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京都丹後鉄道と丹後半島|ちゃり鉄19号

丹後・筆石集落から望む屏風岩(京都府:2023年5月)
各駅停車「ちゃり鉄号」の旅
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ちゃり鉄19号:旅の概要

  • 走行年月
    • 2023年5月(6泊7日)
  • 走行路線
    • JR路線:舞鶴線
    • 私鉄路線等:京都丹後鉄道宮福線・宮豊線・宮舞線
    • 廃線等:加悦鉄道、国鉄舞鶴線、改正鉄道敷設法別表80号線(加悦=出石=豊岡)
  • 主要経由地
    • 丹後半島全域
  • 立ち寄り温泉
    • 宇川温泉、天橋立温泉
  • 主要乗車路線
    • ー(なし)
  • 走行区間/距離/累積標高差
    • 総走行距離:733.6km/総累積標高差+12992.7m/-13023.5m
      • 1日目:自宅-久美浜-網野-経ヶ岬
        (125.8km/+2580.3m/-2516.1m)
      • 2日目:経ヶ岬-伊根-天橋立-碇高原
        (93.2km/+2762.1m/-2457.2m)
      • 3日目:碇高原-味土野-宮津=辛皮
        (89.3km/+2190.1m/-2493.6m)
      • 4日目:辛皮=福知山-綾部=東舞鶴=中舞鶴-大江-双峰公園
        (134.2km/+2037.8m/-1635.2m)
      • 5日目:双峰公園-加悦鉱山跡=丹後山田=豊岡=網野-琴引浜
        (120.3km/+1238.4m/-1735.8m)
      • 6日目:琴引浜-網野=丹後神崎
        (115.2km/+1777.5m/-1794.7m)
      • 7日目:丹後神崎=西舞鶴(中止決定)-自宅
        (55.6km/+406.5m/-390.9m)
  • 見出凡例
    • -(通常走行区間:鉄道路線外の自転車走行区間)
    • =(ちゃり鉄区間:鉄道路線沿の自転車走行区間)
    • ≧(鉄道乗車区間:一般旅客鉄道の乗車区間)
    • ~(乗船区間:一般旅客航路での乗船区間)

ちゃり鉄19号:走行ルート

ルート図:ちゃり鉄19号全図
ルート図:ちゃり鉄19号全図
断面図:ちゃり鉄19号全図
断面図:ちゃり鉄19号全図

ちゃり鉄19号:更新記録

公開・更新日 公開・更新内容
2023年6月12日 コンテンツ公開

ちゃり鉄19号:ダイジェスト

ちゃり鉄19号は、丹後半島と若狭湾岸、及び、京滋北部の鉄道予定線などを巡る13日行程の旅の予定だった。しかし、出発のひと月ほど前から旅程後半は1週間程度連続で雨天の予報が出ており、アクセス路のない成生岬の踏査などを含む計画の実現には、早くから暗雲が立ち込めていた。

結果的には、新しく導入した登山靴のフィッティング不足から旅程前半のうちに激しい靴擦れを生じたこともあり、予報通りに連続雨天が始まった7日目をもって中止・帰宅の決断をするに至った。

この、当初旅程後半の大雨では愛知県を中心に大きな水害を生じたほか、踏査予定だった若狭湾岸でも、連日、雨雲レーダーに大きな強雨域が現れていたので、道なき岬の踏査の予定が含まれていたことも考え合わせると、中止の決断は正解だったと言えるかもしれない。

しかし、靴擦れという初歩的なトラブルあっての中止の決断だったこともあり、装備計画の点で課題を残すこととなった。もし、靴擦れを生じていなかったら、岬部分の踏査のみを中止して旅を続行していたからだ。

比較的晴天に恵まれた丹後半島内の前半行程でも、一部の廃村踏査に関しては靴擦れの状況や現地までの道路状況を勘案して中止している。斜度10%を越える未舗装林道数キロの先にある廃村踏査ともなると、重積載の自転車を押し登って現地入りするのは現実的ではなく、山麓から徒歩で訪れる方が適切だと判断し、踏査計画を再考して機会を改めることにしたのである。

だが、そのことは却って、廃村となった地域での暮らしの厳しさを身をもって実感させられるエピソードともなった。大半の廃村探訪者が自動車で現地入りする中、自転車や徒歩での訪問にこだわり、尚且つ、訪問を果たせずに断念するという経験は、むしろ、その地域の人々の暮らしを偲ぶ上で貴重な体験でもあった。

以下では、この旅の各行程を簡単なダイジェストとして概観していくこととしよう。

ちゃり鉄19号:1日目(自宅-久美浜-網野-経ヶ岬)

1日目は自宅から出発。

山岳地帯を走り抜けて丹後半島の西端基部に当たる久美浜まで達した後、海岸沿いに経ヶ岬まで走る行程である。この区間は丹後半島の外浦に当たり、断崖絶壁の険しい岬に挟まれて白砂青松の砂浜が弧を描く絶景が各地に点在する。また、岬と岬に挟まれた小さな入江に静かに佇む漁村の風景も旅情に満ちている。

私自身は、学生時代の駅伝でこの辺りを走っているし、幼少期から学生時代に至るまで家族や仲間とのドライブ旅行で何度も訪れている。少年期を過ごした石川県の能登半島先端部の風景とも近似したところがあり、日本海沿岸の風景として真っ先に思い浮かべるのが丹後半島である。

ルート図と断面図は以下に示す通り。

ルート図:ちゃり鉄19号1日目
ルート図:ちゃり鉄19号1日目
断面図:ちゃり鉄19号1日目
断面図:ちゃり鉄19号1日目

前半に大きな峠越えがあるが、これは、丹波・但馬・丹後の国境に控える山岳地帯を越えるためで、登尾トンネル、薬王寺峠、たんたんトンネルで越えている。

最初の登尾トンネル手前では、山岳信仰の霊場でもある三岳山麓に寄り道し、三嶽神社にも立ち寄った。自宅から20㎞と離れていない地域ではあるが、早くも自転車を漕いで登ることが出来ない急勾配に阻まれ、押し登りを余儀なくされる。しかも、小雨がぱらつき路面は湿潤。押し登りの際に車輪が横滑りし、早々から苦しい行程となった。天気運の悪さはいつものことだが、この旅の前途を暗示するようなスタートだった。

だが、霧が沸き立つ山岳集落からの眺めは、むしろ、印象深い。今回は山腹の神社の訪問のみだったが、いずれ三岳山そのものにも登ることになるだろう。

小雨交じりの天候も薬王寺峠を越えて丹後に入る頃には回復。久美浜湾に出ると気持ちの良い晴天が広がった。ここからは海岸沿いを走るので晴天は嬉しい。

久美浜では小さな岬を越えた先にある蒲井、旭の2集落も訪れる。ちゃり鉄の旅ではこうした行き止まりの集落も丹念に訪れるようにしたいが、海辺であれ山奥であれ、行き止まり集落に辿り着くためには、大抵はアップダウンを繰り返すことになるので、自転車での訪問は距離以上にハード。この日は既に3つの峠越えを経てきているだけに、ここから経ヶ岬までの海岸沿いのアップダウンの連続は肉体的には相当な負担ではある。

久美浜湾に戻った後は、海岸沿いに経ヶ岬を目指す。小天橋付近で自宅から約70㎞。目指す経ヶ岬は更に60㎞弱。前途はまだまだ遠い。

だが、そんな行程も清々しい晴天が癒してくれる。

真冬の風雪波濤舞う日本海の光景も丹後らしいが、自転車で海岸沿いを走るのなら、やはり、空と海の青さが映える晴天が一番気持ち良いし、写真を撮影するのも楽しい。

海岸沿いには有名な観光地が点在しているが、それらを訪れつつも、無名の小さな集落や神社も訪れる。車で旅行をする時などは、こうした小さな集落に入り込むのには躊躇することも多いが、自転車の旅には、むしろ、似つかわしい。目が合うと挨拶してくれる人も少なくないし、「どこから?」と話しかけられることも多い。

最近はロードバイクに乗る人も増えたが、キャンプ装備を積載してのツーリストはむしろ減っている。ただ、旅先の人々の中には、私のような自転車の旅人に興味を持つ人も少なくはない。それは「自転車の旅」ならではのひと時だ。

「車は旅行」。「自転車は旅」。

私はそのように意識的に言葉を使い分けているが、旅先の方との素朴な交流という観点で、旅行と旅は大いに異なるように感じている。

ところで、この辺りの丹後半島には京都丹後鉄道・宮豊線が走っている。豊岡から峠を越えた宮豊線は、久美浜から網野にかけて、比較的海岸に近いところを走るのだが、それでも断崖絶壁を行く海岸線に出ることはなく、数キロ~十数キロの内陸を行くことになる。

海岸線を丁寧になぞりたい私としては、線路に沿って内陸部分を走るだけで良しとはし難い。かと言って、海岸線に沿うと宮豊線を走ることが出来ない。宮豊線のルートから外れる半島中央部の山岳地域に至っては、海岸沿いを走っても宮豊線沿いを走っても、訪れることが出来ない。

そこで、海岸線に沿って丹後半島を一周しつつも、内陸の山岳地域も宮豊線の沿線も走るというルート設計とした。結果的にルートは輻輳し、一見したところ、何処をどう云う順序で走るのか分からないものとなった。

初日にも関わらず120㎞超えのロングライドとなったこの日は、17時半を回った頃に半島先端部に近い宇川温泉で入浴。日没迫る中、航空自衛隊経ヶ岬分屯基地内にある穴文殊堂や、その東側の袖志集落にある袖志棚田を訪れて、最後は経ヶ岬への急登を克服して岬入口の駐車場に到着した。

19時15分着。125.8㎞。累積標高差は、+2580.3m、-2516.1mだった。

日没は19時過ぎ。

まだ、空に明るさが残っているので、野生猿が跋扈する遊歩道を経ヶ岬灯台まで往復した後、駐車場の脇にある東屋の下に移動して野宿とした。

オフシーズンの平日なので、こんな場所で野宿するのは自分だけだろうと思っていたのだが、到着時には既にドライブ中とみられる車が2台停まっており、うち1台はここで車中泊をする単独の中年男性だった。

とっぷりと暮れた頃になって、更に2台の車がやってきた。それぞれに車中泊するらしい。後からやってきた車は、話し声を聞いていると釣り人らしかった。私を含めて4名がここで一夜を過ごすことになる。意外なほど密度が高い。

夜半には雷雨の直撃を受ける。

30分ほど前から雷鳴を聞きつけて雨雲レーダーを確認し準備していたので、風雨の被害は無かったものの、日本の大半の地域が晴天域にある中で、丹後半島の先端部にピンポイントに雷雲がやってきて、短時間の強雨をもたらしたのだ。

私の天気運はいつもこんな具合である。

丹波・三嶽神社(京都府:2023年5月)
丹波・三嶽神社(京都府:2023年5月)
丹後・久美浜・蒲井集落・福島神社(京都府:2023年5月)
丹後・久美浜・蒲井集落・福島神社(京都府:2023年5月)
丹後・久美浜・湊宮集落(京都府:2023年5月)
丹後・久美浜・湊宮集落(京都府:2023年5月)
丹後・網野・磯集落(京都府:2023年5月)
丹後・網野・磯集落(京都府:2023年5月)
丹後・間人集落(京都府:2023年5月)
丹後・間人集落(京都府:2023年5月)
丹後・竹野集落から望む立岩と間人集落(京都府:2023年5月)
丹後・竹野集落から望む立岩と間人集落(京都府:2023年5月)
丹後・筆石集落から望む屏風岩(京都府:2023年5月)
丹後・筆石集落から望む屏風岩(京都府:2023年5月)
丹後・袖志集落・袖志棚田(京都府:2023年5月)
丹後・袖志集落・袖志棚田(京都府:2023年5月)

ちゃり鉄19号:2日目(経ヶ岬-伊根-天橋立-碇高原)

2日目は、経ヶ岬を出発して天橋立までの海岸線を走り、そこから、内陸高地に入って弥栄町のスイス村辺りで野宿をする予定だ。伊根付近では、鷲岬にある鷲埼灯台までの道なき山中を地形図を読んで踏査する予定。その後、内陸高地へのルートも海岸線から一気に600m超えの高原に登るので難行程だ。

幸い、夜半の嵐は直ぐに収まり、この日も終日降られる心配はなかった。難行程であっても絶景が広がるなら足取りは軽い。

ルート図と断面図は以下の通り。

ルート図:ちゃり鉄19号2日目
ルート図:ちゃり鉄19号2日目
断面図:ちゃり鉄19号2日目
断面図:ちゃり鉄19号2日目

断面図を見ると一目瞭然。50㎞付近から一気に500mほどを急勾配で登り続け、その後も、高原上をアップダウンで走り続けることになる。前半部分も小刻みなアップダウンが続いているが、30㎞付近にある急激なアップダウンは徒歩で踏査した鷲岬の軌跡である。

経ヶ岬の出発は5時18分。昨夜3台あった車中泊は朝になると1台のみ。一人旅の中年男性を除き、釣り人達は夜明け前にそれぞれの釣り場に向かって移動したようだ。

経ヶ岬から蒲入にかけての海岸線は丹後半島外浦の風景のハイライト。

断崖絶壁を掘削して設けられた道路が遥か彼方に続くのを見やりながら、アップダウンを走り抜けていく。所々に点在する小さな漁港と神社を訪れつつペダルを漕ぎ進める旅路はハードではあるが、最高の天気に恵まれて気持ちがよい。

新井集落付近で海に向かって開けた棚田を眺め、半島最東端の新井崎にある神社を訪れたら、進路は南南東から南南西に転じる。

鷲岬半島の基部を峠で越えて伊根の入江に下れば、丹後半島の海岸風景も荒々しい外海から穏やかな内海へ。

伊根では舟屋の立ち並ぶ亀島集落の末端までのんびりと走り、カンジャガハナ灯台付近からトレッキング装備に身なりを変えて、丹後鷲埼灯台までの踏査に出ることにする。

亀島集落から丹後鷲埼灯台までのルートは、国土地理院の地形図にも歩道表示は無く、地図読みによってルートを探りつつの行程になるのだが、実際のところ、現地には踏み跡があり、地形と照らし合わせて歩くことが出来れば迷うことはない。一部不明瞭な個所や踏み跡の乏しい箇所もあったが、亀島から灯台まで、片道約2㎞、1時間程度の行程だった。

鷲埼灯台付近には海岸から灯台に直達するコンクリートの階段と歩道が整備されており、海上保安庁の巡視は船着場からショートカットして実施されているようだった。

亀島に戻ってサイクリング装備に身なりを変えて走り出すと、程なく、レンタサイクルに乗った外国人女性から唐突に英語で話しかけられる。

どうやら、私が来た方向に向かって走り続けて半島を一周できるか知りたいらしい。

この道は500mほど先で行き止まりになっており、半島を一周することは出来ないことを告げると、残念そうな素振りだったが、取り敢えず、行き止まりまで行ってみるそうだ。

聞くと東欧ポーランドからとのこと。

その後も、集落内には複数の外国人観光客の姿が見られた。伊根の集落も国際色豊かなものだが、前回ドライブで訪問した時は観光客の姿も少なかった上に、丹後半島の観光地の至る所が立ち入り禁止になっていた。ようやくコロナ渦が収まり、日常生活が戻ってきたことを実感する。

伊根から先の丹後半島基部にかけての海岸線は、これまでとは打って変わって穏やかで平坦な道のりになり、ペダルも軽快に漕ぎ進む。

天橋立の西端に当たる傘松公園の麓では籠神社にお参り。日本有数の観光地だけあって、平日とは言え観光客の姿が多かったが、特にアジア系の人々の割合が高かった。付近の食堂で昼食を摂った後、スーパーで食料品を買い込み、この後の難路と無商店地帯を行く翌日に備える。

丹後国分寺跡から西谷に入って成相寺経由で鼓ヶ岳付近に至る道のりは、断面図に示した通りひたすら急登。

10%超えの斜度が延々と続く中、西谷の集落跡を探訪した辺りからは押し登り。特に成相寺から成相山パノラマ展望台までの間が急勾配だったが、登るほどに視界が開けてくるのが、登りの苦しさを癒してくれる。

ルートはこの先、鼓ヶ岳から世屋高原に向かうのだが、パノラマ展望台から鼓ヶ岳までの区間は未舗装かつ車両通行止めとなっていて愕然とする。ここまで登ってきてこの先に進めないとなると、来た道を海岸まで降った上で迂回し、再度、同じように登り返すことになるが、明るいうちに目的地に達することは難しい。

「路肩崩壊」と書かれてはいるものの、徒歩や自転車なら問題なく通過できるケースも多いので、一先ず進んでみると、程なくして現れた通行止めの原因となった崩壊地は、車幅の半分ほどの路盤の逸失。自転車なら難なく通り抜けることが出来たので事なきを得た。

ルート作成アプリやサイトはタイムリーな通行止め情報を反映しないので、平気でこういうルートに誘導することも少なくない。そのため、大枠はアプリやサイトの機能を用いてルートを作成するものの、規格の低い道路を通行する場合などは、その部分のルート情報を別に調べて、廃道化や通行止めの有無を調べる必要がある。

最悪の場合、ほんの僅か数十m、数百mの通過困難箇所があるために、数十㎞に及ぶ迂回が必要となることがあるし、意図せず現地でそういう状況に遭遇した場合、かなり危機的な状況に陥ることが予想される。

真冬の冷たい雨に打たれる夕刻の山中。十数キロの長いオフロード林道の終了地点間際になって通過も迂回も出来ない崩壊地に遭遇し、来た道を数時間かけて引き返さなければならないという状況など、想像しただけでもおぞましい。こういう時に、無理強いで突破を試みて滑落事故などを起こすことになるのだろう。

そのための精査や代替ルートの検討は、難しくもあり楽しい作業でもあるのだが、実際に現地で予想外の通行止めに出くわすと、心理的にも肉体的にもダメージを食らうことには変わりない。

この通行止め区間は短距離ではあったが廃道化しつつあり、それを抜けた先の電波中継施設の巡視路に合流した地点でホッと一息つく。ここには原付バイクが停まっており、初老の男性が山から下りてきた。展望台の方から登ってきたことを告げると、「よくこんな道を登ってきましたねぇ」と驚愕しておられた。確かに、もう一度、同じ道を登るとなると心の準備が必要だ。

この後は、木子集落に寄り道をした後、世屋高原を経て住山集落跡にあるスイス村付近に達したのだが、あいにく、野宿適地が見つからない。スイス村にはキャンプ場があるのだが、フリーサイトに自転車でソロテントを張るとしても、サイトそのものはオートキャンプ料金の設定になっていて、正直、気乗りしなかった。目星をつけていた東屋が、少し離れたところにあるはずなのだが、現地でそれを見つけることが出来なかった。

翌日は、ここから碇高原まで降った後、周辺にあるいくつかの廃村を辿る。まだ明るい時間帯だったこともあり碇高原まで進むことにしたのだが、結果的に、スイス村のキャンプ場にあったシャワーを使う計画も無くなり、この日は入浴もシャワーも無いまま野宿をする事となった。

碇高原も野宿適地があったわけではないのだが、ステーキハウスの隣の駐車場脇に空きスペースを見つけたので、そこで野宿することにした。雨の心配は無かったし、ハウスは営業しておらず人がやって来る可能性も低かった。18時41分着。

この日の行程は、93.2㎞、+2762.1m、-2457.2mで、昨日より30㎞余り短く、伊根から天橋立にかけては平坦地が続いたにもかかわらず、累積標高差は大きくなっている。それだけ、急勾配地帯を行く行程だったということだ。

丹後・経ヶ岬(京都府:2023年5月)
丹後・経ヶ岬(京都府:2023年5月)
丹後・伊根・カマヤ海岸付近から望む蒲入海岸(京都府:2023年5月)
丹後・伊根・カマヤ海岸付近から望む蒲入海岸(京都府:2023年5月)
丹後・伊根・上集落付近・新井棚田(京都府:2023年5月)
丹後・伊根・上集落付近・新井棚田(京都府:2023年5月)
丹後・伊根・新井集落付近(京都府:2023年5月)
丹後・伊根・新井集落付近(京都府:2023年5月)
丹後・伊根・亀島集落・カンジャガハナ灯台(京都府:2023年5月)
丹後・伊根・亀島集落・カンジャガハナ灯台(京都府:2023年5月)
丹後・伊根・亀島集落(京都府:2023年5月)
丹後・伊根・亀島集落(京都府:2023年5月)
丹後・宮津・里波見集落付近(京都府:2023年5月)
丹後・宮津・里波見集落付近(京都府:2023年5月)
丹後・宮津・成相山付近から望む天橋立(京都府:2023年5月)
丹後・宮津・成相山付近から望む天橋立(京都府:2023年5月)
丹後・宮津・成相山付近から望む黒崎と成生岬(京都府:2023年5月)
丹後・宮津・成相山付近から望む黒崎と成生岬(京都府:2023年5月)
丹後・碇高原(京都府:2023年5月)
丹後・碇高原(京都府:2023年5月)

ちゃり鉄19号:3日目(碇高原-味土野-宮津=辛皮)

続く3日目は、いよいよ丹後半島から丹波路に戻り、京都丹後鉄道・宮福線のちゃり鉄区間に入る。

この日の行程も厳しい。

丹後高地の廃村群を巡る前半行程は、目ぼしい集落もなく食料の補給も難しいため、前日のうちに携行食を買い備えておいたが、それでも、途中の水分補給などは困難が予想される。

また、碇高原から山を下り、半島中央部の山岳地帯を縦貫した後、駒倉集落跡を越えて上世屋集落に至る区間では未舗装府道を長距離に渡って登らなければならない。この区間は恐らく押し登りになるはずで、かなり難儀が予想される上に、一般車両が立ち入らない無住地帯でもあるので、トラブルは何としても避けねばならない。

ちゃり鉄区間に入ってからも、100㎞弱を走った最後に高度差400mを超える普甲峠越えが控えている。

ルート図と断面図は以下に示す通り。

ルート図:ちゃり鉄19号3日目
ルート図:ちゃり鉄19号3日目
断面図:ちゃり鉄19号3日目
断面図:ちゃり鉄19号3日目

断面図では、前半で激しいアップダウンを繰り返した後、47㎞辺りでこの日最大の峠越が記録されている。これが、味土野から駒倉を経て上世屋に至る未舗装府道75号線の峠越えである。また、85㎞付近に記録されているのが普甲峠。こちらは2車線舗装の府道9号線ではあるが、山麓からの標高差は400mあり、行程終盤でのこの登りはかなり厳しい。

碇高原5時28分発。

ここから15時半頃に天橋立近郊に下山してくるまで、コンビニなどは一切無い地域を走ることになる。ルート上に個人商店もないため食料補給が難しく、出来るとすれば自販機での飲料補給くらいだろう。もちろん、昨日のうちに携行食は準備しているとは言え、日持ちの関係もあってビスケットやパンが主体となるので、山岳地帯のアップダウン激しいルートでは脚筋の出力不足が容易に予想される。

出発地の碇高原自体もかつての碇集落の跡地であり、ここから、乗田原、三山、川久保、竹久僧、小脇、神主、大石、力石、一段、相川谷、大谷、味土野、小杉、駒倉、松尾の順に廃村を訪ねていくのが、この日の行程の主題の一つであった。この地域には、ここに列記した以外にも10を越える廃村が点在しており、計画段階でもその全てを組み込むことは出来なかった。これについては、別の機会に委ねたい。

碇高原から三山に至る道路は途中で落石によって閉塞した箇所があり、四輪車は勿論、オフロードバイクでも通り抜け出来ない事実上の廃道だった。閉塞箇所は落石と泥濘に覆われた水路と化してはいるものの、自転車を担ぐなどして辛うじて突破できる状況ではあったので、碇高原から三山集落跡まで降り片勾配だったこともあって、幸いにも山麓まで通り抜けることが出来た。このまま数年経過すれば、自転車でも突破は難しくなるかもしれないし、逆行はかなり厳しいことになるだろう。

前述の通り、このルートは通り抜け困難が予想されたので事前に調査は実施したものの、芳しい情報は得られなかった。実際のところ、三山集落側には道路管理者による通行止めのバリケードが設置されていたが、碇高原側は特に表示物もなかった。

この降り基調のルートの途中に乗田原の集落跡がある。

車道脇の斜面に分け入ると、竹林の中に苔生した地蔵や墓石などが残っていた。所々、民家跡の石垣があり、瓶や茶わんなどの残骸が放置されている。情報の出所によって時期は異なるが、無住化は昭和44年のことという。

こうした集落について、今では往時の生活を知る人も少なくなり、記憶が記録されることもなく消えて行こうとしている。

丹後半島の廃村群に関しては歴史地理学の研究対象ともなっているので、文献調査を行った上で報告をまとめたいが、昭和38年の豪雪などをきっかけとして離村が一気に加速したようである。

戦後の復興が一段落し、日本経済が高度成長期を迎えた昭和30年代から40年代にかけて、丹後半島では一気に過疎化が進行した訳だが、地方の中小私鉄の廃止が進んだのもこの時期だったことを考え合わせると、丹後半島に限った現象ではなく全国的な傾向だったと思われる。

便利な世の中になることで消えゆく村があるということは、便利さの本質を象徴することのように思う。

乗田原集落を出た後も、半日を山間部の集落跡の探訪に充て、味土野から駒倉を経て上世屋に到着したのは、14時半を過ぎた頃であった。上世屋も過疎集落ではあるが、ここは行政による里地里山保全再生事業の対象となったこともあり、近年では若い移住者の姿も見られるようになっている。

上世屋からは松尾集落跡を経て一気に天橋立まで降り、砂洲を横断して宮津側に達した。

この日は天橋立駅前の智恵の湯で汗を流して疲れを癒す予定だったのだが、辿り着いてみれば休館日。近隣旅館の日帰り入浴の看板に惹かれもしたが、公衆浴場と比べても倍以上の金額で、気軽に立ち寄る気にもならない。結局、悄然として汗と砂埃にまみれた体のまま、辛皮駅に向かうことにした。

宮津市街地で食料を補給し、宮福線のちゃり鉄に入る。

この日は、宮津、宮村、喜多の3駅を経て辛皮駅まで。

僅か4駅ではあるが、途中、日本百名瀑の金引きの滝に立ち寄り、普甲峠を越えることもあり、宮津から辛皮までの18.4㎞を、2時間42分かけて走破。辛皮駅には18時55分に到着した。

89.3㎞、+2190.1m、-2493.6m。

昨日に続き100㎞未満の短距離の走行ではあったが、駒倉越の未舗装部分の押し登りが長かったことや、二日連続で入浴できなかったこともあり、結構疲れを残すこととなった。靴擦れが酷くなり出したのもこの日くらいからだ。

それでも学生時代以来の辛皮駅での駅前野宿は、心安らぐものがあった。

丹後・乗田原集落跡(京都府:2023年5月)
丹後・乗田原集落跡(京都府:2023年5月)
丹後・宮津・駒倉集落跡(京都府:2023年5月)
丹後・宮津・駒倉集落跡(京都府:2023年5月)
丹後・宮津・上世屋集落(京都府:2023年5月)
丹後・宮津・上世屋集落(京都府:2023年5月)
丹後・宮津・上世屋集落(京都府:2023年5月)
丹後・宮津・上世屋集落(京都府:2023年5月)
丹後・宮津・天橋立(京都府:2023年5月)
丹後・宮津・天橋立(京都府:2023年5月)
丹後・宮津・天橋立(京都府:2023年5月)
丹後・宮津・天橋立(京都府:2023年5月)
丹後・宮津・天橋立(京都府:2023年5月)
丹後・宮津・天橋立(京都府:2023年5月)
丹後・宮津・金引滝(京都府:2023年5月)
丹後・宮津・金引滝(京都府:2023年5月)
丹後・宮津・普甲峠付近から望む宮津市街地(京都府:2023年5月)
丹後・宮津・普甲峠付近から望む宮津市街地(京都府:2023年5月)
京都丹後鉄道宮福線・辛皮駅(京都府:2023年5月)
京都丹後鉄道宮福線・辛皮駅(京都府:2023年5月)
京都丹後鉄道宮福線・辛皮駅(京都府:2023年5月)
京都丹後鉄道宮福線・辛皮駅(京都府:2023年5月)
京都丹後鉄道宮福線・辛皮駅(京都府:2023年5月)
京都丹後鉄道宮福線・辛皮駅(京都府:2023年5月)
京都丹後鉄道宮福線・辛皮駅・特急「はしだて」(京都府:2023年5月)
京都丹後鉄道宮福線・辛皮駅・特急「はしだて」(京都府:2023年5月)

ちゃり鉄19号:4日目(辛皮=福知山-綾部=東舞鶴=中舞鶴-大江-双峰公園)

4日目の行程は今回のちゃり鉄の旅を象徴するようなルートだ。

大江山麓の辛皮駅から双峰公園まで。

直線距離では8㎞ほどの距離であるが、この区間を、福知山、綾部、舞鶴経由で走る。ちゃり鉄としては引き続き宮福線を走るとともに、綾部から東舞鶴までのJR舞鶴線、東舞鶴から中舞鶴までの国鉄舞鶴線跡を探訪する。途中、大江町内で序盤と終盤のルートが交錯するほか、西舞鶴付近でも小さなループを描くルートだ。

ルート図と断面図は以下の通り。

ルート図:ちゃり鉄19号4日目
ルート図:ちゃり鉄19号4日目
断面図:ちゃり鉄19号4日目
断面図:ちゃり鉄19号4日目

この日の行程は130㎞オーバーで、序盤に普甲峠、中盤に真倉越え、白鳥峠、五老峠、真壁峠、終盤に与謝峠を控えていることもあり、累積標高差が+2000mを越えている。特に、100㎞を越えた大江町から双峰公園までの終盤で、20㎞に渡って登り続けることになる。こういう時は、行程を真ん中あたりで区切り、2日に分けると無理のない行程となるが、その分、決められた期間で周る旅としては、全体で周ることが出来る行程が減少することにもなる。

ちゃり鉄で駅の取材をしながら130㎞を越える距離を走るのは負担が大きい上に日没後も走ることになるのであまり良い計画ではないのだが、泊まりたい場所と全体を規定する日程の制約に合わせてルート設計をした結果、こういう計画になった。

もちろん、走破可能かどうかは吟味した上で、「かなりきついけど走破可能」と判断して実行している。走破できないかもしれないという状況のまま、旅を実行に移すことはない。

広告収入で生計を立て旅を実施できるようになれば、そうした無理をしなくても済むようになるが、それにはかなり高い壁を越えねばならない。他人の秘密を暴露する恐喝まがいの動画配信者が数億円の広告収入を得ているという話しを聞くにつれ、やるせない思いに駆られもするが、悪銭身に付かず。

地道に良い記事を書き続けるのが私の進むべき道だと確信している。

辛皮駅発、5時30分。

駅を出た後、辛皮集落にある分校跡を訪れる。この分校の正式名称は「宮津市立上宮津小学校辛皮分校」で、普甲峠を越えてきているのに宮津市域なのが意外だ。水系も宮津市街地を流れる大手川水系ではなく由良川水系に属している。大手川に沿って遡った上流にある「上宮津」のイメージとは異なり、峠を越えて反対側の谷に降ったところに上宮津が存在している。

この辺りの事情は歴史的な問題が絡んでいると思われるが、詳細は文献調査に委ねることにしたい。

分校跡を出た後、集落の北外れにある山神神社にお参りし、ここから寺屋敷集落を経て普甲峠まで、昨日降った急勾配の峠道を登り返す。

早朝の峠道は薄曇りの肌寒い気象ではあったが、ヒルクライムで汗まみれの体にはむしろ心地よいくらい。ただ、起床して2時間後にはこれだけの強度の運動をしている訳で、自身の年齢を考えても心肺循環系に過剰な負担となっていないか、気になる所ではある。

普甲峠に登りついてホッとしたのも束の間、登って来たばかりの大江山腹から、大江町中心部に向けて降り続ける。

この途中で毛原棚田にも立ち寄った。日本の棚田百選にも選ばれた棚田である。

更に少し下って、辛皮駅の隣駅である大江山口内宮駅。

鉄道ならトンネルを越える3.7㎞、5分の行程であるが、我がちゃり鉄19号は峠を越える15.3㎞、1時間57分の行程だった。

この大江山口内宮駅から二俣駅を経て大江高校前駅に至る区間には、元伊勢内宮皇大神社、天岩戸神社、元伊勢外宮豊受大神社の三社が鎮座している。元伊勢という通り伊勢神宮との繋がりを伝承する神社群である。

自宅からも30㎞に満たない距離にあるため、これまでにも初詣やポタリングで訪れたことがある場所だが、ちゃり鉄の旅を始めてから、こうした神社巡りにも興味を持つようになった。

神社にまつわる詳細を理解しているわけではないが、鎮守の森の持つ森閑とした雰囲気に心が清まるし、ここまで辿ってきたような小集落であっても、大抵は集落を見渡すような位置に神社が祀られているのを見るにつけ、日本人の中に根付いていた素朴な自然崇拝の思想を感じるからだ。

そのような自然観を辿り記録に留めていくというのも、ちゃり鉄の旅の大きな目的の一つである。

これらの神社の伝承についても、文献調査で研究することとしたい。

大江高校前駅まで出ると由良川河畔。ここから福知山までの区間は、由良川沿いを遡っていくことになるのだが、現在の京都丹後鉄道・宮福線の路盤と一部重なる形で、大江町河守と福知山を結ぶ北丹鉄道という小私鉄が走っていた。

今回は宮福線をテーマとしたちゃり鉄なので北丹鉄道の跡は辿らないが、機会を改めて北丹鉄道を辿るちゃり鉄号も走らせることになるだろう。

こうして一旦地元の福知山に戻ったのだが、自宅には立ち寄らずそのまま綾部に向かって走り抜け、綾部からはJR舞鶴線を走る。このルートは国道27号線に沿っており、大型トラックを中心に交通量が多く走りにくいので、駅周辺ではできるだけ旧道区間を走るようにした。

西舞鶴・東舞鶴を経て、そこからはかつての国鉄舞鶴線跡に入り、北吸隧道跡を経て赤レンガ倉庫群の立ち並ぶ港湾区域に入り中舞鶴着。港湾区域には鉄道の痕跡は残っていないが、中舞鶴駅跡には蒸気機関車が静態保存されていて、そこに鉄道が敷かれていたことを静かに語っていた。

舞鶴から東の若狭湾岸は旅程後半に計画しているので、この日は、ここから西に逆戻り。初日に通過した久美浜の更に西にある豊岡まで2日間かけて舞い戻る。既に述べたように、丹後半島内陸部を行く京都丹後鉄道・宮豊線を走るためだ。

西行1日目の今日は大江山麓の双峰公園まで。

中舞鶴の出発は14時45分。距離は84.6㎞。

これから行く方、50㎞余り。真壁峠を越えて降った後、大江町内から20㎞以上の登り。

覚悟の上とは言え、前途は厳しい。

大江町で食料を補給し、そこから雲原川沿いに府道63号で雲原まで遡る。更に、国道176号線に入って与謝峠をトンネルで越える。当初、旧道を辿る予定だったが、路面状況が良くなかったこともあり、ここは無理せずトンネルで越えることにした。

加悦谷側に出ると国道はループ橋を従えて加悦谷に降っていくが、私は山腹を巻く赤石林道に入り双峰公園までの最後の区間を走る。

この赤石林道に関しては、山腹をトラバースする見晴らしの良い高原の水平道路と予想していたのだが、意外にも急傾斜の登り勾配が長く続き、押し登りを余儀なくされる場所もあった。

双峰公園もオートキャンプ場となっているが、私は公園敷地の外れにある古い東屋の下で野宿。

19時9分着。厳しい行程ではあったが、日没前に到着することが出来た。

そしてキャンプ場管理棟のスタッフに声をかけて、温水シャワーを使わせてもらう。

湯船で体を温めることは出来なかったが、時間制限なくゆっくりしていって下さいとの好意もあり、3日ぶりのシャワーで汚れと疲れを落とすことが出来た。

この日は134.2㎞、+2037.8m、-1635.2m。この4日間では最も累積標高差が小さかったが、距離は最長の区間であった。

京都丹後鉄道宮福線・辛皮駅(京都府:2023年5月)
京都丹後鉄道宮福線・辛皮駅(京都府:2023年5月)
丹後・大江・元伊勢内宮皇大神社(京都府:2023年5月)
丹後・大江・元伊勢内宮皇大神社(京都府:2023年5月)
丹後・大江・日室ヶ嶽 遥拝所(京都府:2023年5月)
丹後・大江・日室ヶ嶽 遥拝所(京都府:2023年5月)
丹後・大江・天岩戸神社(京都府:2023年5月)
丹後・大江・天岩戸神社(京都府:2023年5月)
丹後・大江・元伊勢外宮豊受大神社(京都府:2023年5月)
丹後・大江・元伊勢外宮豊受大神社(京都府:2023年5月)
国鉄中舞鶴線・北吸隧道跡(京都府:2023年5月)
国鉄中舞鶴線・北吸隧道跡(京都府:2023年5月)
丹後・宮津・加悦双峰公園付近から望む加悦谷(京都府:2023年5月)
丹後・宮津・加悦双峰公園付近から望む加悦谷(京都府:2023年5月)
丹後・宮津・加悦双峰公園付近から望む加悦谷(京都府:2023年5月)
丹後・宮津・加悦双峰公園付近から望む加悦谷(京都府:2023年5月)

ちゃり鉄19号:5日目(双峰公園-加悦鉱山跡=丹後山田=豊岡=網野-琴引浜)

5日目は双峰公園から加悦谷に降って加悦鉄道跡を辿った後、丹後山田=出石=豊岡のルートで、改正鉄道敷設法別表80号に規定された予定線を辿る。そして豊岡から京都丹後鉄道宮豊線に入り、網野まで走った後、「途中下車」して琴引浜で野宿の予定だ。

加悦鉄道跡に関しては2020年9月19日~22日にかけてのちゃり鉄13号で、丹後山田側から谷を遡る形で走行済みなのだが、今回は加悦鉱山側から谷降りで再訪する。

別表80号の丹後山田=出石=豊岡の鉄道に関しては、敷設計画のみで実現はしていない。僅かに出石側で出石鉄道が開業し江原~出石間を結んではいたが、出石鉄道自体はこの敷設法の計画路線を意図したものではなかった。ちゃり鉄ではこうした予定線や未成線をも走ることが出来る。

ルート図と断面図は以下の通り。

ルート図:ちゃり鉄19号5日目
ルート図:ちゃり鉄19号5日目
断面図:ちゃり鉄19号5日目
断面図:ちゃり鉄19号5日目

断面図では最初に双峰公園から加悦谷までの大きな降りが現れている。その後、30㎞辺りでは登りと降りで勾配の偏った峠を越えているが、これが丹後但馬を隔てる岩屋峠である。岩屋峠から先は出石川流域に入り豊岡までの40㎞余りを緩傾斜で下り続ける。それが断面図に綺麗に表れている。

豊岡から先は、但馬丹後を隔てる河梨峠、網野町内の引原峠を越えていく。いずれも標高150m前後の小さな峠ではあるが、標高差も150m程度あるので、それなりにアップダウンがある。

双峰公園5時35分発。

6.4㎞を走って加悦鉱山跡には5時58分に到着。ここから貨物専用鉄道であった日本冶金工業専用線跡に入り、加悦鉄道加悦駅跡を経て丹後山田駅跡まで走ることになる。丹後山田駅は現在の与謝野駅だ。

加悦鉄道跡はサイクリングロードとなっており、早朝6時過ぎではあったが散歩やサイクリング、ランニングの利用者の姿が散見された。

鉄道廃線跡の扱いを見るとその鉄道に対する地域住民の態度が分かるのだが、サイクリングロードに転用された路盤跡や駅跡毎に建てられた駅名標を模した記念碑が綺麗に維持されているところを見ると、加悦鉄道への愛着が感じられた。

丹後山田からはスイッチバックする形で豊岡までの予定線に入る予定だったが、多少時間の予定もあったので、日本冶金工業専用線の跡を更に辿った上で、予定線のルートに入った。

この予定線は「京都府山田ヨリ兵庫県出石ヲ経テ豊岡ニ至ル鉄道」として規定されている。山田~出石間の経由地の詳細は、改正鉄道敷設法別表中には具体的に述べられていないが、別途実施した文献調査では、丹後の岩屋、但馬の市場を経由することが分かっている。これらは別途、本文を執筆するに当たってまとめていくことにするが、ちゃり鉄19号でも岩屋、市場の両集落は通過しており、予定線段階で想定されたルートは概ね走破できた。

出石には11時20分着。56.1㎞。

この日は土曜日で一般の観光客の他、地区の子供たちの写生会が実施されていて、その家族連れなどで賑わっていた。

ここ数年間で出石を訪れるのは3度目だが、前回前々回は時間帯が悪く、城下で蕎麦を食べることが出来なかった。この日はちょうどお昼時だったので名物の蕎麦をいただく。蕎麦だけの昼食は燃料補給としては心もとないのだが、山間部や里山では名産物になっていることも多く、昼時に蕎麦を食べることは少なくない。セットがあるなら丼ものを合わせて頼むところだ。

出石からは堤防上の道を走って豊岡まで。12時34分。71.1㎞だった。

ここから京都丹後鉄道・宮豊線のちゃり鉄に入る。今日は網野まで。宮津に抜けるのは明日の予定。

豊岡を出て一駅目のコウノトリの郷は、旧称は但馬三江駅だった。京都丹後鉄道と言いつつも、豊岡側の末端部分は但馬であり兵庫県なのである。ただ、ここから直ぐに河梨峠の登りに入り、降った先は丹後の久美浜である。

1日目の軌跡を逆に辿る形で久美浜駅を通り抜け、久美浜湾の南側を甲山駅周りで小天橋駅に抜ける。小天橋駅は旧称丹後神野駅。小天橋までは結構距離があるが、観光誘致を狙っての名称変更だろう。この小天橋駅の先で1日目のルートとニアミスをするが、交わることなく山間部に向けて進路を分かち、夕日ヶ浦木津温泉駅を経て網野駅に向かう。その間にある引原峠の途中で府道666号線に寄り道し、日和田集落跡を訪れた。

網野では海岸沿いにある浅茂川温泉で一浴。温泉入浴は1日目以来である。

その後、夕涼みしながら琴引浜まで移動し掛津キャンプ場でテント泊とした。

18時44分着。120.3㎞、+1238.4m、-1735.8mの行程だった。

海辺の風光明媚なロケーションのキャンプ場で、松林の海食崖の上から浜と日本海と漁火を眺めつつ、夕食や食後のコーヒーを楽しんだ。

オフシーズンだったが土曜日ということもあり、他にも家族連れなど10数組のキャンパーが見られたのだが、一番近くに張られた数張りのテントは人の気配がなく、昼間のバーベキューの跡がそのままに放置されていた。その様子から、あまり素性のよいグループではないと感じていたのだが、案の定、21時を回った頃になってテントに人が戻ってきて、それから奇声を発し大騒ぎしながらバーベキューを始めた。21時半頃には「乾杯~!」と大声を上げる始末。

声の様子から数組の家族連れと思われたが、子供たちはそれがキャンプだと学習することになるのだろうし、いい思い出になるのだろう。成長すれば、我が子を連れて、同じようなキャンプをするのだろう。

結局、この大騒ぎは深夜1時過ぎまで続いた。

私はキャンプ場を利用することはそれほど多くないのだが、その数少ない機会の大半で、こうしたキャンパーと遭遇している。いずれも21時を過ぎた頃になってキャンプ場に到着して、周りに遠慮することなく騒音やライトをまき散らしながら、設営やバーベキューを始めたりするパターンなのだが、歓声や金属音、酷い場合は音楽や花火で、眠りを妨げられることも少なくない。

それがキャンプ場を敬遠する大きな理由の一つなのだが、琴引浜のキャンプ場自体は素晴らしく、また機会があれば利用したいと思っている。

加悦鉄道・水戸谷駅跡(京都府:2023年5月)
加悦鉄道・水戸谷駅跡(京都府:2023年5月)
丹後・宮津・岩屋峠(京都府:2023年5月)
丹後・宮津・岩屋峠(京都府:2023年5月)
但東・出石・出石城(京都府:2023年5月)
但東・出石・出石城(京都府:2023年5月)
京都丹後鉄道宮豊線・コウノトリの郷駅(兵庫県:2023年5月)
京都丹後鉄道宮豊線・コウノトリの郷駅(兵庫県:2023年5月)
京都丹後鉄道宮豊線・甲山駅(京都府:2023年5月)
京都丹後鉄道宮豊線・甲山駅(京都府:2023年5月)
京都丹後鉄道宮豊線・小天橋駅(京都府:2023年5月)
京都丹後鉄道宮豊線・小天橋駅(京都府:2023年5月)
丹後・網野・琴引浜(京都府:2023年5月)
丹後・網野・琴引浜(京都府:2023年5月)

ちゃり鉄19号:6日目(琴引浜-網野=丹後神崎)

6日目は、琴引浜から網野駅に戻り、宮豊線を宮津まで走破した後、引き続き宮舞線に入り丹後神崎駅を目指す。丹後半島を横断する形で進むことになるが、峰山~京丹後大宮間では沿線を直達するのではなく大宮町域にある廃村群を巡るための迂回をする。

また宮舞線沿線も、宮津~栗田間は黒崎半島先端部を大きく迂回するルートとした。

黒崎半島の先端には丹後黒埼灯台がある。2日目の丹後鷲埼灯台と同様、灯台までの道は無いのだが、地形図を辿って到達することは出来そうだ。ただ、今回のちゃり鉄19号の計画では日程の制約もあって踏破計画は盛り込まなかった。ここは機を改めて挑戦したい。

ルート図と断面図は以下の通り。

ルート図:ちゃり鉄19号6日目
ルート図:ちゃり鉄19号6日目
断面図:ちゃり鉄19号6日目
断面図:ちゃり鉄19号6日目

この日の行程はそれほどアップダウンが多いわけではないのだが、20㎞過ぎから50㎞手前にかけては大きなアップダウンがある。これが大宮町内の廃村群を踏査した軌跡だ。

この廃村群の踏査に当たっては、自転車をデポして徒歩でアクセスした箇所が複数あるほか、訪問を断念したところが4か所ある。靴擦れの悪化と押し登りが想定されるアクセス路の傾斜のきつさを勘案して、別の機会に山麓から徒歩で踏査することにしたのである。

それでも標高500mを超える内山集落跡は訪問したのだが、断念した4か所の廃村はこれに類する急勾配林道を登った先、標高400m前後の高原に点在していた。もし計画通りに踏査しようとしたら、予定時間を4時間ほど超過して、この日の行動終了地点の見直しが必要だっただろう。

琴引浜は5時55分発。

昨夜大騒ぎしていたグループのテント場は、相変わらず食い散らかしたバーベキューの跡がそのままで、寝付けなかったらしい男性が2名ほど、フラフラした足取りで辺りを徘徊しながら、ベンチに腰掛けてうたた寝していた。

網野から峰山まで小さな峠を越えた後、一旦、弥栄町中心部に向けて進路を取り、弥栄町域の町はずれから等楽寺集落のある谷を遡っていく。

この谷の右岸側は標高620.3mの高尾山や613.6mの金剛童子山を従えた尾根を隔てて、3日目に走り抜けた味土野の谷に通じている。この山腹200mから500mのエリアに、かつての廃村群が点在しているのだが、谷底の筬津集落跡と、500mまで登った内山集落跡以外は、道路状況が読めないことや現地で見た取り付き部分の勾配の様子などから判断して、重積載の自転車を押し登っての訪問を断念している。

一方左岸側は最高地点403mの丘陵地帯で峰山・大宮の市街地と隔たっており、等楽寺の谷間を行く府道53号線から徒歩数百m圏内に幾つかの廃村群がある。こちら側は、中尾引、六石、表山の近接した廃集落群と、府道から少し離れた谷沿いにある大谷集落跡を訪れた。

内山集落跡へのアクセスでは途中で自転車をデポし2㎞ほどを徒歩で登ったが、終点付近のブナ林はトレッキングルートにもなっており、集落跡にブナハウス内山という立派なログハウス風の山小屋が建てられ一般開放されている。そこまでは車道が通じ自動車でのアクセスも可能なので、足回りの調子が良いなら押し登りで終点まで登り詰め、ブナハウス内山を拠点として駒倉峠や味土野へのトレッキングを行うことも考えられるし、この日断念した山腹の廃集落群に尾根越しでアクセスすることもできるだろう。

ただし、この日は内山集落跡の踏査のみで山を下る事にした。

山麓の五十河集落には小野小町に由来する小町公園が整備されており、その一角に古民家を改装した瀟洒な蕎麦屋があった。

またしても蕎麦なのだが、集落の雰囲気が良かったこともあり、ここで蕎麦の昼食をいただく。

その後、京丹後大宮駅に出て宮舞線のちゃり鉄を再開。

結局、峰山~丹後大宮間5.6㎞を、我がちゃり鉄19号は42.7㎞の大迂回で周ることになった。

今回の旅では、1日目の序盤以降、連日晴天に恵まれたが、天気予報通りこの日から下り坂で、五十河集落を出たタイミングで小雨に見舞われた。雨は直ぐに上がったものの、全天を覆う高層雲は明日以降の雨天が確実なものであることを告げていた。

京丹後大宮駅から先は、昨日通った与謝野駅を経て、岩滝口、天橋立と進み、ここで3日目に休館日であえなく敗退した駅前銭湯の智恵の湯に入った後、宮津まで進んで宮豊線のちゃり鉄を終了。15時47分着。80.2㎞であった。

宮津からは宮舞線区間に入り、栗田、丹後由良、丹後神崎と進む。

僅か3駅で本日の目的地の丹後神崎駅であるが、我がちゃり鉄19号は、黒崎半島を迂回し、丹後由良~丹後神崎間も、5キロ以上由良川を遡って迂回する必要がある。

黒崎半島の先端の田井集落から島陰集落にかけては、半島を横断する小さな峠越えが控えているが、海岸沿いから峠を越えて海岸沿いに降るので、意外と勾配がきつい。

ちなみに、地形図の地名は黒崎だが、灯台の名称は黒埼灯台である。

これは地形図を国土地理院が管理し、灯台を海上保安庁が管理しているところからくる、全国共通の不一致だ。2日目の鷲岬も、地図では鷲岬だが灯台は鷲埼灯台である。

地理院が丘側から山の先端として「崎」、「岬」を捉えるのに対し、海上保安庁は海側から陸地として「埼」を捉えている事の違いを表すが、元を辿ると陸軍陸地測量部が扱う陸図上の表記と海軍水路部が扱う海図上の表記の違いに由来している。そのことを知った時には目から鱗が落ちる想いだった。

ところで、この付近は、至るところに進入禁止のバリケードが設置され、駐車禁止、車中泊禁止の表示がなされている。栗田集落内にある住吉神社の敷地でも、海岸沿いの鳥居付近が柵で囲まれ、キャンプやバーベキュー禁止と表示されていた。

数年前にこの付近を日帰りサイクリングで周った際には、島陰海岸への降り口の道路脇に多数の県外車が路駐し、浜では焚火に興じる人びとの姿があった。それに対して、沖合から海上保安庁の巡視船がやってきて、スピーカーで注意をしているのが印象的だったし、住吉神社の鳥居の下では若者の集団がテントを張りバーベキューに興じていた。大音量で音楽を流しながら雰囲気の悪い連中がたむろしていたので、あまりいい印象を受けなかったのだが、実際、そこは住吉神社の社有地で神域だったことを考えれば、あの集団のデイキャンプが地元の人々にとっては目障りだったことは容易に想像できる。

近年、こうした場所が増えたように思うのだが、オートキャンプや車中泊がブームとなる中、地元住民との間でトラブルになるケースが少なくないようだ。私自身も野宿で旅をする身である。余計なトラブルを招かないように、自身の行動には慎みと配慮を持ちたいと思う。

栗田から丹後由良にかけては風光明媚な奈具海岸を行くのだが、由良ヶ岳や槙山の尾根には既に低い雲が掛かり始め、湿り気を帯びた南風も強まってきていた。

丹後由良駅には18時8分着。103.7㎞。

ここから丹後神崎駅までは1.7㎞の営業キロであるが、由良川河口を渡る車道橋や人道橋は無く、対岸に渡るには5㎞ほど由良川を遡る必要がある。

この局面に至って強い南風の中を南下することになるので、向かい風に悩まされるが、上流の八雲橋を渡り終えて北上し始めると、このラスト5㎞の区間では追い風を受けて軽快に進むことが出来た。

丹後神崎、18時56分着。丹後由良~丹後神崎間を、11.5㎞迂回して到着した。

この日の行程は115.2㎞、+1775.5m、-1794.8mであった。

丹後神崎駅では、夜の由良川橋梁に写真撮影に行きたかったが、到着後、程なくして雨が降り出したこともあり、結局、夕食を済ませた後は駅の敷地から出ることなく、翌日以降の計画をどうするかを考えつつ、21時過ぎには就寝した。

京都丹後鉄道宮豊線・峰山駅(京都府:2023年5月)
京都丹後鉄道宮豊線・峰山駅(京都府:2023年5月)
丹後・大宮・五十河集落(京都府:2023年5月)
丹後・大宮・五十河集落(京都府:2023年5月)
丹後・大宮・内山集落跡・三柱神社跡(京都府:2023年5月)
丹後・大宮・内山集落跡・三柱神社跡(京都府:2023年5月)
丹後・大宮・五十河集落(京都府:2023年5月)
丹後・大宮・五十河集落(京都府:2023年5月)
京都丹後鉄道宮豊線・京丹後大宮駅(京都府:2023年5月)
京都丹後鉄道宮豊線・京丹後大宮駅(京都府:2023年5月)
京都丹後鉄道宮豊線・京丹後大宮駅(京都府:2023年5月)
京都丹後鉄道宮豊線・京丹後大宮駅(京都府:2023年5月)
丹後・宮津・田井集落(京都府:2023年5月)
丹後・宮津・田井集落(京都府:2023年5月)
丹後・宮津・田井集落(京都府:2023年5月)
丹後・宮津・田井集落(京都府:2023年5月)
京都丹後鉄道宮舞線・丹後神崎駅(京都府:2023年5月)
京都丹後鉄道宮舞線・丹後神崎駅(京都府:2023年5月)
京都丹後鉄道宮舞線・丹後神崎駅(京都府:2023年5月)
京都丹後鉄道宮舞線・丹後神崎駅(京都府:2023年5月)

ちゃり鉄19号:7日目(丹後神崎=西舞鶴(中止決定)-自宅)

7日目。

この日の予定は、丹後神崎から成生集落までの行程である。

しかし、朝から風雨強く、天気予報を見ても雨雲レーダーを見ても、終日、止むことなく雨天に見舞われるのは確実だった。しかも、雨雲レーダーの予報を見ると、この後、若狭湾岸は強雨域に覆われる。

行程的にも温泉・入浴施設がなかったので計画段階で入浴設定をしておらず、終点となる成生集落付近でも風雨を避けられるような場所の目星はついていない。

計画通りに成生まで行ったとすると、終日雨に降られてずぶ濡れになった上で、雨の中にテントを張ることになるし、翌朝も雨の中でテントを撤収し、道なき尾根筋を5~6時間ほどかけて成生岬まで往復することになる。更に、岬までの踏査を終わった後は、同様に入浴施設がない中で音海集落まで走り、そこで同様に雨中テントとなる見通し。

それを酷い靴擦れの状況でやる。

どう考えても惨めな時間が待ち構えている。

そのため、朝の天候と雨雲レーダーの状況を確認した段階で、今日、明日の予定は変更し、半島部分の踏査は中止と判断していたのだが、西舞鶴までの宮舞線を走破した後で、小浜線沿線に入るかどうかの決断をしかねていた。

岬部分の踏査を割愛したとしても、小浜線に沿ったちゃり鉄自体は不可能ではない。

但し、交通量の多い国道に沿って、雨の中を走り続けることには変わりないし、週間天気予報はこの先も連日雨予報である。

その迷いを抱きつつも、一先ず3駅先の西舞鶴までは走破して、その先、小浜線のちゃり鉄を実施するかそこで旅を中止するかは、西舞鶴に着いてから決断することにした。

この日のルート図と断面図は以下の通りで、結局、西舞鶴で旅の中止を決断している。

ルート図:ちゃり鉄19号7日目
ルート図:ちゃり鉄19号7日目
断面図:ちゃり鉄19号7日目
断面図:ちゃり鉄19号7日目

レインウェアを着こんで丹後神崎駅発。5時52分。

この日と翌日の行程から、大浦半島周りを割愛した分、小浜線内に進むとしても行程的に余裕が出るので、神崎集落内を一回りして、穴観世音大菩薩や湊十二社大明神社を訪れた後、東雲駅に向かうことにした。

丹後神崎から東雲までは南下するルートだが、強い南風の中の強雨の状態でもあり、レインウェアで雨を防いだところで、自身の発汗で直ぐにインナーはビショビショになった。

東雲駅付近では若干雨雲が途切れる兆しもあったのでレインウェアを脱いだが、脱ぎ終わって出発しようとするとジャジャ降りの雨になったので、結局、レインウェアを着用し直す。

それでも、東雲駅の近くにある高倉八幡社と安寿姫塚は予定通り巡り、峠を越えて四所駅経由で西舞鶴駅まで降った。7時58分着。20.6㎞。

これで京都丹後鉄道全線全駅をちゃり鉄で走り終えることが出来た。

西舞鶴駅に到着すると小雨になってはいたが、この後、小浜線方面に東進すると、西から強雨域が追い付いてきて、その強雨と一緒に走り続けることになる見通し。

一方、ここで旅を中止して南進し綾部方面に抜けると、その辺りは雨域から外れる。

ここで私は中止を決断した。

丹後半島部分に関しては概ね予定通り走ることが出来たし、ちゃり鉄としても、中途半端な走り残しを作ることなく、京都丹後鉄道の全線と、加悦鉄道跡、予定線を走り終えることが出来た。

小浜線方面については、今回、計画に組み込まなかった北丹鉄道跡のちゃり鉄と合わせて、別の機会に実施することにすればいいし、それはそれで、綺麗にまとまった計画とすることが出来る。

その辺りの判断を1分以内に下して、4日目に辿ったルートを、はるばる35㎞も逆走し、福知山の自宅には10時16分に到着。

この日の行程は55.6km、+406.5m、-390.9mであった。

帰宅した後の福知山は薄曇り時々晴。

翌日以降も案外天気は良かった。それでも若狭湾岸は強雨域に覆われていたから、先に進んでいたら連日惨めなちゃり鉄になっていただろうし、靴擦れも化膿して余計に悪化していたかもしれない。

残念ではあるが、これも天運だろう。

京都丹後鉄道宮舞線・東雲駅(京都府:2023年5月)
京都丹後鉄道宮舞線・東雲駅(京都府:2023年5月)
京都丹後鉄道宮舞線・東雲駅(京都府:2023年5月)
京都丹後鉄道宮舞線・東雲駅(京都府:2023年5月)
丹後・舞鶴・水間集落・高倉八幡神社(京都府:2023年5月)
丹後・舞鶴・水間集落・高倉八幡神社(京都府:2023年5月)
丹後・舞鶴・水間集落付近(京都府:2023年5月)
丹後・舞鶴・水間集落付近(京都府:2023年5月)
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