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ちゃり鉄23号:旅の概要
- 走行年月
- 2024年3月(前夜泊2泊3日)
- 走行路線
- 私鉄路線等:銚子電鉄鉄道線
- 廃線等:九十九里鉄道鉄道線
- 主要経由地
- 波崎海岸、犬吠埼、屛風ヶ浦、九十九里浜
- 立ち寄り温泉
- 波崎マリンプール浴室
- 主要乗車路線
- JR総武本線・久留里線
- 走行区間/距離/累積標高差
- 総走行距離:127.8km/総累積標高差+480m/-477m
- 0日目:自宅≧大阪≧(寝台特急「サンライズ出雲」)
(ー/ー/ー) - 1日目:東京≧銚子=外川-波崎海岸-犬吠埼-君ヶ浜しおさい公園
(57.0km/+200m/-197m) - 2日目:君ヶ浜しおさい公園-九十九里浜-上総片貝=東金≧木更津≧上総亀山
(70.8km/+280m/-280m) - 3日目:上総亀山≧木更津≧館山≧東京≧京都≧自宅
(ー/ー/ー)
- 0日目:自宅≧大阪≧(寝台特急「サンライズ出雲」)
- 総走行距離:127.8km/総累積標高差+480m/-477m
- 見出凡例
- -(通常走行区間:鉄道路線外の自転車走行区間)
- =(ちゃり鉄区間:鉄道路線沿の自転車走行・歩行区間)
- …(歩行区間:鉄道路線外の歩行区間)
- ≧(鉄道乗車区間:一般旅客鉄道の乗車区間)
- ~(乗船区間:一般旅客航路での乗船区間)
ちゃり鉄23号:走行ルート
ちゃり鉄23号:更新記録
公開・更新日 | 公開・更新内容 |
---|---|
2024年3月28日 | コンテンツ公開 |
ちゃり鉄23号:ダイジェスト
今回の「ちゃり鉄23号」は、本来、房総半島から三浦半島に渡り、鶴見線などを取材して東京駅に至る前夜泊12泊13日の旅として計画していた。
しかし、銚子駅から走り出して僅か2.5㎞ほどで後輪スポークが破壊音を伴って破断。同時に、元々不具合が発生していたリアディレイラーも本格的に不調となり、結局、2日目の九十九里鉄道廃線跡の探訪までの行程で、スポーク側へのチェーン落ちによる車輪ロックを頻発させることとなり、安全走行が難しいことから走行中止とした。
この日以降を乗り鉄の旅に切り替えて旅を継続することとしたものの、3日目に至って今度はデジタル一眼レフが接点エラーを起こして撮影不能となり、内房線館山駅にたどり着いた段階で旅の中止を決断。
最終的に走行は130㎞弱。野宿は2泊という状況で帰宅することとなったが、長い旅の経験の中でスポーク破断を経験したのは初めてであるし、ディレイラーの不調も、ギアの摩耗やインデックス調整不足だけではなく、ハンガーの歪みから発生した予想外のものだったこともあり、旅の経験値としてはむしろ貴重なものとなった。
落下によるカメラ不具合はこれが2度目。今回、直接的にカメラを落下させるミスは起こしていないが、昨秋の北海道で落下させた後遺症と思われる。これについてはチェストバックに収めていたにも関わらず、バックルを閉めないまま靴紐を結び直そうと前かがみになった際に、チェストバックから飛び出して落下するというお粗末な原因だった。
使っているEOS 6Dやキットのズームレンズは、今年から来年にかけて、相次いでメーカー修理対象外となることもあり、今回のメンテ・修理が最後の機会。
今後は後継機種への買い替えなどを検討することになるが、他にテントやGPSなど、不具合が出始めているアウトドア用品も多いので、私の「ちゃり鉄」にも転機が訪れていることを実感する旅となった。
ちゃり鉄23号:0日目:自宅≧大阪≧(寝台特急「サンライズ出雲」)
この旅では関東入りするのに寝台特急「サンライズ出雲」のソロを利用した。
切符の購入がネットで出来ず窓口に並ぶ必要があり、出発の1週間ほど前になってようやく購入できたこともあって、のびのび座席が購入できなかったのだが、むしろ、切符が購入できただけでも良かったと言えるかもしれない。
かつてのように「夜行列車で夕方から夜に出発し翌朝から午前中に現地についている」、という旅が極めて難しくなった今日、「サンライズ」で東京入りした後に各方面への列車に乗り継ぐというスタイルは、夜汽車の旅を彷彿させる唯一の手段となった。
出発日は前日来の荒天の影響もあって列車に遅れが出ていたが最悪の運休は回避。大阪駅は20分ほど遅れた1時前に出発。久しぶりの寝台特急ということもあって心は浮き立ってはいたものの、京都駅に着いた頃までには車内の探索を終えて眠りについた。
翌朝は横浜付近になってようやく起床。寝台特急の旅を楽しむにしても、「サンライズ」の大阪~東京間の標準所要時間は6時間35分。どうしても物足りなさが残るし、だいたい、寝不足になる。
全区間を乗り通して楽しみたい列車なのだが、今のところ、上りの大阪~東京間でしか利用したことはない。
朝の通勤客で混雑する横浜駅では、窓の外に並ぶ人からの視線を浴びる。彼らにとっては見慣れた光景ではあろうが、こちらとしては、一晩の生活の跡を覗かれるようで、少し気恥ずかしい。
20分の遅れで出発した列車は東京駅には定刻に到着した。
ちゃり鉄23号:1日目:東京≧銚子=外川-波崎海岸-犬吠埼-君ヶ浜しおさい公園
東京駅からは総武本線の特急「しおさい」で銚子駅まで移動する。
この東京駅内での移動は結構な距離を歩くことになるのだが、輪行自転車に野宿装備一式を背負っているので、なかなかハード。総武本線の地下ホームに到着する頃には、肩にくっきりとショルダーベルトの型が残っていた。
私の記憶の特急「しおさい」は183系時代のもので、現行の259系などは隔世の感がある。
通勤利用者の姿が目立つ特急に乗車して出発。下総の大地を淡々と進んで、銚子駅には定刻9時32分に到着した。
銚子駅から「ちゃり鉄」を開始する。この日のルート図と断面図は以下のとおり。
午前中に銚子駅に到着してから走行開始なので、行程的には半日分の長さでの計画としていた。銚子市街地だけを細かく周る計画としてもよかったのだが、それでは時間が余ることもあって、利根川を渡った茨城県側にも足を伸ばし波崎海岸を少し走る予定だ。
屛風ヶ浦の方に足を伸ばしてもよかったのだが、ここは翌日の行程で通ることにもなるので、重複を避けて波崎海岸の方に向かう計画としたのである。
更には、銚子市街地にある公衆浴場がこの日は定休日。犬吠埼付近のホテルでも日帰り入浴は可能だし、場所的にはそれがベストだったのだが、いずれのホテルも1000円以上の強気の価格設定で、いま一つ気乗りがしない。
周辺を探してみると波崎マリンプールという施設に浴室があり、そこが一般開放されているようだったので、銭湯代わりに立ち寄って入浴することとした。
温泉や銭湯は何処にでもあるわけではないが、体育館やプールの施設は自治体ごとに複数設置されていることが多く、それらの施設にシャワー室などがあれば銭湯の代わりにはなる。味気ない気はするが、汚れを落として疲労回復を促進するという機能面にフォーカスすれば、シャワーを浴びることができるだけでも意味はある。
この付近の鉄道路線に乗車するのは学生時代の2001年7月以来。
当時の写真を振り返ると、まだ、「国鉄型」の車両が行き交い、銚子電鉄もデハ1002が現役で運行していた頃でフィルム撮影を行っていた。今回は銚子電鉄には乗車せず「ちゃり鉄23号」で沿線を走る。
数日後から天候悪化の予報が出てはいたが、この日は爽快な晴天。冬型ということもあって気温は低く風も強かったが、銚子市街地はスッキリとした空が心地よかった。
絶好の条件の下で銚子駅を出発。10時43分。
銚子電鉄は営業キロ数で6.4㎞の小私鉄。よくぞこの時代まで頑張っていてくれたと思うし、現役のうちに「ちゃり鉄」の旅で訪れることが出来たのは幸運だった。
銚子駅を出発して程なく、後輪側からキュルキュルという摩擦音が聞こえてきた。点検するもどこかを擦っている様子もなく、荷物のセッティングを調整すると音鳴りは消えたので、そのまま走って仲ノ町駅には10時54分着。
ここには車庫や本社もある銚子電鉄の営業拠点であるが、古色蒼然とした駅舎の佇まいも好ましく、一駅目から胸が高まるのを感じる。
駅には車庫を見学する鉄道ファンのほか、犬吠埼方面に向かうらしい若いカップルの姿もあり、そのカップルに地元のおばさんが声を掛けて、何やら観光案内をしていた。このおばさんは、後ほど、自転車姿の私にも声を掛けてくださり、沿線の見所などを様々に教えてくださった。
仲ノ町駅11時2分発。
ここから観音駅を経て本銚子駅付近ではちょっとした登り坂に差し掛かる。駅の手前には浅間神社もあるので、そこにお参りしてから駅に向かうところだったのだが、登り坂の途中でリアディレイラーの変速不良が再発し、調整して再スタートした直後、後輪から大きな破壊音が響いてペダルの回転が一気に軽くなった。
その感触にチェーン破断やディレイラーの破損を感じ、ただ事ならぬ思いの中で降車、点検をしたところ、後輪のスポークが1本破断していたのだった。
ディレイラーの破損ではなかったのでほっとしたものの、スポークの破断によってリムに歪みが生じてしまい、元々、チェーンステーのクリアランスぎりぎりのサイズのタイヤを履いていたこともあって、タイやサイドがチェンステーに擦れる状態となってしまった。
その場でニップルレンチを取り出してフレの修復を試みるも上手くいかず。
擦れの程度が小さかったこともあり、このまま外川駅まで走り通した上で銚子市街地に戻る経路途中で自転車屋に立ち寄り、スポークの補修とフレ取りを依頼することにした。
坂道や加速時のようにチェーンにトルクがかかる状態でリアディレイラーに不調が出てしまう状況はちゃり鉄21号の頃から変わらない。チェーンの伸びやディレイラーの調整不足と判断して、チェーン交換と調整を実施。メンテナンススタンドで点検した時には異常はなかったものの、トルクがかかった際の変速不良は解消していなかった。
わずか2.5㎞ほどで生じた致命的なトラブルに悄然としながらも、一先ず、何とか走行できそうなので旅はこのまま継続することとして先に進み、外川駅には12時30分に到着した。
途中、テレビで話題となった本銚子駅や、ネーミングライツで「髪毛黒生」と命名された笠上黒生駅など、銚子電鉄ならではの駅風景・沿線風景を楽しみながら進む。
後輪が擦れることでタイヤの損耗やバーストの心配もあったが、一先ず、銚子電鉄の全線全駅を走り切ることが出来たので安堵した。
外川駅は念願の再訪。駅前野宿は難しいロケーションではあるが、港町の旅情駅として、この駅は是非訪れたかった。学生時代の写真では、夜のこの駅を訪れる旧型車両の姿を捉えていた。隣の犬吠駅なども写真に収めていた当時の旅で、どこで野宿をしたのかははっきりと覚えていないのだが、今回の「ちゃり鉄23号」では君ヶ浜しおさい公園内にある東屋で野宿をする予定なので、夜になったら外川駅までひとっ走りして、夜の駅の姿も撮影してみたい。
外川駅では銚子電鉄の乗車や外川駅訪問を目的としたらしい観光客の姿も見かけた。所謂鉄道ファンというよりも、鉄道の旅が好きといった感じの中年のご夫婦や、女性グループの姿を見かけたのが印象的だった。
列車の発着を待って12時45分、外川駅発。ここまでで8.6㎞であった。
外川駅からは愛宕山を経由して一旦銚子市街地に戻り、その後、利根川かもめ大橋を経て、波崎海岸に沿って南下。途中、波崎の大タブを見学してから波崎マリンプールの浴室で入浴し、銚子港大橋で銚子市街地に戻った後、川口神社を周って犬吠埼に至る計画だった。
この途中でランチにする予定だったのだが、目星をつけていたお店が閉店していたため素通りし、まずは自転車屋に立ち寄ることにした。
ところが、立ち寄った2軒のいずれでも修理不可との返答。ホイールがエアロスポークを使ったものだったため、店頭にスポークの在庫がなかったのである。フレ取りの依頼をするもそれも拒否。
今まで30年以上自転車の旅をしてきてスポーク破断は初めての経験だっただけに、自身が使っているホイールが特殊なもので、旅先での修理が難しいという事実を知らずにいた。
スポークの本数が少ないことに関しては、元々、不安も感じていたのだが、ここまでの数年間、重装備の自転車でオフロードにも入り込んできたが、ノートラブルだったこともあり、こういうトラブルを予想していなかった。
この段階では、ディレイラー側の不調をあまり認識していなかったこともあり、タイヤの擦れがそれほど大きくないこともあって、様子を見ながら旅を継続することにしたのだった。幸い、鉄道沿線を走る区間が多いので、ダメならそこで打ち切って輪行に切り替えればよかった。
結局、この日は、携行食のシリアルでランチを済ませただけで、計画通りに走り切ることが出来た。
犬吠埼を出て岬の基部にある湧水で水を汲んだらこのまま野宿地の東屋に向かう計画だったのだが、夕方の外川駅の撮影を先に済ませておくために、周り道をして外川駅を再訪する。
17時56分着。54.9㎞。
学生時代の訪問ではデハ1002の単行車両が沿線を行き交っていたが、同車両は既に引退し、この外川駅で保存されている。
夕刻の外川駅に観光客の姿はなく、温かみのある暖色系の照明に照らされた旅情駅が、静かに旅人を迎えてくれた。
時刻表を見ると外川駅を出発する次の列車は18時23分発。
少し時間が間延びするが、列車の発着を待ってから出発することにした。
この日は天気はよかったものの冬型の気圧配置で2月下旬並みの気温まで下がっており、終日、レインウェアを防寒着代わりに着用しての「ちゃり鉄」となった。前々回の雪の北海道、前回の厳冬期の瀬戸内と装備面では同じだったにも関わらず、寒さも同じように厳しく感じたのが不思議だ。
夕食が遅くなることもあって空きっ腹だったが、寒さを癒すために缶コーヒーを購入。駅で飲むうちに地元の利用者が二人ほど見えて列車を待っていた。こうした利用者が居るということは、旅人として訪れる身としても、何か、ホッとさせられる。
外川駅は18時28分発。到着時の残照はすっかり消えていた。
この後、10分ほど走って君ヶ浜しおさい公園の中にある東屋に戻り野宿。
明日以降の行程に不安が残るものの、一先ず、この日の行程は予定通りこなせたし、一番訪れたかった銚子電鉄沿線を晴天の中で周ることが出来たので、良しとした。
ちゃり鉄23号:2日目:君ヶ浜しおさい公園-九十九里浜-上総片貝=東金≧木更津≧上総亀山
2日目は君ヶ浜しおさい公園を出てから屛風ヶ浦、九十九里浜を進み、片貝からは内陸の東金に至る九十九里鉄道の廃線跡を巡る。
その後、再び海岸沿いに出て白子温泉に向かい、海辺の公園の東屋で野宿の予定だ。
この日のルート図と断面図は以下のとおり。
このルート図が示す通り、この日の行程は予定通りにはいかず東金駅で終了となっている。既に何度か触れてきている通りで、結局、九十九里鉄道の廃線跡の探訪に入った段階で安全走行が不可能となり、自走で辿り着くことができた東金駅をもって「ちゃり鉄23号」の旅は断念することとなったためだ。
スポークの破断とリアディレイラーの変速不良。
三十年ほど自転車での旅を続けてきた中で初めての経験ではあったが、ここまで一度もそういう経験をせずに旅を続けてくることができたのは幸いな事であったし、また、これからの旅の糧にもなるだろう。
この日は終日の晴天が予報されており、朝はかなり冷え込んだものの清々しい雰囲気で明けた。出発は5時52分。
一旦君ヶ浜に出て犬吠埼の印象的な日の出を迎える。風は相変わらず強く風浪も強かったが、浜辺には三脚を構えたカメラマンが数名居て、日の出の撮影を行っていた。
犬吠埼灯台にも立ち寄った後、鄙びた雰囲気の長崎鼻を越えて、名洗海岸付近からは屛風ヶ浦を行く。
名洗海岸には7時5分着、7時18分発。7.5㎞であった。
名洗海岸付近からの車道は、屛風ヶ浦の海食崖の上を行くので、直接、崖下の景観を眺めることはできないのだが、所々、海岸沿いまで降りることが出来る小径があるので、立ち寄って写真撮影を行いながら進む。
海岸の保護の為に海食崖の下には消波ブロックと防波堤が連なっているのだが、太平洋の荒波を受け続ける防波堤は崩れており、所々で波をかぶっている。風景は荒涼としており、何処か、北海道日高地方の沿岸風景に似たところがある。
自転車の走行は車道を走ることになるので、海食崖の上のアップダウンを行くことになるのだが、刑部岬の手前のアップダウンで、心配していたリアディレイラーの不調が発生。チェーンがスポーク側に落ちて車輪をロックさせる状態が発生し始めた。
昨年11月~12月の「ちゃり鉄21号」の頃から、坂道の登りでペダルを踏みこみトルクがかかった状態になると、リアディレイラーがガチャガチャと変速不良を起こすことが多くなっていた。これはディレイラーの調整不足や、ギア・チェーンの摩耗によるものだと思い、ディレイラーの調整とチェーン交換を実施。自宅のメンテナンス台の上では、変速異常は感じられない状態ではあった。
しかし、調整台の上では登り坂のようなトルクを掛けた状態での動作確認が出来ないので、結局、不調は改善していなかったということになる。
この時、私は、ギアの摩耗の影響なのだろうと思っていたのだが、後々調べてみると、これはディレイラーハンガーの変形による不具合とみた方が良さそうで、そうなると、いくらギアやディレイラー、チェーン類を交換調整しても、ハンガー自体を矯正するか交換しない限り、無意味だということになる。
旅の最中にはそこまで調べることが出来なかったため、特にトラブルを起こしやすいフロントミドルギアやリアのローギアを使わずに走るようにしたのだが、こんな状態ではこの先の行程で想定されるアップダウンを乗り越えることが出来ない。
最悪、踏み込んだ時にディレイラーの破壊などが起こって転倒し、事故を起こしかねない。
旅を中止すべきではないのか?という思いは強まっていたが、一先ず、異常を生じない組み合わせにギアを変更して、先に進むことにした。そもそも、この付近には鉄道駅もないため、中止するにしても鉄道駅までは走る必要があったのだ。
飯岡灯台や刑部岬を経て九十九里浜に入ると、海岸沿いの平坦地を行くようになるので、一旦は変速トラブルからは解放される。元々、向かい風が強かったこともあり、フロントはインナーギアオンリーとし、リアは中間ギアを使いながら走った。
飯岡灯台発9時3分。21.9㎞であった。
片貝港まで達したところでお昼になったので予定通りここで昼食。
ここまでは、トラブルありと言えども比較的スムーズに走ってくることが出来た。12時18分着、12時58分発。59㎞であった。
片貝港を出た後は、かつてこの地に存在した九十九里鉄道の廃線跡に沿って内陸の東金駅を目指す。
この廃線跡は一部が「きどうみち」としてサイクリングロードに転用されている他、終点の上総片貝駅跡は今もバス事業を営む九十九里鉄道の車庫となっており、バス車体が駐車されていた。
この「きどうみち」に入った直後、再び、後輪ロックを生じる状態となった。誤ってローギアに入れてしまったためだが、一旦ロックを解除した後、試しに動作テストを行うと、再びロック状態となることを確認。
もはや正常走行には耐えないと判断して、東金駅到着を以て「ちゃり鉄23号」の走行を打ち切る決断をした。ただ、「ちゃり鉄」は中止とするが、今回走行予定だった路線を「乗り鉄」で周ることにして、旅は継続することとした。幸い青春18切符の発売期間だったこともあり、多少期間を短縮しても旅自体は継続することが出来そうだった。
慎重に東金駅まで走行し14時27分着。70.8㎞。2日間の総走行距離は127.8㎞であった。
時刻表を見ると15時44分に大網行きが到着するので、自転車の片づけを済ませた後、予定を練りながら列車の到着を待つ。まずは、早割で購入していた復路の北陸新幹線の切符の払い戻しと青春18切符の購入を行う。青春18切符は券売機で購入できるので素早く済ませ、払い戻しについては窓口で尋ねたのだが、「この駅では払い戻しできない。東京駅のJR西日本の窓口に行ってくれ」との説明。
あまり納得できる説明ではなかったが、今日、払い戻しをしなければいけないわけではないので、これについては後日の予定とした。
そして、この後の行程。
一旦は大原駅経由でいすみ鉄道の沿線に入り、「ちゃり鉄23号」でも予定していた新田野駅での駅前野宿を行おうと考えたのだが、翌日以降の行程の具合を考えて、今日はJR久留里線の上総亀山駅まで通常切符で向かい、上総亀山駅付近で野宿とすることにした。「ちゃり鉄23号」の計画では亀山湖畔にある以前も使った東屋での野宿を予定していたが、輪行自転車を抱えて湖畔までは移動できないし、上総亀山駅の駅前では野宿は難しいので、状況によっては駅寝。若しくは、平山駅や上総松丘駅に引き返しての駅寝を想定した。
15時44分東金駅発。大網、蘇我、木更津、久留里と乗り継いで、上総亀山駅には19時に到着。久留里から先の区間に乗車していたのは、私を含めて4名。そのうち、上総亀山駅まで乗ったのは私を含めて2名だけだった。
なお、この途中、木更津駅のみどりの窓口で新幹線の切符の払い戻しについて尋ねると、すんなりと、払い戻しの手続きを行うことが出来た。東京まで行かないと払い戻しができないという東金駅の窓口氏の説明は誤っていたことになるが、JRでは時折、こういう誤案内がある。
上総亀山駅の駅前は既に人通りも絶え、赤提灯をぶら下げた居酒屋が僅かに営業しているのみ。一緒に降りたおばあさんは、駐輪場に停めた自転車に跨って自宅へと帰って行かれた。
19時に到着した普通列車は折り返し、19時21分発の木更津行き普通列車となって引き返していく。
その後、20時53分着の普通列車が折り返し21時14分発の久留里行きとなって出発すれば、この駅の発着列車は全て終了すると、思い込んでいた。
そのため、21時14分の普通列車が出発した後で、待合室にマットを引いて寝袋だけで駅寝することにしたのだが、実は、22時着の最終列車が居て、これは上総亀山駅で夜間滞泊するのであった。
私は、駅の時刻表でそれを読み切れず、寝入り端に到着した普通列車のエンジン音で驚いて目を覚ました。2人ほどの乗客が待合室を通って迎えの車で帰って行ったので、野宿のマナーとしては失敗。
運転士と車掌は話しながら宿直室の方に引き上げていった。
学生時代の2001年に上総亀山駅付近で野宿した時は、駅は有人で、夜間に複数の列車が滞泊。側線も使われていたのだが、近年はこの駅での夜間滞泊は廃止されたと、勝手に思い込んでいた。
この旅では、自転車の不調の具合なども含め、色々と、勝手な思い込みで失敗したようだ。
辛い一日ではあったが、意図せず久留里線に乗車することもできたし、それなりに満足して眠りに落ちた。
ちゃり鉄23号:3日目:上総亀山≧木更津≧館山≧東京≧京都≧自宅
翌日は、青春18切符を用いて内房線から外房線に入り、一旦、行川アイランド駅で途中下車。近隣の「お仙ころがし」を訪ねた後、五井駅まで回り込んで、小湊鉄道に入る予定だった。
「ちゃり鉄23号」では小湊鉄道の上総川間駅、飯給駅、いすみ鉄道の新田野駅のそれぞれでの駅前野宿を予定していたので、乗り鉄の旅に切り替えながら、それらの駅での駅前野宿は行う予定にしたのだ。
上総亀山駅の始発列車は、昨日22時に到着した普通列車。
夜間滞泊の後、始発列車となって木更津駅に向かう。
乗車して見ると、乗り合わせた車掌は昨日木更津から久留里まで乗車した普通列車の車掌だった。車内では自転車の置き場に関して色々と調整して頂いたし、目的地を聞かれて上総亀山駅までと答えていたので、翌朝、上総亀山駅の始発で木更津駅まで引き返す私の姿を見て、怪訝に思ったことだろう。
上総亀山駅6時発。木更津駅7時1分着。
昨日の久留里線は、途中で日が暮れてしまったので、明るい時間帯の旅を行うことが出来て良かった。
ここからは、君津、館山と乗り継いで行く。
途中、上総湊駅では20分以上の長時間停車をする。
特急との行き違いなどがあるわけでもなく、この停車時間中に、後続の普通列車が追い付いてきて、ここで折り返していく。その列車からの乗り継ぎ客を待って先に進むというダイヤになっていた。
この日の後半からは雨天予報で、翌日は、全国的に大雨の予報も出ていた。晴天ならともかく、大雨の中で変速不良の自転車を駆って房総丘陵を走るというのは、無謀な試みでもあった。「ちゃり鉄」の中止は天啓だろうと前向きに捉えていたのだが、事は、それでは終わらなかった。
館山駅には8時43分着。
ここで到着列車の撮影を行ったところ、先ほどまで何事もなかったカメラが、突然、エラーの表示を出した。エラーは接点異常を示しており、接点をきれいにしてくださいと表示されているが、クリーニングしても解消せず、写ったり写らなかったり、白飛びしたり、明らかに異常な挙動をするようになった。
昨年11月~12月の「ちゃり鉄21号」で落下させたことがあり、幸い、レンズフードがバンパーになってレンズや本体の破損は免れたのだが、その時の後遺症が愈々酷くなり、レンズ側で接触不良を起こし始めたようだ。
このタイプのトラブルは2度目。
前機から現機に乗り換えるきっかけとなったのもカメラ落下に伴うレンズ異常だったのに、結局、同じトラブルで再びカメラが使えなくなった。しかも、今回は、カメラやレンズの金額が大きい。修理するにしてもかなり高額となることが予想される。
諸々の出来事でショックを受け、しばらく旅の継続や中止について考えたが、写真撮影もできなくなった以上、これ以上旅を続けるのは困難と判断して、中止の決断に至った。
結局、9時40分の普通列車で内房線を引き返し、東京経由でこの日のうちに福知山の自宅まで戻ることとした。その為、東京駅からは新幹線と在来線特急を乗り継ぐことになる。
東京駅では目的の列車の指定席が取れず1本後になったため、京都駅から乗り継ぐ特急「きのさき」も1本後。しかも、新幹線内の自転車設置スペースと自分の指定席が遠く離れてしまい、設置スペース前の別の利用者にはリクライニングを倒せない不便をかけることとなってしまった。
自身の座席も3列シートの前から2列目の通路側。風景も見えない座席で、自由席は立ち席も出る混雑の中、疲れ切って帰宅することになった。
福知山到着は17時44分。
駅までは伴侶に迎えに来てもらい、自宅に戻ってようやく落ち着いたのだった。
もちろん、この帰路ではスマホのカメラ以外の写真は撮影できなかった。
僅か3日で帰宅することになった「ちゃり鉄23号」ではあったが、自転車やカメラの故障について、自身の経験不足や認識不足もあったと思う。今後、自転車は買い替え、カメラは修理ということになるが、予備部品の携行や不具合の調整、保険の加入など、色々と課題が見つかったのは、むしろ、旅を続ける上での糧となるだろう。また、大きな事故を起こしかねない状況の中で、無事故で帰ってこれたのは幸いだった。
その事には感謝したい。