間に過ぎなかったが、そのままでは、当然、列車の行き違いは出来ない。
そのため、信号場の開設に際し、既設の礼文華山トンネルと、幌内トンネルの先にある美利加浜トンネルの内部に分岐を設け、幌内トンネルに並行する新隧道を開削することにより、小幌駅付近から幌内トンネルを出て美利加浜トンネルに入る前までの区間を複線化して行き違いが可能な信号場としたのである。
結果として、先頭の蒸気機関車の停車位置は、函館方面からの下り列車の場合、礼文華山トンネル手前、函館方面への上り列車の場合、幌内トンネルを出た先の美利加浜トンネル手前となった。
現在、小幌駅の礼文駅側にある3本の坑口の内、真ん中にある使われていない坑口と、そこから伸びて、上り線の幌内トンネル内に入る線路は、そうした時代の痕跡である。
形状としては、かなり特殊な信号場であった。
上り線と下り線との間の行き来は、駅構内を渡る必要がある。構内踏切があるとは言え、何となく、線路歩きをしているような気分になる。
小幌駅の駅名標を撮影したりしている内に、新礼文華山トンネルから、轟音と強風が漏れてきた。小幌駅を去る時が来たようだ。
構内踏切の遮断器が降りて、警報音が鳴り出すと、程なくして、トンネルの奥がヘッドライトに照らされ、列車の姿が見えてきた。
時間的な余裕がなく、周辺の散策は十分に出来なかったが、この山峡の旅情駅で過ごした一夜を思いながら、訪れる者も居ない駅を後にした。



20016年1月(ぶらり乗り鉄一人旅)
2016年1月、真冬の小幌駅を訪れることにした。
前回の訪問から14年余り、道内各地の駅に廃止の波が押し寄せる中、小幌駅についても、2015年7月17日、JR北海道が廃止する可能性を示唆し、7月24日には、地元豊浦町に対し、同年10月を目処に廃止したい意向を伝えた。これに対し、豊浦町は、観光資源として存続を求める意向を示した。
その後、JR北海道と豊浦町との間で協議が続き、最終的には、豊浦町が、自治体として初めて、JR北海道から、駅業務全般を受託することとなった。維持管理協定は、2016年3月23日に取り交わされており、同年2月29日には、豊浦町の新年度予算案に、474万円の維持管理費が計上されている。
単年度の措置として決定されたことではあるが、その後も、豊浦町によって維持管理されており、本稿を執筆している2021年1月現在も、小幌駅は健在である。
小幌駅をきっかけにして始まった、地元自治体による駅施設の維持管理受託の流れは、その後、道内各地の自治体にも広まり、2020年12月9日に発表されたJR北海道のニュースリリースでは、「2021年度より自治体による維持管理に移行する駅」として、18駅がリストアップされている。
鉄道路線の維持に関しては、上下分離方式の議論もあるが、その一例として、注目に値するものであろう。
久しぶりに訪れた小幌駅は、深々と雪が降り積もる真冬の日暮れ。とっぷり暮れた小幌駅には降り立つ乗客も乗り込む乗客も居なかった。

この日も、駅前野宿。
下り線のホームから、構内踏切を渡って保線詰所脇に移動した頃には、トンネルから響いてくる普通列車の轟音も聞こえなくなっていた。
厳しい寒気が衣服の隙間にまで入り込んでくる中、雪の小幌駅の情景にしばし、見惚れる。
駅の前後にはトンネルがあるため、列車が接近してくると、まず、トンネル内に轟音が響き出し、押し出された空気が強風となって吹き出してくる。
その後しばらくしてから、構内踏切の遮断器が下りて、警報音が鳴り出す。
その間、駅は、喧騒に包まれるが、列車が走り去った後も駅に残るのは、夜の帳と静寂だけ。一瞬、顕になった2条のレールは、降り続く雪に、あっという間に覆われていく。



駅の両側に口を開くトンネルを眺めると、まるで、異次元世界への入り口のようだ。じっと眺めていると、吸い込まれそうになる。
複線化と同時に、信号場としての機能は廃止されたものの、今でも、駅構内には、信号設備が多く、無人境に3色の彩りを与えている。



上り線の脇にある保線詰所の奥から、駅を眺めると、駅の背後の山中に、オレンジ色の道路照明が見える。時折、トラックの走行音が響いてくるが、これは、国道37号線である。
小幌駅は、「列車でしか行けない駅」と言われることも多いが、実のところ、国道から駅に通じる旧道の跡がいくつか存在し、歩いて駅にアクセスすることは不可能ではない。豊浦町などでも、この、旧道などを利用して、小幌駅と海岸沿いにある岩屋観音などを巡るツアーを開催している。
元々は、釣り人や一部のマニアのみが知る不明瞭な踏み跡程度であったようだが、近年は、こうした観光需要によって、次第に、道も明瞭になり、その情報も増えているように思う。ただ、観光需要に合わせて駐車場や遊歩道を整備する方向に話が進展したり、観光客が溢れかえって、マナー問題やゴミ問題が生じるようになったりするならば、それは、本末転倒であろう。

時間帯によっては、何人もの観光客が訪れて、賑やかになる駅周辺も、真冬の夜となると、訪れる者も居ない。旅情駅が旅情駅らしい姿を見せる、日没から夜明けまでのひと時は、最も、好きな時間でもある。
19時を過ぎると、吹雪も止み、駅は静寂に包まれた。
貨物輸送の幹線だけに、時折、貨物列車が通過していくが、その轟音とヘッドライトの余韻は、却って、駅の静けさを際立たせる。
駅に停車する普通列車の最終は、上り、長万部方面で19時12分。まだ、宵の口とも言える時間だが、辺りは、既に、深夜の様相。寒気が一段と強くなってくる。
夜の小幌駅の姿を心ゆくまで眺めた後、21時過ぎには、保線詰所の裏の雪の中に張ったテントに逃げ込み、駅前野宿の眠りについた。

翌朝は、まだ明けぬ5時過ぎに行動を開始する。
始発は7時14分。
明るくなり始めてからの時間的余裕があまりないため、岩屋観音や美利加浜を探索する時間は取れそうにないが、付近を散策してみたい。
室蘭本線は、北海道と本州とを結ぶ、貨物輸送の幹線でもあり、旅客列車の発着時間前後、早朝から深夜まで、多くの貨物列車が行き交う。
この日も、夜明け前の静寂の中、貨物列車が光陰を残して駆け抜けていった。
礼文華山トンネル付近から駅を俯瞰すると、右奥の山腹には、国道の照明が、意外と近くに見え隠れしていたが、この時間、自動車の走行音は、殆ど聞こえてこなかった。


一旦、駅を離れて、美利加浜へと続く雑踏を辿ってみる。
ヘッドライトに照らされる林内の雑踏には、数日前のものと思われるトレースが付いていたが、そのトレースも途中で途切れ、立岩を望む崖の上に出る頃には、膝下くらいのラッセルとなった。
夜明け前の美利加浜付近は、遠く、長万部市街地の灯りが明滅する中、まだ、眠りの中に居た。
浜に降りる急崖は、積雪で近付き難く、立岩を眺めて引き返す。

駅に戻ると、黎明ブルーに包まれた小幌駅が、孤独な旅人を静かに迎えてくれた。幌内トンネルの上まで、雑木林の中を進むと、駅を俯瞰することが出来る。
凛と張り詰めた早朝の空気の緊張感の中に、小幌駅が静かに佇む姿に、しばし、見惚れる。
この旅情駅の姿に会いたくて、駅前野宿の旅をしているのだと、改めて実感する。


しばらくすると、トンネル内から轟音が響き始め、構内踏切が作動する。まだ、始発の旅客列車が通過する時刻には早く、恐らく、貨物列車が通過するのだろう。
やがて、テールライトの軌跡を残して、貨物列車が通過していった。


明けゆく小幌駅を包む空気は、紺色から青紫に、次第に色を変え、少しずつ明るさを増していく。7時前には、その青みも取れて、朝の表情になったが、空は曇りがちで、駅周辺は、灰青色のモノトーンの情景となった。
改めて、駅構内を見渡してみると、3棟の施設が見られる。
内、2つは、上り線の海側にある保線詰所とトイレ、残り1つは、下り線の山側にある機械室である。
この内、一般開放されているのはトイレのみで、いわゆる待合室などはない。以前は、古びた待合室があったが、既に取り壊されており跡形もない。もっとも、この付近に住んでいた男性の住居と化していたため、中に入るのは躊躇われたが。


7時前には、すっかり明るくなった。
始発の時間までは余り余裕がないが、岩屋観音への道を少し探索してみる。こちらも、数日前のものと思われるトレースが、新雪に覆われて消えかけていた。
海岸沿いの急斜面の山腹を巻く道を進むと、しばらくして、木の枝越しに、美利加浜へと続く断崖が見える。遠くの方は、灰色に煙っていて、雪が降っているようだ。
海岸沿いにある岩屋観音まで足を伸ばしたかったが、7時14分の始発列車で駅を後にする予定だったので、海岸に降りる急勾配の手前で引き返す。



駅に戻ると、7時過ぎ。
小幌駅での滞在も、残りわずかとなる中、下り線を通過していく始発列車を見送る。
長万部方面からの下り普通列車は、この駅を通過するものが多い。2016年1月当時でも下り線は1日3本の停車であったが、2021年1月現在では、上りが1日4本で8時40分、15時14分、17時39分、20時3分。下りは1日2本で、15時42分、19時46分。朝、長万部駅を出発する2本の下り普通は、この駅を通過している。
上り線ホームに立って、列車の到着を待っている間に、駅周辺を改めて眺めてみると、礼文華山トンネルの旧坑口が塞がれているのに気が付いた。
前回訪問時は、まだ、坑口が開いていたが、その後、観光誘致に当たって、危険回避の目的で閉鎖されたものと思われる。
この駅の盛衰を眺め続けてきたのであろう、古びたトンネルの坑口は、今も、物言わず、山峡に佇んでいる。
やがて、上り線側の新礼文華山トンネルから轟音と強風が吹き出してきて、構内踏切の警報が鳴り響く。程なく、トンネルの内壁を照らして、普通列車のヘッドライトが見えてきた。
次に、この駅を訪れるのは、いつになるだろう。
ちゃり鉄での訪問となれば、駅周辺の雑踏を踏み分けて、駅まで歩いてやって来ることになるのだろうが、その時まで、この旅情駅が存続していることを願いたい。




小幌駅:旅情駅ギャラリー
2001年6月(ぶらり乗り鉄一人旅)



2001年8月(ぶらり乗り鉄一人旅)




2016年1月(ぶらり乗り鉄一人旅)


















小幌駅:コメント・評価投票
すごく秘境駅らしさがあってよかったと思います。
ちゃり鉄.JP
有難うございます。小幌駅については、次回実施の「ちゃり鉄17号」で再訪し、駅周辺を探索する予定です。今後の更新にご期待ください。