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ちゃり鉄3号:旅の概要
- 走行年月
- 2016年7月(前夜発2泊3日)
- 走行路線
- 小湊鐵道
- いすみ鉄道
- JR久留里線
- 東京湾フェリー
- 主要経由地
- 房総半島中部
- 立ち寄り温泉
- 養老渓谷温泉、七里川温泉
- 主要乗車路線
- ムーンライトながら、JR東海道本線、JR横須賀線、JR東海道新幹線
- 走行区間・距離・累積標高差
- 総走行距離:290.7km、総累積標高差:+3170.9m・-3187.5m
- 0日目:自宅≧ムーンライトながら≧(五井駅)
(0km) - 1日目:五井=上総中野-粟又の滝-養老渓谷温泉-久我原
(82.7km、+1044.2m、-1012.8m) - 2日目:久我原-上総中野-安房小湊-大原=上総中野-七里川温泉-亀山湖
(121.9km、+1450.7m、-1422.7m) - 3日目:亀山湖-上総亀山=木更津-富津岬-金谷港~久里浜港-久里浜≧自宅
(86.1km、+676.0m、-752.0m)
- 0日目:自宅≧ムーンライトながら≧(五井駅)
- 総走行距離:290.7km、総累積標高差:+3170.9m・-3187.5m
- 見出凡例
- -(通常走行区間:鉄道路線外の自転車走行区間)
- =(ちゃり鉄区間:鉄道路線沿の自転車走行区間)
- …(歩行区間:鉄道路線外の歩行区間)
- ≧(鉄道乗車区間:一般旅客鉄道の乗車区間)
- ~(乗船区間:一般旅客航路での乗船区間)
ちゃり鉄3号:ルート図・断面図
ちゃり鉄3号:更新記録
公開・更新日 | 公開・更新内容 |
---|---|
2024年1月22日 | →2日目:大原駅=大多喜駅の走行記を追加 |
8月27日 | →2日目:安房小湊~大原の走行記を追加 |
2023年4月30日 | →ちゃり鉄3号:ダイジェストを追加 |
8月27日 | →2日目:「久我原駅-上総中野駅=安房小湊駅」の走行記を追加 |
5月19日 | →1日目:「上総中野駅-久我原駅」の走行記を追加 |
3月18日 | →1日目:「里見駅=上総中野駅」の走行記を追加 |
2022年2月11日 | →1日目:「上総川間駅=里見駅」の走行記を追加 |
11月18日 | →1日目:「上総山田駅=上総川間駅」の走行記を追加 |
2021年11月3日 | コンテンツ公開 |
ちゃり鉄3号:ダイジェスト
ちゃり鉄3号:0日目(自宅≧大垣駅≧ムーンライトながら≧)
「ちゃり鉄1号」、「ちゃり鉄2号」の旅を終えた続く7月末。「ちゃり鉄3号」の旅の舞台に選んだのは、房総半島を横断する小湊鐵道、いすみ鉄道、JR久留里線と、その未成線・計画線区間であった。
仕事をしながらの「ちゃり鉄」の旅では週末の1泊2日や祝日を絡めた2泊3日が限界で、長期の旅は、ゴールデンウィーク、お盆休み、年末年始という機会を利用する他ない。
2泊3日で旅することが出来る行程で、なおかつ、程々のまとまりがある地域となれば、関西発なら関東甲信越地方、中国四国地方、東海北陸地方あたりになる。特に、関東地方であれば、7月末のこの時期、夜行快速の「ムーンライトながら」が運行されていることもあり、前夜発で効率よく現地入りできる。夜汽車での旅立ちと言うのも、近年、殆ど不可能になった貴重な機会だ。その前提で計画を立てようとして白羽の矢が立ったのが房総半島であった。
房総半島には、1996年末の本州一周・青春18きっぷの旅で訪れた後、JR久留里線を訪問したくらいで随分ご無沙汰しているし、小湊鐵道やいすみ鉄道は未乗車の鉄道でもある。
「ちゃり鉄」となれば乗車することはできないが、その一方で、「乗り鉄」の旅よりも深く沿線を味わうことが出来る。
そこで、「乗り鉄」の旅は、また、別の機会に実施することにして、関東地方に残るこれらの旅情ある鉄道風景を「ちゃり鉄」の旅で訪れることにした。
「ムーンライトながら」は大垣発着。かつては「大垣夜行」とも呼ばれ、国鉄時代から続く歴史ある列車でもある。
仕事を終えて一旦自宅に戻って夕食、入浴を済ませた後、通勤客で混雑する東海道本線を東進して大垣駅に到着したのは22時前だった。
駅のホームで列車を待つ間、行き交う人々を眺めて過ごす。
夜行列車の発着ホームは独特の雰囲気が漂う。大きな荷物を携えて列車の到着待ちをする人々の一団が居るからだ。せわしなく発着する通勤列車には見向きもせず、到着の時間が来るまでホームで待っている人が多い。中には気の早い人が居て、つまみ片手に缶ビールをあおっていたりもする。
到着からしばらくの間、ホームの掲示板は近郊列車の発着を表示していたが、やがて「東京」の文字が登場した。旅情あふれる行先表示だが、こういった掲示を見る機会も殆どなくなった。
やがて特急型車両で運転されていた「ムーンライトながら」が入線する。しかし、臨時列車の悲哀か、夜行列車の発着にしては余裕がなく、入線してすぐに出発するダイヤのため、大垣駅構内での写真を撮影することができなかった。
夜行列車に乗車したからには、その「夜行」の姿を撮影したかったのだが、名古屋などでは停車時間が短く撮影の時間が取れない。
停車中の姿を写真に収めることができたのは、1時前の浜松駅だった。
「臨時快速」の表示が残念だったが、車両側面の行先表示幕には辛うじて「ムーンライトながら」の文字があり、古き良き時代が偲ばれた。
翌朝は5時過ぎに東京駅に到着。直ぐに車端部に移動したものの、既に回送の表示に切り替わった後だった。
5時過ぎとは言え東京駅は気ぜわしい朝が始まっており、臨時列車となった「ムーンライトながら」は、到着の余韻を噛み締める間もなく車庫に回送されていく。
それを見送った後、同じ駅とは思えない長い距離を移動して京葉線地下ホームから列車に乗る。「ちゃり鉄3号」の出発駅である五井駅に到着したのは7時前だった。
ちゃり鉄3号:1日目(五井駅=上総中野駅-久我原駅)
2日目は小湊鐵道五井駅から始まる。実際には「ムーンライトながら」の車中で日を跨いだ瞬間から2日目になるのだが、ここでは「ちゃり鉄3号」で走り始める五井駅から2日目とした。
今日はここから小湊鐵道の全線を走り通し、養老渓谷を探訪した後、いすみ鉄道の久我原駅まで移動して駅前野宿の予定だ。
近代的なビルに囲まれた五井駅は、JR内房線と小湊鐵道線が同居している。電化されたJR内房線と非電化の小湊鐵道線の対比が面白い。ここには都会と田舎が同居している。
駅前で輪行装備を解いて自転車を組み立てる。通勤時間帯の五井駅に行楽ムードはなく、駅前の適当なスペースで自転車を組み立てている自分が、何か場違いな感じだ。
早朝に列車の中で朝食は済ませたが、小腹が空いたこともあり、軽食を頬張って出発する。
駅を出ると意外と早く郊外ムードになり、一つ隣の上総村上駅に着く頃には、すっかり田園風景になっていた。
海士有木、上総三又、上総山田、光風台、馬立、上総牛久と、新旧織り交ぜた駅が続く中、夏晴れの空も心地よくペダルを漕ぎ進む。一応、養老川に沿って上流に向かって登っているのだが、元々標高の低い房総丘陵を行くこともあり、ほぼ平坦で走りやすい道が続く。
上総牛久は沿線では随一の規模を誇る。小湊鐵道の要衝でもあり、ここから上総中野までの区間では、運転本数も半減する。五井からは20㎞余り。気動車ということもあり、五井方面への通勤圏はこの辺りまでなのだろう。
上総牛久駅を出て上総中野に向かう。
途中、上総川間という小駅を通る。
小湊鐵道の開業当時には無かった駅で、ホーム上に小さな待合室が設けられただけの無人駅だが、田んぼの中に佇むその姿は印象的で、小湊鐵道きっての旅情駅だった。
上総鶴舞駅は、小湊鐵道ゆかりの地。
小湊鐵道の創業当時、ここには自家発電所が設置され、鉄道事業への電力供給だけではなく一般向けの売電も行っていた。その発電計画は小湊鐵道の開通以前、1923(大正12)年から進められていたが、これは、小湊鐵道の建設工事に必要な電力も供給するためのものであった。
しかし、世の中が戦争へと向かっていた1933(昭和8)年には、政府の統制によって発電は中止されており、私鉄企業による発電の歴史は短命に終わった。
小湊鐵道の沿線を旅するなら是非とも見学しておきたいスポットなのだが、当時は、そういった建設史を知らなかったこともあり、素通りしてしまった。それはそれで、再訪の理由となるから良しとしよう。
心地よい天候の下、快調にペダルを漕ぎ進める。
1933年4月10日に後発駅として開業した上総久保駅や高滝駅を経て里見駅に到着。
進路の左手には高滝ダムによって生まれた高滝湖が湖面を横たえているが、もちろん、この辺りも創業当時は養老川が蛇行を繰り返す丘陵地帯だった。
里見駅は小湊鐵道の第一期線区間の終着駅であった。1925年3月7日の五井~里見間開通時に開業したのである。かつてはここから万田野までの砂利採取線も延びており、貨物輸送の拠点としても使われるターミナルであった。
今日では貨物輸送も廃止されて久しく往時の賑わいは見られないが、広い駅構内にかつての栄華が偲ばれる。
この日はここで観光列車の里山トロッコと一般列車の行違いを見学することができた。
里見駅を出ると里山風情もぐっと深まる。
難読駅名の飯給駅は古い由緒を持つ地名と近代的なトイレアートが同居する独特の空間だが、駅周辺の風情は好ましく、再訪の際には駅前野宿の一夜を過ごしたい旅情駅だ。
続く月崎駅、上総大久保駅も、それぞれに味わいのある旅情駅。駅の周辺は無人の寂寞境という訳ではないが、丘陵地帯に民家が点在する里山風景が心地よい。
月崎駅は第二期線の終着駅で、ここも広い構内にかつての面影が残っている。
上総大久保駅は第三期線の中間駅であるが、この第三期線が小湊鐵道最後の開業区間でもあった。
駅前野宿の候補駅が幾つも現れるので、小湊鐵道の再訪は数が多くなりそうだ。
上総大久保駅からは、第三期線の路線を養老渓谷、上総中野と進み、小湊鐵道の「ちゃり鉄」の旅が終わった。養老渓谷はかつて朝生原と呼ばれたが、小湊鐵道が一帯の渓谷の観光開発と合わせて「養老渓谷」の名前を生み出し、駅名の改称を行った歴史がある。
この養老渓谷駅と上総中野駅の間で分水界を越えており、東京湾岸に流れ下る養老川水系から、太平洋岸に流れ下る夷隅川水系に入った。
小湊鐵道といすみ鉄道が連絡する駅だが、列車発着のタイミングでもなかったので、駅の周辺は人影も疎らだった。
ここで接続するいすみ鉄道は、元々は国鉄木原線と呼ばれた路線で、東京湾岸の木更津と太平洋沿岸の大原とを結ぶ目的で建設された路線であった。
しかし、小湊鐵道も木原線も、お互いにその目的を果たせぬままこの上総中野駅で交わり、結果的に房総半島横断鉄道となって今日に至る。
この後、一旦上総中野駅を離れ、粟又の滝を訪れた後、養老渓谷温泉でひと風呂浴びて、夕刻の上総中野駅に戻ってきた。西日を受けて金色に輝く駅の姿は、郷愁に満ちた里山の風景に溶け込んでいた。
上総中野駅を後にして、今夜の駅前野宿地に選んだいすみ鉄道の久我原駅には、日没直後に到着。
国鉄時代の旧型気動車を模した列車が行き交う中、刻一刻と暮れてゆく久我原駅で駅前野宿のひと時を過ごす。
久我原駅は近くにある大学の最寄り駅の位置づけではあるが、全寮制の大学の学生が通学で利用することもなく、一日当たりの利用者も僅かな里の無人駅である。
この日は、夕方の大原行に乗り込む男性の姿や、駅の清掃に訪れた地元の方の姿を見かけたものの、行き交う列車から降り立つ人は居らず、一人、この旅情駅と対峙する夜となった。
ちゃり鉄3号:2日目(久我原駅-上総中野駅=安房小湊駅-大原駅=上総中野駅=上総亀山駅)
3日目は、久我原駅を出発した後、上総中野駅まで戻り、そこから小湊を目指す。全通の夢破れた小湊鐵道の未成線区間を走り抜けるのである。
小湊からは房総半島の太平洋沿岸を大原まで北上し、いすみ鉄道全線を走り抜け、こちらも、上総中野~上総亀山の未開通区間を走り抜けて、上総亀山で野宿の予定だ。
こうした楽しみ方は「ちゃり鉄」ならでは。
早朝の久我原駅は朝霧に包まれ、7月というのに肌寒いぐらいの気温。放射冷却での冷え込みを感じさせるこの天候は、むしろ、今日一日の好天を予感させるものだった。
朝食や片づけを済ませる頃には、真夏の強い日差しが朝霧を蒸発させ、青空の気配が漂い始めた。
訪れる者も居ない早朝の久我原駅。朝露に濡れた駅を出発することにするが、この駅には、今日の昼下がりに再びやってくることになる。
出発してすぐに夷隅川を渡るが、この渓谷沿いは、まだ、青白い朝霧に包まれており、神秘的な雰囲気が漂っていた。
上総中野駅には6時半頃に到着。駅の周辺は朝霧を通して夏の日差しが差し込み始めており、珍しい白虹が見えるなど、印象的な雰囲気だった。
この時刻、上総中野駅に発着するのはいすみ鉄道の列車だけで、小湊鐵道の列車が峠を越えてやってくることはない。東京湾岸と太平洋岸の分水嶺を越えるだけあって、元々、人々の動線もそれぞれの流域を下る方向に向かっているからであろう。
静かな上総中野駅で写真を撮影していると、大多喜方の霧の向こうから音もなく列車のヘッドライトが近づいてきた。車両はいすみ350型。国鉄の旧型車両に似せたいすみ鉄道の新型気動車だ。
朝もやの漂う駅に乗客の姿は無かったのだが、出発間際になって地元客らしい若い男性が乗車した。
こうして地元で利用されている姿を見るのは嬉しいことだ。
その列車の出発を見送った後、私も一路太平洋岸の安房小湊を目指して出発する。
上総中野から小湊にかけての区間は、前半で緩やかに上り続け、後半で一気に太平洋岸に下る線形。小湊鐵道の路線敷設に当たって、この急勾配が難所として立ちはだかったのであろうことは、想像に難くない。
我が「ちゃり鉄3号」も意外なほどの急勾配を下り続け、7時42分、安房小湊に到着した。
小湊鐵道が目指した安房小湊には、僅かながら小湊鐵道の未成線遺構が存在するようだが、ちゃり鉄3号の旅では事前に情報を掴んでおらず、遺構の探索は実施していなかった。小湊鐵道に縁の深い誕生寺も訪れていなかったのだから調査不足という見方もあるかもしれない。
しかし、初訪問ではあまり予備知識を持たずに現地を訪れることにしている。素直な感性で感じたものを持ち帰り、興味が湧けばそれを調べ、必要があれば再び現地を訪れる。そういう風にして、何度も訪れる旅というのも楽しい。
安房小湊からいすみ鉄道の出発地点である大原駅までは、概ね海岸沿いを行く。
心が小躍りするような晴天の中、アップダウンが続くきつい行程も気持ちよく漕ぎ進められる。
安房小湊から誕生寺の脇を通り小さな隧道を越えると、太平洋を見下ろす断崖絶壁の上に踊り出る。行く方を眺めると、「こんなところに」と思わせるような険しい断崖の中腹に道が続いている。そしてその視線の先で道は不明瞭な段差になった末に消えているのが見渡せる。
「おせんころがし」と呼ばれるこの断崖は、その名が示すように陰惨な事件の舞台ともなり、また、古くからの交通の難所でもあった。そんな歴史もいざ知らず、現在は内陸側をトンネルで通り抜けていく国道が開通して、この海岸沿いの険路を行く車両も少なくなった。
この日は時たまドライブや釣りで訪れたらしい車を見かけるくらいで、爽快なサイクリングルートとなっていた。
「おせんころがし」から先は国道に入ったり旧道に入ったりしながら、岬と入江が連続する風光明媚な海岸を進んで行く。ひと際大きな入江は勝浦湾。その東端は太平洋に突き出た八幡岬で、岬の展望台に立てば小さな入江の向こうに白亜の勝浦灯台が鎮座し、太平洋を見つめていた。
勝浦から御宿に進むと、その先、海岸沿いには進めなくなる。主要な道は内陸側を進み、海岸に点在する漁村は枝道で内陸の主要道とつながるパターンが多くなる。
そうした海岸漁村のうち、偶然立ち寄った岩船は、空と太平洋の青さが心に染みわたるような絶景が広がっていた。
岩礁に囲まれた小さな漁港でしばし休憩。
地形の影響か、快晴の穏やかな天候にも関わらず多少の白波が立ち、波乗りに興じるサーファーの姿が見られた。
このままのんびりと昼寝したくなるような風景だったが、今日の行程はこの辺りで丁度半ばに達したところ。先はまだ長いので10分程の休憩で先に進むことにする。
久我原駅を6時に出発し、66.4㎞を走り抜けて、大原駅には11時28分に到着した。お昼前ということもあり、駅の傍にあった大衆食堂に入って昼食にする。メニューはお決まりのかつ丼。ちょっと物足りなかったので餃子も追加した。運動中にしてはガッツリ、コッテリのメニューだが、やはり米飯や肉類を体に入れておきたくなる。
大原駅はいすみ鉄道とJR外房線とが交わる交通の要衝。かつて木原線と称したいすみ鉄道は、ここから、木更津を目指して建設工事が進められた路線だが、小湊鐵道と同じく、全通の夢果たせぬまま、上総中野まで開通して途絶えた。
今日は、そこから上総亀山までの未開通区間をちゃり鉄で走り抜ける。
30分程の滞在で腹ごしらえを済ませたら出発することにする。12時1分発。
いすみ鉄道の線路は、大原駅を出ると北東に分岐しJR外房線に別れを告げる。
大原市街地はすぐに尽きて、田園風景に転じ始めると西大原。草生した線路と棒線ホームは一気にローカルムードに満たされる。
この先の進路は、夷隅川流域の平地と標高100m内外の丘陵地帯を縫うように進む。
集落内の小駅といった感じの上総東駅を越えると踏切で線路を渡り、そのまま線路に並走する形で新田野駅に到着する。
新田野駅の大原方には長い直線区間があり、駅を撮影していると遥か遠くの小さな峠を越えて愛らしい気動車がやってくるのが見える。
駅の雰囲気は小湊鐵道の上総川間駅と似ていて、この駅もいずれ駅前野宿で訪れてみたい旅情駅だ。
新田野駅を出ると、沿線の中核駅の一つである国吉駅を経て、上総中川、城見ヶ丘と進んで、大多喜駅に到着する。大多喜駅は車庫もあって、いすみ鉄道の拠点となっている。
国吉駅では、国鉄時代の塗装に復元された旧型車両が「夷隅」のヘッドマークを掲げた急行として停車していた。ここで新造気動車の普通列車と行違うのだが、この日は駅の構内でイベントも催されていて、国鉄時代を思わせる懐かしい雰囲気と共に、心地よい駅風景が広がっていた。
上総中川駅と城見ヶ丘駅は、どちらも住宅街に設けられた小駅であるが、古くからの住宅街にある上総中川駅と、新興住宅地にある城見ヶ丘駅との対比が面白い。
大多喜駅では構内の車庫に留置された車両を眺める。付近には大多喜城址の公園などもあり、駅舎もそれを模した意匠が施されている。
大多喜城を背景に夷隅川を渡る橋梁を行く気動車を撮影して、大多喜から先の区間に漕ぎ進む。
小谷松、東総元を経て、今朝出発した久我原駅に到着。6時過ぎに出発して9時間余り走り、到着は15時過ぎだった。この間のGPSでの計測距離は91.7㎞。平均時速は10㎞強ということになり、比較的のんびりとした行程だった。
小谷松駅は地元請願によって設けられた駅。農村風景に溶け込んだ駅の風景は、小湊鐵道の上総大久保駅と似ていて、こちらも駅前野宿で訪れてみたい旅情駅だった。
さらに進んで東総元駅。
付近にあった総元小学校も平成27年に閉校となり、沿線人口の減少は否定しがたいが、長閑な里山に佇む駅の雰囲気は好ましい。
そして昨夜の駅前野宿地だった久我原駅を再訪。明るい時刻に訪れた久我原駅は、緑に囲まれた高原の駅のような雰囲気だった。そして、この絶好のタイミングで国鉄型の旧型気動車で運行されていた急行「夷隅」号が駅に到着。旅情駅に彩を添えてくれた。
久我原駅を出ると、いすみ鉄道を行く「ちゃり鉄3号」も残すところ3駅。
総元駅はかつての行違い設備の跡を偲びながら瀟洒な水色の駅舎を眺める長閑な雰囲気。
西畑駅は国道や踏切脇の角地に設けられた小さな無人駅だが、緩やかな曲線を描くホームと駅を包む緑が心地よい。
そして16時過ぎになって上総中野駅に到着。これで、小湊鐵道、いすみ鉄道の全駅を巡ることが出来た。西日差す上総中野駅には、丁度、小湊鐵道といすみ鉄道の列車がやって来る時間帯。
お互いに房総横断の夢破れた鉄道同士が、この里山の駅で落ち合い、乗り継ぎ旅客を待っていた。
この日の小湊鐵道は「枝豆・とうもろこし収穫列車」を運行していて、ヘッドマークを掲げた臨時列車と出会う幸運に恵まれた。いすみ鉄道の「夷隅」号も含め、記念になる「ちゃり鉄3号」だった。
ここからは国鉄木原線の未成区間を走り通すことになる。直線距離で10㎞程度。この僅かな距離を残して全通が果たせなかった訳だが、「ちゃり鉄3号」はこの区間も繋ぐことが出来る。
今朝走ったばかりの小湊鐵道の未成区間と合わせて、この日は、房総横断鉄道の見果てぬ夢を2度も体現する旅となった。
ルートは基本的に国道465号線を辿る。
途中、石尊山北麓で養老川水系と小櫃川水系の分水界を越えて行くのだが、峠を越えて下り始めた黄和田畑集落付近にある七里川温泉でひと風呂浴びる。鄙びた山荘といった感じの七里川温泉は、地元の利用者の方の他、石尊山の登山者の利用もありそうだ。
西日が赤みを増す中、亀山湖の湛水域に入って蛇行する小櫃川とその支流を渡っていくと、程なく、上総亀山駅に到着。途中、七里川温泉での入浴時間も含めて、16時30分発、18時30分着の2時間の行程だった。
2012年3月17日に閉塞設備の近代化によって無人化された上総亀山駅は、黄昏の中で郷愁に満ちた終着駅の雰囲気。近代化によって無人化されるという所に、近代化の本質を感じた。
この日は、亀山湖畔に見付けた東屋で野宿。
ちゃり鉄3号:3日目(上総亀山駅=木更津駅-金谷港~久里浜港-久里浜駅)
旅の最終日は、上総亀山から木更津までJR久留里線を走り通し、そこから富津岬、金谷港を経て東京湾フェリーで東京湾を横断。最後は久里浜駅からJRに乗車して帰宅する行程だ。
早朝の亀山湖畔で出発準備を済ませ、まだ、街灯が灯る中で行動を開始する。
到着した上総亀山駅も照明が灯り、まだ、眠りの中にあるかのようだ。かつては夜間滞泊も行われていてローカル線ながらも終着駅の風格があった上総亀山駅だが、ちゃり鉄3号での訪問時、夜間滞泊は無く、早朝の駅に列車の姿は無かった。
眠りの中にある上総亀山の街を見送って駅を出発する。
基本的に木更津まで降り基調の久留里線だが、とりわけ、上総亀山~久留里間は房総丘陵越えに差し掛かる勾配区間でもあり、並行する道路を走っていても下り勾配を体に感じる。
そんな中で、上総松丘、平山、と走り下り、沿線随一の市街地にある有人駅の久留里駅に到着。
久留里駅は久留里線の名称の由来ともなった都市で、木更津~久留里間の区間運行の列車も多い。
到着した駅では駅員が列車の始業準備を行っていた。
久留里駅まで来ると辺りも平野になり、山里から郊外の雰囲気に転じてくる。
駅も主要な集落ごとに毎に設けられていて、俵田、小櫃、下郡、馬来田、東横田と、小櫃川沿いの平地を軽快に走り下る。尤も、下ると言ってもこの辺りまで来ると下り勾配はほとんど感じない。
小櫃、馬来田の両駅は元々は行き違い設備を備えた駅で、今も駅の構内にその痕跡が残っている。
東横田駅からは、横田、東清川、上総清川、祇園、と進んで起点の木更津に到着する。
東横田駅から祇園駅まで、久留里線は概ね東西に敷設されているのだが、木更津に向かって走ると、十番に、東横田、横田、東清川、上総清川と登場する駅名の並びからも、そのことが窺い知れる。
この区間は、袖ケ浦市や木更津市の市街地にもほど近く、都市めいてくる。
棒線駅が多いが、横田駅は交換設備を伴った有人駅で、到着時には丁度、上下列車の行き違いが行なわれていた。
上総清川駅付近から木更津市街地に入り、曰くありげな祇園駅を経て木更津駅着。
5時半過ぎに上総亀山駅を出発し、木更津駅には8時45分頃に到着した。走行距離は38㎞だった。
木更津駅からは富津岬を経由して金谷港まで走る。
富津岬は地図で見る地形そのままで、岬の先端の展望台から陸地側を眺めると、砂洲の特徴のある風景が広がった。振り返れば東京湾が広がり、そこに浮ぶ第一海堡や第二海堡は、戦争の記憶を今に留める史跡でもある。そんな岬には人々が集い、マリンレジャーに興じていた。
金谷港では港湾の観光施設で昼食。
その後、東京湾フェリー「かなや丸」に乗船して房総半島を後にした。
東京湾上ではカモメと共に海路を進む。ジェットフォイルと交錯したり、対向の東京湾フェリー「しらはま丸」と行違ったりしながら、約40分の短い船旅を楽しむ。
船内にはビンディングシューズを履いたサイクリストの姿も多く、神奈川県から房総半島へのレジャー利用が多い印象を受けた。
久里浜港外の海獺島付近では夕立に見舞われたが、久里浜港に着岸する頃には天候も回復。
大規模な港湾施設や高層マンションが立ち並ぶ久里浜は、海辺のベッドタウンといった風情だった。
久里浜港からJR横須賀線の久里浜駅まで数キロ走り、駅には14時過ぎに到着した。
今回の「ちゃり鉄3号」の旅も、この久里浜駅で終了。ここで自転車を畳み、自宅の最寄り駅まで輪行の乗り鉄一人旅で帰宅する。
久里浜駅からは、大船駅経由で熱海駅まで在来線で移動。
熱海駅で東海道新幹線に乗り継ぎ、ここから関西まで駆け抜けるのだが、敢えて「こだま」に乗って、新幹線の鈍行旅を楽しむ。しかも、新大阪まで乗り通さず、わざわざ米原で在来線に乗り換えることにした。
ちゃり鉄の旅で新幹線の路線は走る予定はないのだが、その代わり、新幹線の全ての駅で乗下車若しくは乗換えをするという計画を立てているので、熱海、米原での在来線乗換えを行程に入れたのだった。
米原到着は19時半前。ここから自宅まではまだ2時間ほどかかるが、旅の余韻を楽しみつつ、乗り慣れた新快速車中の人となって、最終区間を乗り終えた。