5月23日(火)~6月4日(日)の予定で実施した「ちゃり鉄19号」の取材ですが、丹後半島の取材を行う前半行程を終えた5月29日で旅を中止し、帰宅することとなりました。
旅の概要は以下の通りです。
- JR路線:舞鶴線
- 私鉄路線等:京都丹後鉄道宮福線・宮豊線・宮舞線
- 廃線等:加悦鉄道、国鉄舞鶴線貨物支線、改正鉄道敷設法80号線(加悦=豊岡)
後半行程で予定していた小浜線や近江今津~上中、小浜~日吉の予定線踏査、若狭湾岸の半島部分の走行は中止しています。
今回導入した登山靴(LA SPORTIVA(AEQUILIBRIUM LT GTX))の履き慣らしが不十分だったため、両足に酷い靴擦れを生じてしまったことに加え、後半行程では成生岬や蘇洞門などの歩行行程を予定している中、梅雨前線と台風の影響で悪天候が予想されたこともあり、丹後半島と京都丹後鉄道全線の取材を終えた段階で中止することを決定しました。
天候は予想よりは回復しましたが靴擦れの酷さを考えると、中止もやむなしという所です。残念ではありますが、今回の経験を糧にして次回以降の行程で足回りのトラブルを生じないよう、装備の準備を検討したいと思います。
以下は、簡単に実施した各行程を振り返ります。
1日目は、自宅から丹波・三岳山麓を越えて久美浜湾まで一気に北上し、そこから丹後半島の海岸に沿って経ヶ岬まで。朝は少しぱらつく天気でしたが、昼前から回復して、海岸沿いは素晴らしい風景の中で走ることが出来ました。
2日目は、経ヶ岬から天橋立まで丹後半島を周った後、中央山地に分け入り碇高原まで。当初はスイス村付近での野宿を予定していましたが、適地が無く、時間に余裕があったこともあり、碇高原まで進んで野宿としました。成相山の登りはキャンプ装備の自転車では苦しく、押し歩きの区間がかなり長くなりました。
3日目は、碇高原から、丹後町、弥栄町域にある廃村群を経て天橋立を渡り、最後に普甲峠を越えて京都丹後鉄道宮福線の辛皮駅まで進む難行程。味土野から世屋高原にかけてのオフロードの登り区間は押し登りが続く厳しい区間で、更に、それらが終了した最後に普甲峠越えが待っている、かなり厳しい行程だったのですが、天橋立の智恵の湯が定休日だったこともあり入浴も出来ず。まぁ、こういう一日は、思い出には残ります。
4日目は、普甲峠の登り返しから始まり、一旦、宮福線を福知山まで走り通した後、綾部から舞鶴線、中舞鶴線を走り、最後に、与謝峠を越えて大江山麓の双峰公園まで。この日も、行程最後がロングの登りという難行程となりました。
5日目は、双峰公園から加悦谷に下り、そこから改正鉄道敷設法の予定線だった豊岡までの区間を走り通した後、京都丹後鉄道宮豊線に入って網野まで。網野では「途中下車」して琴引浜に進み、ここで野宿としました。素晴らしい海岸風景の中で、気持ちの良い野宿の一夜を過ごすことが出来ました。
6日目は、琴引浜から宮豊線、宮舞線を経由して丹後神崎までの行程。沿線距離自体は短いのですが、大宮町内の廃村群に立ち寄るため大きく迂回する行程で、内山集落跡を押し登りで訪れたこともあり、かなり疲労感の強い行程となりました。これでも、大宮町内で予定していた、幾つかの廃村群の訪問は押し登りが必須となるために割愛しており、課題として残すことになりました。
7日目は、丹後神崎から宮舞線で西舞鶴まで。そこから若狭湾方面に進むか打ち切って自宅に戻るかを選択することにしていましたが、この日は予報通り朝から雨。昼以降も回復することなく終日雨天の見込みだったことと、靴擦れが酷くなっていたこと、台風や梅雨前線の影響で天候の先行きがよくないことなど、総合的に判断して打ち切りとしました。自宅には11時前には戻ることになりましたが、丹後半島のちゃり鉄路線は予定通り走ることが出来たので、キリのいい所で打ち切ることが出来ました。
丹後半島内の廃村群の探訪計画は自転車の押し登りではなく、山麓からのトレッキングに切り替える必要があり、若狭湾岸にある無道岬の踏査も含めて、足回りの準備に完璧を期する必要がありますが、今回の酷い靴擦れは寧ろ良い経験ともなりました。次回以降のちゃり鉄計画に活かしたいと思います。
次回、ちゃり鉄20号は7月末~8月上旬。現在は、南東北方面を走る予定です。