能登鹿島駅:旅情駅探訪記
2021年4月(ちゃり鉄15号)
2021年4月末、私は、雨が小降りになった能登鹿島駅のホームで、一人、佇んでいた。
珠洲市の鉢ヶ崎海岸を出発し、のと鉄道能登線の廃線跡を一駅ずつ巡りながら穴水駅まで走破した後、同じくのと鉄道の七尾線に入り、穴水から一駅目の、この能登鹿島駅にたどり着いたのは、薄暗くなった19時前だった。
つい先程まで本降りの雨に降られていた駅のホームは、照明や信号の明かりを反射して、煌めいている。
まだ、最終の時刻ではないにもかかわらず、駅舎やホームは勿論、周辺にも人影はなく、たまに近くの国道を通る車の音が聞こえるくらいで、能登鹿島駅は静かに落ち着いた雰囲気に包まれていた。
朝、鉢ヶ崎海岸を出発する時に降り出した雨は、その後、一度も止むことなく、この、能登鹿島駅に到着するまでの12時間以上、降り続いた。
防水装備を携行しているとは言え、終日、雨の中を自転車で走ったこの日、自らの発汗も含めて、衣類はじっとりと水気を含み、濡れていない箇所は無かった。自転車に積載したサイドバックの類は、定評あるオルトリーブ社の製品を使っていたため、水漏れの心配はなかったのだが、一方のバックには、小さな穴が空いていたらしく、そこから浸水して、中身が濡れてしまっていた。
駅に到着して、濡れた衣類を着替え、汚れた体を、ウェットティッシュなどを使ってきれいにしたら、ようやくホッと落ち着いた。気がつけば、雨は止みかけていた。
「もっと、早くに止んでくれたらよかったのに」。
そんなことを思いながらホームに佇んでいると、辛い一日の旅路も、既に、懐かしく感じられるようになっていた。
私にとって、能登半島は、思い出深い土地である。
高校卒業までの8年間を金沢で過ごした私は、小学生時代、家族旅行で初めて能登を訪れた。千里浜海岸から外浦海岸、禄剛崎を回り、内浦海岸を経て、金沢に戻る、日帰りのドライブであった。その後、小学校のクラブ活動(釣りクラブ)の一環で、急行「能登路」で輪島まで釣りに行ったはずだが、その時のことは、坊主だったこと以外何も覚えていないし、写真も残っていない。
中学二年生の夏休みには2泊3日で能登半島を一周する自転車の旅をした。中学の入学祝いにホームセンターで買ってもらったランドナー風の自転車に、同じく、ホームセンターで買った緊急用テントという名の底の抜けたゴミ袋を積み込んで、海岸線に沿って走る野宿の旅だった。
それは今から考えると稚拙な装備の旅だったが、「ちゃり鉄」の原点となったことは間違いない。
以後、大学時代に2回、社会人時代にも今回含めた2回、能登半島を訪れている。大学時代の1回は、部活の仲間とのドライブであったが、それ以外は全て一人旅で、学生時代が鉄道、社会人時代が自転車だった。
こんな、思い入れのある能登半島だが、一人旅ではトラブルが続いている。
一人旅2回目。大学時代の鉄道の旅では、のと鉄道の七尾線、能登線の末端区間数駅だけを残して、旅を中止するトラブルに見舞われ、結局、再訪する機会を得ぬまま、路線廃止を迎えてしまった。
一人旅3回目。社会人時代の自転車の旅では、門前町から猿山岬に至る山中を日暮れ後に走行中、能登半島沖地震で生じていた地割れに突っ込み、前輪が大破した。その場でテントを張って野宿した翌朝、車輪だけ持って徒歩で山を下ったのだが、フレンチバルブのチューブも外側のタイヤも損傷が激しく、門前町では交換することが出来なかった。バスで穴水町に向かうも、やはり駄目。のと鉄道で七尾市に出るも、タイヤ交換が出来ずに駄目。結局、金沢まで、JRの特急で往復し、修理することになった。
その翌日には旅を再開したものの、悪天候のため、予定していた舳倉島に渡ることは出来ず、計画を変更しながら、見付島まで走って野宿した。旅を中止することも考えたが、公共交通機関の無い猿山岬付近でのトラブルだったため、輪行することも出来ず、車輪を修理して再開するのが最善の策であった。
そして、一人旅4回目の今回。
金沢市から猿山岬までの行程は、能登から白山が見渡せる絶好の天気に恵まれたが、その翌日から下り坂で、結局、舳倉島は今回も中止。予定を変更して、鉢ヶ崎まで進んで野宿したのだが、一夜明けると本降りの雨で、12時間以上の雨天ライドで、能登鹿島駅にやってきたのだった。当初の予定では、九十九湾から能登鹿島までの行程であったが、予定変更の影響で、鉢ヶ崎から九十九湾を経て能登鹿島までの行程となり、元々、日没後まで走行しなければいけない計画になっていた。
日没が迫る夕方になってからは、七尾湾に沿った半島沿いの周回を諦め、基部をショートカットした上で、予定していた温泉施設での入浴も止めて、能登鹿島駅に直行する形になった。
天候によるルート変更は、ちゃり鉄の旅ではしばしば発生するのだが、この旅でのトラブルは、この翌日に発生した。それによって、旅を中止する決定を下したのだが、それは、最後に書くことにしよう。
さて、到着してすぐに着替え、荷物を整理したり夕食を食べたりしているうちに、時刻は21時前になっていた。この後、到着するのは、七尾行き1本、穴水行き2本である。
能登半島の経済的中心地は七尾市であり、この時刻になると、穴水への帰宅のための旅客需要が中心になるのであろう。程なくして到着した七尾行きの最終には、乗客の姿は見られなかった。
雨の中を自転車で走るのは辛いのだが、雨に濡れた夜の駅舎は、ヘッドライトやテールライトの反射が映えて、美しい。
寥々たる有様で発着する普通列車を見送ると、駅には、夜の帳だけが残った。駅に着いてからも小雨が続いていたが、21時過ぎになって、雨は上がったようだ。
能登鹿島駅の歴史について、ここでまとめてみたい。
能登鹿島駅は、相対式2面2線の駅で、開業は1932年8月27日。国鉄七尾線の七尾~穴水間延伸時に、旅客貨物取扱駅として開業した。その後、1960年4月1日に貨物扱いを廃止、1972年3月15日に無人化されている。
現在の駅舎は1988年2月19日の竣工で、「能登さくら駅」の愛称が付けられている。
その愛称が示すように、春には、駅ホームの両側に植えられた桜が満開になり、桜のトンネルを行く列車を眺められる名所になっている。例えば、私の愛用地図である「ツーリングマップル(昭文社)」でも「線路上に桜のトンネル 通称「さくら駅」」と記載されているほどである。
この桜は、「週刊歴史でめぐる鉄道全路線 公営鉄道・私鉄28(朝日新聞出版・2011年)(以下、鉄道全路線と略記)」によれば、「開通記念に桜が植えられ、現在も名所となっている」とある。
2021年現在の所在地は、石川県鳳至郡穴水町曽福。
隣接して鹿島という地名もあるのだが、駅の所在地そのものは、曽福となっている。
駅名の由来は、鹿島に鎮座している鹿島神社にあろうと思われるが、「JR・第三セクター全駅名ルーツ事典(村石利夫・東京堂出版・2004年)」によると、「『和名抄』の加島郷。『万葉集』に「香島より久麻吉をさして…」という家持の歌がある。能登を冠したのは、常磐線の鹿島駅と区別するため」とある。
ただ、この記述は、駅名と言うよりも、地名の由来と言える気もする。
そこで、「角川日本地名大辞典 17 石川県(角川書店・1981年)(以下、角川地名辞典と略記)」の記述を参照してみると、鹿島の地名について、以下の通りであった。
「地名の由来は、常陸国鹿島神社を勧請した鹿島神社の社号にちなむという(能登志徴)。同社付近には「つくねんさま」と呼ばれる大石があり、「万葉集」巻16に「かしまねの机の島…」とみえる(鹿島神社縁起)」
明治22年までは、当地は、鹿島村だったようで、その後、島崎村を経て、明治41年から穴水町大字鹿島となっている。
また、曽福については以下の通りである。
「弁慶が別所岳を石動(せきどう)山より高くするために近郷から大石を集め、頂上に積み重ねたが高くならず、ついに怒り、谷に投げ下ろした伝説がある」
この曽福も、明治22年までは曽福村であり、その後、島崎村を経て、明治41年から穴水町大字曽福となっている。
なぜ、鹿島地区ではなく曽福地区に駅が設けられたのかについて、信頼できる資料は見つかっていないが、Wikipediaには、「駅は鹿島地区、曽福地区の住民の意向で両地区の境付近に設置されることとなったが、近隣に鹿島神社があり「鹿島」の知名度が高かったことから鹿島が駅名に採用された。この時既に鹿島駅が存在していたため、旧国名の「能登」を付加して能登鹿島駅とした。開業にあたり、駅名を鹿島にする代わりに場所を曽福側に設置して曽福地区の住民に配慮したと言う経緯がある」と記述されている。これについては、今後、文献調査が必要ではある。
以下に示すのは、角川地名大辞典に掲載されていた、能登鹿島駅の写真である。国鉄時代の写真であろうが、駅の雰囲気は、当時から、大きくは変わっていないように見える。モノクロで分かりにくいが、当時から、桜の名所として名を馳せていたようだ。
駅は、現在、のと鉄道の駅となっているが、既に述べたように、この路線は、元々は、国鉄七尾線だった。1964年9月21日には、松波~蛸島間の延伸開業によって、国鉄能登線も全通した。
しかし、能登線は、その全通からわずか4年後の1968年9月4日には、国鉄諮問委員会から、赤字ローカル線83線廃止意見書掲載の1路線として取り上げられ、廃止候補となってしまう。4年で、延伸開業から廃止対象になるほど、旅客需要が激変したわけではなく、元々、延伸開業しても採算の取れる見込みがない路線を、計画通りに建設しただけなのだが、「粛々と建設を進めてまいりたい」という、今もよく耳にする言葉が聞こえてきそうな気がする。
その後、1980年12月27日には、日本国有鉄道経営再建促進特別措置法(国鉄再建法)が制定され、国鉄赤字路線の廃止や分割民営化の議論が加速していくことになる。
そんな中、1986年3月1日には、能登線の第三セクター転換が決定し、続く5月27日には、能登線が第三次廃止対象特定地方交通線に指定される。この辺の経緯について、「鉄道全路線」の記述を引用すると、「石川県は、能登線が仮に国鉄線のまま存続しても、再び廃止問題が浮上することは不可避と予測。「好条件のうちに三セク化を進めた方が得策」と判断した」。「地元が第三セクター化を積極的に要望したため、早期に廃止対象路線として承認された」とある。
1987年4月1日、国鉄分割民営化によりJRが発足し、七尾線と能登線はJR西日本に移管されたのも束の間、5月1日には、のと鉄道が発足し、1988年3月25日には、JR能登線がのと鉄道に移管された。JR七尾線七尾~輪島間の、のと鉄道移管は、1991年9月1日のことだった。
しかし、のと鉄道は、七尾~輪島間ではJR西日本の所有する設備を借り受けて鉄道事業を運営する第二種鉄道事業者であり、七尾線の移管以降、JRに対する設備使用料の負担額(年間1億3400万円・20年契約)に悩まされることになる。
結局、当初は黒字化に成功したにもかかわらず、この使用量負担や、能登有料道路を利用した高速バスの台頭などもあって、七尾~輪島間が移管された1991年度決算において、赤字を計上することになる。
その後、2001年4月1日、七尾線穴水~輪島間が廃止。更に、2005年4月1日に能登線穴水~蛸島間が廃止され、現在の様に七尾~穴水間の鉄道になったのである。私が、のと鉄道に乗車できたのは、この、穴水~輪島間廃止を目前に控えた2001年3月のことであったが、トラブルで、能登三井~輪島間、及び、鵜飼~蛸島間に乗車できないまま旅を中止し、結局、再訪を果たせないまま路線廃止の日を迎えたのだった。
特急による旅客需要が見込める和倉温泉~金沢間をJRが押さえて、需要の少ない和倉温泉以北をのと鉄道に移管するのであるから、のと鉄道の赤字化は当然であろう。JRからの七尾線移管が無ければ、のと鉄道は、現在も、存続していたのかもしれないが、JRの経営合理化が優先されたということだ。
このような経営合理化は、新幹線の開業と並行在来線の廃止・第三セクター化という形を筆頭に、全国で見られる。経営という観点で見れば、それは当然の判断だと思うのだが、何か、やるせない思いになるのは、私だけだろうか。
そんな栄枯盛衰の物語を、この、能登鹿島駅は、開業以来、見続けてきたに違いない。
先の「角川地名辞典」の写真中にも写っていた、駅構内の中継信号機は、今も寡黙に、鉄路の安全を見守っている。
22時前のホーム。一人佇めば、夜の帳だけが、そっと、寄り添ってくれる。寂しくも旅情あるひと時だ。
21時45分には、穴水行きの普通列車が発着する。
この時間になると、車内に通学生の姿はなく、仕事帰りと思われる人影が、散見される程度だ。全員が穴水駅に向かうようで、乗降客の姿はない。それでも列車は律儀に扉を空け、定刻に出発していく。
地方の公共交通機関は、鉄道のみならずバス路線でも、赤字経営で存続が難しい路線が多い。旅をしていると、朝夕の通学利用の学生が、如何に貴重な存在であるか実感することも多いが、その通学利用の全体数自体が、過疎化と少子高齢化で減少している。
「自動車社会に追われて」と言うよりも「人が居なくて」衰退していく地方交通の現状を、目の当たりにすることが増えたように思う。
それでも能登鹿島駅の夜は遅い。22時32分の穴水行きが最終である。18時台や19時台に最終列車が出ていくローカル線も少なくない中、22時台の最終というのは、深夜便のようにも感じられる。
彼方からヘッドライトの煌めきを線路に落として、最終列車が到着した。予想通り、能登鹿島駅で下車する乗客は居らず、車内にも5人ほどしか姿を見かけなかった。
足早に出発していく普通列車を見送ると、能登鹿島駅の一日が終わる。
雨の中の厳しい一日を思いつつ、疲れた体を、駅前野宿の寝袋の中に横たえた。
旅情駅の夜は、この日も、穏やかだった。
一夜明けた5時前。能登鹿島駅は、曇天の青い大気の底で、まだ眠りの中にあった。
雨天去って晴天を期待しては居たのだが、この旅では、4月末から5月上旬にかけて、連続して雨マークが並ぶ、不安定な天候が続いており、この日も時々雨という、気分の滅入る予報がちらついていた。
空に浮かぶ雲は、ところどころ明るみも差し、回復の兆しも見え隠れしていたが、3日前の能登入りの日のように、スッキリした快晴になることはないだろう。
今日は、半島を南下し、雨晴海岸まで走る。富山湾越しに見える残雪の立山連峰を期待しているのだが、この空模様では、山の姿すら見えそうにない。
それでも、雨が降っていないだけましか…と考えつつ、身支度を整え、まだ眠りの中にある駅の姿を写真に収める。湿り気を帯びた駅のホームには、昨夜までの雨の余韻が感じられる。レールに反射する赤信号が印象的だ。
6時を過ぎると、空の青みはほとんど消えていたが、曇りがちの空の下に、まだ、微かに青みが残っており、駅の照明も点灯していた。予定では、始発列車の到着前に出発する予定であったが、明るくなった旅情駅の姿や、発着する列車の姿を見ておきたくなり、出発を1時間ほど遅らせることにした。
能登鹿島駅の始発列車は、朝6時22分の七尾行きである。その後、6時48分に、再度七尾行きが発着した後、穴水行きは7時42分に始発列車が出発する。間隔が短いので、6時48分の七尾行きの出発まで見送ってから、出発することにしたのである。
ちゃり鉄の旅は時刻表を走る旅ではあるが、時刻表に拘る旅ではない。その時の状況に応じて、時刻表を変更したり、ルートを変更したり、そういう臨機応変な旅も、ちゃり鉄ならではの楽しみ方である。
そして、そういう臨機応変を楽しむためには、実は、綿密な計画、即ち時刻表が必要不可欠なのである。
この日は、JR氷見線・雨晴駅までの行程で、距離には、余裕をもたせていたので、1時間程度、出発を遅らせても、到着時刻が日没後になることはなかった。
下り線のホームから上り線ホーム側を眺めると、駅のホームの向こうに、七尾湾の水面が見える。向かい側に見える陸地は能登島。この日は、能登島には渡らず、一旦、雨晴海岸まで進むが、後日、津幡駅からのJR七尾線に沿って七尾駅まで戻り、その後、能登島を一周する計画であった。
朝のホームに旅客の姿は見られなかったが、始発列車が到着する時刻になると、数名の学生の姿が見えるようになり、程なく、6時22分発の普通列車が到着した。
この時刻の列車に穴水駅から乗車するとすれば、自宅を出るのは、5時台ということになる。
每日、こんな時間に通学しているのだとすれば、通学の苦労も大変なことだろう。
6時30分を過ぎた辺りから、薄日が駅に差し込み始めた。陽の光が少し差すだけで、駅の色合いは、パッと変化する。夜の余韻を留める青みが消えて、鮮やかな色彩に染まる。
弱い日差しで、青空は望めなかったものの、桜の新芽が映えて、また、少し印象の違う、能登鹿島駅の表情を見ることが出来た。
駅のホームには、桜の花が散った後が残っていた。
満開の桜にはひと月遅かったため、もう、桜の花は一輪も残っていなかったが、構内踏切に立って見渡すと、桜のトンネルで彩られた能登鹿島駅の姿が、目に浮かぶようだ。
6時48分。七尾行きの普通列車が当着する。この列車が、朝の通学列車のメインとなっており、列車は、通路まで多くの学生で埋まっていた。能登鹿島駅からも数人の乗客の姿があった。
列車の出発を見送って、私も、能登鹿島駅を後にすることにした。
改めて、駅前野宿の一夜を過ごした能登鹿島駅を眺める。
駅舎は、桜の花びらを模して薄いピンク色に彩られており、瀟洒な作りになっている。ホームと駅前の通路との間、中段に駅舎が建っており、駅前は花壇に彩られ、「能登さくら駅」の標識もお洒落だ。
薄日が差し始めた駅舎を眺めていると、その向こうには、青空が覗いていた。天気は回復するようで、ホッとしながら、ちゃり鉄15号のペダルを踏んで、駅を出発した。
本来なら、西岸駅に向けて出発するところだが、一旦、逆方向の穴水駅に向かい、昨日、雨の中で素通りした、鹿島神社と社叢林に立ち寄ることにした。鹿島の地名の由来となった神社だ。近くに来たので、表敬訪問しておきたかった。
朝日を反射する水田の向こうに浮かぶ鹿島は、かつて、七尾湾の小島だった頃の姿を彷彿とさせる。先人は、この風景の中に、神を見出し、祀ることにしたのだろう。
この日は、予定通り、のと鉄道七尾線を走り終えて、観音崎を周って雨晴海岸に向かった。
しかし、午前中は高曇りの状態で、午後、富山県内に入る頃には、雷雨の土砂降りとなった。結局、立山連峰を望むどころか、またしてもずぶ濡れのライディングとなった。
雨晴海岸に到着後、辛うじて雨を避けられる場所を探してテントを張り、服を着替えて自炊を始めたとのだが、バーナーのノズルが詰まってガソリンが噴射しない。「よりによって、こんな時に」と、修理に取り掛かったのだが、ポンピング済みの燃料タンクから吹き出したガソリンを全身に浴びた挙げ句、取り外そうとしたノズルが変形してしまい、とどめを刺してしまった。
ガソリンの臭気に包まれて頭痛を催す中、何かを食べる気力も失せて、失意の中で旅の中止を決定した。雨晴海岸を行く、夜の氷見線の風景を撮影する気力すら無かった。
こんなトラブル続きの能登半島だが、それでも、私を惹き付けてやまない。
また、行かなければいけないと思いつつ、それは、何だか、嬉しくもある。
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