1月24日(水)~2月5日(月)の日程で、1日短縮しましたが「ちゃり鉄22号」の旅を無事終了しました。今回の取材対象路線は以下の通りです。
- JR路線:加古川線・本四備讃線・宇野線
- 私鉄路線:高松琴平電鉄長尾線・志度線・琴平線、水島臨海鉄道水島本線、岡山電気軌道東山本線・清輝橋線
- 廃線等:三蟠鉄道鉄道線、岡山臨港鉄道鉄道線、下津井電鉄鉄道線、玉野市電鉄鉄道線、改正鉄道敷設法別表90号線
「ちゃり鉄22号」は厳冬期の旅。温暖な瀬戸内地方を旅先に選びましたが、全行程を通して寒冷な天候が続き、気持ちの良い晴れ間が少ない、不安定な空模様の下での旅となりました。
スパイクタイヤ装着で走った前回の「ちゃり鉄21号」とは異なり、ノーマルタイヤでの走行が可能な行程ではありましたが、体感する寒さはむしろ今回の方が厳しかったように思います。
それでも瀬戸内海が見える海沿いを旅することが多く、渡し舟も含めて合計15回も乗船する機会があった今回の旅路は、これまでの「ちゃり鉄」とは異なった趣のあるもので、改めて島旅の楽しみを実感させてくれるものでもありました。
事前に報告したとおり、「ちゃり鉄」としては四国初上陸でもありました。今回、渡航対象とした本島、直島、豊島、小豆島の4島全てが香川県に属する島だったこともあり、四国の旅は島旅から始まった印象がありましたが、今後、四国本島を縦貫、横断、周回するルートでの「ちゃり鉄」も実施することになります。その機会が楽しみです。
以下、各行程を簡単に振り返ります。
今回の旅は自宅発着での13泊14日の行程でしたが、13日目から14日目にかけて、終日、湿雪交じりの悪天候が予想されたため、最終行程の神戸から自宅までは鉄道の旅に切り替えて12泊13日で帰宅しました。
1日目は自宅から姫路市東部の小赤壁公園まで。
天気予報が大雪を告げる中での出発となり、早朝の福知山市内は薄っすらと雪化粧するくらいの気象条件でしたが、幸い、ちゃり鉄の走行に支障はなく予定通りに出発することができました。この日の夜から本格的な降雪となり、伴侶の報告によると30㎝程の積雪となったようですので、際どいタイミングでした。
この日は福知山からJR福知山線に沿って南下し、谷川駅からJR加古川線沿線に入って加古川駅まで走り通します。加古川線は初めてのちゃり鉄なので沿線での駅前野宿も考えましたが、行程的に野宿適地が得られなかったこともあり、駅前野宿を挟まずに走りきることとなりました。
福知山から谷川駅に至るまでの丹波路は小雪舞う気象条件。
前回の「ちゃり鉄21号」で風雪・凍結条件下を旅したにも関わらず、今回の「ちゃり鉄22号」の方が、体感温度が低く感じたのが不思議です。
途中、柏原八幡宮などに立ち寄って、谷川駅からは加古川線沿線へ。
この辺りで丹波路から播磨路へと転じることになりますが、それに従って天候は回復傾向。
元々強い冬型の気圧配置だっただけに、スッキリと晴れ渡ることはありませんでしたが、やはり陽光が差す中で走る方が、気持ちが明るく暖かく感じられます。
それでも短い冬の一日。加古川駅に到着する頃には日が暮れており、行程が長かったこともあって、目的地の小赤壁公園に着く頃には、とっぷりと暮れていました。
一気に丹波の盆地から瀬戸内海まで出てきたこの日。瀬戸内海沿岸といえども凍てつく寒さでしたが、目星をつけていた公園内の東屋の下にテントを張り野宿の眠りにつきました。
2日目は小赤壁公園から小豆島の四方指展望台まで。小豆島には姫路港~福田港間を航行する小豆島フェリーで渡ります。
夜明けの小赤壁公園は氷点下の気温。穏やかな海の風景が広がりますが、瀬戸内に居るのが信じられないような冷え込みでした。
三国志の「赤壁の戦い」に由来する「小赤壁」の地を出発し、姫路市街地で播磨総社の射楯兵主神社や姫路城を訪れた後、姫路港から小豆島フェリーに乗船して小豆島福田港へ。
「ちゃり鉄」の旅も22号となりましたが、北海道・本州・四国・九州の四島への船旅を除く本格的な島旅は実は今回が初めて。「ちゃり鉄2号」での英虞湾周辺の渡し舟、「ちゃり鉄3号」での東京湾フェリー、「ちゃり鉄10号」で大阪湾岸の市営渡船など、「ちゃり鉄」の行程に船旅を組み込んだことは何度かありますが、宿泊を伴うような本格的な島旅は「ちゃり鉄」では初めてです。
「ちゃり鉄」初の島旅で訪れる小豆島は、偶然ですが、小学生時代の私が生まれて初めて訪れた「島」でもあり、何か深い縁を感じます。
この日の瀬戸内海は「天気晴朗なれども波高し」といった感じで、船首で砕けた波しぶきが客室の前面展望窓を洗うような状況でしたが、小豆島の福田港に着く頃にはすっかり穏やかな内海に転じていました。
池田港近くの大衆食堂で地元の方に交じって昼食を済ませた後、吉田集落から吉田ダム・星ヶ城山・寒霞渓を経て、目的地の四方指展望台付近まで急登の連続。行程の厳しさが予想されたので17時前には行動終了の計画としていたこともあり、昨日とは異なり、明るいうちに野宿の準備を済ませることができましたが、驚くことに、中腹以降は路肩の表流水が分厚く完全凍結しており、小雪舞う小豆島でした。
野宿の深夜にかなりの冷えを感じて温度計を確認すると氷点下5度。標高800m弱ということもあり、寒気が見に染む夜でした。
3日目は四方指展望台から讃岐平野の屋島まで。
小豆島の脊梁山脈を走り降り、一旦、島を後にして讃岐平野に渡ります。
昨夜は一晩降雪もあったので、どうせなら一夜明けて一面銀世界という風景を期待したりもしましたが、実際にはただ薄ら寒いだけの曇天。そう易々と思い通りの天気にはなりません。
ここからは池田港まで基本的に下り基調。途中、冬枯れの中山千枚田を訪れましたが、どこでも急勾配の登りを要求される棚田の例に漏れず、ここでも押し登りで展望地点まで辿り着きました。
薄曇りの中で池田港を出港し、一路、高松港へ。
冬の日本海側の天候を思わせるような、晴曇入り混じる鈍色の瀬戸内海を渡って讃岐平野に入り、初めての四国の「ちゃり鉄」に選んだのは高松琴平電鉄長尾線でした。
この日は、長尾線の長尾駅から志度線の志度駅まで連絡し、そのまま志度線を高松方面に向かって戻る形で琴電屋島駅まで走行。とっぷり暮れてしまいましたが、屋島に登って野宿としました。
屋島山上ではGPS上のルートと現地の道が不整合を起こしており、錯綜する散策路を右往左往。そんな屋島で出会った若者は韓国人カップル。最近は、どこに行ってもアジアからの観光客の姿を目にします。
予定よりも一時間近く遅れての野宿となりましたが、昨夜よりも暖かい夜だったのが幸いでした。
4日目は屋島から琴平まで。
この日は、屋島と庵治半島を巡り、五剣山の山懐にある八栗寺にも立ち寄ってから、志度線の残りと廃線部分、市内線の廃線跡、琴平線の全線を走る行程。あまり良い計画を作ることができず、暗いうちから走り出し暗くなってから到着する予定でした。
それでも比較的天候が安定していたこの日は、屋島や庵治半島を巡り、八栗寺に登るルートの大半で、気持ちの良い晴天に恵まれました。海辺を走る時はやはり晴天であって欲しいものです。
とは言え、庵治半島を周り終わった段階で計画より1時間弱の遅れ。急勾配の八栗寺は割愛しようと、一旦はルート変更したのですが、峩々たる山並みを見ていると山に登りたい気持ちが沸き上がり、結局、押し登りの急勾配を乗り越えて八栗寺も訪問しました。
これで今日の目的地到着が予定よりも2時間近く遅れる状況となりましたが、そうと決まれば逆に覚悟が定まるもので、午後になってからのんびりと琴平線の旅に入ることとなりました。
挿頭丘で温泉に立ち寄り、再び走り始める頃には日没。行程の残りは日が暮れた中でのナイトライドとなりました。
琴平では琴平公園金山寺山展望台まで登りましたが、ここも直前の車道は押し登りで、尚且つ、展望台までの100mほどが階段という状況。自転車から荷物を外して3往復して展望台の東屋に落ち着いた頃には、既に21時前になっていました。
5日目は琴平から本島まで。
まずは、夜明け前に金刀比羅神社に参拝。
その後、飯野山や瀬戸大橋記念公園付近を巡り、丸亀港から本島に渡りました。陸路がないため自転車でのトレースは出来ませんが、本島から児島観光港までの航路と合わせて、JR本四備讃線の海上部分を繋ぐ船旅です。
瀬戸大橋の開通とともに航路は消えましたが、かつての下津井~丸亀航路を偲ぶ旅でもあります。
飯野山では休日ハイキングの多くの方とすれ違いながら、私も自転車を山麓に置いて軽いトレッキング。
宇多津・坂出付近では、瀬戸大橋の四国側の基部にある沙弥島や瀬居島を周りながら、変貌を遂げた港湾地区とかつての面影を残す集落を訪れました。その後、本四備讃線のデルタ地帯を巡り、丸亀駅から見える印象的な姿が気になっていた丸亀城に登って、丸亀港からは本島汽船に乗船。
瀬戸大橋は何度も鉄道で渡っていますが、この航路で海上から眺めるのは初めて。
ある意味不思議な光景ではありますが、今日では、これもまた旅情ある風景と感じるようになりました。
本島には夕方になって到着。翌朝夜明けには離島するので滞在時間は僅かですが、この日のうちに外周を一周し、最後に島の中央部にある正覚院を訪れて島の北岸にある屋釜海岸で野宿としました。
連日、行程の終盤に急登があるルートが続いており、この日も、正覚院への最後の登りは一見して自転車での直登が困難な勾配だったため、徒歩での往復としました。
6日目は本島から小豆島高見山展望台まで。
このルートを直接結ぶ航路はありませんが、本島から児島観光港に渡った後、本四備讃線の岡山県側を走りきり、岡山市電と三蟠鉄道廃線跡を辿って新岡山港から小豆島の土庄港に渡るというルートで巡ります。
この日の本島~児島観光港の六口島海運の小型汽船に「ちゃり鉄22号」が積載できるかどうかが、この旅の鍵を握っていました。
他の航路は全て「フェリー」に乗船する計画だったため、「ちゃり鉄22号」の積載にも問題はなかったのですが、六口島海運の小型汽船はフェリーではない旅客船だったため、船会社のホームページでは「折り畳み式自転車のみ」積載可能という周知だったためです。
そこで事前に積載予定の自転車の写真を送り、船会社に積載可否を照会したところ、混雑する特定の日を避ければ問題ないというご回答だったため、丸亀港から児島観光港までを船で繋ぐことができたのです。
もし、この航路に「ちゃり鉄22号」を伴って乗船できないとなれば、本四備讃線のちゃり鉄を完了するために、相当な迂回が必要となるところでした。
こうして順調に岡山県側に上陸し、児島半島を横断した後、岡山市電や三蟠鉄道廃線跡を巡って、風光明媚な新岡山港から小豆島の土庄港に渡ったのでした。
土庄港からは温泉施設で入浴した後、小豆島北西部にある沖島に渡し舟で渡り、沖島内で野宿する計画としてはいました。しかし、この計画は元々、実現が難しいとも予想していたため、土庄にあるオリーブ温泉で入浴した後に予定を再検討し、近くにある高見山展望台に登って、そこで野宿とすることにしました。
結局、この日も最後に山の上に登り、最後は300mほどの区間を自転車を担いで克服する、ハードな行程となりました。
7日目は高見山展望台から地蔵崎まで。
この旅で2度目の小豆島ですが、この2度目の旅では小豆島外周を周り、島内で2泊する計画としました。幸い、この日は穏やかな冬晴れ。絶好のちゃり鉄日和となりました。
早朝に訪れたエンジェルロードでは、誰も居ない絶好のタイミングだったこともあって、大余島付近までの砂嘴を往復しました。日中は「インバウンド」という言葉を実感させられる混雑ぶりですが、静かな砂嘴を歩きつつ、三都半島に登る朝日を眺める朝は、とても清々しいものでした。
その後、小江集落から渡し舟で水道を渡って訪れた沖島でも、2時間程度滞在。
予定より3時間以上遅れて走ることとなりましたが、この日は計画に捉われず、のんびりと気の赴くままに走ることにしました。
島の北東部、吉田海岸付近から、南東部、大角鼻にかけての海岸線は、アップダウンが続く厳しいルート。
前半で道草を食べ放題食べてきたこともあり、後半に入って、ルート変更が必要となりました。
小豆島には、後日、三度目の渡航を計画していたのですが、その際の計画が、実際にはかなりハードになることが分かったため、計画を大幅に変更して、この日に走るルートを一部割愛した上で、後日、その部分を走る計画としました。
「ちゃり鉄」は時刻表を走るような趣もありますが、現地の状況に応じて、そうやって臨機応変にルートを変更していく楽しみもあります。
結局、二十四の瞳のロケ地がある権現鼻までの往復ルートを割愛した上で、この日の目的地の地蔵崎には予定通り到着することができました。とは言え、この日も最後に岬付近の急勾配の押し登りと、日没後走行が必要となりました。
8日目は小豆島地蔵崎から直島鷲ノ松公園まで。
この日も島から島へ、二つの航路を乗り継ぎます。
まずは、地蔵崎から小豆島の南西部を周回して土庄港に至り、そこから高松港へ。
そして、高松で乗り継ぎの合間を利用して玉藻公園を訪れたのち、直島に渡航。
島を一周して適当なところで野宿。の計画だったんですが、あいにくの天候もあり、なかなか良い場所が見つからず、鷲ノ松公園の無料休憩所を使うことにしました。
前回、丸亀から本島経由で児島に渡った際は、かつての下津井~丸亀航路を偲ぶ船旅だったのですが、今回、高松から直島経由で宇野に渡るルートは、かつての宇高連絡船を偲ぶ船旅です。
旅も後半に入ったこの日は、朝から小雨模様。幸い、時折ぱらつく程度でレインウェアは必要ない程度でしたが、直島に渡った後の夕方頃からは、本格的な霧雨となりました。
直島では目当てにしていた島唯一の銭湯が、何と、メンテナンスで休業中。
悄然として風呂なしの一日に甘んじるところでしたが、宇野港までの航路が鉄道並みに利用できることから、船で瀬戸内海を渡り、県境を越えて、宇野港付近に入る「玉の湯」まで入浴に行くことにしました。
「玉の湯」は普段なら使わないような高額なスーパー銭湯で利用料は1600円。それに往復の船代が600円かかるので、合計2200円の贅沢な入浴となりましたが、往路は宮浦港から宇野港へのフェリー、復路は宇野港から本村港へ戻る小型船に乗船したことで、自転車を積み込めない本村航路を体験できたのでよしとします。
本村港から鷲ノ松公園まではそぼ降る雨の中をトボトボと歩き、いざ、公園に着いてみると、雨の中、夜遅くまでスポーツに汗を流す利用者が居たため、結局22時前になるまで眠りに就くことはできませんでした。スーパー銭湯の温もりも完全に冷めきってしまいましたが、こんな出来事も思い出に残るものです。
9日目は直島鷲ノ松公園から金甲山まで。
この日は早朝に宮浦港から宇野港に渡り、JR宇野線、岡山臨港鉄道線廃線跡を巡った後、児島半島東部の海岸線をなぞって、最後に金甲山に登って野宿です。この日も最後に長い登り。ルート設計としてはあんまり良くないんですが、高いところから瀬戸内海の夜景を眺めたくてこういうルートとしました。
金甲山は車でアクセスできる展望台なので、ドライブで立ち寄る人が多くて野宿に支障があることが心配ですが、まぁ、そんな状況の場合は、野宿場所を変えることとします。
鷲ノ松公園は早朝から三菱マテリアルの事業所に通勤する人の往来が激しく、宮浦港に入港するフェリーからも大量の原付バイクが公園前を走り抜けていきます。島の4分の1ほどが事業所の敷地となっているこの島の独特の通勤風景ですが、人通りが激しい分、あまりのんびりとしているわけにもいかず、昨夜来の霧雨の中、予定よりも早く宮浦港に到着しました。
宇野港行のフェリーは一便早いものが入港中。出港まで10分もないタイミングでしたが、後々の行程が楽になることもあってこの便に乗船することとしました。まだ薄暗い中、宮浦港を出発。直島を後にしました。
宇野港へのフェリーは僅かな通勤通学客の姿しか見られませんでしたが、折り返しの宮浦港行には大量の通勤客の姿。船で通勤通学する人の姿は、この「ちゃり鉄22号」の旅では、頻繁に目にしました。
まだ薄暗い中、宇野港に隣接した宇野駅に移動。宇高連絡船が航行していた時代の面影はありませんが、ここから宇野線に沿って岡山まで走ります。かつては寝台特急「瀬戸」をはじめとする優等列車も数多く走っていた宇野線だけに、往時の面影を感じながらのちゃり鉄。
その後の岡山臨港鉄道廃線跡も一部はサイクリングロードに転用されており、緩やかな曲線に鉄道の雰囲気を感じることができました。
児島半島東部の海岸沿いは薄曇りのパッとしない天候の中。金甲山に登る最中に日没を迎えましたが、薄曇りの空がそのまま暗くなる夕暮れでした。
金甲山の展望台は心配したほどの人の出入りはなさそう、と思いきや21時を過ぎた頃から、30分に1台ほどの割合でドライブの若者が集まるようになり、こちらの野宿を見つけるやライトを直射して冷やかしに来る者も居る有様。予想通り野宿場所を間違えたなと思いつつも、面倒なのでそのまま寝たふりをして夜を明かしました。
10日目は金甲山から鷲羽山まで。
この日は児島半島西部を巡りながら、最後に本四備讃線にほぼ並行していた下津井電鉄廃線跡を辿って鷲羽山で野宿します。
山から山へ。
この日も最後はちょっと山登りで、尚且つ階段あり、というのは事前に把握済みでした。
この日のルートでは瀬戸大橋を眺めながら走る区間も多かったため、天候に期待していましたが、下津井港に至るまでの前半区間はどんよりとした空模様が続き、渋川海岸なども彩度の低い風景で残念でした。
それでも下津井港を過ぎた辺りから天候は回復気味。
その後は、水島臨海鉄道沿線や倉敷美観地区、そして改正鉄道敷設法別表90号線の予定区間や、下津井電鉄の廃線跡など、内陸を行く区間が多いため、海沿いの絶景は見ることができませんでしたが、鷲羽山から眺める瀬戸内海と瀬戸大橋の夜景は、絶景と呼ぶにふさわしいものでした。
展望施設もある鷲羽山ですが、この日の野宿地は徒歩でしかたどり着けない場所。自転車を引き連れてのアクセスには苦労しましたが、夜中に若者がやってきて騒ぐということもなく、素晴らしい風景を眺めながら静かな一夜を過ごすことができました。
11日目は鷲羽山から豊島壇山岡崎公園展望台まで。
昨夜来の晴天はこの日の朝も続いており、鷲羽山から望む瀬戸内海の夜明けは、旅立ちの足を留めるに十分な絶景を見せてくれました。鷲羽山からの風景は、旅立ちの前から期待していたものだったので、この一夜が晴天だったことは本当に恵まれていたと思います。
その後、王子ヶ岳を経由して玉野市電鉄の廃線跡を辿って三度目の宇野港へ。ここから、小豆島豊島フェリーに乗船して豊島に渡ります。
フェリーは豊島島内で家浦港、唐櫃港の順に2つの港に寄港。私は、唐櫃港で下船し、翌日、家浦港から乗船するという計画にして、いずれの港でも上下船しつつ、航路の全区間にも乗船できるようにしました。運賃は割高になりますが、家浦港で下船し唐櫃港から乗船すると、家浦港~唐櫃港の間の航路に乗船できないためです。
瀬戸内の島々はアートを軸にした観光誘致を行っていることもあり、この豊島でも直島と同様、外国人観光客の姿を多く見かけました。電動自転車やレンタカーで島を周る彼らを尻目に、私は重積載の「ちゃり鉄22号」に乗車して島をぐるりと一周しましたが、急坂では電動自転車の外国人女性に追いつくことができませんでした。
唐櫃港から時計回りに島の外周を一周した後、島の中心部にある壇山に向かって、最後の急登を押し登りで克服します。この「ちゃり鉄22号」では駅前野宿が1泊もなかったこともあり、最後は山の上ということが本当に多かった気がします。電動自転車と言えどもこの急坂は登れないのか、この最後の区間に自転車の観光客が訪れている雰囲気は殆どありませんでした。
残念ながらこの日は夜半過ぎから雪交じりの悪天候となり、絶景が広がるはずの壇山岡崎公園展望台からの風景は次第に濃霧の中に消えていきましたが、雲に覆われるまでの間に、何とか、瀬戸内海と四国の夜景を写真に収めることができました。
12日目は豊島壇山岡崎展望台から小豆島オリーブ公園まで。
この日の小豆島島内のルートは、当初は寒霞渓越えを経て吉田海岸に至り、そこで野宿とするものでした。
しかし、7日目の行程で吉田海岸から坂手港までを走り通した際の実感から考えて、翌朝、坂手港を7時30分に出港するジャンボフェリーに乗船するのは、日程的に無理があることが分かっていました。
そこで、土庄港から前回とは逆の反時計回りで小豆島の南半分を周るとともに、割愛していた田浦半島を訪れる計画とした上で、翌朝の行程を考えて、内海湾に面したオリーブ公園内で野宿する事としたのです。
早朝の壇山は濃霧。視界は全く開けない中、真っ暗な急勾配を家浦港まで降ります。
見上げる壇山は霧の中。
雨は降っていませんでしたが、青灰色に沈んだ家浦港でフェリーを待ちます。
やがて入港したフェリーからは徒歩客2名と車両1台が下船。船内に入ってみると、乗船客は私一人でした。
貸し切り状態のフェリーは唐櫃港で徒歩客1名を乗せ、乗客2名の状態で土庄港へ。
ローカル線の実情の厳しさを痛感することが多い「ちゃり鉄」の旅ですが、ローカル航路もまた、苦境に立たされていることを実感します。それでも、島への航路は廃止が難しく、過疎化の問題は更に深刻だと感じさせられました。
小豆島では天候が回復する兆しもありましたが、結局、三都半島の南端から東岸沿いを走るひと時に、束の間の晴天を味わっただけ。翌日、翌々日の悪天候は避けようもないと言わんばかりに、徐々に空は厚い雲に覆われていきました。
それでも走行中に降られることなく、田浦半島を周り、旅の最後に、小学生時代に訪れた思い出の地を巡ってオリーブ公園で野宿としました。温泉も併設されるオリーブ公園。温まった体のままで野宿場所に戻り、旅路の最後の夜を祝う静かな晩餐会を独りで楽しみました。
この段階で、翌日は神戸から鉄道で帰宅する計画に変更していました。
13日目は小豆島オリーブ公園から自宅まで。
この日はオリーブ公園から坂手港まで走行した後、7時30分出港のジャンボフェリーに乗船して神戸港へ。その後、神戸高速鉄道の新開地駅に向かい、神戸電鉄の準急列車に乗って三田に出て、JR福知山線で自宅に帰ることとしました。
自転車の走行は短距離で、実質的には移動日。
朝から自宅に帰るまで終日みぞれ交じりの悪天候でした。
当初は神戸港から六甲山系を越えて北上し、JR福知山線の丹波大山駅近くで野宿の予定だったのですが、急坂で交通量が多い六甲越えを雨の中で走るのは、危険を伴う割に魅力も少ないものでした。しかも、終日冷たい雨に降られた上に雨中野宿になることもほぼ確実な状況。
瀬戸内海には寒気が流入していることから、意外と雨は降っていませんでしたが、その分、かなり寒冷な気象条件でもありました。
神戸港から走り出した直後は若干決意が揺らぎ、やっぱり走り通そうかと血迷ったりもしました。
しかし、この日は走行用の衣類を着用していなかったこともあり、走り通すには着替える必要がありました。それが面倒だったこともあり、結局新開地駅に引き返し、そこで自転車を畳んで走行行程を終えたのでした。
神戸電鉄、JRと乗り継いで、篠山口駅を出る頃には激しい湿雪。自転車で走行するには一番辛い状況でした。予定地だった丹波大山駅を出る頃には、この計画変更が正解だったことを感じつつ、夕方になる前には無事帰宅し、今回の旅を終えることができました。
「ちゃり鉄22号」のルート図と断面図は以下の通りです。
毎回の例に漏れず、どこをどう走ったのか、ぱっと見では全く理解できそうもないルート図となりましたが、瀬戸内海の備讃地域を細かく巡るルートを、ほぼ、トラブルなく走り通すことができました。
総走行距離は970㎞。累積標高差は+17590m、-17728m。最終日の予定変更が影響して総走行距離は僅かに1000㎞を下回りました。
瀬戸内海の島々を巡る旅は、他にも、幾つもの候補があります。
有名どころではしまなみ海道がありますし、東の淡路島もあります。
今後、数年に1度の割合で、中国地方、九州地方、四国地方を跨いだ「ちゃり鉄」の旅で、これらの島々を巡る船旅を行うことになるでしょう。
季節やルートを変えて何度でも走りに行きたい。
そんな思いを抱いた「ちゃり鉄22号」の旅路でした。