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JR津軽線・大湊線、津軽鉄道と津軽・下北の鉄道路線跡|ちゃり鉄4号

津軽半島・龍泊ライン付近から望む小泊岬・岩木山(青森県:2016年8月)
各駅停車「ちゃり鉄号」の旅
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ちゃり鉄4号:旅の概要

  • 走行年月
    • 2016年8月(前夜泊9泊10日)
  • 走行路線
    • JR路線:津軽線・大湊線
    • 私鉄路線等:津軽鉄道津軽鉄道線
    • 廃線等:下北交通大畑線、国鉄大間線、改正鉄道敷設法別表第2号線(三厩=小泊=津軽中里)
  • 主要経由地
    • 津軽半島全域、下北半島全域、むつ湾フェリー、津軽海峡フェリー
  • 立ち寄り温泉
    • 津軽半島
      車力温泉、稲垣温泉、よもぎ温泉、湯の沢温泉
    • 下北半島
      奥薬研温泉、恐山温泉、むつ矢立温泉、ろっかぽっか、石神温泉、下風呂温泉、桑畑温泉、大間温泉、川内温泉、湯野川温泉
  • 主要乗車路線
    • JR東海道新幹線・東北新幹線・北陸新幹線・大湊線・津軽線・北陸本線
  • 走行区間/距離/累積標高差
    • 総走行距離:1115.8km/総累積標高差+13686.2m/-13899.8m
      • 0日目:自宅≧新大阪≧東京≧葛西臨海公園
        (-km/-m/-m)
      • 1日目:葛西臨海公園≧東京≧新青森-青森=三厩=龍飛崎
        (93.9km/+809.0m/-769.0m)
      • 2日目:龍飛崎=小泊=十三湖-五所川原=毘沙門
        (108.0km/+1666.2m/-1814.3m)
      • 3日目:毘沙門=津軽中里=十三湖-蟹田港~脇野沢港-九艘泊
        (106.2km/+734.6m/-781.2m)
      • 4日目:九艘泊-下北=大畑-恐山-むつ矢立温泉
        (135.5km/+1914.5m/-1840.3m)
      • 5日目:むつ矢立温泉-大湊=吹越
        (60.1km/+476.2m/-596.9m)
      • 6日目:吹越=野辺地-小川原湖-尻屋崎-釣屋浜
        (200.2km/+1676.2m/-1634.0m)
      • 7日目:釣屋浜-大畑=大間~函館港~大間
        (80.0km/+1130.7m/-1147.2m)
      • 8日目:大間-佐井-脇野沢-川内-佐井-大間
        (158.0km/+2534.9m/-2541.2m)
      • 9日目:大間-佐井-脇野沢-大湊=蟹田-高野崎
        (154.6km/+2538.4m/-2556.9m)
      • 10日目:高野崎-奥津軽いまべつ≧大宮≧金沢≧敦賀≧大阪≧自宅
        (19.3km/+205.5m/-218.8m)
  • 見出凡例
    • -(通常走行区間:鉄道路線外の自転車走行区間)
    • =(ちゃり鉄区間:鉄道路線沿の自転車走行区間)
    • ≧(鉄道乗車区間:一般旅客鉄道の乗車区間)
    • ~(乗船区間:一般旅客航路での乗船区間)

ちゃり鉄4号:走行ルート

ルート図:ちゃり鉄4号全図
ルート図:ちゃり鉄4号全図
断面図:ちゃり鉄4号全図
断面図:ちゃり鉄4号全図

ちゃり鉄4号:更新記録

公開・更新日 公開・更新内容
2023年6月26日 コンテンツ公開

ちゃり鉄4号:ダイジェスト

2016年8月は「ちゃり鉄4号」で津軽半島・下北半島の鉄道路線を巡る旅を行った。これが東北方面での初めての「ちゃり鉄」であり、1週間以上に及ぶ行程としても初めてのものだった。

「ちゃり鉄」としての主目的は、津軽線や津軽鉄道、大湊線といった、半島部分を行く鉄道路線が健在のうちに走行することだった。実際、この記事の執筆を始めた2023年6月現在で、JR津軽線の蟹田~三厩間に関しては、災害復旧を実施せず廃止する議論が高まっている。

近年はJR北海道を筆頭に災害復旧を断念して廃止する方向で議論が進むことが多く、「ちゃり鉄」としても猶予の無い対象路線が非常に多い。JR日高本線や根室本線の被災区間は、路線廃止前に「ちゃり鉄」で走ることは出来たものの、長期に渡る運休中で実質的に廃線の状態だった。結果的に日高本線はほぼ全線が廃止され、根室本線も被災区間を含む一部区間の廃止が決まっている。

JR東日本の津軽線、JR九州の肥薩線などは、何とか被災前に走行することが出来たものの、JR東日本の米坂線は走行する前に被災してしまい、2023年夏の「ちゃり鉄20号」で走行を計画しているものの運休中の走行となってしまう。存廃議論の行方は見通せず、せめて、廃止が決定する前に訪れておきたいという意図があってのものだ。

JR只見線のように巨額の復旧費用の目処がついて全線復旧する事例はかなり特殊だと思われる。

結果として、「ちゃり鉄4号」をこの時期に走らせたことは功を奏した訳だが、前夜泊9泊10日の行程の旅の最中に2個の台風の直撃を受けた苦難の旅でもあった。

事前に会社から長期休暇の許可を貰って旅に出る関係で、直前になって台風の接近・直撃が察知されたとしても中止や順延は難しい。天候の具合を見ながら具体的な行程は調整するにしても、現地入りすることには変わりない。

状況によっては、現地入りが出来ない、帰ってくることが出来ない、といったことも起こり得る訳で、「ちゃり鉄4号」ではそれが現実となりギリギリの調整が何回も発生した。

振り返ってみればそんな旅の方が思い出に残ったりするのだが、渦中の現地ではそんな余裕は無く、ただただ、暴風雨の中で惨めな旅になったり、無念の思いで一部の行程を諦めたり、迂回のための多額の追加出費が必要になったりするだけだ。天候が回復するまで停滞して、回復後に旅を再開するといったことが出来ればよいのだが、日程の終りが決まっている以上、停滞した分は削るか埋め合わせるかの対処が必要となってしまう。「また来ればいい」という思いもあるが、近年は、それが果たせぬうちに廃止になってしまうことが多く、「あの時走れれば」と無念の思いを噛みしめることが少なくない。

そんな苦難の「ちゃり鉄4号」ではあったが、ピンポイントで台風直撃を受けた数日以外は天候にも恵まれ、絶景の中を旅することが出来た。

以下では、この旅の各行程を簡単なダイジェストとして概観していくこととしよう。本編は別途執筆を予定している。

ちゃり鉄4号:0日目(自宅≧新大阪≧東京≧葛西臨海公園)

0日目は移動日。記録上は前夜泊の日としている。

仕事を終えてから一旦自宅に戻り夕食や入浴などを終え、最寄りのJR福知山線・北伊丹駅から新大阪まで出て、東海道新幹線に乗車して東京入り。更に、京葉線に乗り換えて葛西臨海公園駅まで移動し、公園の適当な空き地で野宿する行程だった。

「ちゃり鉄」としての走行は無く夜に移動しただけなので、時刻表データなどでは0日目と1日目をまとめて1日目として処理している。

わざわざ、この日に東京まで移動したのは、翌朝の東北新幹線の始発列車に乗りたかったためだ。

寝台特急「サンライズ出雲・瀬戸」で東京入りすれば早朝に東北新幹線に乗り継ぐことが出来るが、始発列車には間に合わないため、新青森到着時刻が少し遅れることになる。その結果2日目の目的地である龍飛崎への到着は日没後になる。

龍飛崎では日没を眺めたい思いもあったので、東北新幹線の始発列車に乗車できるよう、この日のうちに東京圏内まで移動することにしたのだが、輪行自転車を抱えた大荷物になるため東京駅付近のネットカフェなどの利用も現実出来ではなく、野宿場所として葛西臨海公園を見出してそこまで移動したのである。

東京駅到着で22時過ぎ。葛西臨海公園駅到着で23時過ぎ。

都市公園での野宿はあまり落ち着かないが、広い公園の敷地の中で人目に付かない場所を見つけ、24時前になってようやく就寝することが出来た。

仕事を終えてから出発し22時過ぎには東京駅に到着した
仕事を終えてから出発し22時過ぎには東京駅に到着した
葛西臨海公園まで移動して適当な場所で野宿
葛西臨海公園まで移動して適当な場所で野宿

ちゃり鉄4号:1日目(葛西臨海公園≧東京≧新青森-青森=三厩=龍飛崎)

1日目は葛西臨海公園から東京駅経由で新青森駅まで一気に移動し、そこで「ちゃり鉄」をスタートする。行程としては一旦青森駅に向かい、そこからJR津軽線の「ちゃり鉄」を始める予定だ。JR津軽線を全線走破した後は龍飛崎まで走り、津軽海峡に沈む夕日を眺めたい。

そのために、昨夜のうちに東京入りしていたのだが、幸いにも本日は晴天の予想。夕日が期待できる。

この旅の実施段階ではあまり意識しては居なかったが、実は、改正鉄道敷設法別表第2号で「青森県青森ヨリ三厩、小泊ヲ経テ五所川原ニ至ル鉄道」が規定されており、三厩から小泊を経て津軽鉄道の津軽中里に至る区間は未着工の予定線となっている。そのため、この区間も予定線に沿った走行区間として扱うことにした。

1日目の行程はその一部、三厩から龍飛崎までを走ることになるが、実際の予定線が龍飛崎周りを想定したかどうかは怪しい。実際には、三厩から内陸に入り増川岳北麓を経て小泊に抜けるルートが構想されていたのではないかと考えているのだが、鉄道省による「鐵道敷設法豫定線路説明」という資料を確認しても、「青森ニ起リ半島ヲ一週シ五所川原ニ至ル」と記載あるのみで経由地の詳細は掴めていない。

これらは別途文献調査を実施するとして、既に述べたように被災前のJR津軽線を全線走破できたのはこの日の行程での大きな成果であった。

以下にルート図と断面図を表示する。

ルート図:ちゃり鉄4号1日目
ルート図:ちゃり鉄4号1日目
断面図:ちゃり鉄4号1日目
断面図:ちゃり鉄4号1日目

この日の行程は基本的には海岸に沿った行程であるが、津軽線の線形に沿うため、蟹田から今別にかけては内陸の小国峠を越えていくことになる。断面図中、55㎞付近に表れている180m程の峠がそれである。90㎞前後のアップダウンは龍飛崎周辺のものだ。なお、コンテンツ内のルート図や断面図は、鉄道乗車区間の軌跡は含んでいないので、上記のルート図や断面図も、新青森駅到着後の自転車走行部分の軌跡を表したものになっている。

計画では午前中には津軽半島で走り始めることになるが朝は東京。

「上野発の夜行列車降りた時から…」と言われた陸奥は、今では関西からでも12時間で日帰りが出来てしまう場所になった。寝台特急「日本海」で訪れる青森は旅情あふれる旅の舞台だったが、現地に到着するまでの時間距離と旅情との間には、ある種の正の相関関係があるように思う。

とは言え、私自身も「ちゃり鉄4号」では現地までの往復に新幹線を用いている。そのことによって津軽・下北の魅力が減じるというようなものでもないのは確かだと思う。

長野新幹線、秋田新幹線、東北新幹線の錚々たる顔ぶれが並ぶ新幹線ホームで、6時発の東北新幹線「はやぶさ」に乗車し新青森を目指す。到着は9時17分。この6時の「はやぶさ」に乗車することで龍飛崎の日没時刻に間に合うのであるから、新幹線もまた旅の演出には一役買っている。

高架の上から陸奥の旅路を楽しみ、新青森には9時17分着。

新幹線の新設駅の例に漏れず、新青森駅も青森駅周辺の市街地からは離れた位置にある。ここで自転車を組み立て、駅の周辺の撮影などを済ませた後、予定より遅れて11時11分に新青森駅を出発した。

一旦青森駅まで戻り、JR津軽線の「ちゃり鉄」の旅に入る。

最初の停車は駅ではなく新油川信号場。北海道と本州とを結ぶ貨物列車が頻繁に往復する路線だけあって、行き違い設備の設置個所も多くその有効長も長い。

この新油川信号場から蟹田駅までの区間は津軽半島東岸に沿って進むが、海岸線からは集落を挟んで内陸側に線路が敷設されているので、海岸風景は開けない。

奥内駅付近で一旦海岸の漁港に出てみると、むつ湾が眼前に開け、遠く青森市街地のビル群が霞んでいた。そこから左手に目を移していくと、夏泊半島や下北半島が目に入る。夏の明るい海ではあったが、北の海を感じさせる素寒貧とした光景でもあった。

蟹田駅の手前でようやく海岸付近に出てきた津軽線と並走しながら蟹田駅着。14時53分。39.1㎞であった。

ここからは内陸に入り小国峠を越えていく。

新中小国信号場で停車中の長大編成の北海道行き貨物列車を追い越し、大平駅手前の津軽線、海峡線、北海道新幹線のトリプルクロス地点で追いついてきた貨物列車を見送る。

新中小国信号場で海峡線を分岐した後の津軽線は、津軽線本来の純然たるローカル線風情に戻る。

小国峠を越えて津軽二股駅には16時35分着。61.2㎞。旅の最終日にはここから東京行きの新幹線に乗るのだが、北海道新幹線の駅名は奥津軽いまべつ駅。海峡線時代の駅名も津軽今別駅で、津軽二股駅とは隣接していながら別会社の別の駅という建前だった。そこには、利用者の便宜を図るという意図は感じられない。

今別駅を出た辺りで陸奥湾に面した海岸沿いに出る。ここから、津軽浜名駅を経て三厩駅には17時34分着。72.4㎞だった。

三厩駅は旅情ある終着駅の風情で、いつも旅人の姿を見かける。この日も停車中のキハ40系の傍に若者の姿があった。

鉄道の旅ならここから引き返すかバスで移動ということになるが、我が「ちゃり鉄4号」は、ここから改正鉄道敷設法別表第2号の予定線区間に入り、龍飛崎を経て半島西側に向かう。尤も、第2号の予定線自体が龍飛崎を経由地として想定していたかどうかは前述のとおり不明だ。

夕暮れ風情の三厩駅を出発し、約20㎞先の龍飛崎を目指す。

18時半には龍飛集落に到着。以前も利用したことのある温泉ホテルがあるので、この日も日帰り入浴を計画していたのだが、ホテル入口にはこの日の日帰り入浴が終了した旨の掲示があり、落胆して通り過ぎることになった。

とは言え、岬に立てば期待通りの日没のひと時。

観光客も疎らになった岬の遊歩道で渡島小島、渡島大島の島影を映しながら日本海に沈んでいく夕日を眺めることが出来た。

この後、半島先端部の袰内集落まで往復し岬付近の公園の東屋で野宿とした。19時15分着。93.9㎞。この日の累積標高差は登りが+809m、降りが-769mであった。

夕食を済ませた後、とっぷり暮れた中、クールダウンも兼ねて階段国道339号線を歩きに行く。階段状の遊歩道が国道指定されているというだけで、興味のない人からすれば「だからどうした?」というものかもしれないが、龍飛崎を訪れるなら必ず歩きたい場所である。

龍飛崎訪問は2001年1月、2007年9月に続く3度目で、過去2回共に野宿を行っているのだが、何れも悪天候で、晴天に恵まれたのは今回が初めてだった。素晴らしい風景に巡り合うことが出来、温泉に入れなかったものの、気持ちの良い夜を過ごすことが出来た。

錚々たる顔ぶれが並ぶ新幹線ホーム
錚々たる顔ぶれが並ぶ新幹線ホーム
新青森駅に到着した新幹線「はやぶさ」
新青森駅に到着した新幹線「はやぶさ」
駅名標に隔世の感を覚える
駅名標に隔世の感を覚える
近代的な新青森駅の駅ビル
近代的な新青森駅の駅ビル
在来線の青森駅までやってきた
在来線の青森駅までやってきた
青森駅を見下ろすためにベイブリッジを渡る
青森駅を見下ろすためにベイブリッジを渡る
風格ある終着駅の面影を残す青森駅
風格ある終着駅の面影を残す青森駅
津軽線最初の停車場は新油川信号場
津軽線最初の停車場は新油川信号場
住宅地の中にある油川駅
住宅地の中にある油川駅
津軽宮田駅まで来ると住宅地と水田の間を行くようになる
津軽宮田駅まで来ると住宅地と水田の間を行くようになる
行き違い可能な奥内駅
行き違い可能な奥内駅
津軽半島奥内海岸から望む陸奥湾(青森県:2016年8月)
津軽半島奥内海岸から望む陸奥湾(青森県:2016年8月)
随分と郊外駅らしくなった左堰駅
随分と郊外駅らしくなった左堰駅
淡々と歩みを進め後潟駅に到着
淡々と歩みを進め後潟駅に到着
撮影をしているうちに津軽線の普通列車がやってきた
撮影をしているうちに津軽線の普通列車がやってきた
中沢駅も交換可能駅
中沢駅も交換可能駅
旧塗色に戻された国鉄型気動車が旅情を掻き立てる
旧塗色に戻された国鉄型気動車が旅情を掻き立てる
昼下がりの蓬田駅はのんびりとした雰囲気
昼下がりの蓬田駅はのんびりとした雰囲気
郷沢駅も長大な有効長をもった行き違い可能駅
郷沢駅も長大な有効長をもった行き違い可能駅
アイヌ語地名を由来に持つ瀬辺地駅
アイヌ語地名を由来に持つ瀬辺地駅
瀬辺地駅と蟹田駅の間で津軽線は海岸沿いに出てくる
瀬辺地駅と蟹田駅の間で津軽線は海岸沿いに出てくる
遠く青森市街地や八甲田山系を望む
遠く青森市街地や八甲田山系を望む
津軽海峡越しに望む下北半島
津軽海峡越しに望む下北半島
津軽線の中核駅である蟹田駅に到着した
津軽線の中核駅である蟹田駅に到着した
津軽海峡線との分岐駅となった中小国駅で普通列車を見送る
津軽海峡線との分岐駅となった中小国駅で普通列車を見送る
津軽海峡線の実質的な分岐点となる新中小国信号場
津軽海峡線の実質的な分岐点となる新中小国信号場
北海道と本州を行き交う長大編成の貨物列車が信号待ちをしていた
北海道と本州を行き交う長大編成の貨物列車が信号待ちをしていた
東北新幹線、津軽海峡線、津軽線の三重立体交差地点
東北新幹線、津軽海峡線、津軽線の三重立体交差地点
この先の津軽線は純然たるローカル線の佇まい
この先の津軽線は純然たるローカル線の佇まい
保線車両用の車庫を備えた大平駅の向こうに東北新幹線の高架が見える
保線車両用の車庫を備えた大平駅の向こうに東北新幹線の高架が見える
国道の小国峠を越えて今別町に入る
国道の小国峠を越えて今別町に入る
津軽二股駅は新幹線駅が開業しても改称することはなかった
津軽二股駅は新幹線駅が開業しても改称することはなかった
今別平野の只中に位置する大川平駅
今別平野の只中に位置する大川平駅
市街地に位置する本家とも言える今別駅
市街地に位置する本家とも言える今別駅
今別の浜に出ると遠くに北海道の影が見えていた
今別の浜に出ると遠くに北海道の影が見えていた
JR津軽線・津軽浜名駅(青森県:2016年8月)
JR津軽線・津軽浜名駅(青森県:2016年8月)
旅情あふれる終着駅・三厩駅
旅情あふれる終着駅・三厩駅
日没が迫る中を龍飛崎に向けて走る
日没が迫る中を龍飛崎に向けて走る
龍飛崎から遥か遠くに小泊岬を望む
龍飛崎から遥か遠くに小泊岬を望む
トワイライトに包まれる龍飛埼灯台
トワイライトに包まれる龍飛埼灯台
津軽半島・龍飛岬付近から望む津軽海峡の夕日と渡島小島(青森県:2016年8月)
津軽半島・龍飛岬付近から望む津軽海峡の夕日と渡島小島(青森県:2016年8月)
渡島小島と渡島大島の島影をかすめて太陽が津軽海峡に沈んでいく
渡島小島と渡島大島の島影をかすめて太陽が津軽海峡に沈んでいく
龍飛崎の先にある最果ての袰内集落までペダルを漕ぎ進めてみた
龍飛崎の先にある最果ての袰内集落までペダルを漕ぎ進めてみた
袰内集落付近から眺めた龍飛崎と北海道
袰内集落付近から眺めた龍飛崎と北海道
津軽半島・龍飛岬付近・階段国道339号(青森県:2016年8月)
津軽半島・龍飛岬付近・階段国道339号(青森県:2016年8月)

ちゃり鉄4号:2日目(龍飛崎=小泊=十三湖-五所川原=毘沙門)

2日目は龍飛崎を出発し、竜泊ラインと呼ばれる国道339号線を南下していく。小泊岬から十三湖、七里長浜を経由して五所川原に達し、そこから津軽鉄道の「ちゃり鉄」に入る。鉄道敷設法別表第2号の予定線としては、龍飛崎から小泊を経て十三湖北岸付近までが該当するが、地形的に考えても龍飛崎と小泊の間に鉄道敷設を想定していたとは思えず、実際には三厩から西南西に進んで小泊に抜けるルートが考えられていたのだろう。

竜泊ラインは2007年9月の旅で南側から走り抜けたことがある。その時はJR五能線の驫木駅から龍飛崎までの行程だったのだが、津軽半島は局地的な低気圧が襲来し雷を伴った暴風雨。特に小泊を越えてからの竜泊ラインは向かい風の暴風雨の中を強烈な登りで越えていく辛い道中だった。風にあおられて真直ぐに進めず、降りに入っても風に押し戻されるような状況で何とか龍飛崎に到着。温泉ホテルで入浴できたのは有難かった。2001年1月に引続き、2007年9月も、龍飛集落の漁港内にある路線バスのバス停内で野宿したのだが心強いバス停だった。

今回は朝から快晴。

後で述べるように旅程後半の下北半島は台風襲来で大変だったが、津軽半島側は好天に恵まれた。

以下にルート図と断面図を示す。

ルート図:ちゃり鉄4号2日目
ルート図:ちゃり鉄4号2日目
断面図:ちゃり鉄4号2日目
断面図:ちゃり鉄4号2日目

断面図で見ると序盤15㎞までの間に500mを越える大きな峠越えがあることが分かる。この全体が竜泊ラインで峠部分に眺瞰台という展望施設があるが、もちろん、暴風雨の前回2007年9月は峠付近は濃霧と猛烈な向かい風で風景を楽しむ余裕など全くなかった。

30㎞を越えた辺りの急なアップダウンは、小泊岬の徒歩区間。小泊岬南灯台と小泊岬北灯台との間を歩いた軌跡である。

40㎞以降は津軽平野北端の砂丘・田園地帯を行く行程で、序盤とは打って変わって走りやすい穏やかな道のりだ。

龍飛崎付近から小泊岬は意外と近くに見ることが出来る。袰月海岸の向こうに細長く横たわる陸地が小泊岬である。

早朝の龍飛埼灯台を訪れ紺碧の海や空を背景に建つ白亜の灯台に見惚れた後、竜泊の難路に挑む。

5時45分に龍飛崎を出発し眺瞰台には7時6分着。区間距離は8.0㎞であった。

濃霧暴風雨の只中にあった前回とは異なり、今回は、北海道から岩木山までを見通す素晴らしい風景。早朝だけあって他に人の姿は無く、17分間も停車してこの風景を楽しんだ。

暴風雨の向かい風と急登で直進も出来なかった前回とは異なり、今回はここから降り。海に向かって飛び出していくような豪快な九十九折を降り、小泊岬南部の車止め地点には9時に到着。31.7㎞。ここから、トレッキング装備に換装して小泊岬南灯台付近、小泊岬北灯台を往復する。

旧海軍の標石が残る岬周辺のトレッキングで4.7㎞に1時間46分を費やし、10時46分に出発した。

十三湖、車力温泉、七里長浜、稲垣温泉と、津軽半島中西部を南に向かって進んだのち、津軽鉄道の起点となる津軽五所川原駅には17時7分着。95.8㎞であった。

津軽五所川原駅はJR五能線の五所川原駅に隣接している。五能線も「ちゃり鉄」で走りたい路線であるが、この「ちゃり鉄4号」では日程的に難しく、2017年4月から5月にかけての「ちゃり鉄11号」を待つことになった。

五所川原からは津軽鉄道の「ちゃり鉄」に入る。

ストーブ列車などの企画列車を走らせることで観光誘致を図っている津軽鉄道だが、私自身は未乗車だ。古く1997年2月の旅で乗車を企図したものの、津軽地方の暴風雪に捕まり、津軽鉄道は運休、JR五能線は大幅に遅延となり、津軽五所川原駅で出発待ちをしていたストーブ列車の車内を撮影しただけで終わった。

今回は「ちゃり鉄」での旅。

乗車は果たせないが「ちゃり鉄4号」でじっくりと沿線を回ることが出来る。

17時32分に津軽五所川原駅を出発し、十川、五農校前、津軽飯詰と巡り、下岩崎駅跡を経て、この日は毘沙門駅まで。18時36分着。108㎞。

毘沙門駅は津軽鉄道全駅の中で最も乗降客数の少ない無人駅ではあるが、その分、旅情駅としては申し分ない佇まい。駅前野宿で訪れたこともあり、じっくりと一夜を堪能することが出来た。いずれ旅情駅探訪記を執筆したい。

この日の累積標高差は+1666.2m、-1814.3m。行程の3分の2ほどが津軽平野の平坦地であるにもかかわらず、序盤のアップダウンのきつさもあって、意外と累積標高差の大きい行程となった。

津軽半島・龍飛岬付近から望む袰月海岸と小泊岬(青森県:2016年8月)
津軽半島・龍飛岬付近から望む袰月海岸と小泊岬(青森県:2016年8月)
清々しい夏の朝に、白亜の龍飛埼灯台が映える
清々しい夏の朝に、白亜の龍飛埼灯台が映える
津軽半島・龍泊ライン付近から望む龍飛岬と津軽海峡(青森県:2016年8月)
津軽半島・竜泊ライン付近から望む龍飛崎と津軽海峡(青森県:2016年8月)
眺瞰台付近からは遥々来し方龍飛崎や津軽海峡越しに北海道まで眺めることが出来た
眺瞰台付近からは遥々来し方龍飛崎や津軽海峡越しに北海道まで眺めることが出来た
津軽半島・龍泊ライン付近から望む小泊岬・岩木山(青森県:2016年8月)
津軽半島・龍泊ライン付近から望む小泊岬・岩木山(青森県:2016年8月)
眺瞰台付近からは行く方彼方には小泊岬が見える
眺瞰台付近からは行く方彼方には小泊岬が見える
望遠レンズで龍飛埼灯台を捉えた
望遠レンズで龍飛埼灯台を捉えた
竜泊ラインから小泊岬越しに、遠く、岩木山を望む絶景の中を行く
竜泊ラインから小泊岬越しに、遠く、岩木山を望む絶景の中を行く
海に向かうような道を爽快に駆け抜けていく
海に向かうような道を爽快に駆け抜けていく
津軽半島・龍泊ライン・坂本台付近(青森県:2016年8月)
津軽半島・龍泊ライン・坂本台付近(青森県:2016年8月)
七ツ滝沢付近から振り返る竜泊ライン
七ツ滝沢付近から振り返る竜泊ライン
津軽半島・小泊岬付近から望む岩木山(青森県:2016年8月)
津軽半島・小泊岬付近から望む岩木山(青森県:2016年8月)
断崖の上から見下ろす小泊岬南灯台
断崖の上から見下ろす小泊岬南灯台
小泊岬北側の海岸付近まで足を延ばす
小泊岬北側の海岸付近まで足を延ばす
草に覆われて見えない通路を辿った先に小泊岬北灯台が控えている
草に覆われて見えない通路を辿った先に小泊岬北灯台が控えている
棘草に絡まれて中々厳しい道程を辿って小泊岬北灯台に辿り着いた
棘草に絡まれて中々厳しい道程を辿って小泊岬北灯台に辿り着いた
津軽半島・小泊岬北灯台付近(青森県:2016年8
津軽半島・小泊岬北灯台付近(青森県:2016年8
小泊岬北部海岸から小泊漁港の方を望む
小泊岬北部海岸から小泊漁港の方を望む
小泊岬を横断する歩道は気持ちのよい地道である
小泊岬を横断する歩道は気持ちのよい地道である
海軍設置の古い境界標が残っていた
海軍設置の古い境界標が残っていた
地滑りで閉鎖された小泊岬先端の車道付近から遠望する岩木山
地滑りで閉鎖された小泊岬先端の車道付近から遠望する岩木山
崩れた道路が無残だが、自然に戻りつつある海岸風景は気持ちの良いものだった
崩れた道路が無残だが、自然に戻りつつある海岸風景は気持ちの良いものだった
折戸集落付近から小泊岬を遠く眺める
折戸集落付近から小泊岬を遠く眺める
穏やかな好天に恵まれた十三湖の河口付近
穏やかな好天に恵まれた十三湖の河口付近
十三湖(青森県:2016年8月)
十三湖(青森県:2016年8月)
津軽平野の北部に位置する車力温泉でひと風呂
津軽平野の北部に位置する車力温泉でひと風呂
津軽半島西部の七里長浜の海岸を眺める
津軽半島西部の七里長浜の海岸を眺める
津軽半島・稲垣付近から望む岩木山(青森県:2016年8月)
津軽半島・稲垣付近から望む岩木山(青森県:2016年8月)
田園地帯にある稲垣温泉にも立ち寄った
田園地帯にある稲垣温泉にも立ち寄った
私鉄駅の鄙びた雰囲気が好ましい津軽鉄道の津軽五所川原駅
私鉄駅の鄙びた雰囲気が好ましい津軽鉄道の津軽五所川原駅
JR五能線の五所川原駅に併設された津軽五所川原駅の広い構内
JR五能線の五所川原駅に併設された津軽五所川原駅の広い構内
五所川原市街地の十川駅を出発する普通列車
五所川原市街地の十川駅を出発する普通列車
岩木山が印象的な五農校前駅
岩木山が印象的な五農校前駅
津軽鉄道・五農校前駅(青森県:2016年8月)
津軽鉄道・五農校前駅(青森県:2016年8月)
津軽鉄道・津軽飯詰駅(青森県:2016年8月)
津軽鉄道・津軽飯詰駅(青森県:2016年8月)
かつて下岩崎駅があったと思われる辺りを訪れた
かつて下岩崎駅があったと思われる辺りを訪れた
津軽鉄道・毘沙門駅(青森県:2016年8月)
津軽鉄道・毘沙門駅(青森県:2016年8月)
津軽鉄道・毘沙門駅(青森県:2016年8月)
津軽鉄道・毘沙門駅(青森県:2016年8月)

ちゃり鉄4号:3日目(毘沙門=津軽中里=十三湖-蟹田港~脇野沢港-九艘泊)

3日目はいよいよ下北半島に旅の舞台を移す。

毘沙門駅から津軽中里駅までの津軽鉄道を全線走り抜けた後、十三湖を一周。これで昨日の行程と合わせて、鉄道敷設法別表第2号線の予定線区間も全て走破したことになる。

そこから津軽半島の脊梁山地を越えて蟹田港に出て、脇野沢港までむつ湾フェリーに乗船する予定だ。

下北半島に渡った後は北海岬近くの九艘泊集落まで移動し、そこで野宿予定。

下北半島は2001年1月の旅以来だし、夏に訪れるのは初めてだ。

大間~脇野沢間の国道338号線は見るからに険路ではあるが、その分、風景絶佳が期待できる。また、東側の小川原湖から尻屋崎にかけても「ちゃり鉄」垂涎の地。期待に胸が高まる。

しかし、不安要素もあった。台風が接近してきているのである。下北半島内で捕まることは必至な状況で、ルート変更を検討するべき状況になっていた。幸い3日目の段階では大きく崩れてはおらず、むつ湾フェリーも通常運行していた。

3日目のルート図と断面図を以下に示す。

ルート図:ちゃり鉄4号3日目
ルート図:ちゃり鉄4号3日目
断面図:ちゃり鉄4号3日目
断面図:ちゃり鉄4号3日目

この日は津軽半島を横断する際に低い峠を越えたくらいで、大きなアップダウンは無かった。途中、30㎞手前や45㎞過ぎにアップダウンがあるが、これらは十三湖の周回道路にある丘陵地帯のアップダウンである。67㎞付近にあるのが津軽山地の横断地点でやまなみトンネルで越えている。

110㎞付近から先に海面下を示すログが出ているが、これはフェリー乗船中のログで、本来0m付近を水平移動しているはずなのだが、誤作動なのか船倉内だったためか、異常値となっている。

駅前野宿で一夜を過ごした毘沙門駅は改築された待合室も小綺麗で、周辺住民の愛着を感じる旅情駅だった。駅の直ぐ向いにグループホームがあるものの、それ以外の民家は見えず、樹林の中にひっそりと佇む姿は趣がある。

4時過ぎには起床して片づけなどを済ませ、出発は5時47分。

ここから、津軽中里までの各駅に停車していくのだが、途中、太宰治の生誕地として知られる金木では太宰の生家である斜陽館を眺めに行った。春は桜のトンネルに覆われる芦野公園駅でも芦野公園に寄り道したりして、津軽中里駅には8時4分着。16.7㎞。

ここから十三湖をぐるりと一周するのだが、中の島付近では露店が開いていたので、そちらにも立ち寄る。目の合った露店の従業員の女の子に釣られたのだが、ツーリング装備の自転車に興味津々で、軽食を注文しつつ暫く談笑する。

この日は、行程に余裕があったので、立ち寄る場所も多かった。

十三湖を周り終え津軽半島を横断し始める頃には、少しずつ空が陰り始める。高曇りの空が天候の悪化を告げているのは明らかだった。

よもぎ温泉で入浴した後、蟹田港から脇野沢港に渡るむつ湾フェリーに乗船。

数日後には、脇野沢港から蟹田港に戻る予定だったのだが、とんでもない状況になろうとは、この時は、知る由もなかった。

脇野沢港に到着すると、大湊方面に散っていく観光客の車を尻目に、半島南西端の九艘泊集落を目指して、崖下に開かれた県道175号線を行く。九艘泊17時3分。104.1㎞。

ここから徒歩に切り替え、波浪で崩れた遊歩道跡を辿り、北海岬の先まで往復した。

遊歩道跡の先には朽ち果てた公園施設が残っていたが、今日、ここまでやってくるのは釣り人や地元の漁師だけだろう。

九艘泊集落には17時48分に戻る。106.2㎞だった。累積標高差は+734.6m、-781.2m。

この日は集落外れにある東屋で野宿とした。

津軽鉄道・毘沙門駅(青森県:2016年8月)
津軽鉄道・毘沙門駅(青森県:2016年8月)
津軽鉄道・毘沙門駅(青森県:2016年8月)
津軽鉄道・毘沙門駅(青森県:2016年8月)
津軽鉄道・毘沙門駅(青森県:2016年8月)
津軽鉄道・毘沙門駅(青森県:2016年8月)
津軽鉄道・毘沙門駅(青森県:2016年8月)
津軽鉄道・毘沙門駅(青森県:2016年8月)
津軽鉄道・毘沙門駅(青森県:2016年8月)
津軽鉄道・毘沙門駅(青森県:2016年8月)
津軽鉄道・嘉瀬駅(青森県:2016年8月)
津軽鉄道・嘉瀬駅(青森県:2016年8月)
津軽鉄道・嘉瀬駅(青森県:2016年8月)
津軽鉄道・嘉瀬駅(青森県:2016年8月)
太宰治の故郷、金木の玄関口となる金木駅
太宰治の故郷、金木の玄関口となる金木駅
津軽鉄道・芦野公園駅(青森県:2016年8月)
津軽鉄道・芦野公園駅(青森県:2016年8月)
津軽鉄道・芦野公園駅(青森県:2016年8月)
津軽鉄道・芦野公園駅(青森県:2016年8月)
津軽鉄道・芦野公園駅(青森県:2016年8月)
津軽鉄道・芦野公園駅(青森県:2016年8月)
津軽鉄道・川倉駅(青森県:2016年8月)
津軽鉄道・川倉駅(青森県:2016年8月)
アイヌ語を由来を思わせる大沢内駅
アイヌ語を由来を思わせる大沢内駅
田園地帯に佇む深郷田駅で普通列車と行違う
田園地帯に佇む深郷田駅で普通列車と行違う
津軽鉄道・津軽中里駅(青森県:2016年8月)
津軽鉄道・津軽中里駅(青森県:2016年8月)
深郷田駅は改修されており近年の新設駅のように見える
深郷田駅は改修されており近年の新設駅のように見える
十三湖北岸を行く
十三湖北岸を行く
やまなみトンネルで津軽半島の脊梁山地を越える
やまなみトンネルで津軽半島の脊梁山地を越える
下北半島に渡る前に、よもぎ温泉に立ち寄ることにした
下北半島に渡る前に、よもぎ温泉に立ち寄ることにした
蟹田港からむつ湾フェリーで脇野沢港に渡る
蟹田港からむつ湾フェリーで脇野沢港に渡る
蟹田港の堤防で釣りを楽しむ子供たちを眺めながら出港
蟹田港の堤防で釣りを楽しむ子供たちを眺めながら出港
蟹田港外に出て津軽半島にしばしの別れを告げる
蟹田港外に出て津軽半島にしばしの別れを告げる
下北半島の脇野沢港に入港
下北半島の脇野沢港に入港
フェリーの乗客はドライブやツーリングの観光客が主体だった
フェリーの乗客はドライブやツーリングの観光客が主体だった
脇野沢港に上陸しむつ湾フェリーの船体を眺める
脇野沢港に上陸しむつ湾フェリーの船体を眺める
津軽半島・脇野沢・九艘泊・北海岬(青森県:2016年8月)
津軽半島・脇野沢・九艘泊・北海岬(青森県:2016年8月)
津軽半島・脇野沢・九艘泊・北海岬(青森県:2016年8月)
津軽半島・脇野沢・九艘泊・北海岬(青森県:2016年8月)
津軽半島・脇野沢・九艘泊・北海岬(青森県:2016年8月)
津軽半島・脇野沢・九艘泊・北海岬(青森県:2016年8月)

ちゃり鉄4号:4日目(九艘泊-下北=大畑-恐山-むつ矢立温泉)

4日目は九艘泊からむつ矢立温泉を経由してJR大湊線に入り、吹越駅まで進んで駅前野宿をする予定だった。更に5日目に吹越駅から野辺地駅を経て、小川原湖経由で尻屋崎まで進む計画としていたのだが、この日の計画行程は147.2㎞と長かったにも関わらず、尻屋崎付近では野宿適地は事前に決まっていなかった。また、お昼過ぎに六ケ所村で入浴した後、70㎞ほど走るにも関わらず入浴施設は無かった。

九艘泊で過ごした3日目(8月15日)の夜の段階で、5日目(8月17日)に下北半島を台風7号が直撃することは確実となっていたのだが、その5日目の計画は上記のような状況で、ルート変更が妥当と判断された。

幸い、4日目(8月16日)は天気が下り坂ではあるものの、台風前夜の状況で本格的な荒天になることはなさそうだった。

そこで、この日の予定を変更し、下北から大畑にかけての下北交通大畑線跡の「ちゃり鉄」と、奥薬研温泉、恐山、釜臥山の周回を実施し、温泉施設に併設したキャンプ場があるむつ矢立温泉を終了地点とすることとした。更に、台風に直撃される5日目は、ここからJR大湊線吹越駅までの短距離の行程として、台風直撃下での長距離走行や屋外野宿を避けられるようにした。吹越駅に待合室があることは事前に確認済みなので、状況によっては駅寝とすることが出来る。

この日のルート図と断面図は以下の通り。

ルート図:ちゃり鉄4号4日目
ルート図:ちゃり鉄4号4日目
断面図:ちゃり鉄4号4日目
断面図:ちゃり鉄4号4日目

台風に襲われる前に下北交通大畑線跡の「ちゃり鉄」や恐山周辺の探訪を済ませる計画にするために、後半にかなりのアップダウンがあるにもかかわらず、走行距離も130㎞を超える長行程となった。

九艘泊を出発する段階で、小雨がパラついたりして天候は既に雨がちだったが、雨雲レーダーで見る限り、直ぐに本降りになることはなさそうだった。九艘泊5時30分発。九艘泊は、何度でも野宿で訪れたくなる集落だった。

半島を逆行する形になるが、九艘泊から脇野沢を経て下北駅まで、ハイペースで駆け抜けていく。

途中、陸奥黒埼灯台などにも立ち寄り、しっかり「ちゃり鉄」もしながら、下北駅には9時10分着。ここまで51.8㎞。

ここからは下北交通大畑線跡の「ちゃり鉄」だ。

下北交通大畑線には、学生時代に2回、乗車したことがある。1997年2月、2001年1月で、それぞれ、大畑駅近くの建物の階段踊り場、陸奥関根駅で野宿した。いずれも風雪厳しい真冬の訪問で、モノトーンに包まれた沿線風景が印象に残っている。

大畑線は2001年4月に廃止されており既に15年余りが経過。沿線風景は様変わりしていた。

終点の大畑駅周辺は、駅舎が現在も下北交通のバスターミナルとなっていることもあって車両や駅施設が保存されており、現役当時の面影のままで残されていたものの、それ以外の路盤や駅施設は、再開発で跡形もなくなっているか、放置されて荒れ果てているかの何れかだった。

廃線跡がどのように扱われているかでその沿線住民の鉄道に対する意識が分かるのだが、大畑線跡の姿は寂しいものだった。

それでも、鬱蒼とした草むらの中に原形を留める樺山駅跡など、印象に残る遺構もあった。

樺山駅の手前では早掛沼を周り込むように走っていた大畑線の跡を探るべく、地形図上で細線表示された道型を経由したのだが、これは大失敗だった。

既に廃道化していたため通過を躊躇ったものの、距離が短いために突っ切ったのだが、灌木や草本に覆われた未舗装の廃道はアブをはじめとする刺虫の巣窟で、まともに走れないにも関わらず、止まることもできない状況だった。止まれば全身に数十匹の刺虫が集ってくるからだ。

しかも、予想していたような路盤跡は見つからず、無理して突っ切ったことでタイヤに針金が刺さり、この後2日間に渡ってパンク修理で度々降車を余儀なくされる状況となった。藪の中でパンクしなかったのは幸いだったが、こういう時は、面倒でも迂回すべきだと身をもって学ぶことになった。

大畑からは奥薬研温泉に立ち寄ってから恐山や釜臥山へ。

この辺りは交通量も僅少の山岳道路で苦しい登りではあるが、雨が降り始める前に終了地点のむつ矢立温泉に着くためにハードに漕ぎ続けた。

奥薬研温泉と恐山温泉薬師湯にも入った上で、釜臥山にある展望台を訪れ、暮れ始めた大湊・下北市街地を眺める。展望台は閉館間際の時間帯であったが、管理人の方が、ツーリング装備の自転車でやってきた私の姿に驚きながら暫く展望台を開けて下さっていた。

最後に急勾配を下ってむつ矢立温泉には19時5分に到着。135.5㎞の行程だった。累積標高差は+1914.5m、-1840.3m。到着直前にとうとう降り出したが、幸い、ずぶ濡れは免れた。

この日は累積標高差が大きく走行距離も長い上に、奥薬研温泉と恐山温泉で2度も入浴したにもかかわらず、19時過ぎには終了地点に到着することが出来た。

全ては本降りになる前にこの日の全行程を終了する為だったのだが、かなりハードな一日だった。

むつ矢立温泉ではキャンプ場の炊事棟脇にテントを張る。

その後で温泉に入って乾いた衣類に着替え、炊事棟で夕食を作っていると、若い外国人女性が「Hi!」と話しかけてきた。自転車ツーリングのソロキャンパーが居ることは分かっていたが、まさか、ソロの外国人女性だとは思わなかったので、背後から英語が聞こえてきた時には驚いた。

この日、キャンプ場を利用していたソロキャンパーは私とその女性の2人だけ。他に、ロッジ利用者1組がファミリーテントを張っていたくらいだ。

自炊をしながら話を伺うと、「仙台で英語教師をしながら日本のあちこちを自転車で旅している」のだという。母国はアメリカだと聞いたので、「アメリカでこういうソロキャンプの自転車ツーリングは出来るのか」と聞くと、「女性はレイプされたり殺されたりするから無理だ」という。私など当たり前のように野宿で旅をしているが、世界的に見た時にはこれは極めて珍しいことだ。

改めて、日本という国の良さを実感した瞬間でもあった。

「五能線は旅したか?」とも聞かれた。

「今回はルートに含んでいないが近いうちに走りたい」と告げると、「素晴らしい風景だから是非走るとよい」と勧められた。

青森県の下北半島にある小さなキャンプ場で、アメリカ人の女性から五能線沿線の自転車の旅を勧められる。なかなか、面白い出来事だった。

食事を済ませると雑談もほどほどに、それぞれのテントに戻って寝ることにした。

雨はいよいよ本降りになっていた。

津軽半島・脇野沢(青森県:2016年8月)
津軽半島・脇野沢(青森県:2016年8月)
下北駅から下北交通大畑線跡のちゃり鉄をスタート
下北駅から下北交通大畑線跡のちゃり鉄をスタート
左手の新興住宅地が海老川駅と大畑線の路盤跡である
左手の新興住宅地が海老川駅と大畑線の路盤跡である
田名部駅跡の手前に残る大畑線の橋梁跡
田名部駅跡の手前に残る大畑線の橋梁跡
大畑線の基幹駅であった田名部駅跡地は駅の面影が色濃い
大畑線の基幹駅であった田名部駅跡地は駅の面影が色濃い
草むらの中に人知れず残る樺山駅
草むらの中に人知れず残る樺山駅
駅前野宿の経験もある陸奥関根駅は藪に埋もれていた
駅前野宿の経験もある陸奥関根駅は藪に埋もれていた
川代駅の跡も既に鬱蒼とした草むらの中に埋もれていた
川代駅の跡も既に鬱蒼とした草むらの中に埋もれていた
待合室の基礎やホームが残る正津川駅跡
待合室の基礎やホームが残る正津川駅跡
大畑駅跡は線路や駅施設が維持されている
大畑駅跡は線路や駅施設が維持されている
河童の銅像が設置された奥薬研温泉でひと風呂浴びる
河童の銅像が設置された奥薬研温泉でひと風呂浴びる
いたこで有名な霊場恐山を訪れた
いたこで有名な霊場恐山を訪れた
津軽半島・恐山・宇曽利山湖(青森県:2016年8月)
津軽半島・恐山・宇曽利山湖(青森県:2016年8月)
津軽半島・恐山・宇曽利山湖(青森県:2016年8月)
津軽半島・恐山・宇曽利山湖(青森県:2016年8月)
釜臥山の展望台から眼下に広がる大湊市街地と下北半島を俯瞰する
釜臥山の展望台から眼下に広がる大湊市街地と下北半島を俯瞰する
キャンプ場も併設した山中の温泉、むつ矢立温泉で疲れを癒す
キャンプ場も併設した山中の温泉、むつ矢立温泉で疲れを癒す

ちゃり鉄4号:5日目(むつ矢立温泉-大湊=吹越)

5日目は台風直撃の一日。行程を吹越駅までの短距離に収めやり過ごすことにした。

吹越駅の一つ手前にある陸奥横浜駅の近くには、保養センターがあり温泉に入ることもできる。天候が回復するなら、吹越駅から距離はあるものの、温泉に入りに行くのも良いと考えていた。

昨夜からの雨は止むことはなく、朝もしっかりと本降りの状態だったが、幸い、まだ風は出ていなかった。昼前後に下北半島付近を通過するようだったので、それまでに吹越駅に辿りつけば待合室でやり過ごすことも出来そうだった。

だが、短距離の行程でもあるし5時台に出発する必要もない。昨日の疲れもあって、5時半頃になって活動を始めることにした。そのうち、例の外国人女性も起きてきて、お互いに朝食を取りながら、この日の行動予定や天気の動向について話し合う。

彼女は最寄り駅まで移動して鉄道に乗るとのこと。私はJR大湊線の大湊駅から吹越駅までの「ちゃり鉄」である。彼女にとっての最寄り駅がどこかは確認していなかったが、私にとっての最寄り駅は大湊駅だった。

実際には、大湊駅と下北駅は同じくらいの距離にあり、下北駅には下り基調、大湊駅には小さな峠を越えて辿り着く状況だったのだが、私は下北駅に行くことは全く考えていなかったので、最寄り駅なら大湊駅だと考え、そこまでは一緒に走ることになった。

ルート図と断面図は以下の通り。

ルート図:ちゃり鉄4号5日目
ルート図:ちゃり鉄4号5日目
断面図:ちゃり鉄4号5日目
断面図:ちゃり鉄4号5日目

この日の行程には特に大きなアップダウンは無い。大湊駅までの間にちょっとしたアップダウンがあるものの、その後は、吹越駅まで比較的穏やかな道のりだ。

降りしきる雨の中で出発準備を終え、一緒に走り出したのは7時20分だった。私は上下レインウェアの完全装備だったが、彼女は下はハーフパンツ。寒くないのだろうかと疑問に感じたが、アウトドアでハーフパンツスタイルの外国人は多いのも確かだ。

キャンプ場を出発して400m程進むと、三叉路に出る。

左に進めば降りで下北市街地を経て下北駅へ。

右に進めば登りで大湊市街地を経て大湊駅へ。

私は当たり前のように右折したのだが、後ろから彼女が何やら大声で訴えてくる。自転車を停めて話を聞くと「方向が違う」と言う。

なるほど、下北駅に向かうなら左折するのが適当だしそっちは降りで市街地が見えている。しかし、先導する私は右折し市街地から離れる山の方に登ろうとしている。彼女にとっての最寄り駅は下北駅だったらしく、不安に感じたのも当然だ。

ここで、私が大湊駅に向かうことと、少し登った後は降りになり、下北駅と同じくらいの距離で駅に着くことを説明し、結局はこのルートで進むことにしたのだが、人気のない山道が少し続いたこともあり結構気まずい雰囲気となった。

結局、ほとんど会話のないまま大湊駅に到着。ここで列車に乗る彼女と別れ、駅を撮影して「ちゃり鉄」の旅に入った。一人になってみると、寂しさより解放感を感じたのが正直なところである。

私は長年の経験の中で、人と一緒に旅をしたことは殆どないのだが、その僅かな経験も、交際相手や部活動の先輩・同僚など、気心知れた相手だった。「ちゃり鉄」の場合、かなり細かな計画に基づいて走る以上、相手の都合で自身の計画を変更できない場合も多い。即席グループで走るのは止めた方がいいなと痛感したできごとだった。

この後、私は下北半島を南下するように進んだのだが、台風は下北半島に向かって北上してくる。台風に向かって突っ込んでいく形になったので、進めば進むほど風雨が勢いを増していった。

雨の中の駅撮影は傘を差しながら行う必要もあり、撮影に難儀して時間がかかる。どうしてもカメラが濡れるので、その都度、水滴を拭きとったりする手間もかかるし、カメラの故障が心配で撮影枚数も最小限になる。曇天より雨天の方が風景に風情が出るのは確かだが、嵐となると話は別で、撮影どころの状況ではなくなることも多い。

34.9㎞走って陸奥横浜駅には10時50分に到着したのだが、ここでとうとう、台風直下のような暴風雨に捕まることになった。しばらく駅の軒下で雨宿りするが、滝のような雨で雨宿りにもならない。ずぶ濡れのまま駅舎内に入るのも躊躇われて軒下で我慢しているうちに、大湊線の普通列車が到着する。

満員の列車には、よく見ると、先ほどの外国人女性の姿もあった。こちらに気が付くかと思い、しばらく眺めていたが、気づく様子は無かった。

列車は陸奥横浜駅に停車した後、動く気配がない。どうやら、運転見合わせに入っているようだった。

私も「運転見合わせ」の状況だったが、このまま待ち続けても当分回復する見込みは無いし、既にずぶ濡れである。

結局、11分程度の滞在で11時1分には陸奥横浜駅を出発した。

ここから吹越駅までは僅か一駅だが、距離は10㎞近くある。

大雨で冠水した国道を走るが、あまりの雨脚の強さにサングラス越しの視界がぼやける。しかし、サングラスを外すと目を開けていられない。ヘッドライトを点した車が行き交うが、向こうから自分がきちんと見えてるかも心配になるし、すれ違いざまに車が跳ね飛ばした泥混じりの水を浴びて口の中がじゃりじゃりする。気持ち悪いので口を開けて雨水でうがいをしながら走る。

この辛い行程を走り切って、土砂降りの中、吹越駅には11時44分着。43.6㎞であった。

自転車ごと待合室に逃げ込んでようやく難を逃れる。窓ガラスが吹き飛ぶのではないかと不安になるような風雨ではあったが、濡れた衣類を着替えて何とか人心地ついた。

結局、この暴風雨はそれから15時過ぎまで続いたものの、台風は直ぐに通り過ぎたようで天気は回復傾向。駅のすぐ近くにコンビニもあったので食料を買い出し、待合室で食べながら翌日以降のルートの再設計の作業を行った。

16時40分頃には雨も上がり青空も見え始めたので、少し遠いが、陸奥横浜駅の近くにあるよこはま温泉に行くことにする。泥水を浴び続けたのでひと風呂浴びたかった。

8㎞以上の道のりを逆走し陸奥横浜駅に戻ると、先ほどの普通列車はここで運転打ち切りとなったらしく駅に留置されていた。満員の乗客は代行バスで移動したのか、駅には誰も居なかったが、例の外国人女性は輪行していたはずで代行バスに自転車を積み込むことは出来たのか気になった。

キャンプ場を出る前にLINE交換をしてはいたが、旅の間にお互いに連絡を取り合うことはなく、3か月後くらいに唐突に彼女から連絡が来たが、結局それきりだ。出会い目的で旅をしている訳ではないから、それでもいいとは思う。

さて、よこはま温泉であるが、この日は、何と臨時休業していた。

しかも、台風による休業ではなく、元々、施設の工事中だったらしく、私の訪問する予定日を跨いだ臨時休業の貼り紙が掲示してあった。

すごすごと引き返すことにする。

吹越駅には17時56分着。60.1㎞。累積標高差は+476.2m、-596.9m。

よこはま温泉の往復に16㎞あまり。1時間の徒労に終わったが、駅前のコンビニでウェットティッシュを購入し、待合室の中でウェットティッシュ風呂に入ることにした。単にウェットティッシュで全身を拭くだけだが、私はしばしば同じ目に逢うので、ウェットティッシュ風呂と名づけて親しむようにしている。いや、やせ我慢か。

大変な一日だったが、翌日は天気も回復する見込み。

尻屋崎を訪れるだけあってホッとしながら、運休で列車も来ない吹越駅で駅寝することにした。

穏やかな夜の吹越駅は、旅情駅の佇まいで旅人を見守ってくれた。

台風直撃のさ中、吹越駅までの短距離行程に出発する準備をする
台風直撃のさ中、吹越駅までの短距離行程に出発する準備をする
雨に打たれながら外国人女性と一緒に大湊駅に到着
雨に打たれながら外国人女性と一緒に大湊駅に到着
下北駅に着く頃には少し雨脚が強くなっていた
下北駅に着く頃には少し雨脚が強くなっていた
赤川駅付近では既に台風からの雨脚に捕まった
赤川駅付近では既に台風からの雨脚に捕まった
強雨の中で傘を差しながら金谷沢駅を撮影
強雨の中で傘を差しながら金谷沢駅を撮影
北上してくる台風に向かいつつ大湊線を南下して近川駅に到着
北上してくる台風に向かいつつ大湊線を南下して近川駅に到着
下北半島が最もくびれた辺りに位置する有畑駅
下北半島が最もくびれた辺りに位置する有畑駅
陸奥横浜駅まで来たところで台風の暴風雨に捕まってしまった
陸奥横浜駅まで来たところで台風の暴風雨に捕まってしまった
JR大湊線・吹越駅(青森県:2016年8月)
JR大湊線・吹越駅(青森県:2016年8月)
JR大湊線・吹越駅(青森県:2016年8月)
JR大湊線・吹越駅(青森県:2016年8月)
JR大湊線・吹越駅(青森県:2016年8月)
JR大湊線・吹越駅(青森県:2016年8月)
JR大湊線・吹越駅(青森県:2016年8月)
JR大湊線・吹越駅(青森県:2016年8月)
台風一過の陸奥横浜駅には運転を中止した普通列車が留置されていた
台風一過の陸奥横浜駅には運転を中止した普通列車が留置されていた
JR大湊線・吹越駅(青森県:2016年8月)
JR大湊線・吹越駅(青森県:2016年8月)
JR大湊線・吹越駅(青森県:2016年8月)
JR大湊線・吹越駅(青森県:2016年8月)

ちゃり鉄4号:6日目(吹越=野辺地-小川原湖-尻屋崎-釣屋浜)

吹越駅の深夜、唐突に駅の周りが騒々しくなった。何事かと目を覚ますと、保線作業車が低速で駅を通過していくところだった。向こうからこちらが見えていたかどうかは分からないが、特に注意を受けたりすることなく作業列車は通り過ぎて行った。翌朝からの運行に備えて線路状況を確認していたのだろう。

一夜明けた吹越駅は晴天の気配。昨日の大雨で駅の周辺は湿潤ではあったが、空は一面に晴れ渡っていた。風もなく、走行には問題はなさそうだった。

この日は、当初の5日目のルート計画を1日後ろにずらす形で尻屋崎を目指すことにしたのだが、計画距離は147.2㎞とかなり長い上に、尻屋崎付近での野宿場所の目星は付いていない。ただ、「ちゃり鉄」区間は野辺地駅までの僅か3駅で終了し、その後は、尻屋崎まで通常走行区間でもある。停車箇所が少なくなる分、「ちゃり鉄」の「表定速度」は上がるので、距離の割に尻屋崎への到着は遅くならない予定だった。晴れているなら青空野宿でも大丈夫だろう。

ルート図と断面図は以下の通り。

ルート図:ちゃり鉄4号6日目
ルート図:ちゃり鉄4号6日目
断面図:ちゃり鉄4号6日目
断面図:ちゃり鉄4号6日目

出発準備を済ませた6時過ぎには野辺地に向かう普通列車がやってきたが、線路状況を確認するための徐行運転を行っており自転車並みの速度だった。運転は再開したもののダイヤは乱れているのだろう。車内に乗客の姿は無かった。

その出発を見送って6時15分発。

隣の有戸駅までは13.6kmもあり北海道の道北や道東を走っているかのような風景が広がる。

途中、大湊線定番の撮影スポット付近では線路と陸奥湾の奥に、釜臥山の姿を遠望することが出来たが、昨日の大荒れが嘘のように、台風一過の清々しい空気に覆われていた。

野辺地駅に到着し跨線橋のある構内をロータリーから眺める。1997年2月の旅では、ここから南部縦貫鉄道に乗車することが出来たが、廃止間際の旅だったこともあり、どこもかしこも人だらけで、既に旅情は失われた後だった。

野辺地駅からは青い森鉄道に沿って小川原湖畔に向かうが、途中、千曳駅付近を通過するのでこちらにも立ち寄る。辺りには鉄道林が広がるだけの無人境だが、元々の東北本線は現在地よりも西側の千曳集落を通過しており、その千曳集落内に旧千曳駅があった。現在の千曳駅は大平トンネルによる線形改良で1968年8月5日に廃止となった旧線の千曳駅が移転してきたものだ。ただ、旧線自体は南部縦貫鉄道に引き継がれ、その際に、東北本線と南部縦貫鉄道の接続駅が野辺地駅に変更されるとともに、旧千曳駅が西千曳駅と改称されて南部縦貫鉄道の駅として再起したのである。

そんな歴史を黙して語らぬ千曳駅を出て程なく、小川原湖畔に出る。津軽半島の十三湖と同じ汽水湖で、湖岸の渺漠とした風景も似ている。この雰囲気は北国の湖ならではだ。

日程的に小川原湖を一周することは出来なかったので、この時は西岸を辿って六ケ所村に出るルートとした。

六ケ所村も尾鮫沼をはじめとする汽水湖が多く、元々は湿地帯だったと思われるが、その広大な平地に日本原燃のサイクル施設が存在するほか石油備蓄基地もある。六ケ所村の北側に隣接する東通村には原子力発電所があり、大間でも原発建設が進んでいるので、下北半島は日本の原発産業の中核地域となっている。これ以外に陸上自衛隊の施設があったりと、何かと、大規模施設が多いのが下北半島の実情だ。

その背景には、恐らく、私などが書ききれないような複雑な事情が絡んでいるだろうが、ここではそれには踏み込まない。

六ケ所村北部からは海岸沿いを進むようになるが、海には台風の余波がうねりとなって押し寄せており、かなり波が高い状態だった。

ここまで比較的順調に進んできていたのだが、この辺りで走行中に後輪が振られるようになった。

最初は湿った路面でスリップしたのかと思っていたのだが、タイヤを調べるとかなり空気圧が低下している。ポンプで空気を入れ直すと復活するのだが、しばらく走ると、同じ状況になる。

バルブをやられたかと思いチューブを交換したのだが、走り出してしばらくするとまた空気が抜ける。

そこで、後輪をよく調べてみると、タイヤを貫通して細い針金が刺さっており、それがチューブに微細な穴をあけてしまうようだった。穴の原因となった針金が、同時に穴を塞ぐ栓の役割を果たすので、普通のパンクとは違って、直ぐにタイヤがぺちゃんこにならなかったのだった。

このタイプのパンクは初めての経験だったので、原因に気が付くのに時間を要し、チューブを1本、無駄にしてしまった。

タイヤ全体をチェックして針金を取り除き、再度、チューブを交換して、ようやく収まったのだが、このパンクを誘発したのは、4日目の下北交通大畑線跡で突っ切った、廃道化した藪道だったのだろう。それくらい、タイヤは全周に渡って細かな傷を生じていた。

当時は走りの軽さや見た目の良さもあって、パンク耐性を謳う700×28Cの細いタイヤを用いていたのだが、同じタイヤで複数回のパンクを経験したことから、重積載のツーリングでは用をなさないことが分かり、今では700×42Cのかなり重厚なタイヤを使用している。オフロードを走ることも多いが、現在のタイヤに変えて以降、パンクは一度も経験していない。こういった装備に関する研究も、記事にしていきたいと思う。

物見崎を過ぎて東通村に入ると、車道は内陸側を進むようになり、海岸沿いを走ることは出来なくなる。この辺りの海岸沿いは、南に原発、北に防衛省の試験場があり、厳重に立ち入りが禁じられている。

内陸を行く道路は無人の針葉樹林帯を進むようになり、北海道の道を行くかのような雰囲気だ。

尻労集落は立ち寄る時間が取れずパス。太平洋岸から陸奥湾側に抜けた後、尻屋崎には16時39分に到着した。155.2㎞。

寒立馬で有名な尻屋崎だが、私の訪問時は岬付近には姿が無かった。

予定では尻屋崎で野宿と考えていたのだが、岬一帯はゲートで出入りが管理されており、夜間は立ち入り禁止。私は閉鎖間際に入域したので、車で巡回してきたゲートの監視員に、直ぐに出ていくように告げられる。

他にも数台の車の訪問者が居たので、皆、一斉に追い出されるのだが、自転車の私がきちんと退出するのを監視する必要があるのか、後ろから徐行でついてこられて気持ちが悪い。

途中、寒立馬を見付けて写真を撮影したが、写真撮影中にもスピーカーで退出を求められたので、車での訪問者もろとも、追い出される格好でゲートから外に出た。

こうして、目的地だった尻屋崎での野宿を断念することになったのだが、他の候補地は見つけていなかった。

尻屋集落にも足を延ばしてみたが野宿適地は見つからず、まだ明るかったこともあり、明日の予定経路に進みながら適当な野宿地を探すことにした。

なかなか、これといった場所を見つけられずに進むうち、行く手にある石神温泉に立ち寄りたい気持ちが湧いてくる。今日は、11時過ぎに六ケ所村で温泉に入って以降、80㎞ほどを走ってきていたし、その後の海岸沿いではかなり潮風を浴びて疲労感も強かったからだ。

日没を迎えて薄暗くなった中、石神温泉には18時45分着。189.1㎞。

古き良き銭湯といった風情の石神温泉で茹で上がり、このまま投宿したい気持ちを振り払って温泉を出たのは19時45分。

その後、結局、大畑市街地でもいい場所を見つけられず、さらに先に進んだ釣屋浜付近で小屋付きのバス停を見つけたので、この日はそこで野宿することにした。

20時37分着。200.2㎞。+1676.2m、-1634.0m。

ツーリング装備の自転車で、1日に200㎞を超える距離を走ったのは久しぶりだった。

JR大湊線・吹越駅(青森県:2016年8月)
JR大湊線・吹越駅(青森県:2016年8月)
JR大湊線・吹越駅(青森県:2016年8月)
JR大湊線・吹越駅(青森県:2016年8月)
JR大湊線・吹越駅(青森県:2016年8月)
JR大湊線・吹越駅(青森県:2016年8月)
JR大湊線・吹越~有戸間(青森県:2016年8月)
JR大湊線・吹越~有戸間(青森県:2016年8月)
台風一過ですっきりと晴れ渡った有戸駅
台風一過ですっきりと晴れ渡った有戸駅
野辺地市街地の外れにある北野辺地駅
野辺地市街地の外れにある北野辺地駅
東北本線との接続駅である野辺地駅に到着
東北本線との接続駅である野辺地駅に到着
無人の樹林帯に囲まれた千曳駅
無人の樹林帯に囲まれた千曳駅
鉄道廃線跡のような緩やかなカーブを描く小川原湖畔の農道
鉄道廃線跡のような緩やかなカーブを描く小川原湖畔の農道
内水面漁業者の漁船を係留する桟橋が長閑な小川原湖畔
内水面漁業者の漁船を係留する桟橋が長閑な小川原湖畔
下北半島・六ケ所村・泊漁港付近(青森県:2016年8月)
下北半島・六ケ所村・泊漁港付近(青森県:2016年8月)
下北半島・物見崎付近(青森県:2016年8月)
下北半島・物見崎付近(青森県:2016年8月)
北海道を思わせる針葉樹林帯が広がる下北半島北部
北海道を思わせる針葉樹林帯が広がる下北半島北部
下北半島・尻屋崎(青森県:2016年8月)
下北半島・尻屋崎(青森県:2016年8月)
下北半島・尻屋崎(青森県:2016年8月)
下北半島・尻屋崎(青森県:2016年8月)
下北半島最北の尻屋集落
下北半島最北の尻屋集落
かつては専用鉄道が運行されていた日鉄尻屋鉱山の敷地を通過する
かつては専用鉄道が運行されていた日鉄尻屋鉱山の敷地を通過する
下北半島・東通村・岩谷漁港付近(青森県:2016年8月)
下北半島・東通村・岩谷漁港付近(青森県:2016年8月)
古き良き銭湯といった風情の石神温泉で一浴
古き良き銭湯といった風情の石神温泉で一浴

ちゃり鉄4号:7日目(釣屋浜-大畑=大間~函館港~大間)

釣屋浜のバス停では、到着が遅かったこともあり、テントを張らずにマットと寝袋だけで寝た。食事も大畑市街地で購入したコンビニ弁当で済ませた。少しでも早く休みたかったからだ。

北国のバス停は小屋が併設されていることが多く、気象条件が悪い時などに野宿場所として利用することが少なくない。龍飛崎のバス停などは2泊している。小さな小屋でも、ゴミや虫が少なく横になれさえすれば、案外寝心地のよい野宿場所になる。

翌朝の出発は5時25分。

この日は、未成線の国鉄大間線の跡を辿った後、大間港と函館港との間を往復する計画とした。尻屋崎以降の計画は、当初計画から大幅に変更しており、全て、現地で再計画したものだ。

函館での滞在時間は1時間程しかないが、津軽海峡の船旅を楽しみたい。これは、当初から計画していた行程でもあった。

ところで、大間線の跡を辿るには大畑駅跡まで戻らなければならない。昨日は大畑への到着が遅かったこともあり、大畑駅跡はスルーしてきたからだ。大畑駅跡から進んできた大間線跡は釣屋浜を通っていくのだから、このまま先に進んでもよさそうだが、やはり起点となった大畑駅跡から、きっちりと走りたい。

ルート図と断面図は以下の通り。

ルート図:ちゃり鉄4号7日目
ルート図:ちゃり鉄4号7日目
断面図:ちゃり鉄4号7日目
断面図:ちゃり鉄4号7日目

昨日は天候に恵まれたが、この日は曇天。雨雲ではなく海霧で天候が崩れる心配は無かった。

大畑駅跡に戻り、残された線路や駅施設を撮影してから、大間線跡の探索に入る。

大間線は紆余曲折を経た後に国鉄路線として建設が始まったが、完成せぬ間に太平洋戦争に突入し、資材不足で中止されたまま、遂に、廃止された未成線である。

下北交通大畑線の前身である国鉄大畑線を第一期線とし、大間線は第二期線の位置づけだった。

未成線とは言え、工事中止の段階で、路盤や駅施設はほぼ完成していたので、沿線にはそれらの遺構が随所に残されている。

ただ、突貫工事で建設されたこともあって粗悪な鉄道施設の劣化も激しく、一部は観光資源として維持されているものの全体的には撤去が進んでいる印象である。

「ちゃり鉄4号」では詳細調査せずに沿線探訪を行ったこともあり、この大間線の駅の跡などはしっかりと取材できなかった。これらについては、今後、文献調査を行った上で、改めて「ちゃり鉄」で走行することとしたい。

途中、下風呂温泉では新湯と大湯を梯子する。この日は、津軽海峡フェリーの乗船もあって、比較的のんびりとした行程だったこともあり、昨日の疲れを温泉で癒したかった。

新湯では番頭のおばさんから、「台風の大雨で温泉が薄まっているが普段はもっと濃い」と教えていただいた。それだけ、泉源が浅いということでもあり、温泉らしい温泉だと言えよう。

大間には9時41分に到着。38.4㎞。

ここから大間港に立ち寄ったりした後、フェリーの出港時間までを利用して集落内にあるキャンプ場でテント設営を済ませてしまう。不要な荷物をテント内に残して函館港を往復することにしたのだ。

大間崎を散歩したりしながらのんびりと出港時刻を迎え、大間港12時20分発。1時間半の船旅を楽しむことにする。料金を節約するために自転車は積み込まず港にデポしていくことにした。

乗船直後から船室で昼寝をしている乗客が多く、起きている人はサロンスペースに集まっていたが、観光らしい熟年夫婦が多い印象だった。

私は殆どの時間を甲板で過ごしたが、少し肌寒かったこともあり甲板に出てくる人は少なかった。

霧が立ち込めて薄ら寒い津軽海峡を渡り、函館山を眺めながら函館港には13時50分着岸。

函館港とは言うものの、七重浜にあって函館市街地からは離れているので、折り返し便が出る14時50分までに歩いて市街地を往復することは出来ない。自転車は大間港に残してきた。

港の施設内で食事をしたりして1時間を過ごし、14時50分には折返しの大間便に乗船。1時間の北海道滞在だった。

再び船旅を楽しんで大間港には16時20分に戻る。

この後、大畑に向かって15㎞ほど逆行し桑畑温泉、17時15分着。この日の3湯目を堪能する。

18時1分に桑畑温泉を出発し、大間には19時13分着。80.0㎞の走行でこの日の行動を終了した。

累積標高差は+1130.7m、-1147.2m。

ただし、これには乗船区間のデータも含まれているのでその間の上下動が累積されており、実際の走行部分の累積標高差は、もっと、小さいと思われる。

下北方から眺めた下北交通大畑線の大畑駅跡
下北方から眺めた下北交通大畑線の大畑駅跡
下北交通大畑線の大畑駅跡の先には大間延伸の痕跡が残る
下北交通大畑線の大畑駅跡の先には大間延伸の痕跡が残る
下狄川に架かる大間線跡の二枚橋
下狄川に架かる大間線跡の二枚橋
木野部峠の下を行く赤川隧道の跡が対岸の山腹に微かに見えている
木野部峠の下を行く赤川隧道の跡が対岸の山腹に微かに見えている
先ほど下から見上げた木野部峠を行く国道から釣屋浜の集落を見下ろす
先ほど下から見上げた木野部峠を行く国道から釣屋浜の集落を見下ろす
当時はまだ残存していた小赤川の橋梁跡
当時はまだ残存していた小赤川の橋梁跡
沿線随一の観光地とも言える下風呂温泉でまずは新湯を訪れた
沿線随一の観光地とも言える下風呂温泉でまずは新湯を訪れた
大間線橋梁跡を利用した足湯施設が設けられている
大間線橋梁跡を利用した足湯施設が設けられている
下風呂温泉の新湯から大湯へと銭湯はしご
下風呂温泉の新湯から大湯へと銭湯はしご
下風呂温泉から大間へと向かう道すがらは海霧に覆われていた
下風呂温泉から大間へと向かう道すがらは海霧に覆われていた
大間集落の只中にあるキャンプ場に午前中からテントを設営する
大間集落の只中にあるキャンプ場に午前中からテントを設営する
大間崎の北に浮ぶ本州最北端の弁天島
大間崎の北に浮ぶ本州最北端の弁天島
大間崎には本州最北の地を示す碑が立っている
大間崎には本州最北の地を示す碑が立っている
大間港から津軽海峡フェリーで函館港を往復
大間港から津軽海峡フェリーで函館港を往復
乗船早々から昼寝をする乗客が多い
乗船早々から昼寝をする乗客が多い
サロンスペースで以降のは旅行中の熟年夫婦が多い印象
サロンスペースで以降のは旅行中の熟年夫婦が多い印象
港湾職員に見送られながら大間港を出港
港湾職員に見送られながら大間港を出港
甲板で景色を眺める人も少なく、皆、午睡のひと時
甲板で景色を眺める人も少なく、皆、午睡のひと時
函館港外には貨物船が多数停泊していた
函館港外には貨物船が多数停泊していた
函館山を眺めながら港に向かう
函館山を眺めながら港に向かう
七重浜にある津軽海峡フェリーの函館ターミナルに接岸する
七重浜にある津軽海峡フェリーの函館ターミナルに接岸する
少なからず徒歩の乗船客の姿もあった
少なからず徒歩の乗船客の姿もあった