詳細目次 [閉じる]
驫木駅:旅情駅探訪記
2001年1月(ぶらり乗り鉄一人旅)
JR五能線。
鉄道ファンは勿論のこと、鉄道ファンならずとも、この路線の名前を知っている人は少なくない。
東能代と弘前を結ぶ147.2kmの路線の半分以上に及ぶ区間で、日本海に寄り添うようにして走っており、夏の夕暮れ時や、冬の風雪波濤など、四季折々の車窓風景が魅力である。
「リゾートしらかみ」に代表されるように、観光列車も定期列車として運行されており、津軽下北を訪れるツアー旅行などでも、欠かせない観光資源となっている。
2016年8月に、ちゃり鉄4号の旅で津軽下北を走った時には、下北半島の山間のキャンプ場で、アメリカ人の女性キャンパーから、「五能線には乗ったことがあるか?」と聞かれたこともある。
私自身は、1996年12月の旅で、川部から東能代まで乗り通したのが、初めての乗車であった。鰺ヶ沢で強風の為に、2時間程度の運転待ち合わせに遭遇するなど、風雪波濤の日本海を実感する旅であった。
初めて、沿線で途中下車をする旅を行ったのは、2001年1月のことであったが、その時、駅前野宿の一夜を明かしたのが、この驫木(とどろき)駅であった。弘前から深浦まで進んで温泉に入ってから、この駅まで引き返してきて、一夜を過ごすことにしたのである。
「とどろく」という日本語は、通常、「轟く」と漢字表記する。「轟音」と言えば、ゴォ~っと鳴り響く重低音を指し示す言葉で、トンネルの中で、トラックとすれ違う時に響いてくる反響音などは、まさしく、この轟音である。また、水量の多い滝の音も轟音であり、日本百名瀑をはじめとして、各地に「轟の滝」がある。
ところで、この驫木駅。
轟木ではなく、驫木と表記する。
宮脇俊三氏は、その著作「最長片道切符の旅」の中で、この驫木駅の駅名について触れ、「ふつう轟、等々力の字が当てられ、瀬の音、波の音がごうごうととどろくところにつけられる地名」、「その音に三頭の馬も驚いたというのも面白い」という「国鉄全駅ルーツ大辞典(1978年・竹書房刊)の逸話を引用している。また、「驫」の一字は、「字画が三十もあるから、おそらく国鉄の駅名の中でいちばんややこしい漢字であろう」と述べている。
「長い駅名」の日本一は、時々、入れ替わるが、画数で「驫」を上回る駅名漢字は現れないことだろう。
なお、「角川地名大辞典2 青森県」の記述によれば、「花山天皇が譲位後この地を通過した際に、従者の馬3頭が暴れだしたのを見て斗斗ロ木を驫木にせよと言われて改めたという伝説によるという(西津軽郡史)」とある。
1996年12月の旅に続き、この旅も、真冬の五能線となったが、風鳴が響く驫木駅での一夜は、駅名由来の故事を思い出させるに足る、旅情ある一夜であった。
駅の開業は1934年12月13日で、木造駅舎が味わい深い。
2002年春期の青春18きっぷの宣伝ポスターにも登場したことから、「海の見える駅」として有名になり、ドライブの途中で立ち寄る観光客の姿も見られるが、鉄道での訪問となると、全線を乗り通すには時間のかかる五能線のこと、意外と、少ないように思われる。「リゾートしらかみ」は当駅を通過する。
しかし、こういう、観光俗化されていないローカル駅こそ、旅情駅というにふさわしい。
駅は、高台にある驫木の集落からは1キロ程度離れており、駅前には、1軒の民家があるのみ。国道は、驫木駅前から驫木集落をバイパスする工事が行われ、集落に通じる国道は旧道となったが、2001年当時は、まだ、バイパス工事も始まっていなかった。
集落に通じる国道を200メートルほど進むと、高台に登る坂道から、驫木駅を俯瞰することができる。素寒貧とした海食崖の海岸に緩やかな曲線を描いて伸びる五能線と、棒線駅の驫木駅の様が印象的だ。
弘前行きの始発列車を撮影した後、東能代に向けて、この味わい深い旅情駅を後にした。
2007年9月(ぶらり乗り鉄一人旅)
驫木駅を再訪したのは、2007年9月のことだった。
当時は、ちゃり鉄の旅の前身となる、日本一周の旅を実践しており、その第3区で、秋田から札幌までを走る道中、五能線の区間を走り、この駅で、再び、駅前野宿の一夜を過ごすことが出来た。
秋の五能線沿線の旅は、低気圧の通過と軌を一にしたため、曇天から強雨へと天候には恵まれなかったが、雨の駅風景も様にはなる。この日は、男鹿半島の入道崎を出発し、海岸沿いを北上して、驫木駅までやってきた。翌日は、駅を出発してから、津軽半島西岸を北上して、龍飛岬に達する計画である。
駅に到着したのは、16時過ぎであった。
高台に通じる国道の坂道から、鰺ヶ沢方面への普通列車を撮影していると、カメラのファインダー越しに、列車を撮影しているカップルの姿が見えた。乗車した様子はなかったが、駅に戻った時には、その姿は見えなかったので、ドライブの途中で立ち寄ったのであろう。
青春18きっぷのポスターに使われたり、海の見える駅として観光雑誌に取り上げられたりしていたため、鉄道ファン以外にも知られた駅なのである。
「海の見える駅」としては、この驫木駅の他、室蘭本線の「北舟岡」、信越本線の「青海川」、鶴見線の「海芝浦」、予讃線の「下灘」、大村線の「千綿」、山陰本線の「折居」、島原鉄道の「大三東」などが、特に、有名であろう。
その中でも、渋みある旅情が最も深いのは、驫木駅だと感じている。
北国の素寒貧とした海岸風景と、モノトーンの日本海の組み合わせの舞台の中で、この駅を訪れることが多かったからであろう。
この日も、曇雨天の中での駅訪問となったため、彩度の低い風景の中で駅を眺めることになった。
雨が心配される中、前回の訪問に続いて、駅前野宿の一夜を過ごす。
その日のプランにもよるが、駅前野宿となると、大体、日の入から日の出までの時間を、駅の周辺で過ごすことになる。この時間帯の中でも、特に、日の入り直後や日の出直前の、トワイライトタイムが、一番、好きな時間帯である。
一方のテールライトだけを点灯した鰺ヶ沢方面への最終を見送ると、駅には、静寂の時間が訪れる。
誰も居ないホームで、何するでもなく佇む。
それは、至福の時間である。
翌朝になると、雨が本降りになっていた。
この日は、津軽半島西岸を龍飛岬まで走る予定だったので、雨天に気が滅入る。天気予報で雨雲レーダーを確認すると、全国的に晴れているにも関わらず、津軽地方の海岸部分にだけ、局地的な雨雲がかかり、しかも強雨となっていた。
雨の中、駅の撮影を行い、龍飛岬に向けて出発した。
この日は、結局、一日中、風雨にさらされた。
途中、雷雨にも見舞われる最悪の天候となり、濃霧と、真っ直ぐ走れない強烈な向かい風の中で、龍泊ラインのアップダウンを越えた。
龍飛岬についた時には、ぐったりと、疲れ果てていたが、それも、いい思い出である。
2017年5月(ちゃり鉄11号)
三回目の訪問は、2017年5月。ちゃり鉄11号の旅の道中でのことだった。
ちゃり鉄の旅を始めた時から、五能線は、走りたい路線の筆頭であったが、11号で走ることが出来たのである。ちゃり鉄で走る路線は全国にあるのだが、北東北の鉄道路線は比較的早く、4号で津軽下北を走り、11号で秋田岩手北部と青森南部の路線を走ることになった。
五能線沿線は、これまで、12月、1月、9月の訪問で、いずれも、天候は、風雨、風雪であった。その印象からか、五能線には、モノトーンの情景が似合うように感じていた。
しかし、この旅は5月で、天候は、向かい風が強かったものの、快晴であった。その為、空や海の青さが、強く印象に残った。
一度や二度の旅の経験で、印象を決めつけるのは、良くないと実感した。
この旅では、津軽平野の林崎から、秋田県の滝ノ間までの区間を1日で走行することにしたため、驫木の訪問は13時前後となった。
この時間なので、駅前野宿はせずに、10分程度の停車で、すぐに出発することになったが、真昼の時間帯に駅を訪れる機会はなかったので、昼下がりの清々しい晴天の中で穏やかに佇む姿を、写真に収めることが出来た。
丁度、駅では、保線作業が行われており、作業員が除草剤を撒いたり除草を行ったりしているところであった。現役の線路に雑草が生い茂ってこないのは、こういった地道な保線作業の賜物である。
長年の風雪に耐え忍んできた滋味が醸し出されている、木造の駅舎を眺める。入口の引き違い戸や窓は、アルミ製の物に取り替えられているが、表札のように掲げられた木製の看板も好ましい。
隣接駅は、弘前方が風合瀬、東能代方が追良瀬である。風合瀬という駅名は、冬の季節風が感じられる、実に、いい名前だと思う。追良瀬は、同名の追良瀬川が近傍を流れており、川の源流は、白神山地である。
風合瀬や追良瀬も、驫木と同様、日本海を間近に望む旅情駅だ。
僅かな滞在時間ではあったが、気持ちのいい一時を過ごして、駅を後にした。
驫木集落への坂道から駅を見送る。
今度は、盛夏の驫木駅を訪れて、再び、駅前野宿の一夜を過ごしたいものだ。