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飯給駅:更新記録
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2025年9月29日 | コンテンツ公開 |
飯給駅:旅情駅探訪記
2016年7月(ちゃり鉄3号)
日本の地名の由来を調べていくと、歴史的に有名な人物に付会した物語が言い伝えられている事例に事欠くことがない。
例えば、源義経であるとか平家の落ち武者であるとか、あるいは、皇族であるとか、様々な人物に関する物語を目にすることが出来る。
その大半は真偽も定かではない創作的な物語であるが、それはともかく、地名にまつわる物語としては興味深いものであり、「ちゃり鉄」の旅を味わい深いものとしてくれる。
千葉県の房総半島を横断する小湊鐵道は里山風情溢れる沿線風景が魅力的で、上総中野駅で接続するいすみ鉄道とともに、関東地方に残された貴重な非電化路線として、鉄道ファンのみならず旅行好きを引き付けているが、この鉄道沿線にもそうした伝承地名が少なくない。
例えば、かつて朝生原駅と称していた養老渓谷駅で途中下車し、その駅名の由来となった養老渓谷に足を延ばすと、養老渓谷温泉の鄙びた温泉街とともに、「弘文洞跡」への案内看板を目にすることになる。
「弘文洞」というくらいだから洞窟の跡なのだろうと思いきや、これは洞窟ではなく、房総半島に多数存在する川廻しの跡である。
川廻しというのは、蛇行激しい房総半島の各河川において蛇行頸部を素掘りの河道トンネルで短絡して流路変更した部分のことを言い、元の河道は概ね耕作地に転用されているが、今日では耕作放棄されて、湿地や荒れ地と化しているところも少なくない。
その大半は近代以前のもので人力掘削で丘陵をくり抜いているのだが、アクセス可能な川廻しを近くで見てみると、人が手で掘ったとは思えない壮大なスケールの洞穴を目にすることになる。
その代表格が「弘文洞」だったのだが、「弘文洞跡」と記載しているように、現在では洞穴の頂部が崩落して失われており、大きな切通のような地形となってしまっている。
この「弘文」という地名は歴史通であればピンとくるものがあるのだろうが、壬申の乱で敗走した弘文天皇(大友皇子)に由来しており、弘文天皇がこの地に落ち延びてきたとする伝承によるものである。地域の代表的な川廻しに皇族の名前を冠した背景に、この地域に住む人々の思いが感じられる。
ところで、小湊鐵道きっての難読駅として知られる飯給駅もまた、この伝承に由来する地名に起源をもっている。即ち、この地区の人々が弘文天皇の一行に食事を捧げたことから、天皇の皇子らによって「飯給」の地名を与えられたというのである。
難読駅名や春の桜の風景で有名な飯給駅ではあるが、そんな歴史を秘めている。
ちなみに、この読みは「いたぶ」で、確かに初見で読み解くのは難しい。
好ましい里山風景の中に佇む飯給駅を初めて訪れたのは、「ちゃり鉄」創世記ともいえる2016年7月の「ちゃり鉄3号」の旅の道中でのことだった。
春には桜目当ての人だかりで混雑する飯給駅も、この日は夏晴れというのに訪れる人の姿もなく、青空の下でのんびりとした風情で佇んでいた。



この頃の「ちゃり鉄」は必ずしも長期休暇を利用して行っておらず、1泊2日~3泊4日程度の短い期間での「ちゃり鉄」も少なくなかった。
「ちゃり鉄3号」も当時住んでいた兵庫県から房総半島に出向いての「ちゃり鉄」だったにもかかわらず、前夜車中泊2泊3日という短い日程で、小湊鐵道、いすみ鉄道、JR久留里線と、この付近の計画線・未成線を巡る旅だった。
そんなこともあって行程は走行中心となり、各駅は本当に「各駅停車」するだけで先に進むということが多く、「途中下車」は限られた駅でしか実施できなかった。
飯給駅を訪れたこの日は、今は亡き「ムーンライトながら」での車中泊が明けた現地1日目。五井駅からスタートし小湊鐵道全線を走り切って、いすみ鉄道の久我原駅で駅前野宿をするという予定だった。
そんな日程だったこともあり、夏晴れの気持ち良い里山風景の中を「軽快に走り抜ける」ことは出来たものの、各駅での停車時間は10分程度と短いものになった。
この飯給駅もその例に漏れず、一通りの写真を撮影しただけで出発することになったのだが、その佇まいは「駅前野宿」の欲求を掻き立ててやまず、いずれ房総半島を再訪問する際には、この駅を「駅前野宿」で訪れたいと考えたものだ。


僅かな滞在時間なので、ホームの木立の下で涼むのもほどほどにして、駅周辺の撮影にとりかかる。
近年では春の桜の季節の写真が目白押しの飯給駅だが、私が初訪問した7月の飯給駅は緑に包まれた里山風情が実に心地よい。
7月とはいえ上旬だったこともあって、近年みられるような異常な暑さもなく、夏らしい気持ちの良い暑さが周囲を包み込んでいた。
駅の施設は元々は木造の待合室のみだったが、2012年に市原市の観光振興施策の一環として「世界一大きなトイレ」を自称するトイレが敷地内に建設・共用されている。
その「世界一大きなトイレ」は女性専用で、柵で囲まれた広い空間の中にガラス張りの個室トイレが設置されているというもの。さすがに個室の中にはカーテンが設置され、用を足すときには視界を遮ることが出来るようにはなっているが、この個室トイレで用を足したいと考える一般女性はどれくらいいるのだろうか。
個人的には評価しにくい建物ではあるが、このトイレに併設して小綺麗な男女兼用トイレも併設されており、観光目的で駅に降り立った一般人でも、気兼ねなく使うことが出来るのはよい。
この日はそんなトイレはもちろん、駅を訪れる人も列車もなく、終始、独りでの滞在となったが、後ろ髪惹かれつつ、次の月崎駅に向けて「ちゃり鉄3号」の旅を続けたのだった。


2025年3月(ちゃり鉄25号)
「ちゃり鉄3号」の旅から約9年を経た2025年3月に「ちゃり鉄25号」の旅で小湊鐵道沿線を再訪した。
実は、この前年の3月にも「ちゃり鉄23号」で房総半島を訪れ小湊鐵道沿線を訪問する予定だったのだが、現地初日、スタートして僅か5㎞未満の地点で10年来乗り続けてきた初代「ちゃり鉄」号の後輪スポークの破断が起こり、騙し騙し旅を続けたものの2日目にはリアディレイラーの不調も併発して安全走行が不能な状態に陥ってしまい、九十九里鉄道廃線跡を何とか走破したところで「ちゃり鉄」の旅を中止したのだった。
引き続き、「乗り鉄」の旅に切り替えて、走行予定だった房総半島の鉄道の旅を続けることにしたものの、上総亀山駅で駅前野宿を行った翌日には、メインカメラが接点エラーで撮影不能になり、結局、小湊鐵道やいすみ鉄道沿線を訪れることなく、旅そのものを中止して帰宅することになった。
そんなトラブルから1年。
初代「ちゃり鉄」号から乗り換えた2代目「ちゃり鉄号」の旅は、連日の低温に雨、そして、悪夢を蘇らせる後輪スポークの再破断というトラブル続きではあったが、何とか、計画通りに旅を終えることが出来た。
この旅では、小湊鐵道の上総川間駅、飯給駅、いすみ鉄道の新田野駅で駅前野宿を行ったが、いすみ鉄道は前年に発生した脱線事故の影響で長期間の全線運休が続いており、新田野駅での列車の発着シーンは撮影できなかった。房総半島の「ちゃり鉄」は中々に困難が続いている。
それでも、期間中の3月と4月に分けて2度も飯給駅を通る行程を組み立て、桜の開花を捉えつつ念願の駅前野宿も果たすという欲張った計画とした。
桜の開花に合わせて大勢の人が撮影に訪れる上に、夜景撮影が有名ということもあって、駅前野宿には困難も予想されたが、一先ず、計画通りに駅を訪れ、現地の状況によっては近所の農村公園の東屋での野宿に切り替える予定だった。
飯給駅再訪の1日目は3月下旬。
この日は勝浦の八幡岬での野宿から、名勝の「おせんころがし」を経て小湊に達し、そこから、小湊鐵道未成線跡をたどりつつ総元駅に抜けて上総中野駅側から沿線に入るという、前回の「ちゃり鉄3号」とは逆のルートでの旅とした。駅前野宿予定地は小湊鐵道の上総川間駅で、飯給駅は停車駅としていた。
私は同じところを季節やルートを変えて何度も走りたくなる方で、毎回、受ける印象が異なるのが楽しい。
しかし、3月下旬のこの道中は朝から冷雨の中。小湊鐵道未成線区間に入る頃には雨は上がったが、早朝からの半日をしっかりと降られた上に、天候は本格的に回復するわけではなく曇り時々晴という具合だった。
期待していた桜の開花も遅れており、まだ3分咲きといったところ。
駅の周辺は菜の花の鮮やかな黄色に彩られていたが、全体的に風景の彩度は低く、淡い印象を受ける。日中の到着ではあったが懸念したような混雑はなく、駅に人の姿はなかった。

この1日目の訪問は駅前野宿ではなく上総川間駅を目指す行程での停車。
前回同様、滞在時間は短いものの、今回は白山神社にも参拝していく。神社は飯給駅の待合室の正面に田圃を隔てて鎮座しており、植林地が広がる丘の麓に鳥居が見えている。飯給駅からのんびり歩いても5分程度で拝殿にたどり着くそんなロケーションだ。
苔むした参道を登っていくと狛犬が守る拝殿があり、厳かな雰囲気の元で旅人を出迎えてくれる。
ここで旅の無事や天候の回復に感謝を捧げる。
この白山神社の祭神は「大友皇子」。駅とともに地域の伝承を今に伝えている。
参道を降ってくると鳥居の向こうに飯給駅の待合室が見えて、恰も、飯給駅から田圃を越えて「神」が参られるかのような、印象的な風景を目にすることが出来た。



駅に戻って構内の撮影に興じる。件の「世界一大きなトイレ」も利用者が居ないことを確認した上で撮影。デザイナーはこのトイレにどんなコンセプトを抱いていたのだろうか。
午前中までの雨は上がったとはいえ、からりと晴れあがってくる気配はなくどんよりと曇ったままで、西からは次の雨域が近づいてきている。
そんな天候だったので、ホームは水たまりこそ消えていたもののところどころに濡れたところが残っていて、朝の雨の名残を感じた。
先ほど参拝してきた白山神社の鳥居が、今度は、ホームの待合室から田圃越しに見えている。後ろの植林地が暗い背景となっているので、何か、異世界への入り口のようにも見える。
待合室は解放構造なので夏は虫が入ってくるし、冬は風が吹き抜けるだろう。
それに耐えられないという人も少なくはないだろうが、私はこの木造の待合室の雰囲気がとても好ましく感じる。
詳しくは調査記録にまとめていくことにするが、飯給駅は1926(大正15)年9月1日の開業。小湊鐵道としては第2期線にあたる里見~月崎間の開通時に中間駅として開業した歴史を持つ。
現在は1面1線の棒線駅で、1956年までは有人駅だったという情報もWikipediaには記載されているが、その出典は明記されていないので情報の真偽は定かではない。
待合室が開業当時のものかどうかは分からないが、国立公文書館で確認した小湊鐵道に関する鉄道省文書を見る限り、開業当時の構造物は本屋と乗降場のみが記載されており、中間駅として小規模なものだったことが分かる。
現在の待合室が「有人」時代の構造のままとは考えられないので、開業当時の本屋が解体された後に設置されたのが現在の待合室ということになりそうだが、資料的な裏付けは出来ておらず確証はない。
ただし、同文書中の「飯給停車場設計圖」によると、飯給停車場は島式単式2面3線に加えて貨物側線2線と、車庫2線を備えた構造が記されており、なかなかに規模の大きな駅となることが想定されていたようである。






再度ホームに出て駅名標などを撮影しているうちに、いつの間にか女性愛好家がいらっしゃって駅や花を撮影されていた。
こういう時は、お互いに相手の構図を侵害しないように気を使いつつ、譲り合って撮影を行う「空気」が漂うことが多い。
私も自分が映り込まないように待合室に逃れたりしながら、数枚の写真を撮影。
最後に花に囲まれた待合室の写真を撮影して、9年ぶりの再訪を果たした飯給駅に、暫しの別れを告げた。



続いて3月末に飯給駅を再度訪問。この夜は駅前野宿の予定である。
前回の訪問の後、上総川間駅、亀山湖畔、新田野駅での野宿を経ての再訪。この間、上総川間駅から亀山湖畔への行程は、朝から夜までほぼ終日の雨で、亀山湖畔では前回も利用した湖畔の東屋はもとより、目星をつけていた場所が軒並み風雨で水浸しになっていたことから、雨と日暮れで冷え込む中で野宿場所を探し回り1時間以上彷徨することとなった。
湖畔園地の園路が国道の下を潜り抜ける部分に辛うじて乾燥した地面を見つけたものの、雨に濡れた装備に地面の泥がまとわりついて、設営も撤収も難儀する侘しい野宿となった。
それ以降も本格的に天候が回復することはなく、曇りがちな天候が続き、飯給駅を再訪するこの日も降りだしそうな空模様が終日続いていた。
前夜は新田野駅での駅前野宿。
そこから、大原までのいすみ鉄道沿線を走り切った後、一旦、新田野駅付近まで周回コースで戻り、万木城跡や松丸集落の神社を訪れながら東進して上総一ノ宮、茂原と辿り、南総鉄道廃線跡を経由して笠森観音などを訪問。南総鉄道が目指した鶴舞市街地から小湊鐵道の上総鶴舞駅に抜け、飯給駅に戻ってくるというルートで旅をしてきた。途中、南総鉄道廃線跡から「途中下車」して長柄温泉に立ち寄る計画だったが、営業日を勘違いしており、わざわざ訪れたにもかかわらず、施設は休業。入浴なしの一日となってしまった。
飯給駅到着は17時46分。この日の走行距離は102.8㎞であった。
この時期の日没時刻は概ね18時頃だったので日没前の到着ではあったが、厚い雲に覆われていたこともあって既に薄暗くなっており、飯給駅ではライトアップが始まっていた。桜は5分~7分咲きといったところ。寒冷な天候もあって開花が少し遅れているようだった。


それでも駅は予想通り混雑しており、前回は誰も居らず1台も停まっていなかった駅の入り口から周辺道路にかけて、20台くらいの車が停まっている。
ホームや待合室にも人影があり、田圃の向こうの撮影スポットにはざっと見た感じで40名程度のカメラマンが居て三脚が林立していた。
土日を避けた計画にしたのだがこの混雑。これでは駅前野宿は無理そうだがそれは後回し。
自転車を撮影者の目につかないところに駐輪して、一先ず防寒着を着込んで撮影の準備に取り掛かることにした。
田圃側に移動しても正面からの定番アングルは数名の人物がベンチや三脚で占領しており、撮影できるスペースは限られている。
撮影名所ではよくある光景だが定番アングルに拘る必要もないので、空いているスペースを探してカメラを構えているうちに、五井駅に向かう17時53分発の上り普通列車が、小湊鐵道生え抜きのキハ200型2両編成でやってきた。
辺りからは一斉にカメラのシャッター音が響き始める。中にはひたすら連射で撮影しているらしい音も混じっている。
飯給駅では上り列車は7時54分の始発列車から19時5分の最終列車までで9本が概ね1時間毎に発着、下り列車は6時57分の始発列車から18時4分の最終列車までで同じく9本が概ね1時間毎に発着している。但し、これは平日ダイヤで、土曜休日に関しては、上下とも7本に減便されていて、ライトアップの時間帯に撮影できる列車が少なくなる。
そういう事情もあって、平日にもかかわらず混雑していたのだろう。
私もギリギリで上り列車の到着に間に合ったのだが、この列車を含めて残り3本の列車の発着を撮影する機会を得たのは幸いだった。
混雑する撮影地点とは対照的に、駅や列車は普段通りの閑散とした状態。この日は春休み期間中ということもあって尚更だろう。
列車が出発していくと束の間の喧騒もさっと引いて、車に戻る人の姿もある。
里見駅で行違う上総中野行の下り列車が18時4分にやってくるので、ダイヤに比して撮影間隔は短いが、防寒着をしっかり着込んでいないと冷え込みで風邪をひきそうになる。吐く息は真っ白だ。


10分ほどして今度は18時4分発の下り上総中野行の普通列車がキハ40系2両編成でやってきた。
全国各地で定期運用から離脱しつつあるキハ40系であるが、小湊鐵道や北条鉄道に移籍して第二の人生を送っているのが嬉しい。
この下り普通列車は先ほど撮影した上り普通列車と里見駅で行違ってきた列車で、里見駅以遠に向かう最終列車でもある。とは言え、ファインダー越しに眺めた車内に人の姿はなく、この路線の経営の厳しさも垣間見えた。
10分足らずの間隔ではあったが、この間にも夜の帳は色濃く辺りを包み始めており、大気は青みを増していた。
桜のライトアップがあろうとなかろうと、この時間帯の飯給駅の佇まいは絵になる。
春夏秋冬、様々な表情の飯給駅と対峙してみたいものだ。
下り最終列車が出発した後は、上総中野駅で折り返した上り最終列車となって戻ってくるまでに1時間ほどの間隔が空く。
大半の撮影者は次の上り最終列車の撮影がお目当てらしく、撮影スポットは一時的に人が少なくなったものの、停車中の車に戻ったり近所のカフェの出店に立ち寄ったりで、立ち去る人は少ない。むしろ、この最終列車を目的とした車がやってきて踏切付近で駐車スペースを探して右往左往しているので地元車の交通支障となり、クラクションが鳴り響いたりもする。
じっとしていると底冷えしてくるし、これだけ人が多いと駅前野宿の準備は出来ない。野宿場所を変更するために目星をつけていた農村公園まで様子を見に行くことも考えたが、歩いていくには時間がかかるし、自転車は半解装の状態なのでそのまま走り出すこともできない。
結局、最終列車が出発した後には人が居なくなることを見越して、駅周辺の撮影をしながらブラブラ散策しつつ、寒さを凌ぐことにした。
そう決めて駅の周辺を歩き回ってみると、案外、お決まりアングル以外にも良さそうな構図が見つかる。
教科書的に「こうあるべき」という構図もあるだろうが、私は写真家でもないし、自分の感性で「いいな」と思う構図があれば、それを切り取って写真に残していくのが楽しみでもある。
それは作品としては稚拙なのかもしれないが、それでいいのだろうと思う。




歩き回っているうちに辺りはとっぷりと暮れてきた。
40名ほどいた撮影者も少ない時は10名以下になり、他の人は車に戻って暖を取っているようだった。
私は戻る車もないし野宿の宿もないので、辺りをブラブラし続けていたのだが、その分、飯給駅と長い間対峙することが出来たし、人が居なくなったタイミングで、正面の定番構図からの写真も撮影しておいた。
残照が消えるにしたがってライトアップが際立つようになったが、暖色系の照明だったこともあり、桜というよりも秋の紅葉のような色彩が感じられる。
無風だったこともあり、水が張られた水田に鏡のように映し出される駅の姿を、何枚も撮影する。
同じようにこのタイミングで撮影を続けている人は僅か。
鉄道車両がない駅は被写体として興味の対象にならないのかもしれないが、私は、そんな駅の姿に旅情を感じ、「旅情駅」として切り取っていくのが楽しい。



ホームや待合室の方にも足を向けてみる。
鉄道で訪れたらしい愛好家も数名居て、待合室で列車を待っている。
冷え込む中、皆、一様に黙り込んで、列車の到着を待ちわびているようにも見えた。
温暖なイメージのある房総半島ではあるものの、気温は低く冷たい雨に降られる行程は辛い。しかも、この日は既に述べたように予定していた温泉施設が休業中で温泉にも入りそびれた。
真夏の旅とは違って1日2日風呂に入らなくても大丈夫と言えば大丈夫なのだが、終日寒風小雨の中を走り続けた疲れを癒すには、やはり温泉に浸かりたい。
体がどんどん冷えていく中、風呂なしの夜を迎えるのは辛いが、幸い、温かい食べ物を調理することは出来るので、侘しさも多少はましになるだろう。



列車到着の頃合いを見計らって撮影地点に戻る。
車の中で暖を取っていた人も三々五々戻ってきて、再び40人ほどの集団となっていた。
上総中野駅から折り返してきた上り最終列車は、やはり空気を運んできたが、この駅からは数名が乗車して車内に姿が見えた。
カメラの放列から一斉にシャッター音が響く中、待ちかねたショータイムは僅か数分で終わりを告げ、後には、キハ40系の普通列車が遠ざかっていく走行音だけが残った。
これだけの人々はこの後どうするのだろうかと観察していると、皆、あっという間に退散し、次々に車が走り去っていく。
ほんの15分ほどの間にすっかり人影は少なくなり、ようやく駅前野宿の準備に取り掛かれそうな状況になってきた。
それと時を同じくしてライトアップの照明も消灯。
なるほど、ライトアップ目的の撮影者が駅には残らないわけだ。

ライトアップは消灯しても駅施設の照明はまだ点灯していた。
その内、これらも消えるだろうが、本来の夜の姿に戻った飯給駅は祭りの晴れ着から普段着に戻った感じ。そんな駅で一夜を過ごすことが出来るのは、この上ない、至福のひと時である。
2台ほどの車がエンジンを吹かせたまま30分くらい残っていたので、この間に駅の撮影を済ませる。
そして誰も居なくなったタイミングで駅前野宿の支度に入り、ようやく、ホッと人心地つく。
思えば初めての野宿一人旅は中学2年生の時だったが、以来、一人旅の夜は30年以上このスタイルで過ごしていることもあり、野宿といえどもホッと落ち着く我が家に帰った気持ちになることが多い。




撮影待ちなどで冷え切った体に、温かい夕食を流し込むと、直ぐに眠気がやってきた。
このまま眠ってもよかったのだが、最後にもう一度、白山神社の鳥居前まで歩いていき、夜の飯給駅の姿を写真に収めた。
「野宿の我が家」に戻り眠りに就いた後、2組ほど来訪者が居た。
先に来た1組は若者のグループらしいが、話しぶりからすると女性モデルを立たせて何かの撮影を行っているらしかった。このグループは私のテントを見つけると「誰か寝てる!」などとヒソヒソ話していたが、結局、直ぐ近くで撮影をしながら10分ほど騒がしくして立ち去って行った。
その後は夫婦らしい人の話し声が聞こえてきたが、こちらはテントに気が付くと近づいてくる気配はなくそのまま立ち去ったようだ。
それ以降は、人の気配に気づかないうちに眠りに落ちた。

翌朝。
心配していた雨は夜の間には降り出していなかったが、昨日同様、どんよりと曇った空が広がっていた。雨雲レーダーによれば、もう間もなく雨が降り始める。
旅の序盤から、この日と翌日の天気予報は日降水量100m前後の大雨を示しており、それは行く先の房総半島南部で顕著だった。
場合によっては走行中止、旅の中止も考えざるを得ない予報の中、先行きは心配。
ここで旅を中止して「乗り鉄」の旅にすれば、今回続いている雨中ライドを避けられるという思いもあって、心はそちらになびきかけたが、意を決して予定通りに野島崎を目指して出発することにし、野宿の撤収作業に入ることにした。
5時半過ぎには随分と明るくなってきていたが、駅施設の照明は寝ている間に消灯されており駅はまだ眠りの中。
南寄りの暖気が入っているらしく、大気は雨の気配が濃厚になっていたが、気温は昨夜よりもむしろ上がっている感じがする。
朝食も終え撤収作業もひと段落着いた頃には、駅施設の照明が灯った。
始発列車は6時57分だが、点灯は5時40分頃。概ね1時間前くらいのタイミングだった。



駅前野宿の際には、少なくとも始発列車の乗客がやってくる前には撤収を済ませておくことにしているが、実際には、1時間程度前に地元の方が清掃にやってくることもある。
その時に眠りこけているのは良くないので、4時前後に起床して撤収作業に取り掛かることが多い。夜も最終列車の発着を待ってから野宿の支度に入ることが多いので、寝不足気味の朝を迎えることは少なくないが、その分、黎明の澄み切った大気の中で駅と対峙することが出来る。
夜明け前の駅に人が訪れることはほぼないので、「駅前野宿」ならではの楽しみであり、至福のひと時でもある。
明りが灯った待合室から明るくなってきた外を眺めると、待合室の壁面に描かれたイラストと外の風景がマッチして、意図せずアート空間にいるような印象を受けた。
こんな構図で桜を眺めるのも始めてだが悪くない。



待合室を出るとポツポツと雨脚が落ちてきているのを感じる。
このパターン、旅のシチュエーションとしては一番辛いのだが、八幡岬の朝、上総川間駅の朝、新田野駅の朝、そして今日、という具合に、5日中4日は同じパターンで出発直前になって降り出した。
振り返れば笑い話だが、この「ちゃり鉄23号」は雨に悩まされ続けた旅だった。
今日はこの後、養老川沿いに粟又の滝を経て房総半島の山間部を縦断し、勝浦ダム付近から上大沢集落を経て「おせんころがし」を再訪。そこから海岸に沿って野島崎を目指すのだが、前半半日くらいが大雨の予報。
またしても冷たい雨中ライドになることに意気消沈するものの、出発と決めたからには淡々と準備を済ませていく。
駅構内を撮影しているうちに雨脚も強まってきて、乾いていた部分がどんどん雨滴の染みに覆われていく。
最後に白山神社に参拝して1日の無事を願い、5時52分、まだ明けやらぬ飯給駅を出発。100㎞弱の彼方にある野島崎を目指して走り出した。
なお、この日は結局、断続的に雨が降り続き、完全に乾くタイミングはなかった。
この旅の期間中、2回訪問するタイミングを設けて踏査のチャンスをうかがった「おせんころがし」の名勝は、2回とも風雨の中。
ただ、この日は、風は強かったものの雨は少し弱まっていたので、危険はあったもののほぼ全体を踏査する課題をこなすことが出来たのは良かった。
お昼はコンビニで買ったおにぎりを道の駅の軒先で立ち食い。
雨でビショビショだと飲食店に入りにくくなるので、こういうスタイルで昼食を済ませることになるが、疲労度は強くなる。
野島崎周辺は雨宿りできる場所が少なく、また、至る所に野宿禁止の張り紙があって、野宿場所探しに手間取ったが、幸い、漁港の番屋付近に適当な場所を見つけたのでそこにテントを張り、直ぐ近くの温泉ホテルで2日ぶりの入浴をすることが出来た。
終日雨に降られたものの、最後に入浴してそのまま野宿の我が家で眠りに就けたのは幸いというべきだろう。






~調査記録・執筆中~