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ちゃり鉄5号:旅の概要
- 走行年月
- 2016年8月(前夜泊2泊3日)
- 走行路線
- 私鉄路線等:アルピコ交通上高地線、上田電鉄別所線
- 廃線等:神岡鉄道神岡線
- 主要経由地
- 安房峠、扉峠、美ヶ原
- 立ち寄り温泉
- 中の湯温泉、長門温泉、別所温泉、武石温泉、浅間温泉
- 主要乗車路線
- JR北陸本線・北陸新幹線・高山本線・中央本線・東海道本線・福知山線
- 走行区間/距離/累積標高差
- 総走行距離:292km/総累積標高差+5833.9m/-5411.4m
- 0日目:自宅≧楡原
(ー/ー/ー) - 1日目:楡原-猪谷=奥飛騨温泉口-安房峠-島々=松本-薄川河川敷
(132.0km/+2235.5m/-1768.0m) - 2日目:薄川河川敷-扉峠-上田=別所温泉-武石温泉
(98.8km/+1795.6m/-1762.9m) - 3日目:武石温泉-武石峠-武石嶺-美ヶ原-浅間温泉-松本≧自宅
(61.2km/+1802.8m/-1880.5m)
- 0日目:自宅≧楡原
- 総走行距離:292km/総累積標高差+5833.9m/-5411.4m
- 見出凡例
- -(通常走行区間:鉄道路線外の自転車走行区間)
- =(ちゃり鉄区間:鉄道路線沿の自転車走行・歩行区間)
- …(歩行区間:鉄道路線外の歩行区間)
- ≧(鉄道乗車区間:一般旅客鉄道の乗車区間)
- ~(乗船区間:一般旅客航路での乗船区間)
ちゃり鉄5号:走行ルート
ちゃり鉄5号:更新記録
公開・更新日 | 公開・更新内容 |
---|---|
2023年6月12日 | コンテンツ公開 |
ちゃり鉄5号:ダイジェスト
2016年8月は、「ちゃり鉄4号」の旅から1週間ほどの間隔をあけて「ちゃり鉄5号」の旅を実施した。通常、こんな短期間で「ちゃり鉄」の旅を重ねることは少ないのだが、「ちゃり鉄5号」の旅が短期間だったことや、所持していた青春18切符の通用期間の制限上、9月上旬までの期間に実施する必要があったことなどにより、「ちゃり鉄4号」の旅の疲れも取れないうちに続けて「ちゃり鉄5号」の旅に出発したのであった。
この旅では安房峠、扉峠、武石峠といった、高標高の峠を越えつつ、その山麓にある小私鉄路線や廃線跡を巡った。
扉峠や武石峠は美ヶ原と霧ヶ峰方面とを結ぶビーナスラインと呼ばれる日本有数の山岳観光道路上やその近隣にある峠で、サイクリストにとっても憧れの高原ルートの一画だ。
私自身も、中学生の頃に自転車でのサイクリングを始めた当時からビーナスラインのことは知っており、走りたい思いは常に抱いていた。
この旅ではその念願を叶え、美ヶ原から霧ヶ峰方面にかけてを走る予定にしていたのだが、松本市街地から扉峠を経てビーナスラインに入る当日は、朝から雨模様。8月末とは言え峠付近は寒冷な気象条件で、尚且つ視界は開けない。結局、その中でアップダウンの激しいビーナスラインを走ることは中止し、せっかく登り詰めた峠から直ぐに山を降って上田盆地に降ることにしたのだった。
最終日は逆に上田盆地側から諏訪盆地に抜ける行程で、再びビーナスライン北端に近い武石峠に登る計画としたのだが、この日も稜線に上がるまでは霧の中。武石峠から美ヶ原を経て諏訪盆地の茅野駅に向かう計画だったが、武石峠に到着した段階で1時間遅延しており、この先のルート計画や帰宅時間を勘案した上で、結局は松本駅に向かうルートに予定を変更した。
結局、ビーナスラインそのものは雨の扉峠付近でクロスしただけに終わったが、最終日は武石峠から美ヶ原の間の高原道路を楽しむことが出来たので良しとする。
以下では、この旅の行程をダイジェストで振り返ることにしよう。
ちゃり鉄5号:0日目(自宅≧楡原)
初日は仕事が終わってから一旦帰宅。夕食や風呂を済ませた後、最寄り駅から大阪駅まで出て、特急「サンダーバード」、北陸新幹線「つるぎ」と乗り継いで富山入りした。更に高山本線の普通列車に乗り楡原駅まで移動。そこで、駅前野宿とした上で、翌朝から「ちゃり鉄」の行程に入る計画とした。
北陸路の旅は、北陸新幹線の開業により様変わりした。
私が学生だったころは、札幌までは寝台特急「トワイライトエクスプレス」、青森までは特急「白鳥」か寝台特急「日本海」、新潟までは寝台急行「きたぐに」、富山までは特急「雷鳥」が走っており、いずれも、大阪駅から乗り換えなしで北陸、信越、羽越、陸奥、そして、北海道方面に行くことが出来た。青春18切符を使って旅をする際も、全区間で切符が通用したので、行ったり来たりの旅を楽しむことが出来た。
ワイド周遊券が発売されていた頃でもあり、北海道ワイド周遊券の往復経路に日本海縦貫線と呼ばれた北陸本線・信越本線・羽越本線・奥羽本線ルートを組み込んで旅したことも何度かあった。直通列車が無い東海道本線・東北本線周りと比べると、沿線風景の旅情にも格段の違いがあって、大好きなルートだった。
しかし、北陸新幹線が開業したことにより、石川県、富山県、新潟県の在来線は県単位で第三セクター鉄道に分断され、直通特急は廃止された上に、青春18切符での通過も出来なくなった。それぞれの鉄道会社ごとに運賃を支払うことになるので運賃は割高になるし、行きつ戻りつしながらの旅も難しくなった。
一言で言えば「旅」がしにくくなったのである。
この地域を通しで通過するなら北陸新幹線を使えということだが、トンネルばかりの北陸新幹線に「旅情」を求めることは難しく、乗り物としての興味はあれどやはり物足りない。それは思い思いの線を描き道中を楽しむ「旅」ではなく、観光業者が開発した点に誘導される「旅行」なのだ。点と点の間の地域は車窓風景として楽しむことすらできず、見えるのはトンネルの壁でしかない。
それでも、在来線の「旅」は廃れ新幹線の「旅行」は興隆しているところを見ると、「旅」よりも「旅行」を求める人が大多数を占めるということなのだろう。それはそれで良しとするが、少数派に属する私としては、やりにくさを感じることは否めない。
そんなことを考えつつも、最終列車で降り立った楡原駅の佇まいを眺めていれば、やはり、旅に来たことを実感し気持ちは高揚する。
最終で到着し、自転車を組み立て、駅前野宿を行い、翌早朝には出発するという日程になった事もあり、旅情駅の夜を楽しむ余裕はあまり無かったが、前夜泊のこの日の行程は予定通り終了。寝袋に潜り込んで眠りに就いたのだった。
ちゃり鉄5号:1日目(楡原-猪谷=奥飛騨温泉口-安房峠-島々=松本-薄川河川敷)
1日目の行程は予定では楡原駅からアルピコ交通上高地線の新島々駅付近までであった。
実際には新島々駅付近に野宿適地が見つからず、時間に余裕がったこともあって、この日のうちにアルピコ交通上高地線の全駅を走り切り、松本市街地の薄川河川敷の橋の下まで進んで野宿をしている。最終的な野宿地はあまり気乗りのしないものではあったが、日没時刻になって松本市街地まで進んだ上で現地で適当な場所を探す形となったので、止むを得ず河川敷の橋の下にした形だった。
この日のルート図と断面図は以下に示すとおり。
日本有数の高標高の峠を越えることとなった「ちゃり鉄5号」の旅であったが、この1日目の行程では安房峠を越えている。
断面図では72㎞付近に見えている峠がそれで、この日の前半行程は楡原駅を出発してから安房峠に至るまでの70㎞あまりを、ひたすら登り続けていることが分かる。楡原駅は標高147m、安房峠は標高は1790mで、その獲得標高差は1643mであるが、GPSログの累積標高差は2235.5mとなっている。その後は松本盆地に向けて降り続けるのだが、盆地の標高が600m前後であることから、登り行程と降り行程とで大きな高距差を生じている。
こういうルートだと、松本側から神岡側に抜けてくる方が楽な場合が多いのだが、私は、その方向でこのルートを走行するのはあまり気乗りがしない。とうのも松本側から安房峠手前の中の湯までが、交通量が多い中の長い登りとなるからだ。途中、奈川渡では木曽谷や御嶽山方面へ、前川渡や沢渡では乗鞍岳方面へ、中の湯では上高地方面へ、平湯では高山方面と富山方面へ分岐していくことになるので、それら各方面への交通量が非常に多い上に大型車もバンバン走り抜ける。更に国道158号線のトンネルは古いものが多く断面積も狭い上に自転車や歩行者の通行帯も確保されていない。
神岡や高山から安房峠を越えて松本方面に抜けるルートだと、この交通量の多い区間全体を降り勾配で走れるので、気持ちの上でもかなり楽なのである。
そういうこともあってこの時は神岡側から松本側に抜ける形で旅程全体を計画した。いずれ松本側から安房峠に向かうようなルートで走ることもあるだろうが、そういう時は、登り行程に余裕を持たせたい。
さて、一夜明けた楡原駅の出発は6時10分。「ちゃり鉄」の出発時刻としては決して早い方ではないが、楡原駅はまだ始発時刻前であった。
かつては神岡鉄道神岡線が分岐していた猪谷駅には6時40分到着。7.3㎞。
神岡線は既に無く、広い構内に貨物輸送が盛んだった往時の面影を偲ぶだけで、ホームに佇む高山本線の気動車もどこか所在なさげだった。
ここから神岡鉄道神岡線の廃線跡を走って奥飛騨温泉口に向かう。猪谷駅6時45分発。
猪谷駅から奥飛騨温泉口駅までの沿線国道は、高原川の峡谷に沿って覆道が連続する険しい地形の中を行く。鉄道そのものも19.9㎞の営業距離の実に64%が隧道や橋梁が占めているが、国鉄時代の神岡線の開業は1966年10月6日と遅く鉄道建設公団の手によるものだ。そう思って廃線の遺構を眺めれば、第三セクター移管の末に廃止されたローカル線にしては高規格で、明治大正期に建設された路線の廃線跡とは、明らかに様子が異なる。
ただ、神岡鉱山という大きな鉱山に対して鉄道敷設が1966年までずれこんだのかというと、勿論そうではなく、国鉄の神岡線敷設以前は神岡線の対岸となる高原川右岸側に、鉱山開発元である三井金属鉱業の手によって762㎜軽便規格の神岡軌道が敷設されていた。
この辺りの詳細は文献調査としてまとめるとともに、神岡軌道跡については、別途、「ちゃり鉄」での探訪を行うことになるだろう。
飛騨中山駅、茂住駅、漆山駅、と順番に辿っていくのだが、神岡鉄道の廃線跡は線路や駅施設も含め、大半が往時の状況を留めている。これは神岡線の廃線跡を観光資源として活用しようという試みが継続している為で、現在は、奥飛騨温泉口駅から神岡鉱山前駅の間や漆山駅周辺で軌道自転車・ガッタンゴーが営業されているほか、鉄道車両の体験運転会も営業されている。
こういう廃線跡の観光利用に関しては、経営的に難しい場合が多いようではあるが、地元の団体が一体となって鉄道施設の観光利用を推進する取り組みとして注目し応援したい。
私自身は「ちゃり鉄」での訪問となった事もあり、これらの観光施設を直接利用することはなかったが、奥飛騨温泉口駅に設けられた「がったん茶屋」の飲食店で、ちょっとした軽食をいただくことにした。
奥飛騨温泉口着は8時59分。発は9時19分。距離は32.2㎞であった。
ここからは高原川沿いに緩やかに登って栃尾に10時41分着。55.3㎞。
奥飛騨温泉郷とも通称されるこの辺りには学生時代に足繁く通った研究フィールドがあるのだが、既に当時の教官や技官の方々は退官されていることもあり、施設には立ち寄らずに平湯経由で安房峠に向かう。
平湯では昼食休憩を取り安房峠に備えた。11時38分着。12時12分発。64.6㎞。
安房峠は中部縦貫自動車道の安房トンネルが開通したことにより交通量が激減した。今日ではドライブ目的以外でこの峠を越える一般車両は少ない。こうした場合、管理上の問題から旧国道は閉鎖され廃道化することも多いのだが、幸い、安房峠は開放されたままである。
高規格道路の安房トンネルは自転車の通行が禁止されているため、安房峠の旧道が廃道にならずに残されていることによって、自転車の旅人は飛騨信州の間を相互に越える旅ができる。自転車の通行を可能にするために旧道が開放されているわけではないが有難いことではある。
旧国道とは言えヘアピンカーブが連続する登りを喘ぎ登り、平湯から1時間余りで安房峠。13時16分着、72.4㎞であった。峠発は13時22分。
ここから先は降り基調となって進む。
途中、中の湯で一浴した後、上高地への分岐手前で中部縦貫自動車道と合流し交通量が増加する。
中の湯では、ツーリングスタイルの自転車を見た旅館の従業員の方からお声掛けいただき暫し談笑する。
近年はロードバイクに乗る人が増えた一方でキャリア積載のツーリストは減少傾向にあり、旅をしていると声を掛けられることも多い。私自身は人見知りもあって自分から話しかけることは殆どないのだが、旅先でのこうしたひと時は旅を彩る思い出となる。
奈川渡を越えた辺りから国道は松本側に向けて大渋滞が始まった。
この日は、中部山岳の各地から松本方面に降り、更に中央高速道路経由で関東方面に向かう行楽帰りの観光客の車が集中していた。既に述べたように、こういう交通集中があるので、このルートを逆から走るのは避けるようにしている。更に悪いことに、その交通集中のさ中、稲核ダム付近で正面衝突の交通事故が発生しており、片側交互通行となっていたのだった。
降りなので軽快に走り下るつもりが、車列に遮られて路肩走行もままならない。元々、この区間は路肩に余裕がない上に、左カーブなどでは路肩ギリギリまで寄せて停車している車があり、自転車で走り抜ける隙間がないのである。かと言って、車列の右側に出て中央分離帯付近を走るのは危険だ。
事故地点を過ぎた後は登り側の渋滞に切り替わったものの、降り側の交通量は多いまま。
中の湯から奈川渡までは平均時速28.5㎞で降ってきたのだが、奈川渡から島々駅の間では14.5㎞にまで落ち込んで、島々駅跡に到着。15時58分。107.7㎞。
予定ではこの辺りで駅前野宿も考えていたのだが、渋滞気味で人口密度が高い上に野宿適地もない。島々駅跡は16時には出発し、新島々駅からはアルピコ交通上高地線に入って各駅停車の「ちゃり鉄」で降りながら、結局、松本駅まで辿り着くことになった。
18時42分。125.8㎞。
既に残照の時刻となっていたが、松本駅周辺に野宿適地は無いので直ぐに駅を出発。18時50分。
松本城付近を見に行くが、場内は観光客その他、人の姿が多く、こちらもお城の写真を撮影して撤退。
結局、翌日の予定ルートであった薄川河川敷まで進み、適当なところで橋の下にテントを張ることにした。青空テントを避けたのは、翌日から雨天予報となっており、雨の中での野宿や撤収を避けるためだ。
最終距離は132㎞。19時44分着だった。
ちゃり鉄5号:2日目(薄川河川敷-扉峠-上田=別所温泉-武石温泉)
明けた翌日は扉峠経由で上田盆地に降り、上田駅からは上田電鉄別所線の沿線を走って別所温泉付近で野宿の予定とした。天候が良ければ扉峠から和田峠方面に南下する形でビーナスラインを走れるように、計画距離は100㎞強に抑えて余裕を持たせた。
実際には、天気予報通り出発前から雨。
天候が良ければビーナスラインを走ろうという目論見も、出発の段階で断たれていた。
この日のルート図と断面図は以下に示すとおり。
前半24㎞付近に見えるピークが扉峠で標高は1680m。前日の安房峠よりも100mほど低い上に、スタート地点からの沿面距離も24㎞であるので、前日より楽なはずだったのだが、実際には雨の中の峠越えということもあり、精神的にも肉体的にも疲労感の強い峠越えとなった。
薄川河川敷での野宿明けは曇天の状態で、まだ、雨は降っていなかったのだが、出発目前になって降り出した。あらかじめこの日の雨天は掴んでいたとはいえ、実際に振り始めると気分が滅入る。
出発は6時1分。
ここから薄川に沿って遡り扉温泉経由で扉峠に登るのだが、扉温泉までやって来ると扉峠に至る県道67号線はこの先通行止めとの表示がある。
事前に掴んでいなかったこの通行止め情報は大きな障害。結局、三城を迂回してよもぎこば林道を経由して扉峠に向かうことにしたのだが、三角形の1辺で済むルートから2辺経由のルートに変更する形になるので、雨の中での登り距離が長くなる。
扉温泉口発は7時16分。10.7㎞。
そこから三城経由で扉峠には8時57分に到着。24.0㎞であった。
この間、時折煽られるような風が吹き抜ける中、始終、雨に降られた登路。レインウェアを着用するものの、8月とあっては汗濡れは避けられず、結局、インナーウェアはビショビショになる。
辿り着いた扉峠も雨雲の中。風は強く雨は降り続き、標高が上がったこともあって、アウターウェアの外から体温を奪われる状況。
恐らく10度台前半の気温の中。汗と雨で濡れた状態で強風の高原道路に長時間滞在していると、低体温症に陥る危険があった。勿論、乾いたインナーに着替えることも考えられたが、峠付近に着替える場所がない上に、着替えたところで高原道路は一面雨雲の中。待っているのは乳白色の雲の中を行く孤独なアップダウンでしかない。
和田峠方面に向かってビーナスラインを走りたいという淡い期待は完全に打ち砕かれ、一刻も早く峠を降りたい気持ちに切り替わった。
とは言え、扉峠から上田盆地への降りも、雨の急勾配の中。
制動が効かない中を慎重に降っていくのだが、晴れていれば豪快なワインディングの降り坂も、この低温下では稜線で強風に吹かれる状況と変わらない。一気に体温が奪われていく。
それでも県道67号線を降り切り国道142号線に合流する頃には、標高が下がって気温が上がったことや雨が小降りになったこともあって、震えるような寒さからは開放された。ペダルを踏みこんで体熱を発生させながら道の駅併設の長門温泉まで降り、ここで10時開店の長門温泉に入っていくことにした。
9時57分着。46.3㎞。
扉温泉口からの扉峠越え35.6㎞を2時間41分で克服した。
長門温泉ではサウナに入ったのだが、体が冷え切っていて全く汗をかかない状態が随分長く続いた。低体温症になりかけていたことを実感した瞬間だった。
長門温泉で休養した後、11時33分に出発。上田駅には12時27分着。64.9㎞。
ここからは上田電鉄別所線の「ちゃり鉄」に入る。12時34分発。
上田電鉄は、かつては上田交通という社名で上田盆地一帯に広く交通事業を展開し鉄道路線網を張り巡らせていたのだが、今日では、上田交通から独立した上田電鉄として別所線のみを営業している。上田交通時代に存在した他の鉄道路線は全て廃止されているが、その廃線跡を巡る「ちゃり鉄」もいずれは実施することになるだろう。
この日は、上田電鉄沿線に入っても小雨がパラつく状況。
上田市街地から別所温泉がある塩田平に向かうにつれ、沿線は長閑な田園風景に変わっていくのだが、田園を取り巻く山並みは霧を纏っている。
別所線は数駅毎に交換可能駅があるスタイルで淡々と小駅が続いていくが、かつて西丸子線が分岐していた下之郷駅では、車両基地などの他、この西丸子線時代のホームや駅舎が資料館として残されていた。
別所温泉駅には14時56分着。79.7㎞。
上田電鉄別所線の営業距離は11.6㎞であるが、「ちゃり鉄5号」は14.8㎞を走っての到着だった。
この日は別所温泉で行動を終了し、どこか適当なところで野宿する予定だった。そこで、石湯や大師湯でサッと汗を流した後、温泉街を適当に走ってみたのだが、予想に反し野宿適地が無かった。
そこで、大湯を撮影した後、別所温泉を出発し、明日のルートに入って武石温泉うつくしの湯付近まで進むことにした。うつくしの湯付近には公園があり、野宿に使えそうな東屋がありそうだったからだ。
別所温泉16時12分発。
平井寺トンネルで塩田平に別れを告げて、武石川流域の武石温泉には17時30分に到着した。98.8㎞。
この日は雨の扉峠越えで午前中から疲労感の強い行程となったが、長門温泉、別所温泉に加え、行動終了地点の武石温泉でも湯に浸かることが出来たので、何とか疲れを癒すことが出来た。
予報では明日は天気が回復する見通し。
美ヶ原に立ち寄る計画なので、晴天が広がることを期待しつつ、野宿の眠りに就いた。
ちゃり鉄5号:3日目(武石温泉-武石峠-武石嶺-美ヶ原-浅間温泉-松本≧自宅)
最終日は、当初予定では別所温泉から鹿教湯温泉を通り抜けて武石峠に登り、そこから美ヶ原経由で白樺湖までのビーナスラインを走った上で茅野駅に降り、「ちゃり鉄5号」を終了する予定だった。
しかし、昨日の行程を変更して武石温泉に進んだので、ここから高原に登ることにする。
出発段階では茅野駅に降るつもりだったのだが、登り行程に思った以上に時間を要し、結局、美ヶ原から先には抜けず、美鈴湖経由で松本駅に降り、そこで「ちゃり鉄5号」を終了した。ビーナスラインは走ることが出来なかったわけだが、武石峠から美ヶ原の間でビーナスラインを思わせる高原風景の中を気持ちよく走ることが出来たので良しとした。
この日のルート図と断面図は以下のとおり。
この日は天候回復の兆しがあり、雲の切れ間から陽光が差し込んでいた。
路面は濡れて昨日来の雨の名残を留めていたが、やがて空は晴れ渡ってくるそんな気がした。
武石温泉5時30分発。
ここから武石峠に向けてひたすら登り続ける。
1日目は安房峠、2日目は扉峠を越えてきたが、3日目の今日は、この3日間で一番高い所に登ることになる。但し、開始地点の標高も高いので、累積標高差で比較すると1日目には及ばず、2日目とほぼ同じくらいという結果になった。
武石峠の麓に取り付いて登り始めると、一旦は霧の中に突っ込むことになるが、登るほどに霧は薄くなり、木立の向こうに青空の気配が漂ってくる。
武石峠には8時3分。18.8㎞を走って到着した。この間、平均速度は7.4㎞。予定では武石峠に7時1分に到着する見通しだったので、この段階で1時間遅れている。
この当時は、経験則から導き出した平均走行時速15㎞で行程全体を計画していたので、往々にして登り区間は計画より遅延し、降り区間は計画よりも先行していた。ただ、一日トータルで見ると平均時速15㎞に収まるので、目的地には概ね到着予定時刻に着いていた。
そう言うこともあって、ここで1時間遅れていたとしても、白樺湖から茅野駅に降るうちに遅れは吸収できる見込みであった。
ただ、茅野駅に降るとすればここから70㎞ほど走ることになるし、その内の50㎞ほどが高原地帯のアップダウンで平均時速は10㎞程度になるだろう。そうすると、茅野駅への到着時刻が遅れることも考えられる。
予定通りに走れたとしても、自宅の最寄り駅への到着予定時刻は21時41分。その上で、翌日は出勤なのである。
武石峠から美ヶ原を往復して松本駅に降るとすれば、行程距離は40㎞強と見積もることが出来るので、茅野駅に向かうのと比べて30㎞程度の短縮。平均時速15㎞を採用すれば2時間の短縮が見込まれる。
それらを勘案した結果、美ヶ原から先には進まず、武石峠に戻ってから松本駅に降ることにした。そして、ルート変更によって生まれた余裕時間の一部を、武石嶺や美ヶ原のトレッキングに充てることにした。
そう決めて走り出すと、武石峠から2㎞ほど進んで武石嶺展望台に到着する頃には雲域の上に出て、眼下には雲海が広がり始めた。上空にも雲域が残っているので一面の雲海という状況ではないが、松本盆地の向こうには、遠く北アルプスの山並みが雲海の上にスカイラインを描いている。ひと際高く天を突く槍ヶ岳が印象的だ。
この風景を楽しみながらのんびりとペダルを漕ぎ進め、途中、車道から10分程歩いて武石嶺に立ち寄ったりして、美ヶ原自然センターには9時22分に到着した。25.9㎞。
ここで自転車から降り、トレッキングスタイルで王ヶ頭、美しの塔、王ヶ鼻と巡る。自然センターには11時19分着。35.4㎞。美ヶ原トレッキングは9.5㎞だった。
王ヶ頭や王ヶ鼻付近は高原の下から巻き上がってくる霧に包まれており、展望はあまり開けなかったが、中学生の頃から観光ガイドで眺めていた場所だけに、こうして初訪問を迎えられたことに満足もした。
尤も、高度経済成長期に日本各地で実施された観光開発の多くがそうであったように、この高原風景もまた、自然保護と観光開発という二極対立の中にあったことは否めない。美ヶ原の風景が素晴らしいと感じたのは事実ではあるが、その風景は原始の「自然」そのものではなく、観光開発という「人為」によって作られたものでもある。
「自然」と「人為」とを対比してその優劣を論じるつもりはないし、借景庭園の様に「自然」と「人為」が織りなす美というものもある。更には、「人為」は結局「自然」の一部だと考えることもできるだろう。話が飛躍するのでそういう議論に深く踏み込むのは避けるが、目の前の「自然」が原始の自然そのものではなく、大いに開発しつくされた結果としての「自然」であるという視点も忘れずに居たい。
自然センター併設の食堂で軽食をいただき、11時38分発。
ここから、美鈴湖を経て浅間温泉に降り、仙気の湯で一浴した後、松本駅に到着して「ちゃり鉄5号」の旅を終了した。13時17分。61.2㎞の行程だった。
この後は、乗り鉄の旅に切り替えて、JR篠ノ井線、JR中央本線、JR東海道本線、JR福知山線と辿って自宅に戻った。