ちゃり鉄3号|小湊鐵道、いすみ鉄道、JR久留里線と東京湾フェリー

小湊鐵道・上総山田駅(千葉県:2016年7月)
各駅停車「ちゃり鉄号」の旅

ちゃり鉄3号:旅の概要

  • 走行年月
    • 2016年7月(前夜発2泊3日)
  • 走行路線
    • 小湊鐵道
    • いすみ鉄道
    • JR久留里線
    • 東京湾フェリー
  • 主要経由地
    • 房総半島中部
  • 立ち寄り温泉
    • 養老渓谷温泉、七里川温泉
  • 主要乗車路線
    • ムーンライトながら、東海道本線、JR横須賀線、東海道新幹線
  • 走行区間・距離・累積標高差
    • 総走行距離:290.7km、総累積標高差:+3170.9m・-3187.5m
      • 1日目:自宅≧ムーンライトながら≧(五井駅)
        (0km)
      • 2日目:五井=上総中野-栗又の滝-養老渓谷温泉-久我原
        (82.7km、+1044.2m、-1012.8m)
      • 3日目:久我原-上総中野-安房小湊-大原=上総中野-七里川温泉-亀山湖
        (121.9km、+1450.7m、-1422.7m)
      • 4日目:亀山湖-上総亀山=木更津-富津岬-金谷港~久里浜港-久里浜≧自宅
        (86.1km、+676.0m、-752.0m)
  • 見出凡例
    • -(通常走行区間:鉄道路線外の自転車走行区間)
    • =(ちゃり鉄区間:鉄道路線沿の自転車走行区間)
    • ≧(鉄道乗車区間:一般旅客鉄道の乗車区間)
    • ~(乗船区間:一般旅客航路での乗船区間)

ちゃり鉄3号:走行ルート

ちゃり鉄3号:1日目(自宅≧大垣駅≧ムーンライトながら≧)

自宅≧大垣≧ムーンライトながら≧

ちゃり鉄1号」、「ちゃり鉄2号」の旅を終えた続く7月末。「ちゃり鉄3号」の旅の舞台に選んだのは、房総半島を横断する小湊鐵道、いすみ鉄道、JR久留里線と、その未成線・計画線区間であった。

仕事をしながらの「ちゃり鉄」の旅では、週末の1泊2日や祝日を絡めた2泊3日が限界で、長期の旅は、ゴールデンウィーク、お盆休み、年末年始という機会を利用する他ない。

2泊3日で旅することが出来る行程で、なおかつ、程々のまとまりがある地域となれば、関西発なら関東甲信越地方、中国四国地方、東海北陸地方あたりになる。特に、関東地方であれば、7月末のこの時期、夜行快速の「ムーンライトながら」が運行されていることもあり、前夜発で効率よく現地入りできる。夜汽車での旅立ちと言うのも、近年、殆ど不可能になった貴重な機会だ。その前提で計画を立てようとして、白羽の矢が立ったのが房総半島であった。

房総半島には、1996年末の本州一周・青春18きっぷの旅で訪れた後、JR久留里線を訪問したくらいで随分ご無沙汰しているし、小湊鐵道やいすみ鉄道は未乗車の鉄道でもある。

「ちゃり鉄」となれば乗車することはできないが、その一方で、「乗り鉄」の旅よりも深く沿線を味わうことが出来る。

そこで、「乗り鉄」の旅は、また、別の機会に実施することにして、関東地方に残るこれらの旅情ある鉄道風景を、「ちゃり鉄」の旅で訪れることにした。

この日は、仕事を終えて帰宅してから、さっと夕食や入浴を済ませ、最寄駅からJRの普通列車に乗車して尼崎に出た後、大垣行という珍しい行先表示の快速列車に乗車した。

通常、JR西日本管内の普通・快速列車は米原止まりで、その先、JR東海エリアの大垣方面に直通することは無いのだが、この頃は、大垣まで直通する快速が運転されており、大垣発の「ムーンライトながら」に乗車するにはうってつけの列車であった。それを意図しての列車という側面もあったかもしれない。

この「ちゃり鉄3号」の旅では、残念ながら、乗り換え時間の余裕がなく、今は亡き大垣快速の写真を撮影することはできなかった。

大垣駅到着は22時20分少し前。大垣からの「ムーンライトながら」は22時49分発であったので、大垣駅での滞在時間も程よい加減である。

大垣駅は赤坂支線、養老鉄道が分岐する交通の要衝で、列車の発着は多い。この時刻になっても、東海道線上下方向の他、分岐路線への乗降客が、駅のホームには大勢見られた。制服姿の高校生の姿がホームに見られたのも驚かされる。塾通いだろうか。

大垣駅に到着してムーンライトながらの入線を待つ
大垣駅に到着してムーンライトながらの入線を待つ
22時を過ぎても行き交う人の姿が絶えない大垣駅
22時を過ぎても行き交う人の姿が絶えない大垣駅
赤坂支線の普通列車と養老鉄道の車両を見やる
赤坂支線の普通列車と養老鉄道の車両を見やる

私が乗車する「ムーンライトながら」は5番線から出発するのだが、この5番線には、一見してそれと分かる長距離の旅行者の姿が見られた。大きなバッグを携えて、乗車位置に列を作って並んでいるので、そこだけ独特の雰囲気がある。

駅の電光掲示を見れば、豊橋行の快速の次に、「ムーンライトながら」の文字が表示されている。「東京」という行先が旅情をくすぐる。在来線で、夜行列車の行先表示を見ることも殆どなくなった今日、貴重な光景だ。

夜行列車の衰退については、航空機の発達や夜行バスの台頭により、利用客を奪われたという説明が多くなされるし、実際にそうだとは思うが、それ以外に、分社化されたJR各社を横断する列車運用の煩雑さや、通過駅に配置しなければいけない人員にかかる人件費の削減等、JR側の都合も強いと思う。そして、それは、会社の都合でもあり、その経営の都合でもあり、ひいては、利益を求める株主の都合でもあるだろう。

私などは、寝台特急のB寝台に憧れ、寝苦しい座席の夜行列車に旅情を感じたりするものだが、その感覚は一般的なものではないことも承知している。鉄道ファンの立場を離れて考えてみれば、時代遅れの設備で走る夜汽車の旅を敬遠し、利用者が減るのも無理はないと思う。

でも、夜汽車の旅情は何にも替え難いし、それが失われていくことに、寂しさは尽きない。

その一方で、各社管内だけをクルーズする豪華列車は流行し、一般人には手の出ない豪華寝台列車も、各社挙って導入している。それらの列車にも一度は乗ってみたいと思うものの、それは、「夜汽車」の旅情とは別のものだと感じるのは、一人、私だけではないだろう。

もっとも、明治以前の「旅」は徒歩であり、駕籠であり、馬であり、水運であった。そうした時代の「旅」を、「文明開化」の名の下で木っ端微塵に破壊したのは、他でもない「鉄道」だったわけで、私の慨嘆も勝手な身びいきではある。

それはさておき、久しぶりの夜汽車の旅に、ホームで車両の入線を待つ心は弾む。寝苦しい座席での一夜を明かした後、自転車で100㎞以上走るのが、肉体的にはきついことも分かっているが、青春18きっぷの旅には、それが似合う。

やがて、「ムーンライトながら」が入線した。

やってきたのは、JR東日本で特急に使われていた185系車両。愛称表示は「臨時快速」となっており味気ないが、車両側面の行先表示幕には、「ムーンライトながら」の表示が残っていた。

出発駅での写真を撮影したかったが、輪行での乗車は時間に追われるため、入線してすぐの出発となる大垣駅では、写真を撮ることが出来なかった。

慣れない乗客が乗り遅れそうになる中、慌ただしく大垣駅を出発。

私は、最後尾の車両に乗車し、邪魔になりにくい場所に自転車を固定して、ようやく、座席に落ち着いた。

ムーンライトながらを待つ人の姿がホームに見られる
ムーンライトながらを待つ人の姿がホームに見られる
今では少なくなった在来線の長距離列車
今では少なくなった在来線の長距離列車

列車の撮影を行うことが出来たのは、浜松駅。午前1時前の到着である。

ここで、15分ほど停車するため、一旦ホームに出て車両の撮影を行った。

ここまで「ムーンライトながら」という列車名で書いてはきたが、「大垣夜行」という名前の方が愛着ある人も多いだろう。末期は、青春18きっぷの発売期間に合わせて運行される臨時快速になっていたが、元々は、定期運行される夜行列車であった。私なども、165系で運行されていた頃の「大垣夜行」の方が愛着があるが、実際には、JR東海の373系による「ムーンライトながら」になってからの初乗車で、165系時代の「大垣夜行」に乗ることはできなかった。

その165系「大垣夜行」もまた、それ以前に全国各地で運行されていた、客車の夜行列車の名残だったことを思えば、よくぞ、この時代まで生き残っていたと言えるのかもしれない。

浜松駅のホームでは、この列車の姿を何枚か写真に収めた。

ホームから車内を眺めれば、寝付けずに起きている乗客、窓にもたれかかって寝ている乗客、座席を二つ占領して横になっている乗客、様々であった。ホームには人影も疎らで、昼間とは全く違う浜松駅の表情。それでも、しばらくすると、貨物列車が通過していき、ここがやはり、一大幹線の東海道本線であることも実感する。

発車時刻も近づいたので、車内に戻る。

程々の乗車率ではあったが、立ち席が出るほどでもなく、かつてのような混雑は見られない。

浜松駅に停車中のムーンライトながら
浜松駅に停車中のムーンライトながら
歴史ある夜行列車の姿
歴史ある夜行列車の姿
臨時快速と表示されていた185系のムーンライトながら
臨時快速と表示されていた185系のムーンライトながら
行先表示幕には辛うじて列車名の表記が残っていた
行先表示幕には辛うじて列車名の表記が残っていた
座席での寝苦しい夜も今は思い出の風景
座席での寝苦しい夜も今は思い出の風景
座席に横向きに眠る乗客の姿が夜行列車ならではの光景だった
座席に横向きに眠る乗客の姿が夜行列車ならではの光景だった

その後は、途中駅の記憶もなく、翌朝を迎えた。寝不足ではあるが、こういう寝不足は、それほど、しんどい感じがしない。勿論、この状態でランニングをすれば、明らかにパフォーマンスが低下していて、肉体疲労を実感するのだが、気持ちの上で、疲れを感じないという点では、仕事に追われる毎日の寝不足とは、質が違うようだ。

東京駅の到着は5時過ぎ。

到着後すぐにホームに降りたが、既に表示幕は回送となっており、夜行列車の余韻を残すことなく回送準備に入る。隣のホームには新幹線が入線しており、この時刻ではあるが、東京駅は既に気ぜわしく活動を始めている。

程なく、「ムーンライトながら」は引き上げていった。

その時は予想していなかったが、私にとって、これが「ムーンライトながら」に乗車した最後の機会となった。2020年以降のコロナウイルス感染症の影響で、交通機関は大打撃を受け、辛うじて繋がっていた糸がいくつも切れた。この「ムーンライトながら」も、切れた糸の一本。車両の老朽化などを理由に廃止されてしまったのである。また一つ、旅情ある鉄道風景が失われてしまった。

旅の道中、そんな未来を予想しない私は、今生の別れの感慨もなく列車を見送った。そして、荷物を抱えて向かう先は地下の京葉線乗り場。

荷物を抱えて大移動して、地下ホームに辿り着く頃には、時計は5時半を過ぎていた。

地下ホームには、この時間でも大勢の利用客が列車を待っていた。

程なくして到着した列車に乗り込み、最前列の空きスペースに自転車をまとめ、空いている座席に座る。さすがに座席が埋まるほどの乗車率ではない。

東京駅に到着したムーンライトながら
東京駅に到着したムーンライトながら
新幹線と並ぶムーンライトながらを眺める
新幹線と並ぶムーンライトながらを眺める
京葉線地下ホームから千葉県に向かう
京葉線地下ホームから千葉県に向かう
JR京葉線東京駅の駅名標
JR京葉線東京駅の駅名標
車両の最前部に荷物をまとめて乗車
車両の最前部に荷物をまとめて乗車

途中、乗り換えの上、6時40分過ぎに五井駅に到着。

近代的な内房線の五井駅に隣接して初見の小湊鐵道の五井駅があり、愛らしい気動車が停車していた。都市化路線の駅に停車する、非電化単線を行く気動車。こういう風景も、なかなか見られなくなったが、東京から1時間余りの距離に、まだ、このような風景が見られるというのは、新鮮な驚きである。

利用客の往来が少なからぬJRの五井駅に対し、小湊鐵道の五井駅には、ベンチに腰掛ける利用者が一人見られるだけで、ホーム上を歩く人影はない。

跨線橋に上がると、連絡口が設けられていた。そこで写真を撮影し、小湊鐵道側の東口の方に移動して駅の外に出た。

都会と田舎が同居する五井駅に到着
都会と田舎が同居する五井駅に到着
JR内房線五井駅の駅名標
JR内房線五井駅の駅名標
小湊鐵道の五井駅は長閑な雰囲気
小湊鐵道の五井駅は長閑な雰囲気
小湊鐵道五井駅の入り口と連絡通路
小湊鐵道五井駅の入り口と連絡通路
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