尾盛駅:大井川鐵道井川線|旅情駅探訪記

大井川鉄道井川線・尾盛駅(静岡県:2017年6月)
旅情駅探訪記
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尾盛駅:旅情駅探訪記

初訪問 ~2017年6月(ちゃり鉄12号)~

大井川鐵道井川線に、尾盛という駅がある。

この駅は、鉄道に乗っていく以外、駅にたどり着く「道」がないのだと言う。

JR室蘭本線の小幌駅や、JR飯田線の小和田駅などとともに、ある種の鉄道趣味を持った人々の間では、聖地のように扱われてもいる尾盛駅だが、駅があるということは、そこに、駅と結びついた人々の生活があったということでもある。

今は、住む人もなく、訪れる道もない、そんな駅に秘められた歴史やドラマに思いを馳せ、地図を読みながら、道なき道を辿って、かつての姿を偲んでみたい。

そこで、ちゃり鉄12号の旅では、この尾盛駅を含む、大井川鐵道沿線を訪れることにした。

計画作成のために情報を調べてみると、噂通り、この駅にたどり着く「道」はない。

しかし、駅の上流側にある関の沢や、大無間山から派生する枝尾根には、沢登りや渓流釣り、登山の記録が多数ある。駅そのものを目指して、徒歩で到達したという記録も散見される。

整備された道はなくとも、地図を読んで歩くことができ、難所を越える技術や体力を持っているならば、尾盛駅は到達不能の地ではない。まして、この駅は、現役の鉄道路線の営業駅である上に、国土地理院の地形図を調べてみると、駅の近傍まで、歩道を示す破線が伸びている。

もっとも、その破線が、駅に達していないという点に、この駅やそこに通じる道が辿った運命が垣間見られるのだが、恐らく、消えた破線の先に、そこにあったはずの「道」の痕跡があるはずだ。

線路歩きなどということはしない。

ネット上の情報や地図に示された地形から判断して、破線の先、等高線に沿って進めば、いくつかの難所はあるものの、駅にたどり着くことが出来ると読んで、隣駅の接岨峡温泉駅からアクセスする計画で、現地を訪れることにした。

地形図:尾盛駅アクセスルート
地形図:尾盛駅アクセスルート

前夜を過ごした川根小山駅を朝、5時過ぎに出発し、営業開始前の接阻峡温泉駅には、6時過ぎに到着した。集落はまだ眠っているかのようだ。

接岨峡温泉駅をひとしきり撮影した後、駅から見下ろせる集落まで、一旦坂を下り、集落内から線路脇に通じる裏路地を通って、尾盛駅方面への破線ルートの入り口に立つ。

接岨峡温泉駅の脇から尾盛駅への杣道に入る
接岨峡温泉駅の脇から尾盛駅への杣道に入る

線路脇と言っても、線路との間は柵で仕切られているので、通行上の危険はない。

ルートは、国土地理院の地図とは異なり、井川線の27号トンネルの手前、接岨峡温泉側から線路脇に上がり、そのまま27号トンネル方向に並行した後、トンネル脇の山腹をトラバースするように進むが、その後は、概ね地図の示すとおり、線路脇の斜面上を、路盤から20m程の比高を保って、トラバース気味に続いていく。

トンネル脇のルート入口付近は藪が覆っており、道があるように見えないが、そこをかき分ければ、比較的はっきりとした道の跡が続いている。雰囲気としては、森林施業用の作業道の廃道と言った感じだ。

井川線のトンネル脇の藪の中に道が続いている
井川線のトンネル脇の藪の中に道が続いている
藪を越えると、マイナーな登山道と言った雰囲気の道が続いている
藪を越えると、使われなくなった林道と言った雰囲気の道が続いている

1分ほど歩くと、唐突に「対向車あり」という標識が現れる。「それはないやろ」と突っ込みたくなる標識で、その脇の柵と比べて、妙に新しいのも違和感がある。

ただ、接岨峡温泉から尾盛まで、自動車が走っていた時代があるらしい。

標識が、その頃からのものだとは思えないが、この道を車が通っていたことは、恐らく、間違いないと思われる。

「それはないやろ」と突っ込みたくなる標識が唐突に現れる
「それはないやろ」と突っ込みたくなる標識が唐突に現れる

標識を過ぎてからも、道は、明瞭に続いている。斜面の下を見下ろせば、井川線の路盤が、林間に見え隠れしている。

所々には、小さな沢を渡る橋がかけられており、名前を記した標識も立てられている。第一竹の花橋、第二竹の花橋、第一井戸沢橋、第二井戸沢橋…といった名称を確認することができた。

橋の構造は、車が通ることが出来るものではなく、あくまで、遊歩道のそれであるが、実際、この道は、平成一桁の時代に、当時の川根本町によって、接阻峡遊歩道として再整備されたのだと言う。

斜面の右下の線路を見下ろしながら、杣道を行く
斜面の右下の線路を見下ろしながら、杣道を行く
第一竹の花橋という標識が崩れかかっている
第一竹の花橋という標識が崩れかかっている
第二竹の花橋は破損は見られない
第二竹の花橋に破損は見られない
歩道脇の斜面の下には、井川線の路盤が並行している
歩道脇の斜面の下には、井川線の路盤が並行している
遊歩道として整備された痕跡が明瞭
遊歩道として整備された痕跡が明瞭

道は、自然林が交じる植林地の中を進むので、ところどころ、森林施業に用いられたと思われる小屋などがある。大半は、倒壊するなどした廃小屋であるが、中には、今でも現役で用いられていそうな、比較的新しい小屋もあった。

所々で、植林地内を通過する
所々で、植林地内を通過する
倒壊した作業小屋が所々に残っている
倒壊した作業小屋が所々に残っている

淡々と、植林地内の杣道のような遊歩道跡を進んでいくと、治山工事の跡なのか、開けた斜面に出た。

樹木の梢の上を見渡せば、大無間山へと続く、南アルプス深南部の山並みが横たわっていた。

ルートの中で視界が開けたのは、駅付近を除けばこの辺りだけであった。

治山工事の跡なのか開けた部分もあった
治山工事の跡なのか開けた部分もあった
大無間山へと続く深い山並み
大無間山へと続く深い山並み

更に歩みを進めていくと、地図にも表示されている29号トンネル付近の斜面上部で、斜面を下っていく分岐が現れた。

もっとも、分岐の方に柵がのびており、左カーブを描きながら斜面をトラバースしていく道から分かれて、斜面を下れと、暗に示しているのだが、道としては、トラバース道の方が自然であり、地図の破線ルートが示しているのも、トラバース道の方である。分岐に標識はない。

斜面に沿って進む道から、斜面を下る道が分岐している地点に出た
斜面に沿って進む道から、斜面を下る道が分岐している地点に出た

柵に導かれて斜面を下っていくと、やがて、林間に木製のテラスの様な施設が見えてきた。明らかに、遊歩道に付随した展望施設である。

近づいてみると、日影山展望台という標識もあった。

展望台とは名ばかりで、実際には、樹木に遮られて展望は開けない。

整備した当時は、展望が開けていたのかもしれない。

行政などの手によって整備された歩道には、よく、展望台が作られるが、整備が終わった後に、維持管理に予算を割くことは少ないため、樹木の成長などによって展望が失われ、誰も訪れない廃墟になってしまう例も多い。

かと言って、維持管理の目的で樹木を伐採するとすれば、自然破壊と批判されるご時世でもある。

下手に整備して放置するくらいなら、むしろ、一切整備しない方が望ましいのだが、行政機関で仕事をしていると、整備を望む声にも耳を貸さねばならない。

維持管理を嫌って堅固な構造物を設ければ、今度は、過剰整備と言う声が上がり、整備不良で事故が起これば、管理責任が問われる。

批判をするのは簡単だが、矛盾する要求を快刀乱麻を断つように解決するのは難しい。

訪れる者もない日影山展望台
訪れる者もない日影山展望台

それはさておき、展望台の脇の道は、更に斜面を下り、井川線の路盤と同じ高さまで達するが、そこで、地図にも示された大きな沢を渡る吊橋が現れる。

大井川源流域で見られる、簡易な吊橋ではなく、かなり堅固な構造物である。この歩道を整備した地元自治体の意気込みが感じられる吊橋である。

大井川鐵道の車窓からも、はっきりと見えることだろう。

吊橋を渡り終えて、更に道なりに進むと、2つ目の吊橋が現れる。この吊橋には、「くりぞうりさわばし」という名称がついている。

「くりぞうり」の漢字表記はないが、沢が突き上げた稜線上には、表高1293.9mの三角点があり、栗代山と呼ばれている。稜線の反対側の谷を刻むのは、栗代川である。また、尾盛駅から大無間山に続く廃登山道は、尾栗峠で稜線に突き上げている。

そういった点を踏まえると、「くりぞうり」は「栗草履」なのであろう。

尾栗峠の名前の由来は定かではないが、尾盛の「尾」と、栗代の「栗」に由来する地名なのではないか?と推察している。

井川線を山手に眺めつつ遊歩道の吊橋を渡る
井川線を山手に眺めつつ遊歩道の吊橋を渡る
吊橋の上で来し方を振り返る
吊橋の上で来し方を振り返る
更に進むと、「くりぞうりさわばし」という名の吊橋に出る
更に進むと、「くりぞうりさわばし」という名の吊橋に出る
2つ目の吊橋上で、振り返った眺め
2つ目の吊橋上で、振り返った眺め
地形図:尾栗峠付近
地形図:尾栗峠付近
地形図:「くりぞうりさわ」付近
地形図:「くりぞうりさわ」付近

「くりぞうりさわばし」を越えると、工事に使われたのだろうか、小型ミキサーが廃棄されているのを横目に、今しがた下ってきた分をきっちりと登り返し、斜面をトラバースしてきたと思われる破線ルートに復帰する。

地図で見ると、茶畑の記号が3つ描かれ、山腹斜面に飛び出した、小さな台地がある辺りである。

地図記号とは異なり、茶畑は見られないが、代わりに、廃小屋や石垣の跡が散見され、人の生活の痕跡が濃厚な一帯である。

路傍の苔むした石垣には、かつての生活の痕跡が残る
路傍の苔むした石垣には、かつての生活の痕跡が残る

そこから先は、地図の破線がなくなっているのだが、実際、現地でも、道は不明瞭になってくる。岩盤を削った道の跡を追うことは出来るが、落石や崩土、落ち葉や枯れ枝など、様々なものが堆積し、分かりにくくなる。

更に進むと、地形図上に示された777mの標高点のある尾根を32号トンネルがくぐる真上の、小さな平坦地に出る。ちょっとした盛り上がりもあるが、これが、自然の造形なのか、人為によるものかは分からなかった。

車の通る道があったらしいという情報を元にすれば、人為的に整地をしたり、斜面を削ったりした跡とも考えられるが、そういった痕跡は見つからなかった。

道が荒れて不明瞭になってきた
道が荒れて不明瞭になってきた
地図でも明瞭に見える尾盛駅手前の尾根地形の平坦地
地図でも明瞭に見える尾盛駅手前の尾根地形の平坦地
地形図:32号トンネル上部尾根平坦地付近
地形図:32号トンネル上部尾根平坦地付近

尾根を回り込むと斜面は北向きになるが、地図でも示されたとおり、この辺りの斜面は急勾配で谷に落ち込んでいる。

そして、平坦地を出て程なく、道路の痕跡が、完全に崩壊して消失している地点に出た。崩壊地の対岸には、道の跡が続いているのが見て取れるが、崩壊地そのものは5m程度あり、斜面側の岸壁をへつるにしても、転落した際の安全性が確保できないため、フィクスロープが必要と思われる。

辺りをよく見ると、かつて、ここには桟道状の吊橋があったのか、それらしき残骸やワイヤーが、力なく斜面に垂れ下がっている。

先程の尾根まで戻って、崩壊地を高巻く事も考えたが、ここでは、少し戻ったところから、斜面を下り、崩壊地の下の急斜面をトラバースして突破することができた。

平坦地の少し先で、道が5m程度陥没しており、通行不可能になる
平坦地の少し先で、道が5m程度陥没しており、通行不可能になる
陥没地点に架かっていたと思われる桟道の残骸
陥没地点に架かっていたと思われる桟道の残骸
桟道を支えていたと思われるワイヤー類が垂れ下がっている
桟道を支えていたと思われるワイヤー類が垂れ下がっている

1つ目の崩壊地を越えて、道跡に復帰したのも束の間、間髪入れずに2つ目の崩壊地が現れる。

こちらの方が、崩壊の規模も、斜面の傾斜・高度差も大きく、万事休す…と暫し立ち尽くした。

眼下には、かなりの高度差と急傾斜の先に、井川線の線路が見えている。

崩壊地に向かって、いつ、誰が設置したのか分からないトラロープが、垂れ下がってもいたが、全体重を預けてぶら下がる代物ではない。

結局、ここでも、少し戻った地点から、クライミングの要領で斜面を下り、今度は、対岸の道に復帰せず、斜面を下って、線路脇まで達した。

子供の頃から木登りが好きで、登山を始めた流れで、クライミングもするようになったのだが、クライミングでは、登るよりも降る方が、圧倒的に難しい。

掴んだ灌木が体重を支えきれるのか、足元の地面が崩れることはないのか、三点支持で探りを入れながらの、緊張する下降であった。

接岨峡温泉から続いていた破線ルートの息の根を止めたのは、恐らく、この2つの崩壊地であろう。

1つ目の陥没地点を迂回した先に、2つ目の陥没地点が現れ、ここも通り抜けできない
1つ目の陥没地点を迂回した先に、2つ目の陥没地点が現れ、ここも通り抜けできない
2つ目の陥没地点手前から、急斜面を下降し、線路脇の斜面に出た
2つ目の陥没地点手前から、急斜面を下降し、線路脇の斜面に出た

線路脇の一段高い斜面をトラバースしていくと、そのうち、崩壊地を越えてきたと思われる道の痕跡が現れる。

程なく、線路の路盤の周りに、広い空間が現れるようになり、緩やかな曲線を描く井川線の線路に沿って、駅が近づいてきたことを予感させる雰囲気になる。地図では、32号トンネルを出た辺りから、線路は直線状に描かれているが、実際には、この区間にも緩やかなカーブが存在している。

不明瞭だが、線路脇の一段高い斜面に、かつての道の跡が残っている
不明瞭だが、線路脇の一段高い斜面に、かつての道の跡が残っている
山腹に曲線を描いて伸びている井川線の線路脇を進む
山腹に曲線を描いて伸びている井川線の線路脇を進む

やがて、地図上で水線が描かれている沢の上流部に当たる、樽沢橋梁と書かれた短い橋を渡る辺りで、尾盛駅が見えてきた。

接阻峡温泉の27号トンネル脇を出発したのが、6時31分。「駅前」の廃屋脇に辿り着いたのが、7時26分。55分での到達となった。

6月中旬の南アルプス深南部の山中。訪れる者もいない寂寞境に、旅情駅は静かに佇んでいた。

樽沢橋梁を渡る辺りで、尾盛駅が見えてきた
樽沢橋梁を渡る辺りで、尾盛駅が見えてきた
廃屋の残る尾盛駅に出た
廃屋の残る尾盛駅に出た

改めて、尾盛駅の歴史を振り返ってみる。

駅の開業は、1959年8月1日。路線自体は、1935年3月20日の大井川専用軌道(千頭~大井川発電所)開業にルーツを持ち、その後、1954年4月1日に、堂平まで開業するとともに中部電力専用鉄道となった後、尾盛駅開業と同日に、大井川鐵道井川線となった。

即ち、中部電力の専用鉄道が、大井川鐵道という一般鉄道に引き継がれた際に、尾盛駅も開業したのである。ただし、駅の施設自体は、中部電力の専用線時代に既に設けられていたようで、旅客営業駅としての開業が1959年だということである。

1959年と言うと、全国の鉄道建設史の中では、それ程、昔のことではない。

その頃から、現在のように、住む人も、辿り着く道もなかったのか?と言えば、勿論、そんな訳もなく、既に述べたように、開業当時は、この駅まで通じる車道があったようである。

その辺の経緯は、大井川鐵道のWebサイトに、簡潔にまとめられている。

それによると、中部電力による1954年の井川延伸の際に、尾盛駅ができたらしく、その理由は、この駅の周辺に、井川ダムや井川線の建設作業員宿舎があったためと説明されている。

最盛期は1955年頃で、4つの建設会社による17~18軒の宿舎に、200人くらいの住人が居たようだ。別の個人ブログでは、病院や小学校もあったという話が紹介されている。実際、鉄道以外のまともな道がないこの地にあって、ダム建設に携わる労働者の家族が生活していたとなれば、生活に必要な各種の施設も建設されていたことであろう。

しかし、井川ダムの建設のために発生した尾盛の集落は、1957年の井川ダムの完成によって存在意義を失い、住む人は居なくなった。

存在意義を失った駅は、廃止されて当然であるが、尾盛駅は、「廃止できない理由がある」のだという。

それは、林業とダム建設に関する補償問題の存在である。

大井川上流部は、元々、豊富な森林資源を利用して林業が発達した地域であり、公共交通機関や道路網が整備される以前は、大井川を利用した水運、通称「川狩り」が盛んに行われていたのだと言う。尾盛駅の周辺でも、既に見てきたとおり、森林施業が行われていた。

しかし、ダム建設に伴い、川狩りができなくなると、森林資源の搬出に対する代替手段を確保する必要が生じ、ダムの建設主体である電力会社に、補償義務が必要が生じたのである。

そこで登場する補償手段が、鉄道であった。川狩りに代えて、鉄道による搬出を行うことにしたのである。ここ尾盛駅でも、周辺の植林地からの積み出しが行われていたと言う。

しかし、日本の林業自体が、輸入外材との競争に負けて衰退するのと軌を一にして、大井川流域の林業も廃れていった。

尾盛駅での木材の積み出しは、1970年2月が最後だと、同社のWebサイトには書かれている。

結局、ダム建設と林業補償という、2つの異なる目的のいずれをも失ったにもかかわらず、補償契約の条文だけが生き残り、現在も、尾盛駅が「営業」されている根拠となっているのである。

さて、その尾盛駅前。

かつての集落跡地は、随所に残っている。地図で見れば、確かに、この辺りではここにしかないといった具合に、小さな沢の上流に緩傾斜地が広がっており、今も残る小屋の跡や駅舎代わりの保線小屋も描かれている。

地形図:尾盛駅付近拡大図
地形図:尾盛駅付近拡大図

線路から一段下がった窪地には、作業員宿舎のような建物が残っていた。

中を覗いてみると、板張りの床の半分ほどが朽ち果てており、壁も崩れて自然に帰ろうとしているところであったが、なぜか、時代を感じさせる古いエロ本が一冊、投げ捨てられていた。集落に人が居た当時からのもの、とは思われないが、そうだとすれば、訪問者が捨てていったものということだろうか。

小屋の裏には、作業用具が散乱していたが、井戸のような構造物もあった。

線路から一段下がった窪地に、作業小屋の跡と思われる建物も残っている
線路から一段下がった窪地に、作業小屋の跡と思われる建物も残っている
作業小屋跡には、なぜか、時代を感じさせるエロ本が…
作業小屋跡には、なぜか、時代を感じさせるエロ本が…
作業小屋の裏手には打ち捨てられた作業用具などが散乱し、井戸と思われる構造物もあった
作業小屋の裏手には打ち捨てられた作業用具などが散乱し、井戸と思われる構造物もあった

駅前に戻って、山中の寂寞境・尾盛駅の全景を眺めてみる。

駅は、かつて、交換可能だったようで、現在の線路側にある、バス停や花壇のような低いトロッコ用ホームの他、「駅舎」側にも、ホームの跡が残っている。

「駅舎」側と、現在のホームとの間を通行するには、線路を渡らねばならないが、踏切は勿論、歩行帯も設けられていない。

ここでは、堂々と、線路歩きをしなければいけない。

かつては交換可能駅だったと思われる尾盛駅
かつては交換可能駅だったと思われる尾盛駅
尾盛駅の背後は、大無間山に続く深い山林が控える
尾盛駅の背後には、大無間山に続く深い山林が控える
尾盛駅の駅名標
尾盛駅の駅名標
尾盛駅舎の傍らには狸が
尾盛駅舎の傍らには狸が
左下の10cm程度の盛土が尾盛駅のホーム
左下の10cm程度の盛土が尾盛駅のホーム

駅舎代わりに使われている保線小屋などを覗いてみる。

この小屋は、元々は、保線作業員の詰所であって、一般開放はされていなかったのであるが、駅周辺で、熊の出没が相次いだことにより、避難場所も兼ねて、開放されるようになったのだと言う。

本来の「待合室」は小屋に併設して、その軒下に設けられているが、吹きさらしなので、逃げ場にはならない。

現状では、この保線小屋が尾盛駅舎と言えようが、中は、作業事務所のような作りになっており、緊急電話の他、事務机などが置かれていた。訪問者の駅ノートも数冊置いてあった。

保線小屋を一般開放して待合室として使っている尾盛「駅舎」
保線小屋を一般開放して待合室として使っている尾盛「駅舎」
プレハブ小屋のような作りの尾盛駅舎内
プレハブ小屋のような作りの尾盛駅舎内

ここから大無間山に至る廃登山道は、線路に沿って閑蔵駅側にしばらく歩いた後、斜面に取り付いて急登を上り詰めていくようだが、駅にその案内はない。

駅のホームには、神尾駅でも見かけた狸が鎮座して、旅人を迎えてくれる。

他には、タヌキ物語第七話の看板があるが、この看板の内容は、駅の由来などではなく、昔話風の創作物語である。

かつては、奥大井接阻峡を謳う観光案内板もあったようだが、私が訪問した時には、見つけることができなかった。

駅の近傍まで整備されていた「接阻峡遊歩道」は、日影山展望台などを経て、大井川を渡り、対岸の接阻峡温泉に至る構想もあったようだが、その構想の中に、尾盛駅までの整備が含まれていたとは思われない。

近年は、こうした駅も有名になり、遠来の客も訪れるようになったようだが、かと言って、経営改善に資するほどの数ではなく、大井川鐵道でも、この駅の扱いに苦労している様に思われる。

少ないながらも乗降客が居るのであれば、旅客扱いをする必要が生じるし、その乗降客が、会社にとって好ましい客とは限らず、ここでも、開放された小屋の中に、ゴミを捨てていく者が少なからずいるようである。

私は、したり顔にマナーを訴えようとは思わないが、「旅先でとるのは写真だけ、持って帰るのは思い出だけ」にしておきたいと思う。

この訪問では、朝の始発列車が到達する前に駅を往復することになったため、他の訪問者もいない中、静かな時間を過ごすことができた。

この後、井川線を終点井川まで進み、更に、その先の廃線跡を堂平駅跡まで踏破した跡、草薙ダムから奥の林道を二軒小屋辺りまで往復する予定で、時間的にタイトな行程であったため、尾盛駅での滞在も、短時間で切り上げることになった。

いつか、この尾盛駅から大無間山に登ってみたいと思いつつ、駅を後にした。

7時36分発。10分の滞在であった。

いつか、この尾盛駅から大無間山に登ってみたいと思いつつ駅を後にする
いつか、この尾盛駅から大無間山に登ってみたいと思いつつ駅を後にする

駅に意識が傾いていた往路とは異なり、帰路は、道の周辺の様子を観察しながら歩く。

駅の構内の外れには、大きな石垣の構造物が残っている。

現地にも、その正体を示す根拠は残っていなかったが、かつて尾盛駅にあった、学校の跡だという様な情報もある。

線路脇の来た道を戻っていくと、勾配標が現れる辺りから、何となく、右側の斜面に取り付く道の痕跡が見えてくる。獣道がそう見えているだけかもしれないが、所々に、養蜂の巣箱が見られることから、恐らく、人道の跡と見て、間違いないだろう。

やがて痕跡が明瞭になってくると、中部電力の敷地境界標識や、打ち捨てられた梯子が出てきたりする。登山道よりは不明瞭で、獣道よりは明瞭という程度の道だが、往路で迂回した2つ目の崩壊地に、逆からアプローチする形になっている。

かつての学校跡と思われる石垣
かつての学校跡言われる石垣
かつての道の跡は、この辺りから、右手斜面に取り付く
かつての道の跡は、この辺りから、右手斜面に取り付く
道の跡は、登山道よりも不明瞭で、獣道より明瞭という程度
道の跡は、登山道よりも不明瞭で、獣道より明瞭という程度

駅を後にして7分程度で、2つ目の崩壊地の「対岸」に辿り着いた。

こちら側から眺めても、やはり、通過不能であることには変わりがない。

往路と同様に斜面を迂回するため、急斜面を下るのだが、丁度、井川線の32号トンネルの上に出る。

下から眺めると、完全に、クライミングを要する岩壁であったが、ここでは、トラロープ脇に「筋」を見出して、フリークライミングで道に復帰した。トラロープに体重を預けるのは危険なので、それには頼らず、岩の裂け目や凹凸を使って登る必要があるが、最後、路面に出る部分が渋くて、緊張を強いられた。

垂れ下がった木製桟道の残骸をよく見ると、「加圧式クレオソート」の文字や、「静岡木材防腐株式會社」の文字が見えた。クレオソートというのは、タールを主成分とする木材防腐用剤である。

陥没地点に逆側から到達
陥没地点に逆側から到達
陥没地点を避けて、一旦急斜面を下降すると、井川線の32号トンネルの上に出る
陥没地点を避けて、一旦急斜面を下降すると、井川線の32号トンネルの上に出る
真下から眺めた陥没地点
真下から眺めた陥没地点

陥没地点を過ぎて、来た道を引き返す。

往路で見た集落跡と思われる地点まで戻ってくると、往路では気が付かなかった石垣や小屋の跡があった。中には、現在も使われているのではないか?と思うような、比較的新しい小屋もあった。

帰路のルート途中にも、山小屋の跡と思われる石垣が見られる
帰路のルート途中にも、山小屋の跡と思われる石垣が見られる
廃屋然とした杣小屋も所々に残る
廃屋然とした杣小屋も所々に残る
現在も利用されていると思われる新しい小屋もあった
現在も利用されていると思われる新しい小屋もあった

往路では、線路脇の2つの吊橋を通る遊歩道跡を通ってきたが、復路は、このまま、地図上に示された破線後のルートに沿って進むことにする。

往路と復路とを合わせて、尾盛駅に至るルートの全容を把握することが出来るだろう。

トラバース路をそのまま進むと、程なく、「くりぞうりさわ」の上流を横切る地点に出る。

沢沿いに辿り着いた道は、沢地形の中に消えており、痕跡は分からなくなる。

対岸を眺めてみると、なんとなくそれらしい痕跡が見いだされたので、そこを目指して沢を渡るが、その際に下流側を眺めると、急勾配の渓流の先に、滝の存在を暗示する落ち込みがあり、視界が開けて、井川線の線路が見えた。

かなりの急勾配である。

「くりぞうりさわ」の上流部で沢を渡る
「くりぞうりさわ」の上流部で沢を渡る
沢から見下ろすと井川線の線路が林間に見え隠れしている
沢から見下ろすと井川線の線路が林間に見え隠れしている

「くりぞうりさわ」を越えると、もう一つの沢を横切るまでの間に、尾根をトラバースすることになるが、この部分は、崩壊した瓦礫に覆われた斜面となっており、道の痕跡は跡形もない。斜面自体は、少しずつ植生も回復してきている様子だったので、新しい崩壊地ではなさそうだが、立木に激突して止まったと思われる巨大な落石などもあり、通過には緊張を強いられる。

途中、斜面に古いレールが1本、転がっていた。

前後の様子から考えて、この辺りに、軌道があったとは考えにくく、恐らく、かつて存在したはずの車道の一部として利用されていたものが、斜面崩壊に伴って流出し、辛うじて斜面途中にとどまっているというのが、実態であろう。

崩壊地の斜面では巨大な落石が立木に引っ掛かって止まっていた
崩壊地の斜面では巨大な落石が立木に引っ掛かって止まっていた
崩壊した山腹のトラバース地点で、道路に使われていたらしい、レールが転がっていた
崩壊した山腹のトラバース地点で、道路に使われていたらしい、レールが転がっていた

崩壊地を越えると、造林作業道跡と思える程度の広い区間も現れるが、すぐに、次の沢に飲み込まれて、再び道は消える。

こちらの沢は、古い土石流の跡が顕著で、流木なども多く、荒れた様相である。

この沢辺には、小さな小屋があり、何やら赤い文字でメッセージが書かれている。よく見ると、「カメラ見テルワサビトラナイデ下サイ」と訴えている。

今はどうかは分からないが、かつては、山葵を栽培していたのであろう。

カメラがあったのかどうかは定かではない。

崩壊地を越えると造林作業道のような道の跡が現れる
崩壊地を越えると造林作業道のような道の跡が現れる
下流側の吊橋の上流地点は、土石流で荒れている
下流側の吊橋の上流地点は、土石流で荒れている

沢を越えて程なく、道は、「接阻峡遊歩道跡」に合流する。

往路では、荒れた印象を受けたが、復路でここまで戻ってくると、「いい道」と感じるようになっていた。

接阻峡温泉駅の先の27号トンネル脇には、8時37分に戻ってきた。2時間前の出発段階では、まだ、日も差さず、集落も眠っているかのようだったが、この時刻になると、駅のある谷間にも日が差し込み、明るい雰囲気になっていた。

ただし、まだ、始発列車までは時間があるため、駅界隈に人の姿は見られなかった。

崩壊地や沢筋の通過で時間がかかり、復路は61分かかった。

次に尾盛駅を訪れる際も、このルートを通ることになるのだろうが、できれば、大無間山にも足を伸ばし、南アルプス深南部山行を楽しみたいと思う。

今日は、ここから、閑蔵駅、井川駅と辿って、井川線を走破した跡、堂平駅までの廃線を走り、更に、大井川源流の二軒小屋付近まで足を伸ばす予定である。

歩道の入口脇に停車中のちゃり鉄号に乗り込んで、出発した。

なお、後ほど、閑蔵駅で、靴の中に入り込んだゴミを取り除こうとしたら、靴下に張り付いたヤマビルも転がり出てきた。ヤマビルの多い山域だけに、歩行の際は、装備に注意が必要だろう。

接阻峡温泉近くまで戻ってくると、「いい道」に感じるようになっていた
接阻峡温泉近くまで戻ってくると、「いい道」に感じるようになっていた
朝日が眩しい接岨峡温泉駅に戻ってきた
朝日が眩しい接岨峡温泉駅に戻ってきた
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尾盛駅:旅情駅ギャラリー

2017年6月撮影(ちゃり鉄12号)

既に通過した第二竹の花橋と瓜二つの第一井戸沢橋
既に通過した第二竹の花橋と瓜二つの第一井戸沢橋
更に第二井戸沢橋を渡る
更に第二井戸沢橋を渡る
この橋は標識がなくなっているが、橋の向こう側の石垣が見事に残っている
この橋は標識がなくなっているが、橋の向こう側の石垣が見事に残っている
遊歩道時代に整備されたと思われる桟道の標識
遊歩道時代に整備されたと思われる桟道の標識
吊橋を渡ったところに放棄されている小型の生コンミキサー
吊橋を渡ったところに放棄されている小型の生コンミキサー
植林地内に残る作業小屋
植林地内に残る作業小屋
振り返って越し方を望む
線路脇の雑踏を歩きながら、振り返って越し方を望む
山中の寂寞境・尾盛駅の全景
山中の寂寞境・尾盛駅の全景
接岨峡温泉側から眺めた尾盛駅の全景
接岨峡温泉側から眺めた尾盛駅の全景
尾盛駅旧ホーム?から接岨峡温泉駅方向を眺める
尾盛駅旧ホーム?から接岨峡温泉駅方向を眺める
尾盛駅から閑蔵駅方面を眺める
尾盛駅から閑蔵駅方面を眺める
右手の低い盛土部分が、現在の尾盛駅ホーム
右手の低い盛土部分が、現在の尾盛駅ホーム
尾盛駅の背後には、かつての住居跡が残っている
尾盛駅の背後には、かつての住居跡が残っている
所々に、使われているのかどうか分からない蜂の巣箱がある
所々に、使われているのかどうか分からない蜂の巣箱がある
中部電力の境界標識と廃棄された梯子
中部電力の境界標識と廃棄された梯子
桟道の残骸に残された標識
桟道の残骸に残された標識
トラバース路は痕跡も消えている
トラバース路は痕跡も消えている
沢の中に「わさびを取るな」と訴える小屋の跡がある
沢の中に「わさびを取るな」と訴える小屋の跡がある

尾盛駅:地図画像

国土地理院地図画像

地形図:尾盛駅付近
地形図:尾盛駅付近

空撮画像

空撮画像:尾盛駅付近
空撮画像:尾盛駅付近
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