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神尾駅:大井川鐵道大井川本線|旅情駅探訪記

大井川鐵道大井川本線・神尾駅(静岡県:2017年6月)
旅情駅探訪記
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神尾駅:旅情駅探訪記

2017年6月(ちゃり鉄12号)

大井川鐵道は、一般的には、蒸気機関車やアプト式鉄道が走る鉄道路線として、その名を知られている。旧型の客車を蒸気機関車が牽引する風景は、沿線の里山風景とも合致して、日本の鉄道原風景を今に留める貴重なもので、蒸気機関車の現役時代を知らない私でも、いつか乗ってみたいと思わせる風景である。

「ちゃり鉄12号」では、2泊3日の旅程で、この大井川鐵道の大井川本線・井川線を全線走破し、途中、川根小山駅で駅前野宿の一夜を過ごした。井川線では尾盛駅にも徒歩でアクセスし、その記録を旅情駅探訪記にまとめている。

大井川本線・井川線は千頭で連絡しているものの直通する列車運用はなく、それぞれが独立した路線のようにも感じられるし、実際、建設時期や建設目的が異なる別の鉄道だったものが、大井川鐵道という一つの鉄道にまとめられたという歴史がある。

その歴史の詳細は、「ちゃり鉄12号」の紀行や、この後の、文献調査記録で記述するとして、ここでは、旅情駅探訪記を通じて「ちゃり鉄12号」の旅の一コマを切り取ろう。

2017年6月。早朝の牧之原公園を出発し、金谷駅から大井川鐵道沿線を行く「ちゃり鉄12号」で出発した私は、五和駅((現)合格駅)を出発して、横岡の駅跡を探索した後、地蔵峠越えの上り坂に差し掛かっていた。

この辺りの大井川右岸は丘陵の山裾が大井川に削られて急傾斜をなしており、国道は川岸を避けて高台の地蔵峠を越えて行く。峠の標高は250m弱。川面からの比高は150m程度だが、一方の大井川鐵道は比高20m程度の山裾を進んでおり、国道からは見ることが出来ない。

大井川鐡道大井川本線・五和~神尾間から望む大井川(静岡県:2017年6月)
大井川鐵道大井川本線・五和~神尾間から望む大井川と牧之原の風景

2017年の「ちゃり鉄12号」走行当時、五和駅と神尾駅との間には中間駅はなく、4.8㎞の駅間距離は、路線中、最長の駅間距離であったが、かつては、この区間に居林という駅が存在した。

五和駅からの距離にして3.3㎞地点。1928年7月20日に貨物駅として開業し、1929年12月1日には旅客駅となっているが、1931年10月31日には廃止されており、貨物駅時代から通算しても3年余りの短期間存在しただけの、幻のような駅である。勿論、現地には何の痕跡もないが、蒸気機関車時代に、給水を行っていたという記録がWeb上には存在している。今は、地図上に居林の字名をみるのみだ。

事前調査でもほぼ何の情報も得られなかった居林駅跡ではあるが、「ちゃり鉄12号」の道中では、行く方国道473号線から見下ろす眼下に、その駅の存在を想像して先に進むことにした。道のない場所にあって正確な位置も特定できない上に、痕跡が何もないとあっては、その付近を探索しに斜面を降りるというわけにもいかない。

高台を巻いていく国道からの眺めは素晴らしい。

来し方を眺めれば、今まさに平野に流れ出さんとする大井川が、山裾に扇状地を形成して流下していく様が一望されるが、行く方を眺めれば、山峡に挟まれて蛇行を繰り返す大井川の谷が迫ってくる。

風景の変化はダイナミックで、大いなる川を実感する。

地蔵峠付近で左カーブを描く国道と分かれ、尾根筋の南側を下っていくか細い道に入ると、やがて、神尾の集落が見えてくる。

そして、集落内で折り返して、大井川に沿った山麓を1㎞程も進むと、崩れかかった旧駅舎などの駅施設とともに、神尾駅が見えてきた。

眼下に大井川を見下ろしながら高台を越えて行く
眼下に大井川を見下ろしながら高台を越えて行く
山間部を蛇行しながら流れてきた大井川は、この辺りから平野に流れ出す
山間部を蛇行しながら流れてきた大井川は、この辺りから平野に流れ出す
大井川鐡道大井川本線・五和~神尾間から望む大井川(静岡県:2017年6月)
右岸が削られる屈曲部の山裾に神尾駅があるはずだ

以下に、神尾駅付近の国土地理院地形図を示す。マウスオーバーやタップ操作で切り替えられる地図は、1946年11月30日発行の旧版地形図の同図幅である。

神尾駅は、神尾山から地蔵峠を経て大井川に下る尾根上に開けた神尾集落の最寄り駅として、1932年7月21日に設置された駅である。官報の記述を追うと、金谷~横岡(廃止)間の開業が1927年6月10日、横岡分岐点(現廃止)~居林間の開業が1928年7月20日、居林~家山間の開業が1929年12月1日のことであるが、居林~家山間開通時の途中駅は福用駅だけで、神尾駅は開業当初は駅が設置されていなかった。

集落から1㎞も離れた無人地帯にポツリと駅が存在するのは、そういう出自を物語るものである。

広域地形図:神尾駅周辺
広域地形図:神尾駅周辺

地形図の1946年の図幅を見ると、勿論、神尾駅は既に設置された後のことであるが、神尾集落の南の大井川には、対岸に渡る渡し舟の記号がある他、神尾集落の北西にある鍋島集落と福用集落の間の大井川には、河川敷の中に吊り橋の記号がある。現在はその跡形もないが、大井川を人々が行き交っていた痕跡が記されているようで興味深い。

また、先ほど、高台を行く国道から見下ろした居林駅跡が、一時期、終着駅として機能していたということには驚かされるが、貨物駅としての開業だったことを鑑みると、路線延伸のための工事拠点としての開業という意味合いもあったのかもしれない。

「歴史でめぐる鉄道全路線 公営鉄道・私鉄 03(朝日新聞出版・2011年)」によると、「砂利層の河川敷も多く、特に居林周辺(五和~神尾間)には地盤強化のため長さ20メートルの太いヒノキ棒を数十本も打ち込んだ」というエピソードが書かれている。

神尾という地名は、「角川地名辞典 22 静岡県」の記述によれば、「「かもお」ともいう。大井川下流右岸、神尾山東方に位置する。地名の由来は、地内に天王祠があったことによる(掛川誌稿)。…中略…「掛川誌稿」によれば、当村には水田がなく、全て畑とあり、戸数22・人口110、八幡宮・大井大明神(一祠両扉)・天王社・曹洞宗無量寺がある。地蔵峠にある地蔵堂には、東海道を通行する諸大名が、渡川安全を祈願して代参をたてたという(静岡県榛原郡誌)…中略…昭和6年大井川に沿って南北に通る私鉄大井川鉄道が開通。これにともない明治3年以来大井川の中流域と下流域を連絡してきた高瀬舟が衰退した」と記述されている。

地形図には、神尾集落内に神社記号があるが、これが、若宮八幡宮である。

ここでは、毎年10月に鑽火の神事と呼ばれる神事が執り行われており、市指定無形民俗文化財に指定されている。

島田市博物館のWebサイト記事によると、この若宮八幡神社は欽明天皇時代に宇佐八幡宮より勧請したとされ、1400年の歴史があるという。戦乱期に社殿や古い記録は全て焼失したが、神事自体は、口伝によると勧請当時から続くものらしい。

その神事は、神官たちが交代で、伊勢神宮の神木(檜の枝)でつくられた燧臼(ひきりうす)へ燧杵(ひきりぎね)を手早く揉みこんでいき、神の火(浄火)を生み出すとともに、この浄火によって新米を炊き神前に供えて、五穀豊穣、災害防除、家内安全、子孫繁栄を祈願するのだという。

さて、到着した神尾駅には、意外にも軽自動車が駐車してあった。鉄道ファンでもいるのかと思って辺りを見回すが誰も居ない。駅の利用者のものだろうか。

神尾駅に到着すると元南海電鉄の車両が普通列車としてやってきた
神尾駅に到着すると元南海電鉄の車両が普通列車としてやってきた

しばらくすると下り側にある地蔵峠隧道から轟音が響きだした。上り列車が到着したらしい。

カメラを構えて待っていると、やってきたのは、元南海高野線の急行用として活躍した21000系であった。

駅に停車してしばらくすると、下り側に行き違い列車がやってきたのだが、こちらは、元近鉄南大阪線・吉野線の特急用として活躍した16000系であった。

いずれも関西の別々の会社で活躍した鉄道車両が、原色のまま、遠く離れた静岡県のローカル駅で行き交う。

大井川鐵道ならではの鉄道風景に嬉しくなる。

大井川鐡道大井川本線・神尾駅(静岡県:2017年6月)
元南海21000系と元近鉄16000系が行違う神尾駅

神尾駅のホームに辿り着くには、2か所の構内踏切を渡る。最初の踏切は駅の下り側にあり、トンネルを出てポイントを渡ったすぐのところ。ここで上下線を跨いで山側に逃げる。そこから待合所の脇を通って30mほど進んだのち、下り線を跨いでホームに上がるという構造になっている。ただし、踏切とは言え、遮断機や警報機は無い。

下りの元近鉄車両を見送った後、この踏切付近から、停車中の元南海車両と大井川、神尾駅のホームの写真を撮影していると、上り列車から下車してきたらしい女性がこちらに向かって歩いてきた。踏切付近ですれ違った女性は、そのまま軽自動車に乗って立ち去って行った。

時刻は7時。時刻表によると、朝の始発は6時32分の下り千頭行。その次が、今しがた発着している上下の列車なので、この時刻に上り列車から下車してくるとなると、朝の始発の下り列車で数駅先に出掛け、行き違いの上り列車で戻ってきたのか、昨日から出かけていて、今朝戻ってきたのか。なかなか、器用な乗りこなしである。

軽自動車が走り去る頃には、上り列車も彼方の崖の向こうに消えていた。駅に残るのは私一人。いつもなら何となく寂しさを感じる状況であるが、この日の神尾駅は、色彩のコントラストが鮮やかで、清々しい雰囲気だった。

上り列車の車窓を想像すれば、この辺りまでくるとようやく開けてきて、平野が近いことを予感させるだろう。そこに小さな島式ホームがあるというのが好ましい。もし、下り線側まで山裾が迫っていて棒線駅になっていたとしたら、もっと圧迫感があって、のんびりとした雰囲気は感じられなかったかもしれない。

神尾駅のすぐ下を大井川が流れ下る
神尾駅のすぐ下を大井川が流れ下る
平野が近いことを感じさせる神尾駅の風景
平野が近いことを感じさせる神尾駅の風景
小さな島式ホームで交換可能な神尾駅
小さな島式ホームで交換可能な神尾駅

線路を渡り切って待合所に行ってみる。

木製のベンチが2脚で、その間に、狸が鎮座している。少し先の山の斜面にも狸が群れている。勿論、野生の狸ではなく、焼き物の狸ではあるが、微笑ましい。

この待合所は、以前は、古色蒼然たる木造の建物だったようだ。

「来てGO!大鉄~大井川鉄道各駅停車ぶらり旅~(佐野正佳・静岡新聞社・2002年)(以下、「来てGO!大鉄」と略記)」には、この神尾駅の旧待合所の写真が掲載されている。今の待合所と同じ位置に、一見、古びた厠のような建物が立っていて、よく見ると、かつては出札窓口があり、手前側に待合所、ホーム側に職員詰め所があったように見える。

この旧待合所は、2003年8月17日に駅構内で発生した土砂崩れによって、解体撤去され、現在の簡易な待合所に変更されたようである。

東屋的な神尾駅の待合室
東屋的な神尾駅の待合室
引用図:神尾駅旧待合室「来てGO!大鉄~大井川鉄道各駅停車ぶらり旅~(佐野正佳・静岡新聞社・2002年)
引用図:神尾駅旧待合室
「来てGO!大鉄~大井川鉄道各駅停車ぶらり旅~(佐野正佳・静岡新聞社・2002年)」

そこからさらに進むと、下り線を構内踏切で渡り、幅の狭い島式ホームへと上がることが出来る。

神尾駅の山側斜面には、狸の置物がズラリと並んでおり、「狸の里」と銘打たれている。同じような狸の置物は、尾盛駅にも鎮座しているのだが、これには、物語がある。

「来てGO!大鉄」にその物語が詳しく書いてあるので、以下にそれを引用する。

「最初にタヌキ像を置いたのは初代SLおじさんと呼ばれた石原〆造さんという人。石原さんはSLの車内で乗客の世話係をしていたのだが、その温情あふれる仕事ぶりからチップをもらうことが多かった。生真面目な石原さんはチップを使わず、それを旅人へ還元する方法を考えた。旅行く人の気持ちを和やかにし、旅の思い出になるものはないか。そこで思いついたのがタヌキ像だ。石原さんの意図はすぐに旅人の心をとらえ、大鉄の名物の一つになった。その後、地元の人をはじめ多くの人々が神尾にタヌキ像を置くようになり、今に至っている」

こういう一職員の心遣いが形になるというのは、大規模な鉄道会社や都会の路線にはなかなか見られない。そのことが、古びた駅の造作や周辺の環境と相まって、旅情を醸し出すのだろう。

作り物の旅情ではない素朴な温かみ。工場で大量生産される「おばあちゃんの味」ではなく、田舎の食卓で味わう「おばあちゃんの味」。そんな感じだろうか。

線路を渡ってアクセスする神尾駅ホーム
線路を渡ってアクセスする神尾駅ホーム
山側には狸の置物がズラリと並ぶ
山側には狸の置物がズラリと並ぶ
苔生したホームに降り立つ乗客を狸たちが出迎える
苔生したホームに降り立つ乗客を狸たちが出迎える
大井川鐡道大井川本線・神尾駅(静岡県:2017年6月)
ホームの上り側端部にも一体の狸が鎮座して旅人を迎えてくれる

ホームの上り側末端、五和駅方に達すると、そこにも一体の狸が鎮座していて、旅人を出迎えてくれた。

先に待合所のところで触れたが、神尾駅付近では2003年8月17日に構内で土砂崩れが発生し、2004年3月19日の再開まで、半年以上、普通になったことがある。

その地形の険しさは、神尾駅に立って線路の行く方、来し方を眺めるとよく分かる。特に五和駅方のすぐ先には、露岩が見えており、山を切り崩して線路を敷設した苦労がしのばれる。

件の狸たちも、土砂災害では埋没するなどの禍に見舞われたようだが、幸いにも人的被害は生じず、その後、狸の置物もボランティアらによって元の姿に戻されているという。その狸の中に一体、マイクを携えた狸が居るが、これは、件の石原〆造さんを偲んで遺族や職員らが設置した特注品だという。災害で逸失したため現在は2代目。石原〆造さんは、今も大井川鐵道沿線で、狸たちを引き連れて、利用客を見守っているのかもしれない。

ホーム上の駅名標はいたってシンプル。機能美の極致ともいえよう。

至ってシンプルな駅名標
至ってシンプルな駅名標

五和方に向けて線路わきなどに徒歩道が無いか目を凝らすものの、古来、この付近の人の往来は川船に拠っていたこともあり、陸路を伝う道の跡など、あろうはずもなかった。駅の手前の車道から河原に降りる踏み跡などは見つかるが、それらの多くは獣道であったり釣り人の雑踏であったりする。岸辺を歩いて下流に向かうことは不可能ではないだろうが、泥や藪に阻まれての困難な道程となりそうだ。

転じて福用方を眺めると、山深い無人駅の趣。

但し、右手は川面に向かって視界が開けており、この日は、天気が良かったこともあって、閉塞感もなく気持ちの良い雰囲気であった。

滔々と流れ下る大井川の河原の広さが印象深い。源流には人跡稀な原始境が広がり、沢が突き上げる稜線は3000mを越える。今なお下刻を続ける峡谷の姿と水の流れに、途方もない自然界のスケールを感じる。

下り側を眺めると、山深い無人駅の趣が漂う
下り側を眺めると、山深い無人駅の趣が漂う
目を転じれば眼下に大井川が流れる
目を転じれば眼下に大井川が流れる
広い河原を形成しつつ蛇行しながら流下する大井川
広い河原を形成しつつ蛇行しながら流下する大井川
大井川鐡道大井川本線・神尾駅(静岡県:2017年6月)
狸とともに静かに大井川を見下ろす神尾駅

ホームを散策しながら狸たちを見送り、福用方のスロープまで達する。

下り線の構内踏切を渡って振り返れば、大井川の流れが意外なくらい近くに展開する。

対岸は氾濫原となっていて堆積地となっているため、道路や施設が遠望できる。向こう側から眺めれば、こちらの駅が斜面に見え隠れしているのであろうし、崖の下の険しいところを行く電車が、模型のように見えることだろう。

ホームから旧駅舎と大井川を望む
ホームから旧駅舎と大井川を望む
川を眺めながら過ごす心地よいひと時
川を眺めながら過ごす心地よいひと時
急な山腹斜面を削って設けられた神尾駅
急な山腹斜面を削って設けられた神尾駅

ここから「駅前通り」を眺めれば、柵の向こうに、廃屋然とした旧駅舎が朽ちかけて残っており、その反対側にはトイレや物置がある。Web上で見つかる古い写真を見ると、この駅からも小学生たちが、ランドセルを背負って通学するために、数人集まっている様子などが見受けられる。

だが、そんな記憶も今は昔。

かつて水運から利用客を奪った大井川鉄道は、全国のローカル鉄道の例に漏れず自動車に利用客を奪われ、この神尾駅も、一日当たりの利用者数は一桁である。

様々な私鉄の中古車両を集めて、SLやアプト式も交えたユニークな路線を運営する大井川鉄道は、旅情という点では全国有数の鉄道であり、古びた木造の駅舎も多く残る味わい深い鉄道である。

険しい地形を行くだけに、災害による運休と復旧の例も多いが、この駅とともに、路線が末永く存続することを願いたい。それはまた、鉄道のみならず、地域が存続するということでもある。

ちゃり鉄の取り組みが、それに少しでも貢献することがあれば幸いである。

今回は、朝早くの訪問となり、短時間で駅を出発することになったが、いずれ、この駅では駅前野宿をしたい。そう思いながら、神尾駅を後にする。

茶畑が広がる神尾の集落を抜け、地蔵峠への登り坂に入ると、眼下に神尾駅を見下ろすことが出来た。その姿を写真に収めて再訪を誓いつつ、次の目的地である福用駅に向かった。

駅前通りと旧駅舎を眺める
駅前通りと旧駅舎を眺める
この日は、風景の色彩のコントラストが美しかった
この日は、風景の色彩のコントラストが美しかった
大井川鐵道大井川本線・神尾駅(静岡県:2017年6月)
清々しい天気の中、この景色を見納めて福用駅に出発する
神尾集落から離れており駅前に民家は存在しない
神尾集落から離れており駅前に民家は存在しない
未舗装の路地を抜けてホームにアクセスする
未舗装の路地を抜けてホームにアクセスする
地蔵峠の上りから見下ろした神尾駅
地蔵峠の上りから見下ろした神尾駅
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神尾駅:文献調査記録

現在、資料収集中

神尾駅:旅情駅ギャラリー

2017年6月( ちゃり鉄12号 )

右岸の水辺に沿って大井川鐡道が走っている
右岸の水辺に沿って大井川鐵道 が走っている
元南海と元近鉄の車両が交錯する
元南海と元近鉄の車両が交錯する
金谷に向かう普通列車を見送る
金谷に向かう普通列車を見送る
ホームの向かいの山側にも、狸たちが鎮座する
ホームの向かいの山側にも、狸たちが鎮座する
ホームの末端からも行く先のトンネルとその脇の旧駅舎が見える
ホームの末端からも行く先のトンネルとその脇の旧駅舎が見える
のんびりとホームに佇めば眼前の大井川が滔々と流れる
のんびりとホームに佇めば眼前の大井川が滔々と流れる
大井川のせせらぎの音が心地よい
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