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ちゃり鉄25号:旅の概要
- 走行年月
- 2025年3月~4月(前夜泊12泊13日)
- 走行路線
- JR路線:東金線・久留里線・根岸線・鶴見線
- 私鉄路線等:銚子電鉄鉄道線、いすみ鉄道いすみ線、小湊鉄道鉄道線、京浜急行久里浜線・逗子線、江ノ島電鉄鉄道線、湘南モノレール江の島線、横浜シーサイドライン金沢シーサイドライン
- 廃線等:九十九里鉄道鉄道線、南総鉄道鉄道線、京浜急行久里浜線(未成線)・武山線(未成線)、小湊鉄道鉄道線(未成線)、改正鉄道敷設法別表第47号線(八幡宿=大多喜=小湊)・第48号線(上総亀山=上総中野)
- 主要経由地
- 房総半島(犬吠埼、屛風ヶ浦、九十九里浜、太東崎、野島崎、清澄山、養老渓谷、粟又の滝)、三浦半島(劒崎、城ヶ島、観音崎)、江の島、東京湾岸
- 立ち寄り温泉
- 銭湯(銚子・松の湯)、白子温泉(サニーイン向井)、かずさのお風呂屋さん、七里川温泉、野島崎(ホテル南海荘)、銭湯(三崎・クアーズMISAKI)、銭湯(鴨居・銀泉浴場)、銭湯(大船・栗田湯)、蒲田温泉
- 主要乗車路線
- JR山陰本線・播但線・山陽本線・東海道本線・総武本線・北陸新幹線・小浜線・舞鶴線
- 走行区間/距離/累積標高差
- 総走行距離:1152km/総累積標高差+18846m/-18852m
- 0日目(自宅≧和田山≧姫路≧(寝台特急「サンライズ出雲」))
(ー/ー/ー) - 1日目(東京≧銚子-外川=銚子-犬吠埼-外川-しおさい公園)
(34.4km/+290m/-289m) - 2日目(しおさい公園-屛風ヶ浦-片貝-成東=大網-白子海岸)
(109.3km/+799m/-805m) - 3日目(白子海岸-大網=上総片貝-太東崎-八幡岬)
(103.4km/+1556m/-1542m) - 4日目(八幡岬-安房小湊=上総中野=上総川間)
(83km/+2491m/-2475m) - 5日目(上総川間=五井-木更津=上総亀山-亀山湖畔公園)
(103.6km/+1255m/-1205m) - 6日目(亀山湖畔公園-上総亀山=黄和田-清澄寺-黄和田=上総中野=新田野)
(76.7km/+2456m/-2524m) - 7日目(新田野=大原-茂原=奥野-上総鶴舞-飯給)
(102.8km/+1710m/-1669m) - 8日目(飯給-養老渓谷=安房小湊-東条海岸-野島崎)
(96.2km/+2085m/-2139m) - 9日目(野島崎-洲崎-金谷港~久里浜港-劒崎-城ヶ島大橋)
(103.5km/+1796m/-1794m) - 10日目(城ヶ島大橋ー逗子・葉山=金沢八景-新杉田=金沢八景-観音崎)
(104.4km/+1497m/-1498m) - 11日目(観音崎-浦賀渡船西乗船場~浦賀渡船東乗船場ー堀之内=三崎口=三崎-城ヶ島-武山=衣笠-逗子海岸-湘南江の島=大船-鎌倉=稲村ケ崎)
(109.7km/+1887m/-1865m) - 12日目(稲村ケ崎-鶴岡八幡宮-稲村ケ崎=藤沢-大船=横浜-鶴見=新芝浦≧海芝浦≧新芝浦=大川=扇町-東海埠頭公園)
(104.7km/+898m/-918m) - 13日目(東海埠頭公園-千鳥ヶ淵-東京≧敦賀≧東舞鶴≧綾部≧福知山)
(20.3㎞/+126m/-129m)
- 0日目(自宅≧和田山≧姫路≧(寝台特急「サンライズ出雲」))
- 総走行距離:1152km/総累積標高差+18846m/-18852m
- 見出凡例
- -(通常走行区間:鉄道路線外の自転車走行区間)
- =(ちゃり鉄区間:鉄道路線沿の自転車走行・歩行区間)
- …(歩行区間:鉄道路線外の歩行区間)
- ≧(鉄道乗車区間:一般旅客鉄道の乗車区間)
- ~(乗船区間:一般旅客航路での乗船区間)
ちゃり鉄25号:走行ルート


ちゃり鉄25号:更新記録
公開・更新日 | 公開・更新内容 |
---|---|
2025年4月28日 | コンテンツ公開 |
ちゃり鉄25号:ダイジェスト
2025年3月から4月にかけて実施した「ちゃり鉄25号」では房総半島と三浦半島を中心に中小の鉄道路線を巡ることにした。
このルート自体は2024年の同時期に実施・中止となった「ちゃり鉄23号」のやり直しで、基本的な計画は変更していないが、中止までに走行した銚子電鉄や九十九里鉄道廃線跡の走行に関しては、前回とは逆の方向からの走行とした。
前夜泊12泊13日の行程で春先の房総半島の温暖な気候と花の風景を楽しみにしていたのだが、旅の期間中、関東地方は継続的に強風が吹き荒れる寒冷な雨天に見舞われていた上に、いすみ鉄道は旅の実施までに復旧せず全線で運休のままであった。
途中、日降水量の予報が2日続けて100㎜前後に達するなど、旅の中止やルート変更も検討する中での旅となったが、幸い、雨天域は始終自分の走行エリアに掛かっていたものの、強雨域の直撃は免れることが出来たため、16時間降られ続ける日もあったものの旅そのものは概ね計画通りに走り切ることが出来た。
しかし、晴天時には強風で吹き飛ばされた波しぶきや砂埃を被り、雨天時には終日雨の中を走る行程は心身のみならず車体やカメラへのダメージも大きく、2年連続でスポーク折れやカメラの接触不良によるトラブルに見舞われることになった。
車体はホイールのクリアランスが広かったため、フレが出た車輪でも何とかその日の野宿地まで走り切ることが出来たし、野宿地でフレ取りを行うことで旅そのものの中止という最悪の事態も回避することが出来た。また、カメラも内部結露によって撮影時の設定が切り替わらないトラブルだったので、2日ほどかけて結露が自然乾燥したことによってトラブルは解消した。
これは不幸中の幸いではあった。
とはいえ、海岸沿いを走る日の大半は強風が吹き荒れており、しかも大半が向かい風だった。
雨天時の惨めさは言うまでもなく、晴天時でも波しぶきが小雨のように降り注いだり、砂埃が地吹雪のように舞ったりする状況。楽しみにしていた桜の開花も寒冷な気候ゆえに遅れてしまい、肝心の場所では五分咲き未満。結局、私が旅を終える頃になって満開を迎えていた。
いつものことではあるが、今回は特に、天候には恵まれなかったように思う。
車体は結局2本のスポーク折れを生じてしまったため、後輪に関しては帰宅後に全スポークの交換を実施し手組で調整しなおすことにした。かなり難度の高い調整を行うことになるが、これも旅人としての経験値を上げるための試練と考え、前向きにスキルアップを図りたい。
ちゃり鉄25号:0日目(自宅≧和田山≧姫路≧(寝台特急「サンライズ出雲」))
この旅は前夜泊行程で東京入りする。
近年の東京入りでは大阪駅から寝台特急「サンライズ」に乗車することが多かったのだが、大阪発が0時半頃で東京着が7時過ぎということもあり、どうしても翌日行程に寝不足を生じるし、折角の寝台特急の旅を十分に楽しめないという悩みもあった。
そこで今回は福知山から大阪に出るのではなく姫路に出て、そこから「サンライズ」に乗車することとした。姫路から乗車すると乗車時間が1時間早くなるので多少の余裕が生じるし、運賃は長距離逓減の効果もあって福知山から直接大阪に出るのとそれほど変わらない。関東地方に向かうのに自宅から目的地とは逆向きに出発するというのが「ちゃり鉄」の旅らしくて痛快だ。いずれは始発駅から終着駅までの乗車を行いたいものだ。
自宅での仕事を終えて福知山からのトップランナーは豊岡行。車内は帰宅途中の乗客で混雑していたが、2両編成のワンマン列車なので編成後端に自転車やバックパックを固定して近くの席に座ることが出来た。途中駅で下車する乗客は先頭車両側に座っているので、2両目は多少の余裕がある。
この列車で和田山駅に向かいそこからは播但線に入るが、単行のキハ40系に乗り換えると一気に旅情が深まる。福知山から播但線内まで乗り合わせた通学生が居たのも印象的だった。毎日、往復で3時間程度も通学に時間を割いていることになるだろう。
その播但線も寺前駅を境に非電化・電化区間が変わり、以降姫路駅までの電化区間は都市近郊路線の雰囲気になる。車両もロングシートだ。
この時間帯の旅客動線とは逆行することになるので、車内が混雑することはなかったが、それでも駅毎に多少の乗降があって、姫路駅には21時25分着。折り返しの列車を待つ人が大勢ホームに立っていた。



この姫路駅で2時間程度の待ち時間があるので、「サンライズ」の到着ホームに荷物を移動させた上で、撮影などを行いながら時間待ちをする。
姫路駅は山陽本線、播但線の他に、姫新線、山陽新幹線も交わる要衝。少し離れたところに山陽電鉄の姫路駅もあり、時折、発着する列車の姿が目に入った。
「サンライズ」の出発時刻は23時33分だが、これが山陽本線の上り大阪方面への最終列車だったのは少し意外だった。この1本前は23時17分の西明石行普通。大阪方面へは22時56分の京都行新快速が最終となっている。
各方面へは山陽本線下りが0時9分の上郡行。赤穂線方面では23時28分の赤穂行。播但線は「サンライズ」と同じ23時33分の寺前行。姫新線は23時21分の播磨新宮行。山陽新幹線上りでは23時8分の新大阪行、下りでは23時16分の岡山行がそれぞれの最終列車であった。
姫新線や播但線は赤字のローカル区間もあるが、姫路の近郊区間は都市路線の様相を呈しており、遅くまで列車の発着がある上に、それなりに乗車率も高い。
遅くまで人が行き交う風景を眺めているうちに小腹が空いてくる。ホームには駅蕎麦屋があってこの時間でも営業していた。食べたいメニューは時間が時間ということもあって既に売り切れていたが、残っていたメニューで小腹を満たした。
駅蕎麦屋は旅情を誘う舞台装置だと思うが、コンビニの台頭によって衰退が著しい。寂しくもあるがそれも「時代の流れ」だろうか。


23時半頃になると、各方面最終列車の案内放送がかかるようになり、近隣で飲み歩いていたらしい若者や仕事帰りの人の姿が増える。山陽本線ホームの向かい側に姫新線や播但線のホームがあるが、姫新線はサンライズの到着前、播但線はサンライズと同時に最終となるので、そちらも駆け込み乗車の姿が目立つ。駅員が階段を確認し運転士に合図を送っている姿が印象的だった。
定刻になって寝台特急「サンライズ瀬戸・出雲」が入線。姫路駅からの乗客もそれなりに居るらしく、ホームには一見して分かる家族連れや高齢夫婦、鉄道ファンらしき青年などの姿があった。
今回はノビノビ座席は確保できなかったので、ソロ上段を確保。「ちゃり鉄」の旅にはノビノビ座席が似つかわしい気もするが、周りに気を遣わずに気楽なひと時を過ごせるという意味では個室寝台も魅力的なので、いずれ「サンライズ」に連結されている各寝台を一通り使って旅してみたいと思う。
ここでも停車時間は僅かなので、車端部での撮影は難しい。私は輪行自転車と80リットルクラスのバックパックも背負っているので、他の乗客の邪魔にならないよう一番最後に乗り込むことにしているが、その隙に数枚の写真を撮影した。
車内に入って装備類を整理しているうちに列車は出発。
いつもお決まりの行動ではあるが、荷物を整理して一段落着いたら車内を軽く探検し、ラウンジスペースが空いていればそちらに腰かけて流れゆく景色を楽しむ。
この日はソロが設けられた同じ車両にラウンジがあり、誰も居なかったこともあって、いつもより長く滞在したのち、個室に戻って眠りに就くことにした。京都駅を過ぎて滋賀県内に入っていたと思う。





ちゃり鉄25号:1日目(東京≧銚子-外川=銚子-犬吠埼-外川-しおさい公園)
前夜泊が明けた1日目は銚子駅から始まる。そこまでは寝台特急「サンライズ瀬戸・出雲」の旅から総武特急「しおさい」へと乗り継いで乗り鉄の旅が続く。
銚子駅を出たら自転車を組み立てて「ちゃり鉄」を開始するのだが、ここから九十九里鉄道廃線跡を経て東金駅に達するまでの区間は昨年の「ちゃり鉄23号」でも走行済みなので、今回は逆側から走ることにした。
初日でもあるので短距離の行程とし、昨年の旅で訪れていなかった外川や笠上周辺の神社などを巡るとともに、銚子市街地に残る銭湯にも立ち寄る予定。この銭湯は昨年は休業日だったため、波崎のプールの浴室を借りて入浴したのだった。
野宿場所は昨年と同じでしおさい公園の東屋である。
この日のルート図と断面図は以下のとおり。


この日は銚子市の外川や犬吠埼周辺を周るだけなので、35㎞弱の行程で高低差も僅少。走行する上での支障は殆どない。銚子電鉄沿線を走ることが主体となるが、外川港から銚子港にかけての海岸線も一通り走るルート取りで、昨年訪れていなかったところも幾つか周る計画だ。
寝台特急「サンライズ瀬戸・出雲」の旅路は、いつもと同様、静岡県内での目覚めから始まった。上りの「サンライズ」は静岡県内では静岡、富士、沼津の各駅に停車するが、静岡駅か富士駅での発着タイミングで目が覚めることが多く、この日は富士駅で目が覚めた。
寝台で二度寝転寝をしながら過ごし、起きだしたのは横浜を過ぎてから。朝の通勤ラッシュで込み合う駅々を眺めながら洗面所で洗顔と歯磨きを済ませ、下車の準備を進める。
東京駅には定刻に到着。車端部で撮影に興じる乗客も多く、私もそれに交じって写真を撮影したのち、自転車とバックパックを背負って地下の総武線ホームまで長々と移動。ここからは総武特急の「しおさい」に乗車する。
北総から上総にかけての丘陵地帯を淡々と進み、途中、八街駅では対向する特急「しおさい」と交換。
最後尾の車両の最後部のシートに座っていたこともあり、このタイミングでホームから撮影したりしつつ、定刻9時32分には銚子駅に到着した。
昨日の福知山駅の出発が18時32分だったので、丁度、15時間の旅路だった。








銚子駅前で自転車を組み立て出発は10時52分。今回は2代目の「ちゃり鉄号」となってから初めての輪行だったこともあり、組み立てに少々時間を要した。
昨年は銚子駅からそのまま銚子電鉄の「ちゃり鉄」に入ったが、今年は先に外川に向かい、そこで昼食を済ませたのち、外川駅から銚子電鉄の「ちゃり鉄」に入る。
昨年は出発して5㎞もいかないうちにスポークが破断し、車輪がフレて車体に接触するようになり直ちに走行支障が発生したのだが、今年はそういうトラブルに遭遇することなく走り切れるだろう。



銚子駅を出発した後、まずは名洗海岸を目指す。名洗海岸は刑部岬から続く屛風ヶ浦の東端に当たり、南西に向かって遥か彼方まで屛風ヶ浦の断崖が続いている。
名洗海岸と銚子駅との間は丘陵沿いを短絡するが、この道は昨年、スポークが折れてフレが出たタイヤの修理先を探しながら、不安な気持ちで銚子駅に向かったルート。その際に立ち寄った自転車屋も道の脇にある。先代のホイールはストレートのエアロスポークだったので、数軒巡った全ての店で修理を断られたのだった。
名洗海岸に出るまでに西宮神社、金毘羅神社、不動明王不動尊にもお参りして、この旅の無事を祈願。名洗集落では地元の方に話しかけられたので暫し談笑。
集落の海岸沿いはオートキャンプや駐車などを禁止する掲示がなされ、空きスペースには規制線が張られている。近年、こうした地権者による規制が全国各地で目に見えて増えているが、その背景にはネットの情報を頼りに車で乗り入れてくる悪質な利用者が増えた事実がある。
ここもサーファーによる迷惑行為が後を絶たなかったため、地権者が海岸沿いへの車の乗り入れを禁止したのだという。
ごみの放置や深夜に及ぶ騒音等、実際、私自身もそういう場面に出くわすことは少なくないし、キャンプ場などもその例に漏れない。周りが寝静まった21時を過ぎてから設営を始めたり、宴会を始めたりするグループも多く、安眠を妨げられることが増えている。
私がキャンプ場も含めて人が集まる場所での野宿を極力避けるのもそのためである。
屛風ヶ浦方面は明日の行程なのでこの日は名洗海岸から外川港に向かって走るのだが、事前リサーチでは海岸沿いの遊歩道が工事で通行止めになっていたものの、実際には既に工事が終了して通行できる状態に見えたので、話していた集落の方にそのことを尋ねると、既に工事は終了して通行可能だという。
ルート計画は一旦内陸を迂回するように立てていたが、外川方面にはこのまま海岸沿いからアクセスすることにした。お礼を告げて出発する。



開通した遊歩道を越えた先が名洗マリーナで、遊歩道は海食崖に露出した地層の見学探勝路にもなっている。この日も風が強かったが、この「ちゃり鉄25号」の旅の期間で見れば最も穏やかな天候だったし行程にもかなりの余裕を持たせていたので、海岸沿いをゆっくりポタリングして、名洗マリーナから外川港にかけての、犬岩や千騎ケ岩などのローカルな名所も幾つか訪れた。
昼食は外川港付近の飲食店に立ち寄る予定としていて、幾つかの候補を事前にピックアップしていた。
その中で店の雰囲気や客の入りなどを見て判断するつもりだったのだが、結局、待ち行列が結構長かったものの第一候補としていた「いたこ丸」食堂で食べることにした。
ところが12時直前に列に並んですぐに品切れ表示が出たあと、約1時間待ってようやく店内に案内された。「ちゃり鉄」では前後の走行計画の都合もあるので、基本的に食事の時間は30分程度で予定しているのだが、ここでは大幅にタイムロス。それでも待った甲斐があって刺身と天ぷらの定食は漁港の食堂らしく新鮮でボリュームも満点だった。
11時57分着、13時11分発。6.9㎞であった。



ここからは外川駅経由で銚子電鉄の「ちゃり鉄」に入るのだが、その前に、外川集落東端の海食崖の上にある長九郎稲荷神社に立ち寄る。
この神社は「長九郎」と書いて「ちょぼくり」の読みを充てていて読みが独特だが、それ以上に、鯛や秋刀魚を象った鳥居が印象的だ。境内は外川集落東端の海食崖の上にあるので、太平洋が一望でき眼下には長崎鼻や長崎集落が間近い。
長九郎稲荷神社を辞した後は外川駅に向かう。
13時31分着。8.3㎞。



外川駅は古色蒼然と言った感じの駅舎の佇まいが好ましい銚子電鉄の終着駅だ。
学生時代の2001年7月に就活で上京した足で訪れたのが最初の訪問だったが、再訪は20年以上の時を隔てた2024年になってから。学生時代に営業運転についていた旧型車両は既に引退しており、車両は大手私鉄の払い下げ車両に置き換わっているが、外川駅の構内にはデハ801形が留置されている。
到着時は駅の構内に列車の姿はなかったが、時刻表を見ると直ぐにやってくるようだったので、列車の発着を待ってから出発することにする。
程なくやってきたのは3000形で運転されている「澪つくし号」の復刻車両で、この姿は2024年の時と同じだった。
この日は平日だったが春休みということもあってか観光客の姿も多く、列車の発着に合わせてそれなりの数の人の出入りがあったが、列車が銚子駅に向けて折り返していくと、直ぐに静かな佇まいに戻った。
そんな外川駅をでは801形が静かに眺めているのが印象的だった。
外川駅には夕刻にもう一度戻ってくることにして、13時49分発。






銚子電鉄は営業キロ数でも6.4㎞の短距離の鉄道だけあって、この日の外川駅から銚子駅までの実走距離も8.2㎞。
途中、犬吠、君ヶ浜、海鹿島、西海鹿島、笠上黒生、本銚子、観音、仲ノ町の各駅を経て銚子駅に達するが、本銚子駅付近では浅間神社に参拝し、観音駅付近では駅名の由来となった飯沼観音にも立ち寄った。
昨年は仲ノ町駅から本銚子駅に向かう登り坂で後輪のスポークが破裂音とともに破断したのだが、その地点を今年は問題なく通り過ぎることが出来た。
仲ノ町駅では2000形編成の他に、南海電鉄から移籍してきた2編成が原色のままで留置されていた。銚子電鉄の営業車両は仲ノ町駅に留置されていた3編成と、この日営業運転について1編成の合計4編成だという。
銚子駅には15時34分着、16.5㎞。名洗から外川を周り、昼食と銚子電鉄の「ちゃり鉄」を挟んで、4時間42分の行程だった。

















銚子駅からは直ぐに折り返して再び外川方面に向かうが、今度は時計回りに銚子港や君ヶ浜、犬吠埼を周っていく。
15時35分発。
野宿地の君ヶ浜付近のホテルでは日帰り入浴も受け付けているが、今回は銚子市内に残る銭湯の「松の湯」に入っていく計画。この松の湯は昨年の旅では休業日だったため入浴できなかった銭湯だ。
「ちゃり鉄25号」では勝浦にある「松の湯」にも入る予定だったが、残念ながら勝浦の「松の湯」は既に閉業していることを出発直前に知ったため、入浴は叶わなかった。
場所が直ぐに分からず周囲をグルグルと周ることになったが、15時41分着、16時12分発。17.9㎞。
これくらいの時間に入浴を済ませ、3時間以内くらいを目処に野宿地に到着できれば、旅の計画としてはまずまずである。
「松の湯」を出た後は銚子港と利根川河口に面した道路を進み、川口神社に参拝した後、一ノ島灯台を眺めて太平洋沿岸に出る。そして笠上神社や笠上寺、伊勢大神宮といった寺社や君ヶ浜、犬吠埼を経て外川駅に戻った。
17時19分。28.3㎞であった。
野宿場所は君ヶ浜にあるので、一旦、野宿場所をスルーしたことになるが、これは夕景の外川駅を訪れるためである。






再訪した外川駅は黄昏の中に静かに佇んでいた。
列車発着のタイミングではなかったので駅には人もなく、落ち着いた雰囲気が心地よい。日中の明るい時間帯の駅の姿もよいが、やはり夕方から早朝にかけての駅の姿は旅情あふれる。
今回は外川集落の中で食材も買っていく予定だったので、一旦集落の方に足を延ばして食材を仕入れることにした。
外川は坂の町。
集落は海食崖の上から外川港にかけての斜面に展開しており、斜面を登降する坂道が幾筋も走っている。その坂の上から見下ろすと街並みの向こうに夕日を受けた外川港と太平洋が広がっている。
派手さのない旅情あふれる集落の風景が心地よい。
列車が到着する時刻に合わせて一旦駅に戻り、2000形「澪つくし号」の発着の様子を眺める。
この時刻になると観光客の往来はなくなる。数名ずつの乗降客の姿があったものの、昼間の列車のように駅で写真を撮影したりせずに足早に立ち去ったり乗り込んだりしているのを見ると、地元の方なのだろう。
予定ではこの列車の発着を見送った後、野宿場所の君ヶ浜に戻る予定だったのだが、まだ明るかったことと、外川駅でのひと時をもう少し堪能したかったこと、君ヶ浜までは直行すれば15分ほどの距離だったこともあって、もう1本後の列車を待ってから出発することにした。


「澪つくし号」が出発していった後、駅は再び静かな夕べを迎えている。照明は暖色系のものが使われており、その表情も穏やかだ。そんな駅舎をデハ801形機が静かに見守っている。
この車両は伊予鉄道からの移籍車両であるが、学生時代の2001年当時は、デハ700形、デハ1000形といった車両とともに、まだ、営業運転について居た頃だ。当時の写真を振り返ると、私はデハ1000形の編成に乗車して銚子電鉄の旅を楽しんだようだ。
当時はこうした旧型車両が全国各地の中小私鉄に少なからず残っていたが、今日、路線や鉄道そのものの廃止も含めて、その姿を見られる場所は殆どなくなった。
私が生まれたのは「昭和」だが、その「昭和」が「現代」から「近代」に遠ざかっていくのを感じる。


次の列車の到着時刻まで少し間が空くので、もう一度、外川の集落に足を延ばし、幾筋かの坂道を散策する。
夕餉の時間帯。
子供たちが歓声を上げながら家に帰る途中で、「ちゃり鉄号」に跨って写真を撮影する私を見かけると「うわ!凄ぇ!!」などと言いながら挨拶をしてくれる。
家々にも明かりが灯り始め、一人旅の情感極まるひと時が流れていた。
外川駅に戻る頃にはすっかり暗くなっており、駅の周りから陽光の気配は消えて紺色の大気に覆われ始めていた。温かみのある明かりに照らされた駅の雰囲気は、一層味わい深い。
列車は18時18分に外川駅に到着し、18時23分に出発していく。
この時期、日没時刻は概ね18時前後だったので、列車の発着は日没から20分ほど経過した後になり、一日の内でも最も印象的な色彩に包まれる時間帯だ。
程なくレールに煌めきを落として銚子駅からの普通列車がやってきた。
犬吠駅方の構内外れにある踏切から撮影を試みたが、駅全体を照らす照明がないこともあって、駅や列車よりも手前にある転轍機の標識灯が印象に残る、そんな夕景だった。
駅に戻ると昼間にも姿を見かけたのと同じ乗務員が、無人の駅構内で折り返しの仕業を行っていた。
ほんのりと待合室やホームを照らす灯りと列車のテールライト。
旅情駅と呼ぶに相応しい情景を一人しみじみと味わう。
地元の方らしい数名の乗降があっただけで他に人の出入りはない。
そうこうしているうちに乗務員がホームの発射鈴を鳴らし、列車は静かに出発していった。
列車の出発を見送って「ちゃり鉄25号」も出発することにした。18時26分発。1時間7分の停車時間だった。
途中、集落では買えなかった食材を補充するためにコンビニに立ち寄り、犬吠埼湧水にも寄り道して湧水を汲んでいく。
目的地の君ヶ浜しおさい公園の東屋は昨年の旅でも野宿を行った場所。海岸沿いの防砂林の中にあって人の出入りも少なく静かな環境だったので、2年続けて野宿に利用することにした。
19時1分着。34.4㎞。
現地初日ということもあって行程に余裕を持たせたこともあり、外川駅で随分長く滞在したものの、遅くなり過ぎないうちに野宿地に到着することが出来た。
いつものメニューに外川で調達した総菜を組み合わせた質素な夕食を済ませ、1日の整理を行って21時過ぎには就床。明日からの本走行に備えることとした。





~続く~