11月21日(火)~12月5日(火)の日程で、「ちゃり鉄21号」の旅を無事、終了しました。今回の取材実施路線は以下のとおりです。
- JR路線:宗谷本線
- 廃線等:幌延町営軌道問寒別線、日曹炭鉱天塩砿業所専用鉄道線、簡易軌道幌沼線・勇知線
今回は事前に予想した通り、記録的な寒波の到来で積雪・凍結状況となりました。道内3日目の士別市街地に達した時点で降雪が始まり、以降、最終日に至るまで、ほぼ全期間・全行程を積雪・凍結状況下で走行することになりました。
自宅発着の旅だったためノーマルタイヤ+スパイクタイヤという形での走行となりましたが、道内では3日目の瑞穂駅の駅前野宿の段階でスパイクタイヤに履き替え、12日目に稚内まで走り終えて輪行で小樽駅に戻ったタイミングでノーマルタイヤに履き替えるという、「ちゃり鉄」の旅としては初めてのスタイルでの旅となりました。
厳冬期の北海道を自転車で走ることを想定すると、もう少し、装備面でのアップグレードや変更が必要となりますが、マイナス10度前後の気温の中で、積雪・凍結状態の路面を数百キロに渡って走り続けることが出来たので、今後の「ちゃり鉄」フィールドを広げる意味で、良い経験となりました。
宗谷本線自体は2020年9月~10月にかけての「ちゃり鉄14号」で、稚内から旭川に向かって走行済みですが、今回は旭川から稚内に向かって北上しつつ、これまで駅前野宿を行ったことがなかった旅情駅で野宿し、道北に存在した幾つかの鉄道路線の廃線跡を巡る旅としました。
この報告を執筆している12月13日現在で、宗谷本線では初野駅、恩根内駅の廃止が確定しましたが、いずれも美深町の無人駅。美深町内では、南美深駅、紋穂内駅、豊清水駅も近年廃止されており、美深駅以外の全ての駅が廃止されることとなりました。自治体管理ということで、それぞれの自治体の思惑を如実に反映する形となりましたが、こうして駅が廃止されていく現状は、何か寂しく感じるとともに、日本という国の今後を暗示しているような気がします。
以下、各行程を簡単に振り返ります。
今回の旅は自宅発着での前夜泊13泊14日の行程。
出発日(0日目)は終業後に自宅から出発し舞鶴港まで走り、そこから新日本海フェリーで渡道する行程。
スパイクタイヤは携行し必要になった段階で換装することとしました。
3時間ほどの行程の途中で京都丹後鉄道宮舞線の四所駅に立ち寄り、夜の旅情駅の姿を写真に収めました。この四所駅は何れ駅前野宿で訪れたいものです。
舞鶴港からは定刻で新日本海フェリーが出港。渡道の際にはお決まりの行程です。出港が遅くて寝不足になるのがネックとは言え、遅い時間帯に出港するので終業後に自転車で走って乗船できるメリットも大きいですね。
乗船前には中舞鶴線の北吸隧道跡を訪問しました。
1日目はほぼ終日新日本海フェリーの船旅。
小樽港には20時45分入港なので、この日は行動できず小樽港近辺で野宿する形になります。
今回はそのまま走り出すのではなく旭川までの輪行となるので、港近辺で野宿した翌朝、最寄りの南小樽駅に向かい、そこで自転車を畳んで輪行するという、少々手間のかかる形での旅となりましたが、乗り鉄の旅も楽しめるので良しとします。
舞鶴小樽便は本州の遥か沖合いの日本海を進むので、奥尻島沖に達するまで陸地も見えませんが、その奥尻島沖で眺めた夕日は素晴らしく、久しぶりに水平線に太陽が消える最後の瞬間まで眺めることが出来ました。
定刻通りに小樽港に入港。港が見える近所の公園の東屋の下でマットと寝袋だけで野宿。折返し舞鶴行きが出港していくのを見届けて眠りに就きました。
2日目は小樽港から南小樽駅まで走った後、一旦、自転車を畳んで輪行し、旭川駅まで移動。そこから走り始めてJR宗谷本線を北上しつつ塩狩駅を目指します。
札幌駅に発着する特急列車の車両も、国鉄時代の面影がすっかり消えて、JR発足後の車両に一新されました。JRの特急車両はスタイリッシュで好きなんですが、国鉄時代の車両の武骨なスタイルも捨てがたく、時代の変遷を感じつつ特急「オホーツク」に乗車して旭川まで。
そこからは自転車を組み立てて走行開始。
今回は途中で地域の図書館にも寄りながら文献調査を並行して行う旅程としたため、この2日目の行程では比布町立図書館に立ち寄りました。
この日は渡道前から予想されていた通り、温暖前線に向かって吹き込む雨域を縫うようにして走る形となりましたが、幸い、強雨域に捕まることはなく雨濡れせずに塩狩駅まで走り切ることが出来ました。到着後に雷雨となったのは、天気運の悪い私にとっては珍しいことでした。南風の影響もあって比較的暖かい一日でした。
3日目は塩狩駅から瑞穂駅まで。
元々短距離での行程としていましたが、これは和寒図書館、士別図書館の2箇所の図書館に立ち寄って文献調査を行う目的もあったためでした。この日から気温は低下し、士別温泉美し乃湯に入っている間に吹雪の様相となっていました。あっという間に積雪が増えて士別神社に着く頃にはすっかり雪化粧。
まだ積雪量が少なかったことと、凍結していなかったこと、シュワルベのマラソンプラスツアーの42Cサイズを履いていたこともあって、ノーマルタイヤで走ることが出来ましたが、瑞穂駅に到着後、翌日以降の積雪・凍結路面に備えて、スパイクタイヤに交換しました。
瑞穂駅は初めての駅前野宿。名寄行きの最終普通列車から誤って下車してきた若者が居て驚きましたが、知り合いが迎えに来るまでのひと時を、狭い待合室で談笑しながら過ごしました。
4日目は瑞穂駅から日進駅まで。
この日は無積雪で晴天条件なら名寄市郊外のピヤシリ山に登る予定でしたが、勿論、昨日からの冬型の気圧配置が強まり、マイナス5℃以下の気温が予想される風雪の条件下では、自転車でのアクセス自体が困難なことから予定変更。その分を名寄図書館での文献調査に費やして、かなり時間をかけて思い通りの調査を行うことが出来ました。
日進駅はこれまで何度か訪れたことがあったものの、今回は念願の駅前野宿。地元の人々の手で設けられた趣のある待合室が、北星駅や東六線駅を偲ばせる味わい深い一夜でした。
5日目は日進駅から初野駅まで。
この日は短距離の行程でしたが、北山・智東・智西・智南・智北の各集落・集落跡に立ち寄り、小学校跡や神社を訪れる、「ちゃり鉄」ならではの行程でした。折からの積雪や冬季閉鎖で北山集落周辺の林道部分は奥地に分け入ることが出来ず、現地でルート変更しての走行となりましたが、未除雪の林道を突き進んで北山小学校跡を訪れることが出来、充実した一日となりました。
但し、フロントシフターの調子が悪くなり、この日以降、フロント側は殆ど変速操作が出来ず、インナーのローギアのみでの走行となりました。元々、積雪・凍結路面での走行となり、高速走行は行わないのでローギアでも問題が無かったのが幸いでした。
初野駅も初めての駅前野宿。この駅の廃止予定は事前に把握していましたが、これが最初で最後の駅前野宿となりました。
6日目は初野駅から筬島駅まで。
当初予定では函岳への往復も計画していましたが、勿論、中止。
その分、美深町や音威子府村付近で奥地廃校を巡るなど、「ちゃり鉄」ならではの予定変更を織り交ぜながら旅をしました。
美深町内の恩根内駅は駅前野宿ではなく停車での訪問となりましたが、この駅でも駅前野宿を行ってみたかったものです。
この日の駅前野宿地の筬島駅は道路工事事務所が駅前に設けられて様変わりしていましたが、集落自体は過疎化が進み、目に入る限りで現住民家は1軒のみだったように思います。学生時代に旅した時には、朝の始発に乗り込み夕方の列車から降りていく女子高生の姿を見かけたものでしたが、時の流れを感じました。この筬島駅も初めての駅前野宿でした。
7日目は筬島駅から糠南駅まで。
筬島駅と佐久駅との間にあった神路駅は自転車で到達することは出来ません。徒歩でも道のないところを歩いて行くしかなく、到達は極めて困難。前回のちゃり鉄14号の旅に続き、今回も、気象条件が悪く、徒歩での到達は断念しました。徒歩とは言っても、勿論、線路を歩くわけではありません。
問寒別からは一旦中問寒別方面に足を延ばし、糠南駅から尾根を隔てたところにあった豊栄小学校跡を尋ねました。暮れかかった山奥の小学校跡に一人佇んでいると、この地の開拓に夢破れた人々の思いが脳裏に去来しました。それもまた知られざる北海道の姿です。
糠南駅は2度目の駅前野宿。雪を纏った糠南駅の姿は、やはり、何度でも訪れたくなる旅情に満ちていました。
8日目は糠南駅から下沼駅まで。
この日は宗谷本線の沿線探訪ではなく、幌延町営軌道問寒別線と日曹炭鉱天塩鉱業所専用鉄道線の跡を巡る行程でした。JR駅付近から分岐していた各路線の末端部には、それぞれ炭鉱と炭住がありましたが、この「ちゃり鉄21号」の旅では、積雪条件もあって末端部の探索は行わず、その手前の最終駅までの探索としました。
駅前野宿地に選んだのは下沼駅。ここも初めての駅前野宿でしたが、夜の待合室で寒さを凌いでいると、地元の方が「豊富で飲み会があるから帰りに汽車に乗れるかダイヤを見に来ました」と、自家用車で待合室に来られました。その後、21時過ぎの最終で豊富駅から下沼駅まで乗車してこられて、温かい飲み物とお弁当を差し入れしてくださり、とても味わい深い夜となりました。
9日目は下沼駅から南幌延駅まで。
宗谷本線に沿って北上しているはずなのに、この日の行程は南下しています。というのも、この日は簡易軌道沼幌線に沿って沼川から幌延まで走ることにしていたからです。幌延まで出てくるので、その後の駅前野宿地に、初めての南幌延駅を選びました。
沼幌線跡の探索は地吹雪地帯を行くこともあって気象条件が懸念されましたが、幸い、走行できないような吹雪に捕まることもなく、無事、沼川~幌延間を走り切ることが出来ました。
この広大な大地を馬車軌道が走っていた時代。そんな時代に戻って沿線を訪れてみたいものです。
南幌延駅は地元の出資と思われる待合室が温かく迎えてくれました。貨物改造ではない木造の待合室は、簡素な造りながら温かみもあって、吹雪の中でも底冷えを緩和してくれました。
10日目は南幌延駅から雄信内駅まで。
この日も行程は南下していますが、雄信内駅からは天塩町内の南雄信内・男能富地区内を探索し、日本海側の天塩町に抜けて産士地区経由で幌延に戻るという周回コースで走りました。駅前野宿地としては、やはり欠かすことのできない雄信内駅を選びました。
当初の予定では天塩町側に回るのではなく中川町側に回る予定でしたが、7日目の行程で中川町内を走行していることもあり、気象条件の厳しさが予想されるものの日本海側の天塩町に出ることとしました。実際、海岸部は風雪が厳しく走行には難儀しましたが、冬の北海道の日本海側の気象状況を自転車に乗りながら経験することが出来て、貴重な経験となりました。
この日は幌延図書館にも立ち寄り。日が暮れるまで文献調査を行った後、青白い台地の底を雄信内駅まで走って野宿の一夜を過ごしたのでした。
11日目は雄信内駅から抜海駅まで。
この日から宗谷本線の旅に戻ります。道内最終夜は去就が心配される抜海駅。冬の抜海駅を訪れる機会が無かっただけに、2度目の駅前野宿で冬の姿を見ることが出来たのは良かったです。
行程としては、糠南駅までしか辿ってきていないので、一旦、上雄信内駅の跡を遠望する地点まで引き返した後、北上して抜海駅を目指す行程としました。
上雄信内駅では学生時代に1泊したことがありますが、フィルム写真時代の事で多くの写真は残っていないのが残念です。今となっては非常に貴重な経験でした。
この他にも、安牛、上幌延、南下沼、徳満、芦川という廃駅があります。いずれも訪れたことがありますが、駅前野宿は南下沼駅と芦川駅のみ。近年の大量廃駅のペースに取材が追い付かず、旅情ある駅での駅前野宿が出来ないまま廃止になってしまったのが残念です。
12日目は抜海駅から稚内駅まで。いよいよ、道内走行最終日です。
厳しい気象環境の中を走り続けてきただけに、この日の夜には新日本海フェリーの暖かいベッドで眠れる安堵感と、旅が終わってしまう寂しさとを噛みしめながら、味わい深い抜海駅を後にしました。
稚内駅まではほんの少しですが、この日は一旦勇知駅まで逆戻り。簡易軌道勇知線の沿線を走るためです。その後、オロロンラインに出て夕来展望所付近から念願の冬の利尻島を眺めることが出来ました。
抜海岩や抜海神社にも訪れた後で、再度、抜海駅を訪問。稚内市街地に向けて丘陵を越える手前の夕日ヶ丘パーキング付近で、利尻・礼文両島を眺めつつ、未訪問の2島に思いを馳せながら稚内駅に向かって出発。駅前で記念撮影をして、積雪・凍結条件下の初冬の宗谷本線沿線の旅を無事終了することが出来ました。
稚内からはサロベツ、ライラック、普通列車に乗り継いで小樽駅まで輪行。
ここでノーマルタイヤに換装し、手宮線の跡を訪問。市内の寿司屋で一人回転寿司を楽しんで小樽港に向かったところ、そこにいるはずの舞鶴行きの船が居ない非常事態。
「欠航?」、「乗り遅れ!?」と焦りましたが、前日の時化の影響で入港が2時間近く遅れていたことが判明。危うく帰阪できない状況でしたが、無事、2時間ほど遅れて無事小樽港を出港することが出来たのでした。
13日目は予定よりも1時間強遅れて22時30分頃に舞鶴港に入港。
舞鶴港から自宅までは最短で40㎞程度なので、深夜走行すれば自宅に帰ることも可能でしたが、吹雪の中でデイライト点灯が多かったこともあり、ヘッドライトは2灯ともバッテリー残量のインジケーターが点灯。夜間走行は余り好ましくないため、舞鶴港付近で予定通り野宿としました。
翌14日目は舞鶴港から自宅まで。
通常は舞鶴港のある東舞鶴地区から峠を越えて西舞鶴地区に入り、更に峠を越えて由良川沿いに出て自宅を目指して走ることが多いのですが、今回は舞鶴から綾部方面に抜ける菅坂峠越えを選びました。
結局、日当たりの累積標高差ではこの日が唯一登り降り共に1000mを越える行程となり、最終日にも関わらず一番アップダウンの激しい行程となりました。
福知山市内の自宅には午前中に帰宅。無事、全行程を終えることが出来ました。
道内走行部分のルート図と断面図は以下のとおり。計画と比べて途中の立ち寄り箇所が減りましたが、積雪の影響もあり仕方ありません。一方、幌延町や豊富町、天塩町、稚内市付近では、予定通り若しくは予定よりも若干充実するくらいの走行ができたように思います。
今回は、直前になって天気予報を鑑みて冬装備を揃えたので、一部、準備不足の点もありましたが、カンチブレーキであればスパイクタイヤと合わせて積雪・凍結条件下でも走れることが分かりましたので、ディスクブレーキのグラベルロードを購入するまでの間に、厳冬期の北海道や東北地方などを旅することが出来そうです。
今後執筆する「ちゃり鉄21号」の紀行をお楽しみにお待ちください。