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近鉄難波線・奈良線・けいはんな線、大阪市営地下鉄中央線・南港ポートタウン線、JR桜島線、京阪中之島線|ちゃり鉄10号

大阪市営地下鉄・大阪港駅付近・天保山運河(大阪府:2017年3月)
各駅停車「ちゃり鉄号」の旅
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ちゃり鉄10号:旅の概要

  • 走行年月
    • 2017年3月(前夜泊1泊2日)
  • 走行路線
    • JR路線:桜島線
    • 私鉄路線等:近鉄難波線・奈良線・けいはんな線、大阪市営地下鉄中央線・南港ポートタウン線、京阪中之島線
  • 主要経由地
    • 暗峠
  • 立ち寄り温泉
    • テルメ龍宮
  • 主要乗車路線
    • 大阪市営渡船
  • 走行区間/距離/累積標高差
    • 総走行距離:184.5km/総累積標高差+2461.8m/-2362m(参考)
      • 0日目:自宅-大阪城公園
        (22.4/141.1m/-139.4m)
      • 1日目:大阪城公園-大阪難波=大阪上本町-布施=奈良-学研奈良登美ヶ丘=長田=朝潮橋-八幡屋公園
        (99.2km/+1929.5m/-1938.9m)
      • 2日目:八幡屋公園-朝潮橋=コスモスクエア=住之江公園-桜島=西九条-中之島=天満橋-自宅
        (85.3km/+391.3m/-383.7m)
  • 見出凡例
    • -(通常走行区間:鉄道路線外の自転車走行区間)
    • =(ちゃり鉄区間:鉄道路線沿の自転車走行・歩行区間)
    • …(歩行区間:鉄道路線外の歩行区間)
    • ≧(鉄道乗車区間:一般旅客鉄道の乗車区間)
    • ~(乗船区間:一般旅客航路での乗船区間)

ちゃり鉄10号:走行ルート

ルート図:ちゃり鉄10号全図
ルート図:ちゃり鉄10号全図
断面図:ちゃり鉄10号全図
断面図:ちゃり鉄10号全図

ちゃり鉄10号:更新記録

公開・更新日 公開・更新内容
2024年10月2日 コンテンツ公開

ちゃり鉄10号:ダイジェスト

「ちゃり鉄10号」の旅は転職後の2017年3月に実施した。

まだ転職直後だったこともあり、この旅は前夜泊1泊2日という短期での旅。遠出も難しかったため、近鉄の創業路線である奈良線の走行をメインに、自宅発着の行程で大阪府内の幾つかの鉄道路線の走行と大阪湾岸地域に残る大阪市営渡船の各航路の乗船を行う旅とした。

野宿地も大阪城公園や大阪市営地下鉄中央線・朝潮橋駅付近にある八幡屋公園などで、出身地周辺を自転車で周る形だったため「旅情」には欠けるかと思っていたのだが、実際に「ちゃり鉄」で走ってみるとそんなこともなく、慣れた地元を普段とは違う視線で眺めることが出来た。

ちゃり鉄10号:0日目:自宅-大阪城公園

前夜泊の0日目は自宅から大阪城までの行程。仕事が終わってから帰宅し、夕食や入浴を済ませた後で出発し、夜遅くに大阪城に到着して適当な場所で野宿する予定だ。

こういう行程では到着時刻が遅くなり、結果的に翌日行程にまで響くことになる。本来なら避けたいことではあるのだが、当時は週末の土日を使って短期の旅を行うことも多く、できる限り日程を有効活用するためにこうした前夜泊の旅をよく行っていた。日曜日の21時を過ぎてから帰宅し翌朝9時から出勤というパターンも多かった。

とはいえ、仕事が終わってからの数時間の行程なので前夜泊の行程で走れるのはせいぜい30㎞くらいまで。出発から就寝までを3時間から4時間程度に収めて、日が変わるまでには眠りに就くようにしていた。

この日のルート図と断面図は以下のとおり。

ルート図:ちゃり鉄10号0日目
ルート図:ちゃり鉄10号0日目
断面図:ちゃり鉄10号0日目
断面図:ちゃり鉄10号0日目

四条畷市内にあった自宅から大阪城までは市街地の走行を避けて、迂回が必要になるものの淀川と大川の河川敷を走ることにする。19時20分発。

このルートはかつて通勤ルートとも重なる。

毎日片道25㎞を走って通勤していたのだから、20代後半の若い時代だったとは言えよくやったものだが、行程の中間地点でリアディレイラーのハンガーが折れて走行不能になって遅刻したり、脇道から突っ込んできた若いママさん運転のママチャリに当て逃げされて血塗れになって出勤したり、濃い思い出もたくさんあるルートだ。

この日はすっかり暗くなった淀川河川敷をひた走る。

移動メインの行程なので先を急ぐ気持ちもあったのだが、真っ暗な夜道で自転車のヘッドライトやテールライトの視認性を点検する作業も行いながら進む。

ライト類はヘッドライトがCATEYEのVOLT800を2灯、テールライトがCATEYEのリフレックスオートを使用している。この他、ヒップバックにもチューブ式のテールライトを装着していた。

自転車側からすれば「明るさ」と「照射範囲」が重要だが、対向する相手側に「眩惑」を生じない「配光」もまた重要である。淀川河川敷を通勤していた頃、時折、こちらの視界を完全に奪うような明るすぎるライトで走ってくる自転車とすれ違ったことがあったが、本人は良くても相手の眼を眩ませるという意味では非常に危険でもある。

そういったことを確認するためにライトを点けた状態で自転車を停め、少し離れた場所から確認してライトの設定に問題がないかを確認したりする。

テールライトも暗闇の中での視認性を確認するのだが、こちらはオートモデルなので、セッティングしてから撮影場所に移動するまでの間に消灯してしまい、何度かやり直したりする。

そんな作業を行ったので多少時間を費やすことになった。

真っ暗な淀川河川敷ではライト類の視認性チェックも行った
真っ暗な淀川河川敷ではライト類の視認性チェックも行った

夜の淀川沿いを走るのは久しぶりだが、橋の主塔がライトアップされていたりして、日中とは違った美しさがある。淀川河川敷は広く開けているが、毛馬閘門を経て大川沿いに入ると運河の様相に変化するとともに、高架の高速道路が頭上を縫うような都市景観が広がる。

「ちゃり鉄」はローカル線を対象に旅することが多いが、これは全国的に路線や駅の廃止が加速しているので、廃止前に各路線や駅を訪れておきたいからである。「ちゃり鉄」の目標は全国の旅客営業鉄道路線全線全駅を自転車で訪れるということにあるので、勿論、ローカル線だけではなく都市部の鉄道路線も巡ることになる。

その場合、ローカル線沿線のような「駅前野宿」は難しいので、都市公園や河川敷などを利用して野宿することも多くなる。こういう場合、事前のリサーチはかなり念入りにする必要があるが、旅情とは縁遠い印象がある都市部であっても、夜景の彩りの中で野宿をしながら眺めてみると、なかなかの情感があるものだ。

この日は地元とも言える大阪城内で野宿を行った。実家に帰った時にはランニングをしに行くような場所である。

夜の大阪城は観光客や地元民も含めて意外と人の姿があり、東屋や休憩所があるような所は落ち着かない。3月という季節もあり屋根さえあればマットと寝袋だけで寝ることも出来たのだが、人の気配のある場所というのは落ち着かないし、別の野宿者の姿が見えたりもする。

しばらく大阪城内を走った後、京橋の高層ビル群を眺める高台の一画に人が来ないような平地を見つけたので、そこでインナーテントだけを組み立てて地面に置き「一夜の宿」を確保した。

雨の心配はなかったのでこれで必要十分。

到着時刻のメモは21時22分。22.4㎞。

夜景の撮影などを済ませて眠りに就いたのは23時前くらいになっていたと思う。

菅原城北大橋の夜景眺めながらちゃり鉄10号で疾走する
菅原城北大橋の夜景眺めながらちゃり鉄10号で疾走する
淀川河川敷から大川沿いに入ると都市景観が広がった
淀川河川敷から大川沿いに入ると都市景観が広がった
大阪城公園から望む京橋界隈(大阪府:2017年3月)
大阪城公園から望む京橋界隈

ちゃり鉄10号:1日目:大阪城公園-大阪難波=大阪上本町-布施=奈良-学研奈良登美ヶ丘=長田=朝潮橋-八幡屋公園

翌日は「ちゃり鉄10号」1日目。近鉄の創業路線である奈良線をメインに、難波線とけいはんな線を走る。けいはんな線は近鉄各路線中、最も新しい路線なので、最も古い路線と最も新しい路線とをこの日に巡ることになる。そして、けいはんな線と直通する大阪市営地下鉄中央線沿線に入り、大阪港湾地区にほど近い朝潮橋駅付近にある八幡屋公園内で2泊目の野宿の予定だ。

この日のルート図と断面図は以下のとおり。

ルート図:ちゃり鉄10号1日目
ルート図:ちゃり鉄10号1日目
断面図:ちゃり鉄10号1日目
断面図:ちゃり鉄10号1日目

断面図を見ると途中に顕著な峠が二箇所あり、対称的な形状をしている。

これは酷道として有名な国道308号線の暗峠で、最急勾配は31%と言われている。生駒山地は大阪に面した西側が急勾配で、奈良に面した東側が緩やかな非対称勾配をもっており、専門的には傾動地塊と言われる。読んで字の如く「傾いて動いた地面の塊」であって、ここは断層に沿って地面が動いた跡なのである。

この国道308号線の暗峠大阪側はツーリング装備満載の自転車で直登することは出来ず、直降も前転倒しそうになる急勾配だ。私は、徒歩、ランニング、自転車、自動車のいずれでも、この峠を越えたことがあるが、自動車は運転に不慣れだと急勾配区間と狭隘区間の連続で進退窮まることになるだろう。

実際、自動車でこの峠を通った時には場違いな外国製の大型SUVで乗り込んだチンピラカップルが狭隘区間で立ち往生しながらも、前後の自動車の運転手に対して「どけや!じゃまや!」と恫喝を繰り返すというシュールな場面に出くわした。

見たところ運転が下手なだけだったのだが、周りの車が邪魔だから進めないことにして、同乗女性の前で恰好を付けたかったのだろう。それは無様な姿ではあったが、世の中には、そう思わない男女も居るものだ。

結局、長い足止めを食らった。内心「脱輪してしまえ」と思った私は鬼かもしれない。

そんな暗峠ではあるが、近鉄奈良線がこの下を通り抜けて大阪と奈良を直達していることが示すように、大阪と奈良、ひいては伊勢を結ぶ重要な街道筋で、峠の一部には石畳が残されるなど、なかなか風情がある。そして私の実家の近くには、この暗峠への街道筋であることを示す記念碑がある。

往路は奈良線、復路はけいはんな線を走るために、この日は暗峠を往復することになる。

大阪城では4時過ぎには起きだして朝食と撤収を済ませる。テントを片付けた頃には、ご近所の高齢者の方が三々五々集まり始めて、ツーリング装備の自転車の私を見て「ここで寝たんですか?」などと話しかけてくる人もいる。中には「この自転車見てみ!これはキャンプしながら走る自転車やで」などと知り合いに語っている人もいる。もしかしたら、本人もロードレーサーなどに乗るのかもしれない。

それにしても、まだ薄暗い時間だというのに人が続々と集まってくる。不思議に思っているとやがて全員でラジオ体操を始められた。

なるほど、この一画は眺めの東に面した眺めの良い場所なので、夜明けを迎えながら体操をするにはうってつけだ。

早めにテントを撤収しておいてよかった。

黎明の大阪城から市街地を眺めるのも初めての経験だ
黎明の大阪城から市街地を眺めるのも初めての経験だ

大阪城5時43分発。

夜の名残を留めた市街地を南進し、徹夜明けの気怠さが漂う大阪難波駅付近には6時7分に到着。5.5㎞。

近鉄難波線は大阪難波駅と大阪上本町駅との間に近鉄日本橋駅を挟んだ3駅で構成される全長2.0㎞の路線で、全線が1970年3月15日に開業した。

続く奈良線の開業が1914年4月30日であるから、実に56年弱の隔たりがあるのだが、この背景には大阪市による市内交通の市営一元化政策の影響がある。この難波線に関しては記念すべき「ちゃり鉄1号」で既に走行しており、その「文献調査記録」において詳細を記述している。

「近畿日本鉄道100年のあゆみ(近畿日本鉄道・2010年)」をベースにしたかなり長い調査記録になるので、ここで重複して述べるのは避ける。興味ある読者はご一読いただけると幸いである。

「ちゃり鉄1号」の旅以来久しぶりに「ちゃり鉄」で大阪難波駅を訪れた
「ちゃり鉄1号」の旅以来久しぶりに「ちゃり鉄」で大阪難波駅を訪れた

難波線は独立した線路名称を持っているものの、歴史的には一部の優等列車を除いて奈良線系統の列車を主体とした路線になっている。

大阪上本町駅から布施駅までの間が大阪線となり、布施駅から奈良駅までの間が奈良線となるのが、線路名称上の区分であるが、大阪上本町~布施間は奈良線、大阪線の専用線がある複々線区間となっており、実質的には奈良線、大阪線の重複区間でもある。

2009年の阪神電鉄との相互乗り入れ開始で、難波線・奈良線系統はこれまで無かった神奈直通という重要な使命を帯びることになったが、この構想は古く昭和20年代あたりまで遡るものである。

いずれにせよ、難波線の各駅は大阪上本町駅の大阪線専用ホームを除けば地下駅となるので、地上にある地下駅への入り口付近を撮影するにとどめて先に進むことにする。

大阪難波駅、6時14分発。大阪上本町駅、6時26分着、6時29分。7.3㎞であった。

日本橋1丁目交差点付近に位置する近鉄日本橋駅
日本橋1丁目交差点付近に位置する近鉄日本橋駅
大阪上本町駅は上本町六丁目にあり市民には「上六」の通称で親しまれている
大阪上本町駅は上本町六丁目にあり市民には「上六」の通称で親しまれている

この辺りは、駅毎に他社線と連絡しているが、それぞれに駅名の相違があって面白くもあり、混乱もする。特に通称・表示駅名の存在がその混乱に拍車をかけている。

例えば、大阪難波駅付近では、難波駅、なんば駅、湊町駅といった駅名が存在していた時期がある。

近年はJRの湊町駅がJR難波駅に、近鉄の難波駅が大阪難波駅に改称されて、「難波」であることは統一されたが、表示上の「なんば」と「難波」は混在していて、南海電鉄やOsaka Metroの駅名標記は「なんば」駅のままである。

また日本橋駅は「にっぽんばし」であって「にほんばし」ではない。これを「にほんばし」と読むのは東京の日本橋である。

また大阪上本町駅はOsaka Metroの谷町九丁目駅との乗換駅となるが、大阪上本町駅が上町筋付近にあるのに対し、谷町九丁目駅が谷町筋にあるので、乗換駅であるものの駅名は相違している。

こうした相違は大阪市民にとってはごく自然なものとなっているが、近年増えているインバウンド旅行者などにとっては不自然なもので、少しずつ整理統一されていくのであろうが、「大阪と梅田」や「天王寺と阿部野橋」など、市内随所に見られる現象でもある。

その背景には「市営一元化政策」とそれに対する民鉄各社の対抗意識があったのではないかと考えている。

大阪上本町駅から布施駅までの間の複々線区間は、既に述べたように大阪線の扱いとなるが、実際には奈良線専用線が敷設されているので、路線重複区間とも言える。私にとっては幼少期を過ごした「ふるさと」でもあるが、近鉄沿線の風景も少しずつ変化している。

鶴橋駅、6時35分着、6時42分発。8.3㎞。布施駅、6時59分着、11.6㎞であった。

JR大阪環状線、Osaka Metro千日前線と近鉄大阪線が3段階で立体交差する鶴橋駅
JR大阪環状線、Osaka Metro千日前線と近鉄大阪線が3段階で立体交差する鶴橋駅
ハングル文字も入り混じった猥雑な高架下が味わい深い鶴橋界隈
ハングル文字も入り混じった猥雑な高架下が味わい深い鶴橋界隈
複々線区間のローカル駅である今里駅
複々線区間のローカル駅である今里駅
下段の大阪線と上段の奈良線の2層構造が圧巻な布施駅
下段の大阪線と上段の奈良線の2層構造が圧巻な布施駅

布施駅は奈良線の起点駅であり大阪線との分岐駅でもある。ただ、歴史的な経緯で考えると、近鉄の前身である大軌時代には上本町~奈良間が最初に開業しており、その際、深江駅として開業した布施駅は、奈良線の系譜にある駅と見ることも出来る。

実際、現在の大阪線は当初、信貴線という申請路線名で建設が始まっており八尾駅までの部分開業時は国分線を名乗っていた。その段階では上本町~奈良間の大軌創業路線が本線の位置付けで、さしずめ、大軌本線といったところだったのだろう。

この歴史的経緯は布施駅周辺の線形にも表れており、上本町から奈良まで直達することを目的に敷設された奈良線が直線的な幹線の線形を持つのに対し、そこから分岐して大和伊勢を目指した大阪線が曲線的な支線の線形を持っている。

大軌・参急時代の1930年12月20日に現在の大阪線が全通、その後、大軌が参急を合併して関西急行鉄道となった1941年3月15日には、布施~伊勢中川間が大阪線と改称されたが、上本町~布施間が書類上大阪線とされた経緯や時期については、今のところ分からないし、このダイジェストでも深入りはしない。

いずれにせよ線路名称に従えばここからが奈良線。真っすぐ生駒山に向かって東進していく。

私の幼少期には八戸ノ里駅と若江岩田駅の間にある大阪府道2号大阪中央環状線を越えるところまで高架が続いており、中央環状線に隣接して近鉄の玉川工場があった。近鉄の線路を挟んで南側には郊外型スーパーマーケットのイズミヤがあり、毎週日曜日になると祖父母らに連れられて買い物に訪れるのが我が家の恒例行事だった。

その際、両親祖父母らの買い物の合間に、玉川工場を見に行って、普段目にしない珍しい車両が停車しているのを眺めるのが楽しみだった。

2024年9月現在、玉川工場もイズミヤも姿を消し、祖父母らも亡くなって、幼少期の記憶も追憶の彼方へと消えていこうとしているが、この付近を通る度に、当時のことを思い出す。

2029年度には大阪モノレールがここまで延伸してきて奈良線と接続し、瓜生同駅(仮称)が開業する予定なので、幼少期の記憶に新しい鉄道の記録が上書きされるのも間もなくだ。

現在、高架区間は東花園駅付近まで延伸しており、生駒山ろくの瓢簞山駅に至って漸く地平駅に戻る。

東花園駅に大きな車庫があるのは幼少期から変わらないが、河内永和駅は城東貨物線から昇格したJRおおさか東線のJR河内永和駅との乗換駅となり、大阪線の俊徳道が同様にJR俊徳道駅との乗換駅となったのと合わせて、布施駅も含めたデルタ地帯を形成するようになった。

この両駅での乗り換え需要はそれほど多いものではないだろうが、鉄道ファンとしては乗り換え趣味をくすぐられる配置でもある。

布施駅、7時1分発。瓢簞山駅、8時5分着であった。

JRおおさか東線との接続駅となった河内永和駅
JRおおさか東線との接続駅となった河内永和駅
河内小阪駅前には小さなバスターミナルがある
河内小阪駅前には小さなバスターミナルがある
八戸ノ里駅は島式2面4線の構造を持ち比較的規模が大きい
八戸ノ里駅は島式2面4線の構造を持ち比較的規模が大きい
高架となって幼少期の記憶を上書きした若江岩田駅
高架となって幼少期の記憶を上書きした若江岩田駅
花園駅も近代的な高架駅に変貌を遂げていた
花園駅も近代的な高架駅に変貌を遂げていた
花園ラグビー場の最寄り駅としての機能は変わらない東花園駅
花園ラグビー場の最寄り駅としての機能は変わらない東花園駅
東花園駅に隣接した東花園検車区を遠望
東花園駅に隣接した東花園検車区を遠望
近鉄奈良線・瓢簞山駅(大阪府:2017年3月)
瓢簞山駅は相対式2面4線で中央部分に通過線を持つ駅構造となっている
生駒山からの急勾配を降って難波方面への快速急行がやってきた
生駒山からの急勾配を降って難波方面への快速急行がやってきた

全国的にも珍しいアーケード国道となっている商店街を間近に眺めつつ、列車の発着を眺める。折しも瓢簞山駅には伊勢志摩ライナーの回送車両が停車していて、珍しい光景を目にすることが出来た。

この瓢簞山駅から直ぐに生駒山麓に沿った急勾配が始まる。

それは瓢簞山駅脇のアーケード踏切から見てもはっきりと見て取ることが出来るが、奈良線の列車密度は高いので眺めているうちに遮断機が降りて、快速急行が山を降ってきた。背後には生駒山が屏風のように聳えている。

列車の往来も激しいので踏切も度々作動。駅に停車していた伊勢志摩ライナーの回送が登っていくのを見送って「ちゃり鉄10号」も出発した。8時9分発。

ここからは「ちゃり鉄10号」でもはっきりと登り勾配を実感しながら駆け上がっていく。

まずは枚岡駅を訪問。ここは枚岡神社の最寄り駅でもあるが、私が小学生だった頃、遠足で訪れた記憶もある。

額田駅にかけても登り勾配が続き、眼下には次第に大阪平野が開けてくる。この額田駅前から国道308号線が暗峠に向かってダイレクトに山腹を登っていくので、後ほどここまで引き返してくることになる。

35.7‰の勾配標を眺めつつ更にもう一段急登を登り切ると切通の中の石切駅。

私はかつてこの付近に住んでいたことがあった。普通の人は原付や電動自転車を使って生活する場所だっただけあって、ノーマルな自転車での生活はなかなか大変ではあったが、賃貸物件の価格が安い上に部屋の窓から大阪平野の夜景を見下ろすことが出来る場所だった。その風景が好きでここに住んだといっても過言ではない。近鉄奈良線の列車でこの付近を通るのは、幼少期の頃から変わらない楽しみでもある。

現在の奈良線はこの石切駅のすぐ東からトンネルに入って一気に奈良県側まで抜けていくが、これは創業当時の生駒トンネルではなく二代目にあたる新生駒トンネルである。

創業当時の生駒トンネルは現在の石切駅から少し北側に位置し、石切駅ではなく孔舎衛坂駅がトンネルに面していた。これらの跡も現存しており、生駒トンネルの奈良県側は一部がけいはんな線の生駒トンネルに転用されている。

「ちゃり鉄10号」ではこの孔舎衛坂駅まで訪れたのち、額田駅付近に引き返して暗峠越えに挑んだ。

石切駅付近から生駒山を越えていく徒歩道も行く筋かあるが、これらはいずれも登山道の範疇で、ツーリング装備を積んだ自転車で走行できる道ではない。この付近を自転車で越えるとすれば、暗峠越が唯一の選択肢で、それ以外を選ぶとすると四条畷市と交野市との間にある清滝峠か、八尾市と平群町との間にある十三峠を越えることになり、いずれも迂回距離が相当長い。

暗峠はツーリング装備を積んだ時点で車で直登できないことは分かっていたが、奈良線の線形に出来るだけ沿いたいということもあって、ここは暗峠越え一択であった。

孔舎衛坂駅跡、8時54分着、8時59分発。23㎞であった。

枚岡駅では枚岡神社にもお参りした
枚岡駅では枚岡神社にもお参りした
枚岡駅に停車する復刻塗装の5802F形普通列車
枚岡駅に停車する復刻塗装の5802F形普通列車
枚岡駅から先も急勾配で額田駅・石切駅方面に登っていく
枚岡駅から先も急勾配で額田駅・石切駅方面に登っていく
生駒山腹の小駅である額田駅に到着
生駒山腹の小駅である額田駅に到着
額田駅の前後は急勾配が続く
額田駅の前後は急勾配が続く
石切駅方に向かって35.7‰を示す勾配標
石切駅方に向かって35.7‰を示す勾配標
額田駅から先、石切駅にかけての急勾配
額田駅から先、石切駅にかけての急勾配
切通の中にある石切駅
切通の中にある石切駅
奈良旧線の旧生駒トンネル付近にあった孔舎衛坂駅は今もホームやトンネルの跡が残る
奈良旧線の旧生駒トンネル付近にあった孔舎衛坂駅は今もホームやトンネルの跡が残る

石切駅付近から眼下の大阪平野を眺める。子供の頃から見慣れた奈良線の風景ではあるが、中高層のマンションやビルが増えたし、あべのハルカスの一際高い建物も目立つようになった。

石切駅付近からは山麓の石切神社への参道も続いている。

参道というのは山頂や山腹の神社に向かって山麓から延びているのが普通だが、ここでは山腹にある近鉄の駅から山麓にある石切神社に向かって、山を降る形で参道が続いている。

私の先祖のお墓はこの一画にあるので、幼少の頃から石切参道を歩く機会は多かったが、土産物屋が軒を連ねる参道の雰囲気は昔も今も変わらない。

額田駅付近まで戻った後、国道308号線に入るのだが、この付近では市街地の中の狭い路地の様相を呈しているので、登り降りそれぞれが一方通行のロータリーのような構造になっている。不慣れなドライバーが暗峠に向かうと、まず最初に戸惑う地点だ。

この直後から急登が始まる。ツーリング装備を満載した「ちゃり鉄10号」では漕いで登ることは出来ず押し登りとなる。

山を登る車道は一般的には山腹を斜上していく線形を持つことが多いが、この国道308号線は谷に沿った最大傾斜線を直登していく線形を持っているので、登山道のような勾配だ。

最大斜度の地点で写真を撮影したり、軽装のハイカーに追い抜かれたりしながら進むうちに、多少傾斜が緩くなるとともに谷沿いから開けた高原状の畑地に出て、間もなく暗峠に到着。

10時1分、27.2㎞。孔舎衛坂駅跡からの4.2㎞に1時間2分を要した。

途中、なるかわ園地の園内通路とクロスする地点もあるが、園内通路が1車線の通常舗装なのに対し、国道308号線は1車線の簡易舗装。両者を見比べると、国道指定が嘘のようで、せいぜい農道にしか見えないところが面白い。

石切駅付近からは大阪平野が一望できる
石切駅付近からは大阪平野が一望できる
高台の石切駅から山麓の石切神社への参道が続く
高台の石切駅から山麓の石切神社への参道が続く
額田駅付近に戻って国道308号線で暗峠を目指す
額田駅付近に戻って国道308号線で暗峠を目指す
自転車を漕いで登れない簡易舗装の急登が続く大阪側の暗峠
自転車を漕いで登れない簡易舗装の急登が続く大阪側の暗峠
最大斜度31%とも言われる最急地点
最大斜度31%とも言われる最急地点
右下から左上にかけての国道308号線を通って峠付近の高原地形に出る
峠近くの高原地形ではなるかわ園路を右下から左上にかけて横切るのが国道308号線
石畳や記念碑が風情ある暗峠に到着
石畳や記念碑が風情ある暗峠に到着

暗峠では峠を登降する国道308号線の他に、尾根筋を辿る信貴生駒スカイラインが立体的にクロスしている。スカイラインの方はかつての有料道路なので、国道308号線との間で自動車の行き来は出来ないが、徒歩道は両者を行き来することが出来るので、スカイラインの上にも登って峠の俯瞰写真などを撮影。ちょうど、日本一周」の看板を取り付けたバイクの旅人が峠で一休みしているところだった。

傾動地塊の奈良県側は緩傾斜とは言え、そこはやはり暗峠だけあって簡易舗装の急勾配が棚田の広がる山腹を降っており、遠くには奈良盆地が遠望されるのだった。ただ、車線は2車線になっているのでこちらの方が走りやすい。

暗峠、10時7分発。

急勾配を降り生駒、10時33分着。32.1㎞。峠からの降りは4.9㎞を26分で走り終えた。

国道308号線を跨ぐ信貴生駒スカイラインから奈良盆地を遠望
国道308号線を跨ぐ信貴生駒スカイラインから奈良盆地を遠望
暗峠で憩う日本一周中のバイクツーリスト
暗峠で憩う日本一周中のバイクツーリスト
奈良県側も簡易舗装の急勾配を降っていく
奈良県側も簡易舗装の急勾配を降っていく

生駒駅は奈良線を核として生駒線、けいはんな線、生駒鋼索線が分岐する中核駅で、特急も停車する。私の生家はこの鋼索線沿線沿いにあったのだが、物心つく前には大阪市内に引っ越ししているので、残像のような断片的な記憶の他は何も残っていない。

ただ、当時の写真アルバムは今も実家に残っており、生家のアパートも50年以上経た今日でも残っている。

生駒線は今回の「ちゃり鉄10号」の走行対象路線ではないが、小学生時代の遠足で訪れた沿線には無人駅も残っており、2両編成の旧型車が行き交う風景が今も記憶に残っている。この生駒線沿線も発展著しく、編成も2両から4両へと変貌を遂げている。

乗り鉄の旅などで時折訪れている生駒駅ではあるが、今回は、駅前から写真を撮影して足早に先に進む。「ちゃり鉄」の場合、賑やかな街中の有人駅だと停車時間が短くなる。

東生駒駅は駅前の車寄せが2階建てになっており特徴がある。

けいはんな線の東花園検車区東生駒車庫が併設されているほか、奈良線の折り返し列車も設定されており、中々に規模の大きな駅である。

さらに進んで富雄駅。

ここは駅の西側が高架駅で東側が地平駅となる形。丘陵地帯を貫くように線路が敷かれているので、このような駅構造となっている。

学園前駅は「帝塚山学園」前ということだが、帝塚山学園の誘致とともに駅前のニュータウン開発を合わせて近鉄が手掛けており、近鉄の不動産事業の嚆矢ともなった地区である。

続く菖蒲池駅はかつて駅前にあったあやめ池遊園地の記憶が明瞭だ。大軌時代の1926年6月11日に開園したあやめ池遊園地は2004年6月に閉園するまで、奈良線沿線の行楽地として人気を博した。私も幼少の頃に何度か訪れた記憶がある。

今日では遊園地の跡地は学校や福祉施設のほか、民間の宅地や公園に転用されており、沢山の遊具があった遊園地の面影は消えている。

懐かしい記憶を辿りながら西大寺駅に到着。11時49分。42.2㎞であった。

生駒駅、10時35分発。大和西大寺駅、11時49分着。42.2㎞であった。

奈良線随一の中核駅である生駒駅に到着
奈良線随一の中核駅である生駒駅に到着
東生駒駅は車寄せが2階建てになった特徴ある作り
東生駒駅は車寄せが2階建てになった特徴ある作り
富雄駅は丘陵地帯を高架と地平面とで貫いている
富雄駅は丘陵地帯を高架と地平面とで貫いている
近鉄によって開発されたニュータウンの玄関口となる学園前駅
近鉄によって開発されたニュータウンの玄関口となる学園前駅
かつては遊園地の入り口駅だった菖蒲池駅
かつては遊園地の入り口駅だった菖蒲池駅
菖蒲池の遊園地は今はなく、跡地には福祉施設や住宅が建てられている
菖蒲池の遊園地は今はなく、跡地には福祉施設や住宅が建てられている

大和西大寺駅は近鉄京都線・橿原線とのジャンクション駅であるとともに、西大寺車庫も併設されており、駅前後の複雑な分岐ポイントの配線は鉄道ファンの心をくすぐる。

列車の往来も激しく、駅の西側にある踏切付近では京都線と奈良線の踏切が島状の敷地と民家を挟んで隣接しているのだが、渡るタイミングが悪いと踏切に挟まれた「島」の中で待つことになる。

鉄道ファンならそういう状況に心躍るのだろうが、一般の利用者にとっては開かずの踏切に近いかもしれない。

大和西大寺駅、11時59分発。

この西大寺駅から新大宮駅の間では平城京跡を通っていくのだが、近鉄奈良線はこの平城京跡を横断しており、朱雀門を背景に電車が行き交う独特の風景を見ることが出来る。

大正時代のこととは言え、平城京の跡地に鉄道敷設が認められた経緯は文献調査の興味をそそるものだ。

奈良市街地の地上駅である新大宮駅を経て、地下駅の近鉄奈良駅には12時58分着。48.1㎞。

かつては奈良駅も地上駅で油阪駅との間に併用軌道の期間があったが、渋滞緩和等を目的とした都市計画の一環として奈良駅の地下化工事が行われ、油阪駅は廃止されるとともに代替駅として新大宮駅が地上駅として設けられた経緯がある。

長らく地上駅だったJRの奈良駅も2010年3月13日には完全高架化されており、奈良市街地の鉄道風景も新しい時代へと変貌を遂げている。

これで近鉄創業路線だった奈良線の「ちゃり鉄」は終了。

ここからは近鉄最新路線であるけいはんな線を走るべく、学研奈良登美ヶ丘駅を目指す。

近鉄奈良駅、13時1分発。大阪難波駅から近鉄奈良駅まで42.6㎞。所要時間は6時間44分であった。

西大寺駅西方の京都線の踏切から奈良線の踏切を眺める
西大寺駅西方の京都線の踏切から奈良線の踏切を眺める
西大寺駅の複雑なポイントは鉄道ファンの心をくすぐる
西大寺駅の複雑なポイントは鉄道ファンの心をくすぐる
特急も停車する一大ジャンクションの西大寺駅
特急も停車する一大ジャンクションの西大寺駅
奈良線と京都線の列車がひっきりなしに行き交う西大寺駅
奈良線と京都線・橿原線の列車がひっきりなしに行き交う西大寺駅
朱雀門を背景に平城京を貫いていく近鉄奈良線
朱雀門を背景に平城京を貫いていく近鉄奈良線
新大宮駅は混雑する市街地の地平駅
新大宮駅は混雑する市街地の地平駅
地下駅化された奈良駅は駅ビルが目印
地下駅化された奈良駅は駅ビルが目印

この道中は移動行程の位置付けだったが、奈良市内を西進する際に偶然、関西鉄道時代の鉄道遺構である大仏駅跡を通りかかったので、写真に収めておく。

関西鉄道は現在のJR関西本線などの前身となった鉄道で、元々は私有鉄道であった。

現在の関西本線は今日では名阪連絡路線としては殆ど機能しておらず、凋落路線として語られることが多いが、明治の鉄道黎明期には現在の東海道本線に当たる官設鉄道と熾烈な競争を繰り広げた路線でもある。

小公園となった駅跡には梅の木が植えられており、可憐な花が咲いていた。

学研奈良登美ヶ丘駅に向かて更に漕ぎ進めていくと、路傍に帽子や衣服を纏ったマネキン達が現れる。

この地域では比較的知られているもので、SNSの投稿でも見かけることがあるマネキン達。季節によって着ている服が異なり、早春のこの時は厚着していた。

マネキンを設置した人物が衣替えを行っているのだろう。

11.3㎞を走って学研奈良登美ヶ丘駅には13時47分に到着した。総距離は59.4㎞。

偶然通りかかった関西鉄道大仏線の大仏駅跡
偶然通りかかった関西鉄道大仏線の大仏駅跡
この地域では有名?な路傍のマネキン達
この地域では有名?な路傍のマネキン達

学研奈良登美ヶ丘駅はけいはんな線の開業に伴って2006年3月27日に開業した。けいはんな線は近鉄の路線の中でも最も新しい路線で、創業路線だった奈良線と合わせて、この日で近鉄の歴史の始まりと現在とを結んだことになる。

このけいはんな線はOsaka Metro中央線と相互乗り入れの運用を行う関係で750Vの第三軌条方式で設計されており、生駒駅で接続する奈良線や生駒線との直通運用は出来ないが、2025年の大阪・関西万博に合わせて直通可能な新型車両の開発も進められているようである。

なお、現在のけいはんな線は学研奈良登美ヶ丘駅で終点となっているものの、この地域の開発計画は近鉄独自のものではなく、国土庁の手によって1982年に発表された「関西学術研究都市基本構想」がベースとなっており、その中では近鉄京都線の高の原駅と奈良線の生駒駅との間を結ぶ路線、及び、途中から分岐して精華・西木津方面へと向かう路線が構想されている。これが一部実現したのがけいはんな線であり、今後も、京都線方面への延伸の可能性がある。

真新しい高架駅を撮影したのち、付近のコンビニで昼食を手に入れ、頬張りながら出発。この先は暗峠を越えて、大阪南港付近まで走る事になる。13時51分発。

新設の路線だけあって駅は高架、駅と駅との間は高架とトンネルで突き抜けていく。我が「ちゃり鉄10号」は線路に沿っては走れないので、並行する車道を迂回しつつ中間駅を繋ぎ、生駒駅には14時48分に戻ってきた。69.8㎞。

丘をぶち抜いて延伸していく構えの学研奈良登美ヶ丘駅
丘をぶち抜いて延伸していく構えの学研奈良登美ヶ丘駅
丘陵を貫くトンネルに隣接した学研北生駒駅
丘陵を貫くトンネルに隣接した学研北生駒駅
同名の新興住宅地の玄関駅である白庭台駅
同名の新興住宅地の玄関駅である白庭台駅
復路は北口側から生駒駅に到着
復路は北口側から生駒駅に到着

今日二度目の生駒駅には今度は北口側からアクセス。こちら側が生駒駅の正面口に当たり、百貨店などをはじめとする商業ビルが立ち並んでいる。

ここで15時前だが、これから暗峠を越えた上で大阪南港近辺まで走るということもあって先を急ぐ。生駒駅14時49分発。撮影だけ済ませて僅か1分での出発となった。

ここからの登りは生駒鋼索線の北側に沿って走り途中の踏切で南側に移った。その付近には生家のアパートがあるが、実際に住んでいた頃の記憶は定かではなく、実家にあるアルバムからそれと認識しているだけだ。

鋼索線沿線ということもあって勾配もきつく、大阪府側に負けず劣らず喘ぎながらの登り続け、宝山寺参道で小休止したのち、暗峠には15時59分に到着した。75.7㎞。生駒駅からは5.9㎞に1時間10分を要した。

暗峠に向かう登り道は近鉄鋼索線沿いを選んだ
暗峠に向かう登り道は近鉄鋼索線沿いを選んだ
私の生家付近の近鉄鋼索線の風景は朧げな記憶のまま
私の生家付近の近鉄鋼索線の風景は朧げな記憶のまま
宝山寺界隈は参道の雰囲気が心地よい
宝山寺界隈は参道の雰囲気が心地よい
行く方遠くに暗峠を望みつつ急勾配を喘ぎ登っていく
行く方遠くに暗峠を望みつつ急勾配を喘ぎ登っていく

日中は人の姿もあった暗峠だが、この時刻になると人通りも絶えてひっそりと静まり返っていた。今日の石畳や茶屋は観光を意識したものではあろうが、往時の暗峠の佇まいが何となく偲ばれる。

今日はここから更に25㎞程を走るため、二度目の峠は写真撮影のみで通り過ぎる。

降りはなるかわ園地の管理車道に出るまでは比較的軽快な降り。途中、登りでは気が付かなかった路傍の梅の木などを撮影し、園路との出合いも再び撮影。

ここから先はあまりにも急勾配なためブレーキで制動しながらのゆっくりとした降りとなり、写真撮影の余裕もなかった。

生駒トンネルを越えてきたけいはんな線の高架が現れ、すっかり降りきった辺りで新石切駅に到着。

16時22分。79.7㎞。暗峠からの4.0㎞を22分で降ってきた。

6時間ぶりに暗峠に戻ってきた
6時間ぶりに暗峠に戻ってきた
峠の茶屋向こうで信貴生駒スカイラインを潜り抜けて降っていく奈良県側の峠道を振り返る
峠の茶屋向こうで信貴生駒スカイラインを潜り抜けて降っていく奈良県側の峠道を振り返る
国道308号・暗峠(大阪府:2017年3月)
梅の花咲く路傍を眺めながら国道308号線の隘路を降っていく
今度はなるかわ園地の園路を右から左に向かってクロスする
今度はなるかわ園地の園路を右から左に向かってクロスする

近鉄けいはんな線の新石切駅から大阪市営地下鉄中央線の阿波座駅付近まではほぼ一直線に西進する。

新石切駅では地上に国道308号線が走っている。先ほどまでの隘路とは打って変わった幹線道路で中央大通りとも称される。これほどまでに性質の異なる3桁国道というのも珍しい。

中二階に阪神高速13号東大阪線、三階に近鉄けいはんな線の新石切駅がある。

このまま国道170号大阪外環状線を越えて西進すると吉田駅付近では中二階が近鉄けいはんな線の吉田駅、三階に阪神高速となって上下が入れ替わる。なお、この吉田駅は「よした」と読む。

さらに進んで東大阪市役所にほど近い荒本駅に達すると、近鉄けいはんな線は地下に潜っていき、地上の国道308号中央大通りと2階の阪神高速13号東大阪線となる。

そのまま西進して大阪府道2号大阪中央環状線を越え、長田駅に達して近鉄けいはんな線の「ちゃり鉄」を終える。

新石切駅を16時26分に出発し、長田駅16時57分着。84.2㎞であった。

学研奈良登美ヶ丘駅から長田駅までの近鉄けいはんな線の走行距離は24.8㎞。所要時間は3時間6分であった。

生駒山を越えてけいはんな線の新石切駅に戻ってきた
生駒山を越えてけいはんな線の新石切駅に戻ってきた
阪神高速13号東大阪線とけいはんな線が2階建て高架になっている吉田駅付近
阪神高速13号東大阪線とけいはんな線が2階建て高架になっている吉田駅付近
荒本駅付近でけいはんな線は地下へと潜っていく
荒本駅付近でけいはんな線は地下へと潜っていく
大阪市営地下鉄中央線との接続駅である長田駅
大阪市営地下鉄中央線との接続駅である長田駅

ここから先は大阪市営地下鉄中央線となるが、近鉄と大阪市営地下鉄の列車はそれぞれ直通運転をしているため、深夜早朝の一部の列車を除き、この駅での折り返し運用はない。実際に乗車していると、ここでそれぞれの鉄道会社の乗務員が交替するので、停車時間がやや長い特徴がある。

この先は九条駅に達するまで地下鉄となるので、地上にあるのは地下駅への入り口だけだが、駅毎に南北方向に直行する鉄道路線があるので、乗り換え趣味も尽きなない。

まず最初の高井田駅。

ここは大阪市営地下鉄の時代から高井田駅を称していたが、地上部分に高架で交錯していた城東貨物線がJRおおさか東線として旅客営業を始めた際に、JR側に駅が新設された。

通常なら高井田駅とかJR高井田駅と名乗るところだろうが、同じ関西の近郊路線であるJR関西本線に同名の高井田駅が既に存在するため、高井田中央駅と名付けられた。JR西日本のプレスリリースによると、「中央」は行政区画の高井田の中央ということではなく「中央大通り」を意味するものらしい。

「新高井田」駅などとしても既存の「高井田」駅と紛らわしいこともあり、命名に苦心した跡が感じられる。

この高井田駅付近に大阪市と東大阪市の市域境界があり、続く深江橋駅は大阪市内となる。

深江橋駅は一時期、大阪市営地下鉄の終点駅であったが、1985年4月5日に深江橋~長田間が延伸開業したため、中間駅となった。大阪市営地下鉄の駅としては朝潮橋駅や大阪港駅と並んで接続する鉄道路線がない少数派の駅である。

「大阪市営」地下鉄がどうして東大阪市の長田駅まで延伸し、そこで近鉄のけいはんな線と接続したのかについては、文献調査で調べてみたい課題である。

続いて緑橋駅。ここは大阪市営地下鉄今里筋線との接続駅である。

深江橋、緑橋、と橋にちなんだ駅名が続くが、これはかつて、この地を流れていた千間川に架かっていた橋の名前に由来するもので、実際、古い時代の地図を見ると現在の中央大通りの北2筋目と3筋目との間に小さな川が流れ、幾つもの橋が架かっている様子が描かれている。

この千間川は既に埋め立てられており現存しないが、跡地が千間川みどり公園となっているほか、平野川分水路との合流地点に終端部を示す地蔵尊もあるようだ。

私の地元でもあるので歩いて探索に出かけてみたいものである。

なお中央大通りとしての国道308号線はこの緑橋交差点までで、ここからは今里筋に向かって南進していく。代わりに中央大通りとして続くのは大阪市道築港深江線で、中央大通りとしての本来の道路はこの市道を指すものらしい。

大阪城公園の南東端に当たる森ノ宮駅に達すると、地下の大阪市営地下鉄中央線、鶴見緑地線、地上の大阪市道築港深江線、高架のJR大阪環状線、その上の高架の阪神高速13号東大阪線という4段階の交錯に出合う。

こういうダイナミックな鉄道風景はローカル線にはなく、都市路線を「ちゃり鉄」で走る際の楽しみの一つである。

ただ、都市部の鉄道駅はいずれも有人駅であるし、駅の周辺にも人が多いため、自転車を駐輪して構内を訪れるということは無い。

谷町四丁目駅で大阪市営地下鉄谷町線、堺筋本町駅で大阪市営地下鉄堺筋線、本町駅で大阪市営地下鉄御堂筋線と四つ橋線、阿波座駅で大阪市営地下鉄千日前線と交錯し、大阪市営地下鉄中央線が地上に戻ってきた九条駅では阪神なんば線との交錯が生まれた。

かつて交通博物館があった弁天町駅でJR大阪環状線と交錯すれば、大阪市営地下鉄中央線と他の路線との交錯は終了。続く朝潮橋駅には18時43分に到着。98.5㎞。

長田駅から朝潮橋駅までは14.3㎞を1時間43分で走った。

大阪市営地下鉄の高井田駅とJRおおさか東線の高井田中央駅
大阪市営地下鉄の高井田駅とJRおおさか東線の高井田中央駅
中央大通りと内環状線との交差点に当たる深江橋駅
中央大通りと内環状線との交差点に当たる深江橋駅
今里筋線との乗換駅となる緑橋駅
今里筋線との乗換駅となる緑橋駅
森ノ宮駅は大阪市営地下鉄の中央線、鶴見緑地線と、JR大阪環状線が阪神高速の下で交わる交通の要衝
森ノ宮駅は大阪市営地下鉄の中央線、鶴見緑地線と、JR大阪環状線が阪神高速の下で交わる交通の要衝
大阪市営地下鉄谷町線との乗換駅となる谷町四丁目駅まで来るとかなりオフィス街らしくなる
大阪市営地下鉄谷町線との乗換駅となる谷町四丁目駅まで来るとかなりオフィス街らしくなる
堺筋本町駅では大阪市営地下鉄堺筋線と交錯
堺筋本町駅では大阪市営地下鉄堺筋線と交錯
大阪市営地下鉄の中央線、四つ橋線、御堂筋線が交わる本町駅
大阪市営地下鉄の中央線、四つ橋線、御堂筋線が交わる本町駅
阿波座駅では大阪市営地下鉄千日前線と交錯する
阿波座駅では大阪市営地下鉄千日前線と交錯する
地上に出る九条駅では新たに阪神なんば線と交錯することになった
地上に出る九条駅では新たに阪神なんば線と交錯することになった
JR大阪環状線と交錯する弁天町駅にはかつて交通博物館があった
JR大阪環状線と交錯する弁天町駅にはかつて交通博物館があった
とっぷり暮れた朝潮橋駅に到着
とっぷり暮れた朝潮橋駅に到着

朝潮橋駅でこの日の「ちゃり鉄」は終了。

駅に隣接する八幡屋公園内を探索し、Asueアリーナ大阪のある丘の上にあまり人の来ないスペースを見つけたので、ここで野宿とした。

都市部の野宿は夜景が美しく、また、銭湯を見つけやすいこともあって、場所選びさえ間違えなければ、案外快適である。

ただ、場所選びが難しく、景色の良い所にはカップルや若者が集まる傾向があり、人気のない所は浮浪者などの先住人や不良などが集まる傾向があるため、いずれも野宿には適さない。都市公園の中で比較的人が少ない場所を上手く見つけられるかどうかがカギとなることが多い。

その点、この八幡屋公園は比較的良い野宿場所だった。

尤も、都市公園での野宿が公に認められていることはほぼないので、野宿の方法には注意と配慮が必要なことは言うまでもない。

この日は近くにある天然温泉のテルメ龍宮で一浴。

遠くに朝潮橋駅に発着する中央線の列車を眺めながら、静かで穏やかな一夜を過ごすことが出来た。

八幡屋公園内の小高い丘の上で野宿とした
八幡屋公園内の小高い丘の上で野宿とした
近くにあるテルメ龍宮で疲れを癒す
近くにあるテルメ龍宮で疲れを癒す
八幡屋公園から望む朝潮橋駅に列車が到着
八幡屋公園から望む朝潮橋駅に列車が到着

ちゃり鉄10号:2日目:八幡屋公園-朝潮橋=コスモスクエア=住之江公園-桜島=西九条-中之島=天満橋-自宅

2日目は大阪湾岸や市街地の鉄道路線を幾つか巡るとともに、この地域に残っている大阪市営渡船の各航路に乗船するのがメインの行程だ。

昨日の大阪市営地下鉄中央線の深江橋駅、緑橋駅でも触れたように、かつての大阪には八百八橋と呼ばれるほど橋が多く、市街地には網の目のように水路や運河が張り巡らされていた。

こうした水路や運河には橋の他に渡し舟も多く、古い地図を見ると渡し場を示す記号も多いが、時の流れとともにこれらの渡し場は橋に置き換えられ、また、水路そのものが埋め立てられたりして姿を消している。

それでもなお、大阪湾岸の運河には幾つかの市営渡船が残っているので、「ちゃり鉄10号」ではそれらの全てに乗船する計画としたのである。

この日のルート図と断面図は以下のとおり。

ルート図:ちゃり鉄10号2日目
ルート図:ちゃり鉄10号2日目
断面図:ちゃり鉄10号2日目
断面図:ちゃり鉄10号2日目

断面図は断面図の体をなしていないが、この日は大阪湾岸が主体でその後は淀川沿いに自宅に戻るので、ほぼ平地を走るといっても過言ではない。ただ、実際には橋梁のアップダウンなどもあるのでフルフラットというわけにはいかない。

八幡屋公園の朝はまだ明けぬ5時前には始まった。八幡屋公園は都市公園でキャンプ場ではないということもあり、本来の利用者が訪れる時間帯の前には「野宿」は終わって片付けを済ませておくのがマイルールである。

まずは朝食を済ませ、その後、テントなどの野宿装備を畳む。

既に東の空が明けてきていたのだが、テントや寝袋、マットなどを格納して出発準備を済ませた頃になって地元の方が続々と丘の上に集まってきた。見慣れない旅装束の自転車を見て「ここで寝たんですか?」、「どこから来たんですか?」と興味深く話しかけてくださる方が多い。

もし、テントを張ったままで眠りこけていたとしたら、少々気まずい状況だっただろう。

集まってきた方々は6時過ぎから前からからラジオ体操を始められた。遠目に大阪湾岸の夜明けの風景を眺めながら小高い丘の上でラジオ体操をする。実に健康的な生活だと思うが、こういう集まりには若者は殆ど居ない。

かくいう私も実は早起きが苦手なのだが、夜遅くの活動が実際には大して生産性が高くないことに気が付いてからは、朝の時間を有効活用することを真剣に考えるようになった。「ちゃり鉄」の旅も早朝からかなりハードに体を動かし続けることになるので、普段から早朝に起きて出勤前にランニングのトレーニングを済ませるのを日課としている。

そういう生活を続けていると日中の仕事も生産性が高まるし、夜更かしの影響で朝寝坊すると、トレーニング時間が無くなるだけではなく、日中の仕事も実に生産性が低くなるのを実感している。

遠目になみはや大橋の威容を眺めつつ一緒に早朝のラジオ体操を行い、体操を終えた方々と一緒に丘を降って朝潮橋に駅には6時21分頃に到着。「ちゃり鉄10号」での大阪市営地下鉄中央線の旅を再開した。

八幡屋公園の夜が明ける
八幡屋公園の夜が明ける
野宿場所は地元の方の朝の体操場所だった
野宿場所は地元の方の朝の体操場所だった
なみはや大橋の威容を遠望する
なみはや大橋の威容を遠望する
朝潮橋駅に戻って「ちゃり鉄10号」の旅を再開
朝潮橋駅に戻って「ちゃり鉄10号」の旅を再開

朝潮橋駅から先の大阪市営地下鉄中央線の駅は大阪港駅とコスモスクエア駅の2駅で、その先は大阪市営地下鉄南港ポートタウン線に接続して住之江公園駅に向かうことになる。

2駅先に向かうだけなのだが、大阪港駅とコスモスクエア駅との間には大阪港の海面が広がっており、鉄道と高速道路は海底トンネルで抜けていく。

その海底トンネルに歩行者・自転車用の通路は併設されていないため、「ちゃり鉄10号」は港区から住之江区を大回りしてコスモスクエア駅に向かう必要がある。

朝潮橋駅の出発は6時32分。

程なく天保山運河を越える地点に差し掛かるが、朝焼けの天保山運河は頭上に複雑な阪神高速のジャンクションを頂き印象的な都市景観を呈していた。「ちゃり鉄」の旅ではローカル線沿線旅を楽しむことが多いが、こういう都市景観も悪くない。

大阪港駅には6時42分に到着。この先のコスモスクエア駅には直行できないので、なみはや大橋、船町渡船、木津川渡船、平林大橋と大きな迂回を経て次のコスモスクエア駅を目指すことになる。

大阪市営地下鉄・大阪港駅付近・天保山運河(大阪府:2017年3月)
天保山運河を越える
朝日に輝く阪神高速の都市景観が印象的
朝日に輝く阪神高速の都市景観が印象的
かつての終着駅だった大阪港駅に到着
かつての終着駅だった大阪港駅に到着
大阪市営地下鉄・大阪港駅付近(大阪府:2017年3月)
大阪港駅を出た大阪市営地下鉄中央線は高架から地下路線へと転じる
大阪港咲洲トンネルで海底を越えていく大阪市営地下鉄中央線
大阪港咲洲トンネルで海底を越えていく大阪市営地下鉄中央線

大阪港というのは北は尼崎市との境界になる中島川、南は堺市との境界になる大和川にかけての地域に広がっている。このうち、淀川から安治川までの間の此花区を中心とした地域が北港で、大和川から木津川にかけての住之江区を中心とした地域が南港と通称される。

北港と南港との間にある安治川から木津川にかけての地域は築港や内港と通称され、港区や大正区を中心としているが、隣接する西成区や浪速区、西区といった地域まで運河を介して港湾区域が及んでいる。

大阪市営地下鉄の中央線と南港ポートタウン線は港湾区域としては西区から港区、住之江区に敷設されているので、築港・内港地域と南港地域を巡ることになるが、後ほど訪れるJR桜島線は此花区にあり北港地域ということになる。結局、今日一日で大阪港全体を巡ることになるのだが、その間に、8か所の市営渡船場を訪れ、それに隣接した4か所の大型橋梁を越えるため、同じような場所を右往左往する。

このルート設計を出来るだけ綺麗な一筆書きに仕上げていくのは、旅を計画する段階での大きな楽しみだ。同じ橋や渡船を往復で使用しないというルールを決めるとルート設計は難しくなるが、思い通りの軌跡を描けた時の喜びは大きく、しばしば、実際の旅の楽しみを上回る。

今回はなみはや大橋のみ往復する設計としたが、大阪港区域にあって非常に特徴のある大型橋梁でもあるので、往復することに関しては良しとした。

大阪港駅を出た後は自動車専用の港大橋の赤い威容を眺めながら、その下を潜り抜けてなみはや大橋を越えていく。話題になった島根県の江島大橋のベタ踏み坂とよく似た景観で、途中から屈曲して尻無川を越えていく姿が特徴的だ。ここは歩道が併設されているので自転車や徒歩でも越えることが出来るのが嬉しい。ルート設計に当たっては港大橋のような自動車専用橋となみはや大橋のような歩道併設橋とを事前に調べておく必要があった。

橋上から大正内港や千歳橋を遠望しつつ鶴町地区に渡り、来し方、なみはや大橋を振り返る。緩やかな曲線を描いて鶴町の地平に降りてくる姿は、大きな首長竜のようにも見えた。

海岸通り付近から眺める港大橋は大阪港を象徴する橋梁風景だ
海岸通り付近から眺める港大橋は大阪港を象徴する橋梁風景だ
港大橋の向こうに行く方のなみはや大橋が見えてきた
港大橋の向こうに行く方のなみはや大橋が見えてきた
べた踏み坂のようななみはや大橋には側道側からアクセスする
べた踏み坂のようななみはや大橋には側道側からアクセスする
なみはや大橋の橋上から港大橋を遠望する
なみはや大橋の橋上から港大橋を遠望する
大阪湾岸・なみはや大橋から望む千歳橋(大阪府:2017年3月)
東側に眼を転じれば朝日が眩しい内港地区に千歳橋の姿が美しい
鶴浜地区から眺めるなみはや大橋の特徴ある姿
鶴町地区から眺めるなみはや大橋の特徴ある姿

この鶴町地区は大正区内にあり、隣の船町地区との間に木津川運河が流れている。東側では車道橋の大船橋で運河を越えているが、西側は架橋されておらず船町渡船で往来する。

さらに、船町地区と隣接する住之江区との間には木津川が流れており、ここに車道橋の新木津川大橋が架橋されているのだが、この橋梁は船町側に二重ループを伴った高低差の大きい車道橋となるため、橋梁に歩行者・自転車用の側道が設けられてはいるものの、橋に隣接して木津川渡船場が設けられている。正確には、木津川渡船場に隣接して新木津川大橋が架橋されたが、歩行者や自転車の便宜上、渡船が残されたということであろう。

なお、淀川水系で「木津川」というと、中流部の大阪・京都府境にある背割堤付近で桂川、宇治川と合流する木津川を思い浮かべる方も多いだろう。鉄道趣味でもこの木津川流域に木津駅があるので、そちらを思い浮かべることになる。

そういうこともあって、私はここに「木津川」が現れたことに違和感を感じたのだが、この「木津川」は上流部の木津川とは関係なく、淀川下流域にある淀川水系の分流の一つで、1500年代には既に開削されていた人工の運河である。

よくよく調べてみると南海電鉄高野線(汐見橋線)に木津川駅もある。これは面白い発見であった。

木津川運河は100mほど、木津川は250mほどの川幅で、いずれも5分前後の乗船時間だが、地域の住民が自転車を押しながら乗船しており、生活に欠かせない渡し船であることが伺えた。

最初の渡船場は木津川運河の最下流にある船町渡船場の鶴町側乗り場
最初の渡船場は木津川運河の最下流にある船町渡船場の鶴町側乗り場
大阪市営渡船・船町渡船場(大阪府:2017年3月)
船町渡船場の鶴町側乗船場から100mほどの木津川運河の対岸にある船町側乗船場を眺める
大阪市営渡船・船町渡船場(大阪府:2017年3月)
自転車や徒歩で移動する付近の住民の生活の足となっている
大阪市営渡船・船町渡船場(大阪府:2017年3月)
到着した船町側乗船場でも数名の利用客が入れ違いで乗船
船町渡船場の船町側乗り場から鶴町側を眺める
船町渡船場の船町側乗り場から鶴町側を眺める
船町渡船場の船町側乗り場は工場地帯のどん突きに位置する
船町渡船場の船町側乗り場は工場地帯のどん突きに位置する
船町通りから眺める新木津川大橋の二重ループ
船町通りから眺める新木津川大橋の二重ループ
大阪市営渡船・木津川渡船場(大阪府:2017年3月)
木津川渡船場の船町側乗船場を出港していく渡し船
大阪市営渡船・木津川渡船場(大阪府:2017年3月)
戻ってきた渡し船が艀に係留されて暫し休憩
大阪市営渡船・木津川渡船場(大阪府:2017年3月)
新木津川大橋を見上げる木津川渡船場の平林北側乗船場

木津川を渡ると住之江区に入る。

この先は貯木場の入り口となる平林大橋を越え、もう一つ橋を越えてポートアイランドに入る。

大回りを経てコスモスクエア駅には8時46分着。15.4㎞。大阪港駅からは1時間59分。13.3㎞であった。

大阪市営地下鉄中央線はこのコスモスクエア駅まで。このコスモスクエア駅前後の鉄道の経営は第二種・第三種鉄道事業者が関与する複雑なものだが、いずれも当時は大阪市交通局が第二種鉄道事業者だったので、ここでは「ちゃり鉄」のルール上、大阪市営地下鉄の鉄道路線として扱うことにした。

ここから先は住之江公園駅まで高架駅。駅の下から写真を撮影するだけで、テンポよく先に進んでいくことにした。8時52分発。

平林大橋を越えてポートタウンに向かう
平林大橋を越えてポートタウンに向かう
大回りを経てコスモスクエア駅に到着
大回りを経てコスモスクエア駅に到着

大阪市営地下鉄の南港ポートタウン線(ニュートラム)はいわゆる新交通システムで、案内軌条式旅客輸送システム(AGT)とも呼ばれる。構造的に鉄道らしくないものの「ちゃり鉄」の中ではこれも「鉄道」として扱うことにしている。

各駅には共通の設計が見られ、都市型鉄道らしい風景が広がる。ポートタウン自体が大阪湾を埋め立てた人工島(咲洲)で、市営住宅なども造成されたニュータウンでもある。

その造成は1970年代後半から1980年代後半にかけて行われており、南港ポートタウン線の開業は1981年3月16日。住之江公園~中ふ頭間の開業であった。中ふ頭~コスモスクエア間が開業したのは1997年12月18日のことで、ポートタウンの造成とは別の事業と言えそうだ。

アジア太平洋トレードセンター(ATC)が併設されたトレードセンター前駅を経て中ふ頭駅には9時3分着。16.6㎞。

ここから先が南港ポートタウン線の第1期線でポートタウンの北西角に当たる。

続いてポートタウン西、ポートタウン東の2駅が続き、中ふ頭駅も含めた3駅で、咲洲に造成されたニュータウンの乗降駅を構成している。ポートタウン西、ポートタウン東の2駅は、その駅名のとおりポートタウン内にある。駅前広場もあり、南港ポートタウン線の他の駅と比べて住宅地の駅といった趣が強い。

ポートタウン東駅を出ると進路を南寄りに転じ阪神高速4号湾岸線と合流して咲洲を出る。

続くフェリーターミナル駅は九州・四国方面への夜行フェリーのターミナルのアクセス駅である。「ちゃり鉄」ではここからの夜行フェリーに乗船したことは無いが、「乗り鉄」の旅で東予港までのオレンジフェリーに乗船したことがある。学生時代には大阪高知特急フェリーなども就航しており賑わっていたものだが、夜行列車と同様に夜行フェリーも衰退が激しく、旅情ある旅の舞台装置は失われつつある。

南港東、南港口の各駅を経て南港地域を脱し、平林駅から住之江公園駅に抜けて南港ポートタウン線の旅は終了。9時50分着、23.9㎞。コスモスクエア駅からは58分、8.5㎞の旅であった。

アジア太平洋トレードセンター(ATC)に隣接したトレードセンター前駅
アジア太平洋トレードセンター(ATC)に隣接したトレードセンター前駅
機能的な作りの中埠頭駅
機能的な作りの中埠頭駅
南港住宅の西口に当たるポートタウン西駅
南港住宅の西口に当たるポートタウン西駅
南港住宅の東口に当たるポートタウン東駅
南港住宅の東口に当たるポートタウン東駅
近代的な都市景観の中を行くニュートラムの列車
近代的な都市景観の中を行くニュートラムの列車
阪神高速4号湾岸線との3階建て構造になっているフェリーターミナル駅
阪神高速4号湾岸線との3階建て構造になっているフェリーターミナル駅
港湾施設が多い南港地区にある南港東駅も機能重視の駅構造
港湾施設が多い南港地区にある南港東駅も機能重視の駅構造
南港住宅に隣接する南港口駅
南港住宅に隣接する南港口駅
平林駅は「南港」と「住之江」の境界に位置する
平林駅は「南港」と「住之江」の境界に位置する
住之江公園の入り口にある住之江公園駅でポートタウン線の旅が終了
住之江公園の入り口にある住之江公園駅でポートタウン線の旅が終了

ここからは大阪北港にあるJR桜島線の桜島駅に向かう行程だが、直行するのではなく、築港・内港地域にある6つの渡し船に乗船し、4つの大型橋梁を渡っていく。

結果的にルートは複雑怪奇なものとなり、軌跡だけ見ると道に迷ったかのようだが、もちろん、計画づくでのルート取りである。

住之江公園駅、9時54分発。

まず最初に木津川の最上流に位置する落合上渡船場を北津守側から千島側に向かって渡る。

北津守側の渡船場入り口の交差点には落合上ノ渡の名称が付されており、この渡し場が古くからのものであることが偲ばれる。上流には木津川水門の大きな構造物が見えている。

最下流の木津川渡船場では250mほどの川幅があった木津川もこの辺りでは100mに満たず。対岸の千島側の乗船場も間近い。

あっという間に対岸に渡って木津川右岸側を落合下渡船場に向かい、今度は平尾側乗船場から津守側乗船場に向かって渡る。上流を眺めると先ほど渡った落合上渡船場や木津川水門が見えていた。

左岸側を降って千本松渡船場の南津守側乗船場に到着。ここでは川幅が150mほどに広がっている。

前後に二重ループを備えた千本松大橋を見上げつつ、千本松渡船場を南恩加島側乗船場に向かって渡り、すぐさま、千本松大橋で南津守側に渡り直す。

渡船巡りの旅の3船目は落合上渡船場の北津守側から
渡船巡りの旅の3船目は落合上渡船場の北津守側から
落合上渡船場のすぐ上流には木津川水門がある
落合上渡船場のすぐ上流には木津川水門がある
大阪市営渡船・落合上渡船場(大阪府:2017年3月)
北津守側の船着き場にやってきた落合上渡船場の渡し船
大阪市営渡船・落合上渡船場(大阪府:2017年3月)
千島側から直ぐに引き返して北津守側に向かっていく渡し船
落合上渡船場の千島側乗船場
落合上渡船場の千島側乗船場
落合下渡船場の平尾側乗船場に到着
落合下渡船場の平尾側乗船場に到着
落合下渡船場の津守側乗船場から落合上渡船場と木津川水門を眺める
落合下渡船場の津守側乗船場から落合上渡船場と木津川水門を眺める
落合下渡船場津守側乗船場の入り口
落合下渡船場津守側乗船場の入り口
二重ループ橋の千本松大橋を見上げる千本松渡船場南津守側乗船場の入り口
二重ループ橋の千本松大橋を見上げる千本松渡船場南津守側乗船場の入り口
大阪市営渡船・千本松渡船場(大阪府:2017年3月)
千本松渡船場の南津守側乗船場から南恩加島側乗船場を眺める
大阪市営渡船・千本松渡船場(大阪府:2017年3月)
南津守側乗船場に渡し船がやってきた
千本松渡船場南恩加島側乗船場から千本松大橋の南津守側を眺める
千本松渡船場南恩加島側乗船場から千本松大橋の南津守側を眺める
渡ったばかりの千本松渡船場の上を千本松大橋で南津守側に戻る
渡ったばかりの千本松渡船場の上を千本松大橋で南津守側に戻る
前後に二重ループを従えた千本松大橋を「ちゃり鉄10号」で渡る
前後に二重ループを従えた千本松大橋を「ちゃり鉄10号」で渡る

千本松大橋を渡り終えて再び木津川左岸側を降り、新木津川大橋の南側に戻ってきた。11時39分。37.6㎞。

木津川渡船場は7時57分から8時20分にかけて船町側から平林北側に向かって渡ってきたのだが、3時間19分、29.6㎞を隔てたことになる。

新木津川大橋は船町側に二重ループを持っており、純然たる工業地帯が広がっている。

木津川は大型船の航行があるため水面から桁下までの高さを確保する必要があるが、陸地側に土地の余裕がない場合、高さを稼ぐための「助走距離」を十分に確保できないためループ橋となっている。

新木津川大橋を船町側に抜けて、木津川に架かる二つの大型橋梁と4つの渡船場を渡り終えた。

先ほど超えた千本松大橋を遠望しながら新木津川大橋を渡って船町地区に向かう
先ほど超えた千本松大橋を遠望しながら新木津川大橋を渡って船町地区に向かう
大阪港・千本松大橋(大阪府:2017年3月)
千本松大橋の橋上から二重ループや遠く青い千歳橋を眺める
新木津川大橋も船町側に二重ループを持っている
新木津川大橋の船町側は純然たる工業地帯

船町からは大船橋で木津川運河を渡り、鶴町に入って千歳渡船場の鶴町側に達する。ここでは青い印象的な姿の千歳橋を見上げながら、千歳渡船を鶴町側から北恩加島側に渡る。

北恩加島からは尻無川の流域に入り左岸側を遡る。この尻無川も淀川水系の分流の一つで南北に流れる木津川に、道頓堀川が東から合流してくる地点で、西に分流して始まる小運河である。

そしてこの尻無川にも甚兵衛渡船場があるので、泉尾側から福崎側へと渡った。

この福崎側は既に港区なので天保山に直行することも可能だが、「ちゃり鉄」としては千歳橋を渡っておきたい。

しかし、千歳橋は尻無川河口付近の左岸側にあり、今居るのは尻無川右岸側であるから、どうにかして左岸側に戻る必要がある。

甚兵衛渡船場より下流で尻無川を渡ることが出来るのはなみはや大橋だけなのだが、左岸側から右岸側に渡ろうとすると、今朝と同じ方向でこの橋を渡ることになるので、それは面白くない。

そのためここでは尻無川を上流に向かい、阪神高速17号西大阪線の下で国道43号線に沿って左岸から右岸に渡った上で、千歳橋の北恩加島口にアクセスした。

千歳渡船とは逆に北恩加島から鶴町に向かって千歳橋を渡り、その後、なみはや大橋を鶴町から福崎に向かって渡ることで、内港・築港エリアにある渡し船と大型橋梁を全て渡ることが出来た。

大阪港駅付近を通過して大阪港地区に残る渡船場のアンカーとなる天保山渡船場の築港側乗船場には13時15分着。51.2㎞であった。

千歳渡船場には鶴町側からアクセス
千歳渡船場には鶴町側からアクセス
大阪市営渡船・千歳渡船場・千歳橋(大阪府:2017年3月)
千歳渡船場の鶴町側から北恩加島側を眺める
緩やかな曲線を描く青い姿が印象的な千歳橋
緩やかな曲線を描く青い姿が印象的な千歳橋
千歳渡船場の北恩加島側乗船口
千歳渡船場の北恩加島側乗船口
尻無川の甚兵衛渡船場泉尾側渡船場
尻無川の甚兵衛渡船場泉尾側渡船場
大阪市営渡船・甚兵衛渡船場(大阪府:2017年3月)
甚兵衛渡船場の泉尾側乗船場から福崎側乗船場を眺める
大阪市営渡船・甚兵衛渡船場(大阪府:2017年3月)
福崎側で下船すると、渡し船はすぐさま泉尾側に引き返していった
尻無川の甚兵衛渡船場福崎側渡船場
尻無川の甚兵衛渡船場福崎側渡船場
大阪市営渡船・甚兵衛渡船場(大阪府:2017年3月)
尻無川を渡る国道43号線から尻無川水門と甚兵衛渡船場を眺める
尻無川を甚兵衛渡船場上流の橋梁で渡り直して千歳橋に戻ってきた
尻無川を甚兵衛渡船場上流の橋梁で渡り直して千歳橋に戻ってきた
千歳橋も側道から自転車で渡ることが出来る
千歳橋も側道から自転車で渡ることが出来る
今朝渡ったなみはや大橋に戻ってきた
今朝渡ったなみはや大橋に戻ってきた
なみはや大橋から先ほど渡った千歳橋を遠望する
なみはや大橋から先ほど渡った千歳橋を遠望する
渡船場巡りの最後となる天保山渡船場の築港側乗船場に到着
渡船場巡りの最後となる天保山渡船場の築港側乗船場に到着

この天保山は二等三角点が設置された「山」であり標高は4.53m。東日本大震災発生までは「日本一低い山」の位置付けだった。そういう位置づけはお遊びの要素も含んでいるが、天保山自体は歴史が深く、天保年間の1831年には安治川の浚渫工事の残滓を積み上げて出来た築山として、人工的に作られたものらしい。「天保山」という名称はこの時代背景にちなむものである。

なお、天保山一帯は公園として整備されており「明治天皇観艦之所碑」という大きな記念碑も建てられている。

この天保山公園を見下ろすように阪神高速5号湾岸線の天保山大橋が架橋されているが、ここは高速道路専用橋ということもあり、歩行者や自転車の通路はなく、歩いて渡ることは出来ない。

天保山渡船場はこの安治川河口の要所と対岸とを結ぶ渡し船で、今日ではUFJと海遊館とを結ぶ観光動線としても重要な位置を占めている。

ここでは20分ほど滞在し、13時35分に桜島側の渡船場に渡りついた。

ここからは此花区に入り北港のJR桜島線を走る。

桜島駅着、13時39分。52.4㎞。

この桜島線は元々は純然たる工業地帯を行く通勤・貨物路線であったが、ユニバーサルスタジオ・ジャパン(USJ)の開業によってテーマパークへアクセス路線となった。明治時代に桜島駅まで開業しているが、桜島駅の開業時の駅名は天保山駅。そして、起点の西九条駅の他、中間駅は安治川口駅のみであった。ユニバーサルシティ駅の開業は100年程を隔てた2001年3月1日である。

路線長は4.1㎞に過ぎないので、13時41分に桜島駅を出発し、西九条駅には14時6分着。57㎞であった。

この安治川口駅には大きな貨物駅が併設されており、この路線の創業当時からの雰囲気を一番留めている一帯であった。

天保山「山頂」にある「明治天皇観艦之所碑」
天保山「山頂」にある「明治天皇観艦之所碑」
標高4.53mを示す二等三角点「天保山」
標高4.53mを示す二等三角点「天保山」
天保山大橋を眺めながら天保山渡船場桜島側乗船場に渡ってきた
天保山大橋を眺めながら天保山渡船場桜島側乗船場に渡ってきた
大阪市営渡船・天保山渡船場(大阪府:2017年3月)
天保山渡船場の桜島側から天保山側を望む
大量の自転車が駐輪されているJR桜島線の桜島駅に到着
大量の自転車が駐輪されているJR桜島線の桜島駅に到着
ユニバーサルスタジオ・ジャパン(USJ)への最寄り駅として開業したユニバーサルシティ駅
ユニバーサルスタジオ・ジャパン(USJ)への最寄り駅として開業したユニバーサルシティ駅
華やいだ雰囲気から一転して工業地帯風に変貌を遂げる安治川口駅
華やいだ雰囲気から一転して工業地帯風に変貌を遂げる安治川口駅
広大な貨物ヤードがある安治川口駅は最もJR桜島線らしい風景が残っている
広大な貨物ヤードがある安治川口駅は最もJR桜島線らしい風景が残っている
JR大阪環状線との接続駅だった西九条駅は新たに阪神なんば線とも接続する要衝となった
JR大阪環状線との接続駅だった西九条駅は新たに阪神なんば線とも接続する要衝となった

阪神なんば線との接続駅伴って発展した西九条駅からは、中之島経由で天満橋に向かう。「ちゃり鉄10号」最後の走行路線は京阪中之島線とした。

西九条駅から中之島駅までは直線距離で2㎞強ではあるが、私は必要もないのに安治川右岸の西九条駅から左岸側に渡り、再度、川を渡り直して中之島駅に向かうことにした。

というのも、西九条駅のすぐ南の安治川には、かつての源兵衛渡し跡に全国的にも珍しい運河下の沈埋トンネルである安治川トンネルがあるからだ。

現在は幅員2.4mの歩行者・自転車専用トンネルとなっているが、1977年までは隣接する車道トンネル内をエレベーターで昇降した自動車が通り抜けていた。

今日では自動車トンネルとエレベーターは閉鎖されているものの、安治川の両岸にある機械室の建物には自動車用のエレベーターの入り口が残されており、貴重な土木遺産となっている。

西九条駅付近を通りかかると、用もないのに訪れたり渡ったりすることにしているのである。

この安治川トンネルを越えて中之島駅には14時48分着。60.1㎞。西九条駅からは3.1㎞であった。

源兵衛渡しが転じて地下隧道となった安治川トンネルの西九条側入り口
源兵衛渡しが転じて地下隧道となった安治川トンネルの西九条側入り口
用事はないが西九条に来ると安治川トンネルを通行したくなる
用事はないが西九条に来ると安治川トンネルを通行したくなる
安治川トンネルを越えて九条側口に出た
安治川トンネルを越えて九条側口に出た

中之島駅からは京阪中之島線に沿って天満橋駅を目指す。

中之島、渡辺橋、大江橋、なにわ橋の各駅は鉄道空白地帯だった中之島島内にあり、途中で大阪市営地下鉄四つ橋線、御堂筋線、堺筋線と交錯するものの、地下鉄側に駅が設けられていないため、乗換駅とはならない。

しいて言えば、渡辺橋駅と四つ橋線の肥後橋駅、大江橋駅と御堂筋線の淀屋橋駅、なにわ橋駅と堺筋線の北浜駅が乗り換え駅として使えそうだが、いずれも隣接駅ではない。

天満橋駅までの全駅が地下駅なので、各駅は地上付近の地下入り口を撮影するだけで先に進むことになるが、現代的な都市景観の中に大阪市中央公会堂や大江橋などの歴史的な建造物が点在しており、中之島公園の風情もあって、心地よいライディングルートであった。

ただ、中之島線内に入った頃から小雨模様。

本降りにはなりそうになかったが、家路を急ぐことになった。

天満橋駅には15時21分着。63.4㎞。「ちゃり鉄10号」での主要行程が終了した。

天満橋駅は15時22分発。0日目の行程を逆走する形で大川、淀川を遡り、16時51分自宅着。85.3㎞。

総走行距離184.5㎞、総累積標高差+2461.8m/-2362m(参考値)の小さな旅を終えたのだった。

鉄道空白地帯に設けられた京阪中之島線の起点となる中之島駅
鉄道空白地帯に設けられた京阪中之島線の起点となる中之島駅
高層ビル群の間を高架高速道路が縫うように走る都市景観の中にある渡辺橋駅
高層ビル群の間を高架高速道路が縫うように走る都市景観の中にある渡辺橋駅
ローカル線沿線とは異なった風景美を楽しみつつ雨の中之島線沿線を走る
ローカル線沿線とは異なった風景美を楽しみつつ雨の中之島線沿線を走る
重厚な大江橋の南詰にある大江橋駅
重厚な大江橋の南詰にある大江橋駅
ライトアップもされる大江橋は大阪の名橋の一つ
ライトアップもされる大江橋は大阪の名橋の一つ
中之島公園の一画にある中之島公会堂の趣ある建物
中之島公園の一画にある中之島公会堂の趣ある建物
中之島公園の東端にあるなにわ橋駅
中之島公園の東端にあるなにわ橋駅
京阪本線との接続駅である天満橋駅に到着して京阪中之島線の「ちゃり鉄」を終了した
京阪本線との接続駅である天満橋駅に到着して京阪中之島線の「ちゃり鉄」を終了した
大川沿いから天満橋駅に隣接するOMMビルを眺める
大川沿いから天満橋駅に隣接するOMMビルを眺める
淀川・毛馬閘門付近(大阪府:2017年3月)
毛馬閘門付近からは淀川に沿って四条畷市の自宅まで走り切った
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