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武田尾駅:旅情駅探訪記
2015年3月(ぶらり乗り鉄一人旅)
JR福知山線の宝塚駅から三田駅に向かう列車の車窓には、北摂の山並みに峡谷を刻んだ武庫川の流れが、連続するトンネルの合間に見え隠れする。
現在は、ロングシートの通勤列車が頻繁に行き交う電化複線の都市近郊区間であり、ローカル線の旅情を味わうことができる区間ではないが、かつては、武庫川の渓谷に沿って非電化の単線が伸びていた区間であり、キハ82系特急「まつかぜ」などが駆け抜けていた。
大阪近郊の都市間輸送のルートには似つかわしくない隘路となっていたこの区間は、1986年8月1日に、トンネルと橋梁が連続する現在線に切り替えられた。武庫川渓谷に沿っていた風光明媚な区間は廃止され、その後、関西でも有名なハイキングルートとなって現在に至る。
下の図は、この武庫川渓谷付近の国土地理院地形図を切り出したものだが、図の中心部にある武田尾駅付近から、武庫川下流(地図の右下側)の左岸(下流に向かって左側)に沿って伸びている、トンネルを伴った破線ルートが、かつての廃線跡の歩道である。
廃線跡は武田尾駅の上流側(地図の左上側)では武庫川右岸に渡り、隣の道場駅まで続いているが、この区間は遺棄され、遊歩道としても整備されてはいない。
この辺りの経緯は、同じ関西にあるJR山陰本線の嵯峨駅~馬堀駅間、保津峡に沿った区間と似ている。
峡谷に沿った単線非電化の旧線が、トンネルと橋梁が連続する複線電化新線に切り替えられた点や、峡谷の中に駅(保津峡駅)が存在していた点は、ほぼ同様であるし、新線切り替えの時期も、山陰本線は1989年3月5日のことで、福知山線と同様、1980年代後半のことであった。
ただ、山陰本線は、旧線跡が嵯峨野観光鉄道として再生したのに対し、福知山線はハイキングルートになっただけで、両者の明暗は分かれる。
2015年3月、この福知山線廃線跡を生瀬駅から道場駅まで、歩いて探訪した。
当時、私は兵庫県の川西市に住んでいたため、生瀬駅までは自転車に乗り、駅の駐輪場に自転車を置いて、廃線跡を歩くことにした。
この廃線は、当初、正式に開放されていたものではなく、一部のハイカーやマニアによる無断侵入によって、事実上のハイキングルートになっていただけで、JR西日本は「立入禁止」の立場をとっており、黙認している状態であった。
しかし、その後も、無断立ち入りが続いたため、JR西日本は、1990年に自己責任を条件として、一般開放したという経緯がある。
「アルペンガイド23 京阪神ワンデイ・ハイク(山と渓谷社・1997年7月改訂第5刷発行)」には、「大峰山から武庫川渓谷」のルートが掲載されているが、その中に、「JR福知山線に新線ができ、昭和61年に旧線路が廃止されたが、この上を歩きたいという熱心な人達のために、JRでは開放してくれているものだ。ただし、事故の責任は各自が負うことになっているので、くれぐれも事故を起こさないようにしていただきたい」との記述がある。
こうした状況が続いていたものの、2008年にはハイカーの死亡事故が発生し、土砂災害も危惧されたため、西宮市域の区間に関しては、2016年5月以降、整備のために通行禁止となり、11月15日に正式な遊歩道として開放された。
生瀬からの廃線跡は、しばらく、武庫川渓谷の右岸沿いに続いている。そして、旧第二武庫川橋梁で左岸側に渡り、その後、武田尾駅を経て、武田尾温泉付近で再び右岸側へと渡っている。ただし、武田尾温泉付近の橋梁は撤去されており、ここから道場駅までの区間で右岸側に続いている廃線跡は、ハイキングルートにもなっていない。
廃線跡には、複数のトンネルが残されており、路盤跡に枕木が残っている区間も多い。途中で武庫川を渡る旧第二武庫川橋梁は、このハイキングルートでも最大の廃線遺構で、橋梁の脇の作業員通路を通って渡ることができる。
この廃線跡のトレッキングルートを1時間ほど歩いて、武田尾駅に到着した。駅の周辺には武田尾温泉があり、駅に到着する手前にある集落には、対岸の温泉地に渡るための車道橋もある。
武田尾温泉は、武田尾駅付近の武庫川河畔に湧き出た温泉で、駅の対岸の西宮市側と、駅のある宝塚市側とにまたがって、温泉旅館が営業していたが、2004年に発生した台風23号の水害による休廃業などで、現在も営業しているのは、西宮市側の「元湯」と宝塚市側の「紅葉館別庭あざれ」のみとなった。
武田尾駅の名は、この、武田尾温泉に由来する。
「角川日本地名大辞典28 兵庫県」の記述によると、「温泉の起源は、寛永18年に名塩村(現在の西宮市塩瀬町)の武田尾直蔵が薪取りに行き発見したのに始まると伝える」、「『武田尾駅資料』によれば、鉄道開通以前は『浴客ハ生瀬駅付近ノ名塩村ヨリ山嶺ノ岨道ヲ越ヘ来リシモノ』とあり、不便な土地であった」と言う。
駅の開業は、1899年1月25日と古く、国鉄以前の阪鶴鉄道時代のことであった。阪鶴鉄道は、その名称が示すとおり、大阪と舞鶴を連絡することを意図して設立された鉄道で、現在のJR福知山線、山陰本線、舞鶴線の起源に当たる鉄道である。
阪鶴鉄道の国有化は1907年8月1日のことで、1909年10月12日に国鉄阪鶴線の名称制定、更に1912年3月1日には福知山駅以南が福知山線と改称された。同駅周辺の複線電化による新線切り替えは、先に述べたように、1986年8月1日のことで、同時に武田尾駅は無人化され、西宮名塩駅が有人駅として新設開業した。
旧線跡は、現在の武田尾駅近傍では、車道に転用されており、知らなければ、そこが廃線跡とは気付かないが、一部に残るトンネルは、鉄道時代の面影を色濃く残している。
新線をアンダークロスした旧線跡は、その後、宝塚市側の温泉旅館の敷地付近の草山トンネルを経て、武庫川右岸に渡っており、そこに、橋台が残っている。
その橋台の延長に、大茂山トンネルと路盤が残ってるが、橋梁が撤去されており、一般的なトレッキングルートはここで終わる。
私自身は、この日帰りハイクでは、対岸には渡らず、このまま、左岸沿いの踏み跡をたどって、道場駅まで踏破した。途中、台風災害などによって、河岸が侵食され踏み跡が消えている箇所もあったが、橋台跡から道場駅までは1時間20分ほどだった。
道場駅でハイキングを終え、自宅までの切符を購入して福知山線の普通列車に乗車し、家路についた。
ロングシートの通勤車両で味気ないが、途中、武田尾駅で降車し、改札を出ずに駅構内の撮影を行ってから、次の普通列車に乗って帰宅した。
2015年9月(ぶらり乗り鉄一人旅)
2度目の武田尾駅訪問は、2015年9月のことだった。
中国地方の津山線、因美線、伯備線を青春18切符を使って巡る旅の初日、仕事を終えてから出発し、自宅からJR福知山線の普通列車で小一時間の武田尾駅で、駅前野宿をしたのである。
当時住んでいた川西市から武田尾駅に向かうとなれば、翌日は、福知山方面に進んで鳥取から因美線に入るか、和田山から播但線で姫路に抜けて、岡山から津山線に入るか…と考えるところであるが、私は、一旦篠山口まで抜けてから引き返してきて武田尾駅で駅前野宿をして、翌朝、自宅の最寄駅を通って尼崎まで戻ってから、山陽本線で岡山に向かうというルートで旅をした。
それならば、自宅を早朝に出発すればいいのだが、武田尾駅で駅前野宿をしてみたくなり、わざわざ、この様なルートを選んだ。
降り立った武田尾駅は、すっかり宵闇に包まれており、半分トンネル半分橋上という特徴的な駅で乗降する旅客の姿はごく少ない。日平均利用者数で言うと、三田駅は15000人前後、宝塚駅は30000人前後であるのに対し、武田尾駅は500~600人前後で推移している。
複線規格のトンネルは楕円形をしており、トンネル内の相対式ホームに、それぞれ、待合室やベンチが設けられている。橋上ホームからは眼下に武庫川を見下ろすことができ、川面に街灯が反射して煌めいていた。
駅は大阪・神戸と三田・篠山を結ぶ都市間輸送ルート上にあり、旅客列車の運行本数は多い。長編成の普通列車が頻繁に発着する。その他、快速や特急も運行されているので、駅の周辺は賑やかだ。
駅は、旧線跡を転用した車道と直角にオーバークロスしており、車道から側道を登ったところに駅舎と改札があるが、駅員は配置されていない。
駅前野宿のこの夜は、人通りのある改札前は避けて、橋梁下の車道脇を選んでテントを張った。この車道の奥には、温泉旅館があるのみで、夜遅くに通行する車も無いだろうという判断であった。
しかし、23時半頃に駅の撮影を終え、テントに入ってまどろんでいると、遠くから、バイク集団のエンジン音が近付いてきた。しかも、そのエンジン音は、暴走族のそれであった。
結局、そのバイク集団は、テントの脇を抜けて、温泉旅館付近でUターンして走り去っていったのだが、暴走族でも、こんな山奥の無人境を走るものなのか…と意外な気がした。
駅前野宿の夜に、暴走族と遭遇したのは、これが唯一の機会だったと思う。
一夜明けた翌朝、まだ、辺りが、黎明の紺色の大気に包まれている5時前に起き出して、駅の対岸まで足を伸ばしてみた。
武庫川に駅周辺の明かりが反射し、昼間とは一味違った味わい深い武田尾駅の情景に、暫し、立ち尽くす。駅前は、車道脇の駐車スペースから、改札への取り付き通路がスロープになって続いている。この時間、駐車スペースには、1台の車もなく、もちろん、駅の周辺に人影はなかった。
ホームに上がり、武庫川を眺めると、黎明の大気は紺色から群青色に変化し、辺りの山々の嵐気を含んで霧に霞んでいた。始発前のこの時間は、列車の往来も人通りもなく、駅は旅情駅の表情を見せていた。
武田尾駅の始発列車は、5時過ぎの吹田行き普通列車。この駅に発着する上り列車で、唯一の吹田行きである。
この後の乗り継ぎの都合で、この始発列車を見送る。
武庫川の上にかかったホームから眺めると、駅の背後にある、標高289.4mの馳渡(かけわたり)山も、群青の大気と霧に包まれて、まだ、眠りの中に居るかのようであった。なお、馳渡山は三等三角点が設置されているが、三角点の名称は「大平山」となっている。
始発列車から10分ほどして、松井山手行きの普通列車が到着する。5時過ぎの早朝に、この間隔での運転頻度。何だかんだ言っても、ここは、都市間輸送の幹線区間なのだと実感する。
この日の目的地は、JR因美線の知和駅。
ほとんど乗客の居ない普通列車に乗り込んで、この旅情駅を後にした。